『恋唄(コイウタ)に恋して』前川清 著を読みました。以下、感想を書いていますが、ネタばれも含んでおりますので、未読の方はご注意ください。
そもそもこれを読んだきっかけは、糸井重里さんの『ほぼ日刊イトイ新聞』を読んだことです。
糸井さんと、前川清さんの対談なのですが、そこにあった衝撃の一言。
>歌も嫌いだし 自分自身も嫌い
ええーーー!!! と、私はかなりの勢いでショックを受けました。
だって、私の中では、前川清ブームがおこってたからΣ(;・∀・)
初めて生歌聴いたときに、いいなと思ったのに。それから日を追うごとに、思い出がよみがえって、嬉しい気持ちになったのに。それだけの感動を与えてくれた前川清という人は、いったいどんな人なのだろうと。
興味を持ったので、前川さん関連の記事を捜して読んだら、いきなりこれです。もうビックリ。
まあ、歌嫌い自分嫌いの話をした後で、「べつに、いやいや歌ってるわけじゃないんです」と多少フォローの話もしていましたけども。でも、その少し後で、「歌いたくないんです」なんて言葉がまた、ふっと出てしまうという。
私、そんな人、聞いたことないや~と。
歌手なのに歌が嫌いって。おまけに自分が嫌いって、なんでなんで?と。いや、これがまだデビューしたての新人歌手ならわかるんですよ。
なんとなくデビューしてヒット曲も出したものの、実は、流れに乗っただけでどうしても歌いたいという自分の意志はなくて、これが本当に自分がやりたかったことだろうか、迷ってる、とかね。
でも前川さん大ベテランじゃないですか。
そんなことってあるのか? と。
これだけ長い時間たくさんのヒットも出し、順調な芸能生活送ってて、なにより私は生歌に滅茶苦茶感動したのに、じゃあ私は、歌が嫌いな人の歌を聴いて、これだけ感動してしまったのだろうかっていう。
私の反応も、決して特殊なものではないと思います。
嫌なのに無理して歌ってる人の歌とか、普通は「聴きたくない」じゃないですか。
でも私は歌を聴いたし、それがよかったし、心に響いた。
なんなんだーと。とても納得がいきませんでした。それで、前川さん自身が出した本があるなら、読んでみようと思ったのです。
前川さんが自分の口で語る言葉って、どんなものなのかなあと気になって。
糸井さんとの対談で出た、「歌は嫌いだし、自分も嫌い」発言は、「自分が嫌い」っていうところも、驚きましたね。
なんで? 私なんていきなりファンになったのに(^^;
前川さんが自分が嫌いって、実は人には見せない裏の顔があって、それが最低なのかな、とか。いろいろ想像がふくらんだり。
でもやっぱり納得がいかないわけです。
自分が嫌いって言いきっちゃう人を、なぜ私は好きになったんだろうという。
対談では、歌嫌い発言の後、こんなこともおっしゃってました。
>ぼくはね、単に食うためですよ。
いやいやそれだけじゃないですよね。それだけだったら、あれだけ多くの人を魅了することはできなかったし、一曲だけの歌手で終わってたのではないでしょうか。
一体全体、前川清さんとはどんな人なのだろう、という興味で、さっそく著書『恋唄(コイウタ)に恋して』を入手。
ちょっと前置きが長くなりましたが、さっそく本の感想を書いてみたいと思います。
本は、前川さん自身の生き方について書いてあるというよりは、ほぼ、馬の話でした(;;;´Д`)ゝ
そもそも、前川さんがオーナーだった「コイウタ」という馬が、2007年にG1レースに優勝したことが、本を出すきっかけだったようです。馬主って凄いなあ。相当お金ないと無理だから。競馬好きの人はいても、だから自分が馬主になるって、なかなかハードル高いと思う。
そして馬主になったからといって、その馬が優勝する確率なんて、普通はとても低いもので。しかもG1という大きなレースで一着をとるというのは、強運を持ってないと難しいですね。前川さんは、大きな運を持っている人なのだなあと思いました。
そういう経緯があって出版された本。
だからこそ、馬の記述が多いのは当たり前なのですが、それにしても馬の話題が多すぎ。
この本を買う層って、前川さんファンがほとんどだと思うのですが、ファンが求める内容と、乖離が激しいのでは?なんて思いながら読み進めていきました。
馬に興味がない人にとっては、その辺がちょっとつらいかもしれません。
ただ、馬の話が多い中にも、ちゃんと私生活のお話も入っていて、とても貴重だと思いました。なにより、ご家族のお話とか、名前まで公表してしまっているのです。ちょっとびっくりもしたり。オープンなんですね。
思わず笑ってしまったエピソードは、オーストラリアに、奥様と三人のお子さんと旅行していたときの話。馬を預けていた調教師の方から電話があって、「レース、見に来るでしょ?」と問われ、前川さんはなんと、旅行を途中でやめて、家族みんなで帰っちゃうんですよ。
なんと言ってお子さんにそのことを切り出したのか、言い方が笑えます。
>「みんな、帰ろうか」
>それ聞いて、みんな「えー?」です。
>「なんで帰るの?」って。
>「う、馬が、走るんだよ」
>「……帰ったら勝つの?」
>「うっ……」
なんとか家族で日本に帰れたのは、子どもがまだ親のいいなりになる年頃だったから。と書いてありましたが、当時、上から10歳、9歳、3歳とのことで、いやいやこれは、私は奥さんが素晴らしい方だったのだと思います。
前川さんを信頼して、後をついていくという姿勢の方なのではないでしょうか。奥さんが前川さんを尊敬しているから、そのことが子どもたちにもちゃんと伝わっていて。
この年の子どもだったら、せっかく旅行に来たのになんでいきなり帰らなきゃいけないのか、理解もできずに泣いたり怒ったりしても無理ないかなあと。
子どもたちが抵抗もせず、帰国に同意したのは、日頃から奥さんが子どもたちに「お父さんが一番よ」っていう姿勢だったんだと思います。
いい方と結婚したんだなあ、と思いながら読んでいました。
私だったら、反論してしまったかもしれないです。急な仕事だったら仕方ないけど、馬でしょ? 自分の趣味なのに、どうしてせっかくの家族旅行が中止なの?って。そしたら喧嘩になってるなあ。
奥さんの人柄が浮かび上がってくる、素敵なエピソードでした。
でも、本を読み終わっても、さっぱり疑問は解消されません。どうしてこんなに理想的な御家族がいて、お仕事も順調で、それなのに「自分が嫌い」って言葉が出てくるのか。
それと、「歌が嫌い」という部分も、本の中では、元々ロックが好きだったけど、キャバレーで歌う関係上、歌謡曲を歌わざるをえなくなった経緯が書かれていて。
そうか、いわゆる歌謡曲とよばれるものは、そもそも前川さんの好みじゃなかったんだな~というのは、わかったんですけども。それから40年近くの月日が経ってるわけで。
その間、ほぼ歌謡曲だけを、歌ってきたわけですよね。それでまだ、「歌は嫌い」って糸井さんとの対談で言いきってしまったのは、どんな心境なんだろう、どんな思いがあるんだろうと。それを知りたいと思いました。
気持ちは、変化したのでしょうか。
糸井さんとの対談は、約三年前。本を書いたのが約五年前。それから心境の変化で、歌が好きになっていたのではないか、少なくとも私が行った時のコンサートでは、歌を好きな気持ちで、いてくれたのではないか、そうだったらいいなあと。
じゃなきゃ、あれだけ魅了されてしまった自分って一体…という( ̄Д ̄;;
「こう思え」だなんて、人に強制するのは傲慢だし、失礼なこととはわかっています。だから願望として。
前川さんには歌を好きでいてほしいし、ご自分のことも好きでいてほしいなあと、心からそう、思いました。