樹木を大切に

うちの近所でも、どんどん開発が進んでいる。田んぼは埋め立てられ、畑は売られ、放棄地もあっという間に建売住宅になったり、注文住宅になったり。

そんな中で、今日は私の心に残っている梅の木の話をします。

うちの畑の横は、長い間放棄地だった。放棄地で10年以上経つと、どうなるかわかりますか。

答え。「森になります」

もはや、草とかいう問題ではなく、うっそうとした森になるんですよ。土地の持ち主は、長いこと土地を荒していましたね。たまーに。数年に1度。道路側の大木を切ったりというのはありましたが。それ以外は基本、放置で。

いや、何度か果樹園にしようと試みているらしき動きはあったかな。敷地の一部を刈って、イチジクの木かなにかを植えたこともあった。でも手入れしなければ、あっという間に草に覆いつくされて終わりです。

そんな中で、その土地に1本の梅の木が育ったんです。あれ樹齢何年なんだろう。10年以上はたっていたはず。放棄地になる以前、まだそれなりに畑を作っていた頃から、育っていた木だと思います。

私が隣地の荒れ具合を気にし始めたのは、10年前くらいなんですが。その頃にはもう、梅の木は立派な大木でした。毎年、たくさんの花を咲かせ、たくさんの実をならせていました。土地の持ち主はその梅の木を放置していましたが、木は道路に近いところにありましたので、私は畑への行き帰り、よくその梅の木を眺めたものでした。

誰も梅の実をとりません。季節がくると、大量の梅の実がただ草むらに落ち、腐っていく光景は大変物寂しく、もったいないものでした。梅も、無念だろうなあと思っていました。散歩する人の中にも気になる人がいたらしく、近所のTさんは梅のことを聞かれたといいます。

「あの梅の木は、お宅の家のものか?落ちてもったいない。要らないのなら、拾ってもいいだろうか」

Tさんの家の土地ではありませんので、その旨を伝えたところ、大変残念がっていたとか。

けれどその梅の木は道路側にあり、土地の持ち主は道路に面したところだけ、時折、除草剤をまいていることもありました。定期的にではありませんが、思いついたように、一時期は繰り返し、かなりの量をまいていました。

梅の木の根元の草は、除草剤によって枯れては生え、また枯れては生え、を繰り返していました。だからその梅の木の実は、食べない方がよかったと思います。一時期かなりの量の除草剤を、取り込んでいたと思いますから。除草剤の影響は、目に見えないところが本当に怖いです。私なら、除草剤をまかなくなって何年経っても、そこで採れる野菜や果物は食べたくないです。

梅の木そのものは、除草剤によって樹勢が衰えることはありませんでした。むしろ毎年、いよいよ美しく、勢いを増していくように思えました。けれどついに、最後のときが訪れたのです。

土地が、売りに出されました。最初は、「売地」の看板が立ち、その周囲だけが、草を刈り取ってありました。1年たっても、森と化したその土地は、なかなか売れません。更地にするだけでも、多額の費用がかかることは目に見えています。おそらく土地の持ち主は、安くてもいいから、このまま売り払ってしまいたいと思ったのでしょう。

「売地」の看板が立った放棄地は、もの悲しかったです。誰にも振り向いてもらえないまま時間がたち、それがまた、せつないのです。

土地の買い手が現れないまま、1年を過ぎて再び梅が満開になったとき。その年の梅の花は、ことさらに美しかったです。土地が売りに出されたこと。なかなか買い手がつかないこと。そうしたことを踏まえて梅の花を眺めるからよけいに、梅は全身全霊で咲き誇っているようにみえました。それはそれは見事な、すばらしい満開の光景でした。風に吹かれて花びらが散るさまも。その後、大粒の実がなり、ボトボトと落ちるその量も、これまでにないほどの大量でした。

土地が売れれば、梅の木は切られてしまうだろう。それがわかっているだけに、私は梅の木を、気の毒に思うようになりました。

もしかして、梅に心があるのなら。売地になったことを察してよけいに、がんばっているんじゃないだろうか。綺麗な花を咲かせたなら。おいしい梅の実を作ったなら。

売主の気が変わり、売地ではなくなると思って、梅は気力を振り絞り、命を燃やして花を咲かせたんじゃないだろうか。

私はそんなことを思って、その年の、凄まじいほどに美しく咲いた、梅の花を眺めたのです。梅の実は、その年も誰にも拾われることなく、静かに腐っていきました。その後まもなく、工事が始まりました。

ついに売れたのか。私はそう思い、工事をそっと見守りました。きっとチェーンソーでどんどん、枝を切っていくんだろう。丸裸にした木を、最後は根っこごと、掘り起こすのかな。そんな私の予想は、見事に外れました。

梅も含め、すべての木は、切断されるのではなく引きちぎられたのです。ユンボに、爪のようなアタッチメントがついていました。その爪で枝をはさみ、力の限り、右に左にと引きちぎるようにして、樹木は伐採されていきました。木の裂ける、ねじれる、嫌な音が辺りに響き渡って。その光景は、いつまでも私の心に残りました。

私は梅の木がかわいそうになってしまいました。どうしてあげることもできないのがもどかしい。口を出す立場ではないが、どうせ切るならせめて、枝をチェーンソーで切断してから、引き倒した方が木の苦痛が少ないのではないか。せめて、樹木が少しでも苦痛を感じないように。

右に左にと捩じられ、生木の裂ける無残な音を響かせて、森は消えたのです。更地になりました。あの嫌な音を、無残な音を。私は忘れることができません。

今、その土地には新築の家が数軒建っているけれど。あの梅の木の生えていた場所。障りがあったりしないでしょうか。梅の木の無念が、残ってはいないでしょうか。

手入れもされず、実を収穫もされず、けれど健気に、毎年誰が見ていなくても、ハンコで押したように繰り返し、花を咲かせ実を実らせていたあの立派な梅の木。除草剤をまかれてもまかれても、文句も言わずじっと耐えていました。売地の看板が立てば、さらに見事な花を咲かせもしました。

それが、よりによって生木を引き裂かれて、ボロクズのように粗雑に、片付けられてしまった。あのときの生木の裂ける音は、私には悲鳴のように聞こえました。梅の木の断末魔の叫び。

せめて、伐採の前に祈祷などあればよかったのですが。その様子は見受けられませんでした。でもそもそも地主が祈祷をやるくらい樹木に気を遣うなら、あの伐採の仕方はなかったでしょうね。あれが最も安く、もっとも早い、伐採の仕方だったのでしょう。チェーンソーで少しずつ切断していくのではなく、あのようにユンボをつかって、乱暴に片付けてしまうのが地主の選んだやり方だったのですね。

あっという間に更地にはなりましたが、私は梅の木の無念を、感じました。

樹木も生き物です。人間の都合で伐採するなら、敬意をもって切るべきだと思いました。あの梅の木のあった場所に、新しく建てた家。大丈夫なのかな?

今も、生々しく。通るたびに思い出すのです。あの梅の木が引き倒される、無残な音を。たぶん土地を買った人、注文住宅を買った人は、そんな経緯を知らないでしょう。

忘れられない、梅の木の話でした。

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