井戸のあった土地が売れない話

以前、井戸のあった土地の話を書いたことがあります。

井戸のある土地

その土地に動きがありました。3軒住宅が建てられたのですが、そのうち一番井戸から遠い家が、売却を諦めたのか賃貸物件で出たのです。

でも、まさかの15万円。

都会ならともかく、この辺では結構な値段です。駐車場も狭く、変な形で、隣の家ともくっついてなんとも息苦しい感じの家。

5000万円の売却→15万円の賃貸 に舵を切った理由はなんなのか。どっちにしろ、相場とかけ離れた金額です。15万円の賃貸は、成約しないと思うけどなあ。

3軒、狭い敷地に無理やり建てられた不自然さ。なぜか一番不人気のはずの、真ん中の家だけに誰かが住んでいる様子。

そして、あの井戸のあった場所に駐車場をもつ一番奥の家は、売りにも貸出にも出ず、放置されたまま・・・。

井戸が一番祟るとしたら、一番近い家だろうなあと思います。なにかあったんでしょうか。廃屋がそのままなのも困るけど、狭い土地に無理やりギューギューに建てた3軒の家が、そのまま使用されずに放置されるのも困るというか。

真ん中の家だけは相変わらず誰かが住んでるみたいで、軽乗用車が1台置いてあるけれども。その真ん中の家、北側の庭が草ぼーぼーで、そこに除草剤をぶっかけたみたいで、枯れた草が大量に残ってる。茶色くて不気味な姿。

除草剤を使うならまずは草刈して、残りを除草剤、ならわかるんだけども。50cmほどに育った草を刈らずに、そのまま除草剤をかければ、形はそのまま残る。ただ不気味なだけ。茶色い草がゆらゆらと風にそよいでる。

特筆すべきは、ここ、人が住んでる家だからね。他の2軒は、管理業者が面倒くさがってドバドバ除草剤かけたのかもって思うけど。自分の住んでる家にこんなことされたら、普通にクレームじゃないかな。この真ん中の家の人は、こんな茶色い草が大量に残された状態でも、平気なんだろうか。そのまま住んでる神経が信じられないです。

窓を開けたら、除草剤まみれの茶色い草がそよそよと・・・。普通は嫌でしょう。

井戸がある、長年廃屋が放置されていた、いわくつきの土地。やっと売れたと思っても、そこを転売、賃貸しようとする業者がなかなかセコイ建て方をして、しかも謎の価格設定で全然売れず、きちんと草の管理もしない。

不思議なんだよなあ。高い価格つけるなら尚更、購入意欲が増すように、外観には気を遣うと思うけど。やってることがハチャメチャすぎて。

3軒分の建築費も、相当なものになると思うんだよ。業者なら、早く回収したいと思わないんだろうか。欲を出して3軒もの家を建てたのはそこまではまだわからなくもないけど。駐車場の位置も無理やりつくって変だし。1軒につき2台を確保したのは形だけで、もし3軒が6台満車になったら、入らないと思うんだよね。

あの井戸は、しっかり御供養されてないんじゃないのかなと思います。廃屋撤去後の流れが、とてもチグハグだから。今後どうなるのか、見守っていきたいです。

大木を伐採すると祟りがあるのか

庭に生えてる大木を切る時には、お祓いをした方がいい、なんていいますよね。昔の迷信だと馬鹿にせずに、御供養した方がいいと思いますね。

なぜなら昔、我が家でもまさに不幸があったからです。

シンボルツリーのゴールドクレストを切った直後に、家族が心筋梗塞で倒れ救急搬送。カテーテル手術で一度持ち直したものの、後に脳梗塞にもなり、亡くなりました。

大きな木、古い木には木霊が宿るといいますが、そのゴールドクレストは樹齢25年。とても姿の美しい木でした。樹高7メートルほどで、絵にかいたようなシンメトリー。何かが宿っているといってもおかしくないほど。

切るのには理由があったのですが、切る前にお酒とお塩で清めて、これまでの感謝と切る理由を話すべきでした。

先日ふっとその事実に気付いて、茫然としました。木を切った時期と、家族が倒れた時期があまりにも見事に符合するので。慌ててネットで大木に関する記事を読みましたら、不思議な話がのっていました。切ってしまった大木の跡に、どんな木を植えてもどうしても育たない。植物がことごとく枯れてしまう、みたいな話でした。記事では、切られた大木に宿っていたものが、怒っているのではないかというようなことが書かれていました。

我が家のゴールドクレストの跡には、ニオイバンマツリが植えられています。ニオイバンマツリはすくすく成長して、綺麗な花を咲かせ甘い匂いを漂わせているので、木霊は怒っていないのかな?などいろいろ考えてしまいました。

ニオイバンマツリを見る限り、木霊は今度はこの木に宿ったのだろうか?など様々思いを巡らせつつ、今さらですが現場に塩とお酒をまき、突然伐採してしまった失礼を心からお詫びしました。

ニオイバンマツリのそばに、河津桜が植えられているのですが、この桜の成長がとても早いのです。同時期に買った桜の苗木は、河津桜を含めて3本。この桜が一番早く成長して、毎年春にはピンク色の花を咲かせます。桜は霊木と言うし、ニオイバンマツリより、もしかして桜の方に宿ったのかなあ。

切った本人は亡くなりましたが、実は家そのものも、ゴールドクレストを切った直後にあるトラブルに巻き込まれてしまい。それもけっこう大きなトラブルだったので気になっています。もしかして、ずっと木霊がこの家を守っていてくれたのに、それを切っちゃったから悪徳業者に付け入られたのかなあ、とか。

木には、その家を守る役割もあるんじゃないかな。今は、木霊も桜の木を新たな住居にして、のんびり暮らしているんじゃないかと思います。のびのび元気に育った桜を見て、そう思うのです。

お酒とお塩をまいて、切る理由を話してお詫びと感謝を伝えること。神職の方にお願いすればより丁寧なのかもしれませんが、そうでなくても自分でも心からの感謝をこめてお話しすれば、木もわかってくれるんじゃないかなあ。

庭木もみんな生きていますし、月日を重ねて古木になれば、それ相応の丁寧な対応が求められるのだと思いました。

外構の樹木は、成長した姿を予想して植える

これ、案外気付かない人が多いんじゃないかと思うので書きます。

木は成長するんです。だから、ちゃんとした植木屋さんだと、植えた直後は少し、寂しいくらいの配置だと思います。隙間というか、空間がちゃんと確保されてる。

物足りなく思うかもしれませんが、それで正解です。植木屋さん、さすがプロだと思う。

木の成長は早く、種類にもよりますが、数年で見上げるほど大きくなります。そのとき、ごちゃごちゃに植えてると大変なことになるんです。押し合いへし合いの、おしくらまんじゅう。みるからに窮屈そうで、木も気の毒だし、見た目も悪い。

だけど悪徳なところは、植えた段階で見栄えのいいような植樹をするんですよね。もちろん、お施主さんはなにも知らず大喜び。だけど数年でがくぜんとなります。

木の剪定は、けっこうお金がかかるので自分でやれれば一番早いし、安い。でもある程度の高さを超えたら、素人ではどうにもできなくなってしまう。

うちの近所で、まさにこの悪徳植木屋さんが植えた樹木が、にぎやかに玄関を彩ってます。そこのお宅は築1年ほどですが、1年でもう、もっさもさになってますね。今はまだギリギリ、「にぎやか」とか、「華やか」と言える段階ですが、あともう1年経ったら無理。単なる手入れされてない雑木、みたいな印象になるでしょう。

ご近所さんの新築の家を見て、木を植えすぎの家はたいてい失敗してます。その後の管理ができてなくて、伸ばしっぱなし。

フェンス沿いに、生垣のつもりなのかオリーブの木を10本くらい植えているお宅も、今後は大変だなあと思います。オリーブは、生垣にはならないです。品種にもよりますが枝が暴れますし大木になります。常緑なのはいいですが、フェンス沿いの生垣に使うには向いてない樹木。

オリーブなら、シンボルツリーのように、360度空間を確保して、1本だけ植えるのが正解だと思います。前後左右、どんどん大きくなりますので。

以前、シマトネリコを、プロに頼んで剪定してもらったお宅を見たことがあります。剪定直後は、ぱっと見、ちょっと可哀想かなと思うくらい、枝も葉も寂しい感じになってました。でもそれから1年後、あっという間にたくさんの葉が茂りました。シマトネリコって丈夫なんだな、と感心しました。植木屋さんはプロなので、ちゃんと樹木の特性に合わせて剪定してくれるんですね。

もしあのシマトネリコ、剪定直後にきれいな状態だったら、1年経ったら繁茂しすぎて、なんのための剪定かわからなくなっていたと思います。樹木にとって、大事なのは剪定直後の姿ではなく、その後の未来の姿なんです。

シマトネリコって丈夫で成長が早いから、新築のお宅で採用されている率が高いですね。散歩がてらいろんなお家をみると、あっちにもこっちにもシマトネリコ。今は草が生えるのを嫌って、家の前を全部コンクリートで覆ってしまうお宅が多いから、緑の木があるとほっとします。

これだけシマトネリコが多いってことは、特に希望を出さなければ外構屋さんの方から、「シマトネリコいかがですか」ってお勧めがあるのかな。確かに成長は早いし、枯れにくいし、綺麗ですもんね。

建て方と外構でわかる住人の質

うちの近所で、ついにBBQ(バーベキュー)やる人が出現した(^^;

我が家の周囲はもともと田んぼだったけど、生活に便利で小中学校へも通いやすい立地なので、田んぼを埋めて販売する人が続出。あっという間に一大住宅地が出来上がった。

私は家を見るのが好きなので、家の外観や外構などを散歩途中でチェックしながら、周辺がにぎやかになったことを喜んでいたんだけど、やっぱりちょっと変わった家というのも出現してきて。

そのうち1つの家が、BBQしててびっくり。もちろん、隣家とは隣接してるし、道路にも肉を焼く煙と、ニンニクの臭いが漂っている。

前兆となるのは、やはり家の建て方だ。隣家に配慮しない家だったからね。そういう家は、やっぱり建てた後の住み方も、自分勝手なんだと思う。我が家とは距離があるから、我が家にまで煙は流れてこないけど、BBQしてる家の周辺は大変だと思う。

田舎ならともかく、ここ数年で一大住宅地になった環境だから。とてもじゃないけど、BBQしていい状況とは思えない。お隣の洗濯物干す場所からすぐの場所。もちろん、そのときは干してなかったけど。隣人も、BBQに呆れて、窓を固く閉めてたと思う。臭いは部屋に入りこむからね。

庭が広いとか、隣地と離れてるならまだわかるけど、狭い場所で隣接してるのに、よくやるよね~。そこの家は、玄関を隣家の窓の目の前にもってきてたから、前からちょっと心配してた。ああいうの、配慮しないのかなあって。

元々、田んぼが埋め立てられて、一本道の両側がずらーっと住宅街になった状態。ほとんどの家が、道側に玄関を設置してる。まあそれが自然だと思う。道路から出入りするのに、それが最短だし。直で道路からの視線が来ないように、玄関前に目隠し作ったり、あるいは、玄関の向きを工夫したりして、でも、基本的には道路に近いところに玄関を作ってるんだ。

それがその家だけ、道路からずーっと家の壁沿いに歩いて行った真ん中あたりに、玄関作っちゃったのよね。そしてその玄関のすぐ前が、隣家の窓。

たぶんだけど、隣家のお風呂か、洗面所、の前なのかなって思う。その窓、結構広めだから。だったら隣家の人、絶対気分悪いよね。他人の私だって思うもん。なんでそんなところに、わざわざ玄関作ったの?って。

そういう家だから、多分BBQも全然気にしてないんだろう。隣家とくっついた環境で、よくBBQなんてやるなあ。一戸建てが嬉しくて、というのはわかるけど、常識からいったらあり得ないと思う。

奇抜な建て方や外構の家って、要注意だなあと思った。そういうので、だいたい住んでる人の考え方がわかるから。周囲への配慮って、絶対必要だと思うよ。すでに建っている家があるなら、玄関や窓の位置をよく考えるのは当然のことだもの。

BBQの家は、門柱とかオブジェとか、駐車場は本当に綺麗に、お金をかけて飾り立ててるのね。それこそ、雑誌に出てくる家みたいな感じ。でも肝心な土地が狭いんだよ(^^;だから隣にくっついて、嫌な感じになっちゃってる。

豪華な家にそぐわない、狭い土地。そして、車も大きめのミニバンに乗っているものの、その車が敷地に納まりきらないという・・・。斜めに入れれば入るんだけど、直角に入れると車の先が、道路に出ちゃう。でも、毎日のことで面倒だから、駐車場には直角に入れて、車の先がいつもはみ出してる。

そしてその家が、ついにBBQをやりだした。

やっぱりなあという感想しかない。そういう自分勝手な人だから、ああいう家を建てるんだろうし、BBQするんだろうな。

うちは隣ではないので、離れていて煙もこないからましだけど、ついに近所でそういう家が出たか―と思って少しショック。あの家がやるなら自分も、なんて人たちが続々と出てこなければいいなあ。

失いたくないと、訴える夢

人間関係のトラブルで、悩んでいる今日この頃。自分が軽蔑する相手とは、二度と会いたくない、近寄りたくないと思うのに、離れられない状況。

だからなのか、不思議な夢をみた。

一人の女性に、私が必死で訴えかけている夢だ。

「私は失いたくないんです。それがたとえ・・・合わない相手だとしても」

その女性は、私の発言を穏やかな表情で聞いていた。何も答えを返すことはなかった。私は必死で何度も、そう告げていた。

私とその女性が見ている視線の先には、懐かしい床の模様。なんとなく見覚えがある。

私はその女性に向かって、「失いたくない、たとえ合わなくても」と何度も繰り返していた。

目が覚めて思ったのは、私が「失いたくない、合わなくても」と発言する時、思い浮かべていたのはそのトラブルの張本人。

なんだろうね。嫌いな相手なら、二度と会いたくないと思うのが普通だろうに。目が覚めて、現実に戻って思うのは、合わない相手っていうのはもう、どうしようもないのよ。どっちかが努力とかそういう問題じゃなく。離れるのが吉なのだ。なのに夢の中の私は、「失いたくない」だって。どうかしている。

私も、人生の折り返し地点を過ぎた。今、いろんなトラブルがある中で、この世に生まれてきた意味を、考えたりする。合わない相手とは、どうして縁があるのだろうか。それをうまくやっていくのが修行なのか。けれど、合わない相手と合わせていく生活は、決して幸せではない。

なぜ生まれてくるのか。

スピリチュアルな世界では、愛を知るために、とか、経験を積むために、とかいろんなことが言われるけれど。

なんか、意味があるんだろうと思う。なにもない偶然で、この世界も、意識も存在しないと思う。

不愉快な経験もいつか、笑って話せる日が来るのか。軽蔑して見限った相手を許せるのか、でもやっぱり、私は相手のことが嫌いだ。二度と顔を合わせたくないと思ってしまう。その気持ちを、今は大切にするべきなんじゃないかな、と思う。

悩み多き日々です。