7月23日ソワレ。帝国劇場で『ダンス・オブ・ヴァンパイア』を観劇してきました。以下、ネタバレを含む感想ですので、未見の方はご注意ください。
演出の山田さんて、すごいなあと思いました。2点において、私は山田さんを大絶賛します。ともかくこの2点が素晴らしい。
まず1つ目は、VAMPIREのタイトルが最初は青いのに、音楽に合わせて突然真っ赤になるところ。ここはいつ見てもハっとさせられる瞬間なのです。意表を突かれるって、こういうことかなあと思う。トランシルヴァニアの雪と氷を思わせるような静かな青が、急に燃えたぎる血潮の色に変わるんだから、そりゃドキドキもするってものです。赤は、血液の色であると同時に欲望を表す色でもあり、その色の向こうで手ぐすね引いて待っている吸血鬼達の息遣いが聞こえてくるような。舞台に命の火が吹き込まれる瞬間を目撃した気分です。これから始まるドラマに対する期待と恐怖が、自分の中で一気に高まります。
そして2つ目。これはもう脱帽です。すごい。最後の巨大垂れ幕。舞台いっぱいに広がる伯爵のあかんべえ写真。この顔の持つ意味とその効果には、ただただ感服。どうしてこんなこと思いつくんだろう。すごすぎる。そして、垂れ幕の登場は最後の最後で、しかもほんの数秒だけで、一気に会場の空気を盛り上げてそのまま照明が落ちる。
山田さんがご自身のブログでクンツェさんに褒められたって書いていらっしゃいましたが、わかるような気がします。あの垂れ幕を使うセンス、クンツェさんには通じたんじゃないでしょうかね。永遠だったり、喪失だったり、新世界への探求だったり、欲望だったり、いろんな哲学的要素を備えたこの作品。一度迷い込んだら地の底の暗闇の中でずっと考え込んでしまいそうなのですが、そんな観客をがしっと掴んで地上に引き戻してくれるのが、あの伯爵なのです。
あの垂れ幕がなかったら、この作品は全然違う味に仕上がっていると思う。
「俺様大勝利!! してやったり!!」単純で明快な答えです。人類は負けてしまったのですね、吸血鬼に。でも明るい気分になれるのはなぜ(笑)。
今日は久しぶりに上手前方席で見ました。前方のなにがいいって、やっぱり表情とか雰囲気がダイレクトに伝わってくること、それとダンスの迫力です。
「抑えがたい欲望」は、伯爵の姿がぼーっと浮かび上がった瞬間に、胸にせまるものがありました。まだ歌ってもいないのに、そこに立っているだけで訴えてくるものがあります。
「いつの日か世界が終わるそのとき」というフレーズ。これを聞いた瞬間、伯爵の後ろに宇宙空間が広がるのを見たような気がしました。あと50億年経てば、太陽は膨張して地球はそれに飲み込まれる。世界が終わるそのとき、やっと伯爵は自由になれるんだろうか。墓石に座り、幸せだった過去を回想することでやっと痛みに耐えている伯爵の体は、そのとき粉々になって、意識だけはあの輝く髪の娘と結ばれるのだろうか。
今から100年後、この劇場にいる人は全員存在しなくなっている。それでも、命は受け継がれて次世代の人間が生活を営み、いつもと同じように太陽は昇り、誰かがミュージカルを見て笑っているのかな。などと、そんなことを考えてしまいました。
「自由にもなれず燃え尽きることもできず」この言葉が胸に沁みます。伯爵に、自分自身をオーバーラップさせてしまいました。精神的に動けなくなる状態というか、もう前にも進めない、後戻りもできない。途方にくれて、ただそこに存在するしかできない真っ暗闇。辺りには誰もいないし、道しるべもない。
それでも時間は流れていくのですよね。伯爵が、鐘の音に導かれて城へ戻るように。
「そして神を信じるのだ」という言葉に含まれる苛立ちには、共感します。たぶん伯爵自身も、神様に救いを求めていた。でも救われなかった。だから同じように神を信じる人間の愚かさに我慢がならないのだろうと思います。救われたい、信じたい。その一方で、救われなかった、報われなかったという怒り。
複雑な感情が山口さんの声に乗って、激しく心が揺さぶられました。
今日のダンスで注目したのは、伯爵の化身として踊る新上裕也さんの指。カクカクした動きが非人間的で、まさにヴァンパイアという感じでした。指先にまで神経を集中して、全身で踊る姿は鳥肌ものです。遠くから見ると全体の動きしか見えないけど、近くで見たら指が気になってしまって。今日はずっと指を見てました。恐ろしい怪物の動きなんだけど、美しいのです。
残りチケットを数えるのが寂しい。毎日でも見たい舞台だと思いました。