海へ行こう

 夏が終わった。8月が終わればもう、秋はすぐそこである。
 日が沈むと、虫の音が季節の変わり目を告げている。

 夏の思い出といえば、私は先日、海へ出かけた。太平洋岸の、なだらかな砂浜が続く場所へ。
 たまに、無性に海へ出かけたくなるときがある。平日の昼間が、お勧めなのである。ほとんど人がいなくて、一人になれるから。

 表向き穏やかな波が楽しめる場所なのだが、実は離岸流が発生するため、海水浴場にはなっていない。遊泳禁止。
 けれど、表面上の波の大人しさに騙されて、昔から何人もの人が亡くなっている。

 

 危険な場所だが、泳がずに波打ち際で遊ぶくらいなら、大丈夫。
 海水浴場になっていないため、観光客もほとんどいない。広い砂浜を独り占めだ。

 靴を脱いで濡れた砂浜に素足を踏み入れると、沈みこんでいく感覚が心地いい。

 波から離れた場所にトートバッグを置いて、私は波打ち際でぼーっと水平線を見ていた。空には雲がたちこめていて、強い日差しを遮っている。見えない紫外線は容赦なく降り注いでいるだろうけれど、あからさまな焼けつく光がない分、過ごしやすい日だった。

 波の音。細かな飛沫が、風に煽られて散っていく。天然ミストシャワーだ。

 ふと足元に目をやると。うごめく小さな影が数個。

 んん? と見やれば、なんとあさりが、波で打ち寄せられたのか砂の上で、もぞもぞと動いているではないか。見ていると、素早い動きで砂の下へ潜ってしまった。

 自分の目が信じられずに、その場所を指で掘ると、まさに先ほど潜ったばかりのあさりが、ちゃんと出てきた。

 すごい~。こんなの初めて見た。

 急きょ、潮干狩りならぬ、あさり拾いを敢行。砂を掘る必要はなかった。波に打ち寄せられたあさりを、ただ、拾うだけ。

 あさりに混じって、小石も打ち寄せられていた。だけど、小石は砂浜に上がった後も動かないので、あさりと区別するのは簡単。

 慌てて砂に潜ろうとするのは、あさりだ。
 波が引いた後、うごめく影を、狙えばいい。

 しばし、あさり取りに夢中になる。あさりも運が悪かった。いつもなら誰もいない砂浜なのに。潜ってしまえば、カラスも狙わない。安全な場所だったけれど。

 あさりが波で打ち上げられるなんて、珍しい現象なのかもしれない。
 そういえば私は昔(10年以上前だが)、アカウミガメの赤ちゃんが一斉に、海へ帰っていく場面に遭遇したことがある。
 保護されて、人間の手で埋められた卵ではない。(そういうのは、ちゃんとした場所に保護されているから)

 私が見たのは、何百匹という赤ちゃんの自然の孵化だったと思う。そのときもやっぱり、私の周りには誰もいなかった。私はたまたま海が見たくなり、一人で砂浜に座り、ぼーっとしていたのだ。

 自然の神秘である。
 卵が産み落とされてからの日数、気温、湿度、潮の加減、アカウミガメにとっての、最良の日が、その日、その時だったのだろう。

 自分のすぐそばをヨタヨタと這う小さなカメの姿に驚いて辺りを見回すと、そこらじゅうで、同じカメが海に向かって歩いていた。その光景は、今も胸に残っている。自分一人で見るにはもったいないくらいの、貴重な場面だった。

 生まれたばかりで、なにも知らないのに。海の方角はわかるのだ。そして、そこへ行かなければならないということも、赤ちゃんにはわかっていたのだ。

 海は優しい。
 海を見ていると、心が静まる。

 いろんなサプライズがあるから、また海にはやって来たくなる。

 帰りがけ、ハマボウフウを摘んでお土産にした。自然の恵みは素晴らしい。過酷な直射日光、激しい塩風、少ない雨。植物が生育するには厳しい環境なのに、広範囲に自生するハマボウフウは、しっかりとこの地に根付いている。

 5月の頃の柔らかい茎とは違って、少しかたいけれど美味である。独特の香味は、クセになるおいしさだ。
 私は酢味噌で食べるのが好きだけど、生でかじってもOKだ。摘みながら、茎の固さを確認すべく、口に放り込んでみると塩味がちょうどよかった。

 なんのドレッシングもいらない。抜群の塩加減。

 与えられた環境の中で生きる、とはこういうことなのか、と考えさせられもした。

 ハマボウフウは、化成肥料のまかれたフカフカの畑で、たっぷりの水分をもらって育てられる出荷野菜を、羨んだりはしないだろう。そして、その立場を望むこともないだろう。

 ハマボウフウにとっては、今いるこの地がすべて。
 弱い株は枯れ、強い株は生き残り。黙々と増えていくだけ。いいも悪いも、幸せも不幸せも、ない世界がここにはある。

 私が勝手に、「すごい生命力の植物だな~」と感心するだけで、当のハマボウフウにしたら、すごいもなにも、それがハマボウフウのすべて、なのだ。

 なんてことを考えながら、海をあとにした。

 ハマボウフウもあさりも、とても美味しかった。

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