映画『雪の断章~情熱』を見ました。以下、感想を書いていますがネタバレしてます。未見の方はご注意ください。
もう1度見たいか?と問われれば、もう1度見たいです、とは答えないのだけれど。妙に心に残る作品でした。見終えた後、いくつかのシーンがふとした瞬間に蘇ってくるのだ。そして、胸にいつまでも残る、このもやもや感はなんなのだろうか・・・。
原作は佐々木丸美さん。主演は斉藤由貴さんで、これは1985年の作品。デビューしたばかりの初々しい由貴ちゃんがとにかく可愛い。これは、主人公に由貴ちゃんを起用した時点で、大成功だと思った。
孤児だった伊織(斉藤由貴さん)を引き取ったのが、お坊ちゃまな雄一(榎木孝明さん)で、その親友が大介(世良公則さん)。伊織が大人になるにつれ、この三人の心境が微妙に変化していく。要するに、三角関係になる。三人とも、それを顕在意識ではなかなか認めようとしないが。
これは、まるっきり光源氏と紫の上の話だ。もちろん、現実にあったら、こんなことは許されないと思う。そもそも、独身の男性が少女を引き取って育てることなどありえないけれど、そこはもう、ファンタジーの世界ということで。
映画の中では、殺人事件が軸となって、物語が展開していく。しかし、本当は事件などなくても、この三人はやっぱり同じような三角関係に発展したのではないかと、そう思った。
雄一と大介が、とても対照的に撮られている。雄一は、顔のない人物として描かれているように感じた。透明な存在。そして、高みにあって、伊織が憧れる存在。現実感はなく、常に伊織の救い主として彼女を見守っている。
対する大介は。
とても伊織に身近な存在のように感じた。伊織が手をのばせばいつでも触れられるような。同じように息をし、同じような体温を持つ存在。伊織は大介を通して、雄一を見つめ、そしてまた彼を一段と神聖視していく。
大介がストレートに愛情を向けるのに対し、雄一が一歩引いて、低い温度で伊織をみつめるのがちょっと、ずるいかな~と感じた。観客の側からすると、大介はもう、みえみえだから。段々、伊織を好きになっていく過程が。北大に受かった直後に、伊織に「自分についてきてくれ」みたいなことを言ったときには、最初、なんという強引な・・・という嫌悪感さえ感じたけれど、よく考えてみればそれも無理はないと納得。
なぜなら、そのまま放っておけば雄一と伊織は一緒になるだろうから。二人のそばにいて、それを実感するからこそ、少々強引でも、大介は伊織を遠くにさらっていこうと考えたのだろう。
雄一のずるさは、絶対に自分から動かないところだ。伊織の心が自分に向けられるのを知りながら、大介の心を知りながら、自分は頑なに沈黙し続ける。そのくせ、伊織には声にならない思いを、その視線で訴え続ける。
もし、全く違う立場で出会っていたら、伊織は雄一を好きになったかな?と思うと、疑問に感じるところもあるなあ。
結局、見捨てられる不安みたいなものが、伊織にはあったんじゃないかと。境遇からして、頼るものは雄一だけだったわけで。やっとみつけた安住の地を。もしも追われることになったら、自分という存在の意味を見失ってしまう。
泣いてた自分を救ってくれた人。帰る家を作ってくれた人。その人が自分を好きだという。それなら自分は答えなくちゃ。そんな気持ちは、心のどこかにあったと思う。雄一がくれる感情を、ばっさりと拒絶して家を出て行くことは、到底できないでしょう。
家政婦のかねさんの言葉は、きついなあと思った。残酷すぎる。かねさんにとって雄一は身内で、伊織は他人なのだ。長い時間を過ごしても、結局伊織は「よその人」でしかなかったのだなあと、悲しい気持ちになった。伊織の受けた衝撃や、どうにもならない嫌悪感など、画面から痛いほど伝わってきた。
最後、曖昧な終わり方をするから、その後の彼らの生活は観客が想像するしかないのだけれど。雄一は最後まで、顔のない存在として描かれていて、それがとても印象的だった。榎木さんハマリ役です。他の人が演じていたら、全然違う雰囲気になっていたと思う。
この映画、主題歌がいいですね。
そして舞台が北海道だということも、ねじれた愛情のドロドロさを、遠い世界のように清潔に見せて、効果的だと思いました。
>別れの切符胸に押し付けた手を 冷たいねってあたためたでしょう
主題歌は由貴ちゃんが歌ってますが、私はこの一節がとても好きです。別れるときには、嫌いにさせるのも愛情のひとつで、でもふと優しい思いやりなんかみせたりして。冷たい手を、それと知りながら押し戻して、知らんふりすればいいのに。
なんにも考えてない無邪気な顔で、こういうことやっちゃう恋人が実は、一番罪作りだなあと。雄一っぽい歌詞です。
由貴ちゃんは北海道とセーラー服、そしてポニーテールがよく似合ってました。