レイキというエネルギー療法を体験してみた結果、何も感じなかったという話です(^^;
レイキに対して批判的な感想になっておりますので、気分を害する方は続きを読まないでください。
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去年、鞍馬寺へ行ったときに、鞍馬がレイキという民間療法の発祥の地であることを知った。臼井さんという男性が、鞍馬山で断食の末に悟りを得て、レイキを発見したとか。
私は鞍馬山で、空気が澄んでて気持ちいいなあとか、この場所好きだなあ、という感覚は持ったけれど、なにか特別なエネルギーを感じることはなかった。だから、一度その、レイキというエネルギーを体験してみたいなあ、と思っていた。
つい先日、自宅の近所で、一日だけの体験セミナーが行われるのを知り、さっそく応募。とはいえ、別に本格的なものではない。そのレイキというのは回路を開く必要があり段階があるらしいのだが、私が応募したのはそれではなくもっと初歩。レイキの体験講座、というものだ。気楽なので申し込んでみた。
こういうのは、先生選びがとても重要だと思う。スピリチュアルセミナーとなると、変な感じの先生も多いから(^^;
私はまず、その講座に来る先生のブログを読んでみた。ふっくらとした丸顔の、笑顔が優しい女性の先生。写真がたくさんあったのだけど、先生の外観がまず、安心できる感じだった。ただ、ちょっとひっかかったのが、「私はすごい」アピールがさりげなく、そこら中に混ぜてあるところ。
他のレイキの先生より私の方が人格者だ、という意識が透けてみえるのが、少しだけ気になった。
でもまあ、自信があるのは悪いことではないしな。と考え直す。こういう業界は、詐欺みたいなものも多いし、同業者の悪いところが気になるのかもしれない、と。
そして当日、いそいそと会場へ。二つ部屋があって、事前の案内地図にあった方の部屋では、陶芸セミナーのようなものが開かれていた。うろうろしながらそっと部屋をうかがったけど、どう見てもレイキセミナーではなさそう。
でも、案内地図だと、明らかにこの部屋なんだよなあ。迷って、隣の部屋をちら見する。そこは電気がついておらず、暗い部屋だった。人が2人、椅子に座って話しているのが見えた。部屋の前には、「レイキセミナー」の文字。
う~ん。ここなのだろうか。場所は聞いてたところと違うけど、看板はこの部屋の前に出てるし。でも、部屋は暗く、とてもセミナーが開かれる場所とは思えない。例えるなら、なにかを開催する前の準備室?みたいな。人を招くような部屋ではなかった。
さんざん迷った末、聞いてみることにした。ドアは開け放たれていたので、近くまで行って「すみませんレイキのセミナーはここですか?」と、中にいる人に声をかけてみる。
おしゃべりしていた一人が、こちらに顔を向けて、「そうですよ」と一言。
その瞬間、思った。暗い。暗すぎる…なんだこの空間。落ち着くとか、そういう感じではなく、人を迎える感じの部屋ではないのだ。ちょっと引くぐらいの空気感。暗い。こんなに暗い場所に足を踏み入れるのもめったにないこと。
そこにいた二人、おしゃべりをやめて私を見たのはいいけど、笑顔なし。そのおしゃべりも、深刻そうにぼそぼそと低い声でささやいていたので、なんだか中断させたのが申し訳ないような気持ちになる。
私は室内に入り、空いていた椅子に適当に座った。部屋の中には、さっきまでおしゃべりしていた二人と、私だけ。二人はまたおしゃべりを始めて、なんとなく疎外感を感じる私(^^; 深刻な悩みを抱えた二人なのかなあ。とにかく、まとった空気が重いのだ。
しかし、講座が始まってびっくり! なんと、二人のうち一人は、レイキの先生でした。ブログと顔が全然違う。
ブログだと、ふっくらした顔立ちでいつも笑顔、穏やかで優しい先生だが、実物はやせすぎて、健康に不安を感じるくらいの顔、体。眉間にしわこそないものの、あってもおかしくないくらいの険がある。はっきりいって、ブログに登場する人とは別人だ。あれはいつの写真なんだろう。ずいぶん前に撮ったものを、何度も使い回ししているんだろうなあ。
なにより、笑顔がないのが気になった。いつも、厳しい顔なのだ。たぶん自分ではあまり気付いてないんだろうけど、なんというか、ウェルカムの雰囲気がない。いつも何かに不満をもち、苛立っている印象。
講座が始まってすぐ、来るんじゃなかったと後悔した(^^;
だって、レイキの歴史や概要を、延々と読み上げるだけなんだもの~。あと、チャクラの話とかね。そういうのは事前にもうある程度勉強してあるから、読み上げられても今さら、という感じ。2時間の講義中、1時間はそういう、もう今さらの話だった。まあ、これは仕方ないのかな。初心者向けの講座ということだから。
しかし、座学が終わり、いざ体感ということになって、残っていたわずかな希望が消えた。全く、なにも感じなかったから。
先生は、口ではいろいろ言うんですよ。レイキは素晴らしい。レイキは万能。できないことなどなにもない。人間にも動物にも、無生物にもかけられる。でも、いざかけてもらっても、拍子抜けするくらいなんにも感じなかった…。
この部屋も、事前にレイキをかけて浄化してあります、と先生が自慢気に言った瞬間、軽いショックを感じる。うそぉ、これで、浄化した? じゃあなんなんだ、このねっとりと重く、絡みつくような空気は。
部屋の照明が暗い、という問題ではなくね。もう、なんともいえない嫌~な空気なわけです。本当はもう、途中で帰りたかった。だけど参加人数も少ないし、私が帰れば先生も不愉快だろうし、ここは我慢して残りの時間を耐えることに(^^;
そしたら先生が、「緊張してるでしょ、もっとリラックスして」と私に要求。内心、私は苦笑するしかありませんでした。そりゃもう、初対面の人と一緒なんですから、普通程度に緊張はしますが、別に言われるほどのことでもなく。
それからがもう、しつこかった。「緊張しないで」の連呼。なんなんだこの人は。私が「さすがレイキ。巨大なエネルギーが通り抜けていくのを確かに感じました!」とほめないからなのか、緊張するから感じないのよと言いたいのか、とにかく、「緊張しないで」を連発なのです。
ある時点で、私も諦めました。相手に合わせて、「すみません~。緊張しちゃって、エヘヘ」と。先生は満足そうです。「そうでしょう。そうでしょう。いいんですよ、さあ心を開いて。緊張しないで」
でも私は内心思っていました。もし私が本当にすごく緊張してたとして、「緊張するな」なんて言ったら、普通はもっと緊張するんじゃないの?「緊張するな」なんて言わずに、その力なり、言葉なり、態度なりでリラックスさせるのが先生なんじゃないの? レイキは万能というわりに、緊張する相手に「緊張するな」の連発とか、おかしくない?
もう途中で、面倒くさいので全部先生の言葉に合わせていましたが、うるさかったです。何度も、「感じるでしょう?」と確認するので。なにも感じないとも言えず、つないでいた手が温かかったので、「手が温かいです」と答えました。嘘ではないからね(^^;
レイキはすごいエネルギーで、飲食物の味も変えられるのだ、と力説していましたが。参加者(私も含めて二人)の前には水が用意されていたので、なんでそれを変えてくれないのか不思議でした。言葉で語るより、まずはやってみせたら説得力増すのになあ。水に味がついたらすごいことだと思う。でもそれはやってくれませんでした。
そして決定的に、この人ダメだ~と確信したのは、先生のこの言葉。
「私が頼まれて、手術する患者にレイキをやったら、今のところ手術の成功確率は100パーセントです。一度治ったのに、しばらく来なくなった人がいて、そしたら亡くなってしまった。私のところに通い続けてたら結果は違ってたと思う(つまり生きていたと)」
いや~、この発言はアウトでしょう。人の生死をどうにかできるのって、神様のレベルではないですか。端的に言っちゃえば、私を頼らなかったから死んだ、ということですよね。自分をどれだけ大きな存在だとおもっているんだろうか、この人は。
私は不思議な出来事、オカルト、スピリチュアル、そういったことにすごく興味がありますし、たとえば手を当てる療法、気功などで、痛みが軽減したり病が回復したりっていうのも、実際ありうることだと思ってます。
ただし、100パーセントだとか、私がやらなかったから死んだとかいう人は、詐欺師かもしくは、自分を見失った可哀想な人ですね。少なくとも、先生、ではない。そういう人から何かを教わろうとは思いません。信用できない。
講座は二時間の予定が、先生の熱弁で三十分オーバー。その時点で、社会人としてもこの人はないなーと思いました。まずは、いったんお開きにすべきでしょう。その上で、やりたい人だけ残ればいい。決められた時間があったら、決められた時間に終わるのがビジネスのルール。先生は、「私のありがたいお話を無料で聞かせてあげてる」つもりかもしれないけど、私はもう、帰ることしか考えてなかったです。
そして、最終的に先生は、私ではなくもう一人に、営業の猛攻撃。いろんな料金表をみせて、あなたは本格的にやってみるべきだわと、猛プッシュです。そのもう一人の参加者の方は、顔色が悪かったので(先生もそうだったけど)たぶん病をお持ちなのではと思ったし、ぽつりぽつりと家庭の悩みなども口にする方だったので、ターゲットにされたのだと思います。
そうか~こうやって取り込まれていくのか~と、少し気の毒に感じました。弱ってる人がぐいぐい来られると、洗脳されてしまうかもしれませんね。
私もいろんなメニューの料金表を渡されて、また来てね~と言われて帰ってきましたが、当然のことながらその先生を訪ねていくことは二度とありません。別に営業などしなくても、本物なら口づてにどんどんお客さんは増えると思いますし、あれだけ宣伝に必死な姿を見たら、逆に引きます。
そして思ったのですが。
宇宙のエネルギー。確かにあると思うんですよ。太陽だって、すごいエネルギー。でも、そういうものを、お金を払って回路を開かないと利用できないという考え方が、なんか違うような気がする。それこそ、選民意識ではないかなあ。誰にだって等しく、宇宙はちゃんと、愛情注いでくれていると思う。
誰かのために祈ること。そして、痛いところ、苦しい場所に手をあてること。それは、別に習わなくてもできる。
私はレイキの先生だから私から習わないとダメとか。そうでなきゃ病気も治らないとか、そういうのって、典型的な霊感商法だなあと。
セミナーでは全くといっていいほど、なんのエネルギーも感じなかったですし、むしろ部屋の空気の重さが、とても気になりました。こんなことなら、山とか海とか、好きな神社に行く方がよほど、心地いいと感じることができたなあと。
私はもっと、わかりやすい何か、わかりやすいパワー、みたいなものを求めていたけれど、それは違っていたのかもなあ、なんてことを思いました。なぜだかわからないけど気持ちいい、すっきりする、心地よい、そう感じるだけで十分なのだと思います。だから去年、私は鞍馬寺の風が気持ちよかったと感じた、本当はそれだけでよかったんだなあ。感じられなかったわけじゃない。ちゃんと、感じていたじゃないかと。
そして、人はみんな、自分に合ったレベルの人としか出会えない、ということを思いました。きっと世の中には、本物の不思議なパワーを持った人、というのもいるのでしょうが、少なくとも今の私が出会えたのは、この、セミナーの先生だったわけで。
つまり、今の私は、このセミナーの先生と同じ。客観的にはこんな感じなんだな~。そんなことを思った、レイキ体験でした。