2020年を振り返る

今年も一年、ありがとうございました。2020年、私にとっては、リフォームトラブル(欠陥工事)に振り回された年になりました。

実は10年以上前に行った家の大規模リフォームに大きな手抜きがあり、それが今年発覚したのです。そのため、修正工事に振り回されました。

自分が実際、欠陥リフォームの当事者になって思ったのですが、あれですね。一度悪徳業者に関わったら、もう終わりなんですよね。とにかく、この手のトラブルを避けるには、業者をきっちり見分けることなのだとしみじみ思います。良心的な、プロの業者さんはたくさんいます。そういう業者さんを選びましょう。

悪徳業者と契約し、そうした業者にお金を流してしまったことは、間接的に自分も悪に加担してしまったということになります。そのお金で、業者は経営を存続し、あらたな被害者をターゲットにするんですから。新築とか、リフォームは、結果が出るまでに時間がかかるので気をつけましょう。見えない部分に手抜きをされていても、不具合はすぐには出ません。

私が先方の業者から言われたのは、「もう10年過ぎてるから、瑕疵担保責任もないし、法的に賠償責任はない」という言葉でした。

たしかに、瑕疵担保責任はそうなんです。瑕疵担保責任で訴えることはできない。

でも、民法709条の、不法行為における損害賠償責任を追及することはできます。不法行為における損害賠償請求権は、知ったときから3年行使しなかったり、不法行為から20年経過したら時効になりますが、我が家のケースはまだ大丈夫です。相手方と話し合いを重ねましたが、実はこの業者、我が家と同じケースの手抜きを、他にも複数の家でやっていたのです。他の家ではまだこの欠陥に気付いていないらしく、業者も私から指摘を受けて初めて気付いた、ということでした。

家は、不具合が出ても、その原因を正しく突き止めることがなかなか難しいですね。うちの場合はたまたま私が勉強して、わかったのでよかったのですが。たぶん他の家では、不具合が出ても、原因がリフォームにあることに気付けない。

いろいろ考えましたが、その手抜き工事の内容が、プロとしてはあり得ないレベル(重要部材を使用しない、仕様書に記載されたのを無視)であったこと、連絡した私に対して、数々の侮辱発言があったこと、我が家以外にも、被害に気付いていない被害者がいること、最終的には業者が、会社としての対応を連絡するといっていたのに連絡なしで、こちらから電話しても無視したこと、などなど。総合的に考えて、社会正義のためにも裁判をおこすことにしました。

このままだと、何食わぬ顔で業者は仕事を続けるでしょう。それは、許されないことだと思ったのです。今、この会社を訴えることができるのは、被害に気付いた、被害者である私だけ。だったら、ここで立ち上がるべきです。

裁判は書類での喧嘩になりますから、しっかり証拠をそろえて、論理的に相手の非を訴えなければ勝てません。今年はコツコツと、ひたすら書類を作ったり、証拠を揃えたり、弁護士の先生と面談を重ねました。

裁判は来年になります。よい結果になることを祈っています。そして、今年一年頑張った自分を褒めてあげよう。よくがんばった。偉かった(^^)

2020年、裁判準備で大変なこともあったけど、それ以上にたくさんの優しい人達に恵まれ、助けられ、勇気をもらった年でした。そして、アメリカでの大統領選、不正と戦い続けるトランプさんの姿にも、感銘を受けました。

なんというか、やっぱり正義の心がなければ、駄目だと思うんですよ。人間、最後はそこだと思うんです。自分の中で、正義を貫く心を持ちたい。それが私のプライドです。

そういえば、昨日見たドラマ「教場」の再放送。あらためて、工藤阿須賀さん演じる宮坂、警察官には向いてない、警官になってはいけない人だということを再確認しました(^^; ※以下、ネタバレにもなるような記述ですので、ドラマ未見の方はご注意ください。

宮坂は、井之脇海さん演じる南原の脅しに屈したからです。もちろん、実際に銃をつきつけられ、命の危険にさらされたまさにその時には、まずは命を守る必要があるし、嘘でもなんでも南原に従うべきだと思いますが。

いったん解放されたとき、なぜすぐに、南原の危険性を教官に報告しなかったのでしょう。警察手帳をとられた、ということは言い訳にならないと思います。脅しの道具として暴力をもって取り上げられたので、きちんと事情説明すれば宮坂が退校処分になることはなかったと思いますし。また、もし退校処分になったとしても、南原が自作の銃を寮に持ちこんでいることは、すぐに報告すべきでした。それぐらい重要な情報だったと思います。

自作の銃を人の頭に突き付けて、脅して警察手帳を奪うような人間が、警察官になったらまずいです(^^; それをとめられるのは宮坂だけ。なのに、保身のために口をつぐむなんて、そんな人に、警察官になる資格はないと思います。教官に言い出すチャンスは何度もあったのに、黙っていた宮坂。警察官には向いてないと思いました。

ああ、ついつい熱く語りすぎました(^^;

ともかく、今年も一年ありがとうございました。良いお年をお迎えください。

トランプさんしかできない戦い

日本のテレビを見てるだけだと、バイデン(もはや敬称をつける気にもなれない)が次の大統領に確定だとか、トランプさんが負けを認めないだとか、ひどく偏った情報にしか触れられない。日本のマスコミは、そこまで汚染されてしまったのかと驚く。

気が付かないうちに、情報統制されていたんだなあ。

トランプさんがなぜ、負けを認めないのか。それは選挙に不正があったと主張しているからで、そこには外国勢力の介入があったと言っているわけで、そのことに一言も触れず、証拠についても全く報じないマスコミ。マスコミの役割を放棄しちゃってるなあ。ドミニオンのドの字も出てこないし。

世界は大きな転換点を迎えているなあと思う。だってトランプさんが戦ってる相手は、メディアも司法も抑えてたんだもんなあ。その虚構が崩れたとき、現れるのはどんな真実なのか。

ネットの時代だからこそ、できた戦いなのかなと思います。情報伝達がテレビや新聞だけだったら、そこを押さえたらもう、思い通りだから。

でも今は、そんな時代じゃなく。

一度気付いた人はもう騙され続けることはないし、世界中の目が、それも半端じゃない数が、アメリカに注がれている。アメリカで起きていることは、日本で起きていることにもつながっている。

逃げずに戦っているトランプさんも、それを支える多くの方々も命がけです。お金でも名誉でも個人欲でもなく、国と正義と、そして人間性のために戦っているんだと思います。応援しています。

DS(ディープステート)が、まるでいかがわしい陰謀論のように言われるけど、出てくる事実を重ね合わせれば、言葉は何であれ、そうした悪い企みや犯罪があった可能性は非常に高い。もし違うというのなら、政治家として潔白を主張し証明していくのは義務だと思う。

人それぞれ、その人はその人の立場で、最善を尽くすということ。

私も、小さなことかもしれないけど、できることはしっかりやっていこうとあらためて決意しました。

家と家との距離は絶対にあけた方がいい その3

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今、うちの近所では次々と家が建っています。ここ数年、ちょっとした新築ラッシュ。

そこで、家の建築に関して「家を建てるときのヒント」というカテゴリーで、気が付いたことを書いてみることにしました。身近に建設を見ていると、見えてくるものがあります。

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現在、わが家の近所では5軒の家が新築中です。

この辺りの土地は人気あるんだな~と思います。なにより、小学校と中学校が近いこと。学校までの道路が安全である、というのが大きいかな。特に小学生のお子さんがいるご家庭だと、毎日の通学が安全であるというのは最優先事項になりますよね。他がどんなに好条件でも、子供が危険になるような土地では選びたくないですから。

耕作放棄地になった田んぼの跡に、どんどん住宅が建っていくのは、ちょっと寂しい光景ですけど。でも仕方ないか。このまま草が生え放題というのも困りますし、

うっかり野立ての太陽光発電なんて建てられて、延々と除草剤をまかれるのはもっと迷惑ですし。住宅街に太陽光発電は、光害も気になります。小規模な太陽光発電も、反射の光はかなり眩しいです。屋根上ならまだ、高い位置での反射ですので影響も少ないかもしれませんが、耕作放棄地に小規模の太陽光発電っていうのは、遮るものがないと遠くの家まで反射がすごいです。朝の光や夕暮れのギラギラした(特に夏)光は、住環境を著しく損ないます。

そんな、開発が進む我が家の周辺ですが、上棟前の足場を組んだ状態の、新築中の家がすごく気になっています。

なぜなら、隣地の田んぼとの境の擁壁上に、足場を組んでいるからです(^^;

擁壁は、垂直に立っています。もちろん、自分の境界内に建てた擁壁なんでしょうけど。

いいのかな~これ。擁壁上なので、足場はかなり不安定な感じです。普通の擁壁の幅なので、広いわけでもないですし。安全上の問題ももちろんですけど、私が気になるのは「隣地との境に、しっかり空間をとっていないこと」なのです。

建築中の家の壁から隣地境界まで距離がなさ過ぎて、土の上に足場が組めないのです。だから、一番外側の擁壁の上に、足場を組んでいます。今は擁壁でその上にフェンスがないので、その上に足場を組んでしまってますけど。家が出来上がったら次は外構に取り掛かるわけで。当然、その擁壁の上にはフェンスを作ると思うのです。擁壁だけのままだったら、隣地は田んぼなので高低差があって、転落したら危ないですからね。フェンスができたら、もちろん、そのフェンスの上に足場を組むわけにはいかない。

このお宅は、将来のメンテナンス時、屋根や壁の塗装や修理のとき、どうするつもりなのかなーと。現状、隣地に足場を組まないと、足場が組めなくなってしまっているので。

これ、未来のトラブルの元だと思います。たぶん新築時には、少しでも大きな家を建てたいと思って、敷地の幅ぎりぎりの家を設計してもらったのでしょうが、隣地との境には、余裕をもって建築した方がいいですよ。

前にもブログに書いたのですが、こういうちょっとしたことって、案外新築のときには気付かないのかもしれませんね。将来のメンテナンスのことなど、頭にないのかもしれない。本当は、建築会社が施主にアドバイスすべきことだと思いますが、うるさいことを言って他の会社に仕事をとられるのを警戒して、会社も、なるべく施主の希望にあれこれ注意は言わないようにしているのかなと思います。

でも、とても大事なことです。何をするにしても、隣の敷地を踏まないとできないのって、施主のわがままでしかないです。自分の敷地内で、完了するようにしないと。いくら大きな家が欲しくても、敷地に余裕がないなら諦めるべきだと思います。隣地との最低限の空間を確保した上で、自分の好きな家を建てたらいいのです。お隣の好意前提での建て方は、ずるい。

ちなみにその家の反対隣は建売住宅になる予定で、同じように建築が進んでいるのですが。こちらは、しっかり建物と隣地との空間をとっていますね。建築会社の設計なので、無難なものになったのでしょう。

「大きな家を建てたい」という希望がいくらあったとしても、「将来メンテナンスのとき、自分の敷地内に足場が組めなくなりますよ。隣に建てさせてもらうしかなくなりますよ」と一言、建築会社が注意してくれたら、それでも強行するというお施主さんは、いないと思うんだけどなあ。

足場もそうですけど、もともと隣地境界からの距離に余裕がなければ、屋根だって、軒が出れば境ぎりぎりになってしまいます。

将来の屋根の修理、軒の修理。職人さんにいい仕事をしてもらう上でも、空間はきちんと保ったほうがいいに決まってます。

あともう一つ気になったことが。隣地との境に余裕のない状態で、大きな掃き出し窓を作ってしまっていることです。今は確かに、隣が田んぼで見晴らしがよく、大きな窓は気分がいいかもしれませんが。この隣の田んぼ、いつまでも田んぼのままである保障は、どこにもありません。

その新築中のお宅も、元は田んぼでした。当然、その隣地も、同じように宅地として売られる可能性があるわけで。今はいいですけど、隣地が売れて隣地に建物が建ったときのこと、全然考えていないんだろうなあ。

大きな窓の外、すぐの距離でお隣さんの家が建ったら。大きな窓の意味がなくなるというか、逆にデメリットになるというか。カーテン閉めっぱなしになりますよね。大きな窓をつけるなら、その窓の外にある程度の距離を確保しないと、意味がないように思います。もし隣地が、このお宅と同じように、足場さえ組めないほど境に近く家を建てたなら。そして隣に面して、大きな窓をつけたなら。お互いの距離が異常に近すぎて、なにかともめることになるのではないかなあ。

あと、我が家の近所で実際にあったケースですが、電柱を建てるのも、自分が使う電力なら自分の敷地内に建てないとトラブルになります。これはたぶん、建築会社が施主にいい顔をしたくて、(敷地いっぱい有効利用できます、土地をできるだけ広く活用できますと施主にアピールするために)、更地だった隣地に電柱を建てさせてくれとお願いして、電柱が建ったのですが。

その隣地の人が後から、かなり怒ってましたね。頼まれた時点では事情がよくわからず承諾したけれど、よく考えてみればおかしな話。結局電柱を建てるのは、今まで電気がなかったところに電線を引きたいということで、新築する人が自分のところで電気を使いたいという、その人の都合なわけです。いくら自分の敷地内に電柱を作りたくないからといって、隣が空き地だからといって、隣に電柱を建ててしまうのはずうずうしい。

私も、そりゃそうだなあと思います。とはいえ、今さら建てた電柱を移動させるわけにはいきません。結局そのお宅は、たぶん気付いていないのでしょうが、隣地の所有者に恨まれています(^^;

これも、建築会社が気をきかせたつもりで、「電柱がなければ施主が喜ぶ」と単純な考えで、やったことなのでしょうが、将来のご近所づきあいを考えたら、決してこの新築住宅の施主が得をしない話なのです。得どころか、大損だと思います。なにより、ご近所と仲良くやっていくのが一番大事だと思うので。

隣地との境には、十分に空間をあけて家を建てること。電柱が必要なら、いくら隣が空き地でも、自分の敷地内に建てること。

目先の欲にかられないほうがいいと思います。そのときは得をした気分になるかもしれませんが、長い目で見たら損以外のなにものでもない。

私自身、もし自分が家を建てるのに、メンテナンスのたびにお隣に土地を貸してもらわなきゃいけないなんて、そんなことは考えただけで申し訳ないし、憂鬱です。それに電柱のことも。必要なら、たとえ敷地が狭くなっても、自分の土地に建てますね。隣地に建てて、後で恨まれるなんて嫌すぎる。

壁紙や床材は後からリフォームで変えられますが。敷地内で家を建てる位置や、電柱のことなどは変えられません。特に慎重に、考えた方がいいと思います。

トンプソン真理子さん

三浦春馬さんのことが気になって、その後のアミューズ(所属事務所)の対応があまりにもおかしく、調べているうちにトンプソン真理子さんを知りました。

英語も美しいですが、日本語も簡潔、かつ理路整然としていて、トンプソン真理子さんの書いたものを読むうちに、数々の疑念が、「そうだったのか~」と解けていきました。

アミューズの姿勢って、先入観なしに見ても、???なんですよね。なんで?っていう。

多くの人が知る、ということが大事なのかなと思います。日本のマスコミの報道だけ見てたら、見えないことがある。

三浦春馬さんのことを、私はこれからもずっと、忘れないです。

種をつないでいく農業

改正種苗法が可決されてしまいましたけれど。種をつないでいく、という農家の自家増殖が禁止されてしまうのは、とんでもないことだと思う。少しでも植物を育てた人なら、わかるはず。植物はみんな、種や苗で、どんどん子孫を増やすのだ。それが自然なことなのだ。

その自然の営みを、駄目だとするのは人間の傲慢だと思う。

育成者の権利を強くすれば、(これまでにない儲けが見込まれれば)、当然、多国籍企業が参入してくるだろうなあ。この種の市場に。

莫大なお金をかけて開発、市場を席捲、その上で、農家が自家増殖を禁じられれば、種を登録した企業は安定して莫大な利益を手に入れられる。「今は登録品種も少ないから大丈夫。登録されていないものは、自家増殖できますし」なんて、意味のない法案擁護だと思う。

だって、増えるじゃん(^^;これから明らかに、増えるよね~登録品種。だって、新品種の開発促進のために、育成者権を強くしたわけだから。

この改正種苗法って、日本で開発されたブドウやイチゴやサツマイモなんかが、海外で勝手に品種登録されてその国のブランドとして売られていることの対策であるっていうけれど。

自家増殖禁止して、海外の流出とめられるのかね? それは、日本で開発した新品種を、即座に海外でもそれぞれの国で登録するしか、とめる方法なくない? 自家増殖禁止したところで、別に自家増殖した種や苗を、毎年海外に流出させているわけじゃないんだから、抑止力にならないと思うんだけど。

食の問題は、即、命や健康にかかわってくるので、とても心配です。改正種苗法を、また改正しなきゃいけませんね。

だって、以前に巨大企業モンサント(現バイエル)が、海外の裁判で農家を訴えてましたよ。

2004年5月、カナダの最高裁は訴えられた農家に敗訴を言い渡しました。裁判の内容はこうです。提訴は1997年。モンサント社の社員が、モンサントが特許を持つ遺伝子を持つ種を、パーシーさんの農場で発見しました。それで、パーシーさんが種を盗用した、と裁判所に訴えたのです。

パーシーさんはその種を、近所から飛んできたものだ、と主張しました。それに、その種は、モンサント社の除草剤とセットで使うものであり、自分はモンサントの除草剤をまいたことはないと。

モンサントは、特定の除草剤に耐性をもつ種を売る商法、やってますよね。その種を植えて、除草剤をかけると、その種以外の植物はみんな枯れてしまうというやつです。種だけが育ってバンザーイって、自然の摂理を考えたら、リスクは大きいと思いますけども。それも、すぐには顕在化しないリスクが。

そのような除草剤が体に入って大丈夫なのか、また、そのような遺伝子組み換えをした種を食べて、未来に影響はないのか。

パーシーさんにしてみたら、勝手に風にのってやってきた種が、自分のところの作物と混ざって、それを「登録した作物だ。特許がある」だなんて迷惑な話です。それに、モンサントの除草剤を使っていないことも、故意に種をまいたわけではない証明になるはずで。

なのに最高裁では、パーシーさん負けました。

これが、日本で起こらないなんて、言えないです。巨大企業は裁判のノウハウもお金もたっぷり持ってます。日本の中小農家が、「おい、お前のところは俺が開発した登録品種の種を、勝手に栽培しただろう」なんて言われて裁判を起こされたら・・・。農家を続けていけるのだろうか?

種や苗の特許って、芸術や工業製品の特許とは違うと思うのです。種は、気が遠くなるくらいの年月を、先祖が繋いできたもので、ある意味生き物。それを、新品種を開発したから、と。自家増殖を禁じるのは、どうなんだろう? そこまでの権利、あるのだろうか?

同じ品種でも、土地によって多少、味や形の違いが生まれます。そして代を経るごとに、違ってくることもある。そして、露地栽培なら、種なら、自然の交雑もおこるでしょう。

種を支配下に置く権利、どこまでを認めるべきなのか?

少なくとも、国内の農家の自家増殖を禁止することは、間違ってると私は思います。

その土地にあった種を、よりよい品種を、つないでいくのが農家だと思うのです。種は買うものではなく、つないでいくものだと思います。