選挙戦で桜咲く

地元の市議会議員選挙があり、私もウグイス嬢として連日、目の回る忙しさでした。まさか選挙カーに乗ることになるとは、貴重な経験でした。

7日の深夜、祈るような思いでみんなで選挙事務所に集まり、当選がわかったのが日付変わって間もなくのこと。テレビで見たことのあるあの光景、だるまに目を入れたり、花束贈呈があったり、万歳三唱があったり。

受かった候補者はもちろん大喜びですが、落ちた人のことも考えると、その人の分までがんばってほしいなあと思います。一票の重み、気をひきしめていかないと、です。

選挙に参加してみて、気が付いたことなど、書いてみたいと思います。一番びっくりしたのが、「人にはそれぞれ、固有の思いがある」ということでした。自分にとっては当たり前でも、他人にとっては違うこともあるのです。自分には嬉しいことでも、他人には迷惑だったり。

たとえば、私の個人的な認識だと、選挙カーの広報って迷惑だったのです。大声で候補者の名前を呼び続けるだけとか、意味がないと思っていたし。だけど、地元を選挙カーで回る中で、「うちの方はまわってこないけどなんで来てくれないの?」とか、「こっちにも来てほしかったのに」というお声が多々、事務所に寄せられ。

なんと、選挙カーを楽しみに、心待ちにしてらっしゃる方も、少なからずいらっしゃったのです。そういう方には、行かないと、逆にお叱りを受けるのです。「応援しようとして待っていたのに、なぜこっちの地域は回ってこないのか」と。また、広場で集会をしていた一団をお見かけしたときには、イベントをやっていらっしゃるということで、邪魔になってはいけないと選挙カーは別の道を通り、私たちウグイス嬢も一時、広報を中断したのですが、その後複数の方からお叱りを受けました。「なんで目の前通ってくれなかったの?応援したかったのに」と。

難しい~(^^; だって、うるさいというお叱りも、1回はありましたからね。とある住宅街を通ったとき、クレームがありました。気持ちはよくわかります。でもその一方で、やらなきゃやらないで、クレームがあるんです。応援したくて、待ってる方もいるのです。

これは、電話での活動も同じことでした。私は個人的には、後援会から電話があっても「別に電話いらないのになあ。面倒だなあ」と正直、思ってしまうのですが、その電話を待っている方もいらっしゃいまして。

うるさいと迷惑に感じる方がいる一方で、心待ちにしている方もいる。うーん、これが政治なのですね。10人いれば、10人の考え方があるということを、痛感した選挙戦でした。

実際にウグイス嬢をやってみて、もう一つ痛感したのが、手を振って応援してくださる方のありがたさ(^^) ウグイス嬢は、目に見える範囲のすべての人に手を振ります。人がいなくても、住宅に向かって手を振ります。そうすると、通行人の方が軽く会釈してくれたり、手を振り返してくれることがあって、これが本当に嬉しい! もちろん、候補者を支持しているというわけではなくて、たまたま選挙カーから手を振られたから、反応した、という方も多いと思うんですよ。でも、支持するしないに関わらず、手を振り返してくれたりするとそれだけで疲れがふっとぶくらい嬉しいものなのです。

私は今まで、選挙カーに手を振り返したことなど恥ずかしくてほとんどなかったのですが、これからはどんな選挙カーでも、出会ったら手を振ろうと思いました(^^) 実際に応援する、しないにかかわらずです。それくらい、手を振り返してくれるのはウグイス嬢にとってありがたく、力をもらえるプレゼントでした。

また、意外な事実も発見。声が枯れるかと思いましたが、それは全然大丈夫でした。喉も痛くなりません。交代しながら広報するので、しゃべりっぱなしということがなく、最後まで声は大丈夫でした。特に飴をたくさんなめたり、水をたくさん飲んだり、ということもないですね。マイクがあるから、特別大声を出すこともないですし。

初日は原稿を見ながらの広報。日を重ねるにつれ、暗記して、状況に応じてのパフォーマンスが可能となりました。子育て世代が多いような新興住宅地では、若い世代に向けた政策をアピール。高齢者が多い地区では、福祉政策をアナウンス。短い時間の中で、いかに名前を覚えてもらえるか、また、政策に共感してもらえるか、工夫しながら精進しました。

一緒に過ごした他のウグイス嬢さんたちも、それぞれ個性があって面白かったです。原稿はあらかじめ用意されていますが、多少アレンジすることもOKなので、日が経つにつれて個性が際立ってきます。ひとり、とても面白いウグイス嬢さんがいて、選挙戦の終盤に漫才のような広報をしたりして、車内にいる皆が、候補者含め、爆笑してしまいました。

きっと、聞いていた人も目が点になってしまったかも。いつもというわけではありませんが、まれに、そういう面白い広報があっても、それはそれで目新しく、みんなの関心を引き付けることになるのではないかと、そんなことを思いました。

ウグイス嬢も、どれが正解とかどれが上手いとかはなくて、いろんな個性が集まることで、結果として総合的な力が高まったように感じます。かなりの気迫をこめた広報があった後で、ふっと肩の力を抜いたゆるやかな広報に代わったり。いろんな受けとめ方をする有権者がいるのだから、発信する立場のウグイス嬢もまた、いろんな形のアピールがあっていいんだなあということを学びました。

貴重な体験でした。いろんな方とお知り合いになれたし、地元の話で盛り上がったりして、楽しかった~(^^)

しかも最後に、当選という最高のプレゼントをもらいました。これがなにより、嬉しかったです。

家と家との距離は絶対にあけた方がいい その2

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今、うちの近所では次々と家が建っています。ここ数年、ちょっとした新築ラッシュ。

そこで、家の建築に関して「家を建てるときのヒント」というカテゴリーで、気が付いたことを書いてみることにしました。身近に建設を見ていると、見えてくるものがあります。

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以前に書いた「家と家との距離は絶対あけた方がいい」の記事、結構読んで下さる方が多いみたいです。それだけ、お隣との関係に悩まれる方が多いのかなあと想像してます。きっと、これから家を建てますという方ではなく、実際に家を建ててみて、いろんなトラブルが出てきて困ってネット検索している方がメインでしょうね。

ということで、前回の記事を「その1」として、今回、「その2」を書いてみることにしました。もう建ててしまっている方には参考にならないかもしれませんが、これから新築を考えている方にはぜひ、知っていただきたいポイントです。

その1に当たる記事を書いて以降、うちの周囲はますます建築ラッシュで、田んぼがどんどん減少してしまいました。のどかな田舎の風景がなくなるのは、本当に寂しいものです。稲穂の揺れる光景は、日本人の心の故郷ですからね。それがなくなるというのは、食料自給の意味も含めて、あまり歓迎できることではないと思います。

ただ、高齢で耕す人がいなくなった田んぼを、そのままにしておけば草が生え放題で、近隣に迷惑をかけてしまいますし。埋め立てて住宅地にする、というのも仕方のない時の流れなのかもしれません。

ということで、うちの近所の分譲された土地に、新たに2軒の家が建つのを興味深く見守っていたのですが、この2軒のお宅は案の定、お互いにぎりぎり寄せて建ててしまったのですよ…。これ、初めて家を建てるときには、お施主さんが気が付かない盲点なんでしょうね。もっと住宅メーカーが、きちんとアドバイスしてあげるべきだと思う。

一度建ってしまったら、何十年そのままです。内装は変えることができても、建物の位置までは動かせない。断言しますけど、土地の狭い都市部や商業地はまた別として、田舎では特に、「隣地境界線からきちんと距離をとって家を建てる」ないと後々、お互いに嫌な思いをしますよ。

最低でも、自分の敷地内に足場を組めるスペースを考えなくてはいけません。いくら現状で境界にしっかりしたフェンスがないからといって、相手の土地を利用した足場でないと利用できない建物の位置だとしたら、確実にトラブルになります。そしてその足場も、ぎりぎりではなく、プラスアルファ、余裕をもって組めるぐらいのスペースを考えた方が賢明です。

私が見た2軒の家は、ぎりぎり足場は敷地内に組めているようにみえましたが、互いに軒を長めに出しているため、屋根と屋根とが異常なほどくっついています。壁には窓がいくつかついていますが、開けたら目の前がお隣さんで、圧迫感はかなりのものでしょう。窓が、本来の意味を失くしてしまってます。壁同士の距離で見てもあまりスペースがあいていないので、生活音などもある程度聞こえてしまうのでは?という感じです。

それと、その狭いスペースにエアコン室外機を置いたら、これはモメそうですね…。風の吹き出しとか、音の問題とか。もし電気温水器を置いたら、境界との間で人が通れそうもない。

結局、気を付けるといっても、単純な話なんですけどね。自分の家の周りは、大人一人がゆったり通れるだけの空間をつくって、ということです。民法では50センチですけど、1メートルはとった方がいいと思います。家は必ずメンテナンスが必要ですが、壁の塗装や屋根の修理、どんなときにも、お隣とある程度の距離があれば迷惑は最小限に抑えられます。

また、もし隣が非常識な人で、境界ギリギリに家を建てたり、車庫を作ったりしても、自分が境界からスペースを保っていれば、なんとか我慢することができるでしょう。でもお互いに、どちらもギリギリの距離で建ててしまったら…かなりつらい生活になりそうです。

身を寄せ合うようにして、くっついて建てられた2軒の家。他人事ながら、もう少し余裕をもてばよかったのに、と思って見ています。たぶんお施主さんも同じ思いなのではないでしょうか。相手の家がどの程度の距離に建つか、自分の家が境界からどのくらい離れるか、そういうことって、意外に盲点です。でも、とてもとても、重要な要素ですね。今後の生活の質に、ずっと関わってくる。

うちは田舎なので、一軒家はだいたい、70坪前後のお宅が多いです。だから、家の周囲にしっかりスペースをとること、そんなに難しくないと思います。だけど、南側にめいっぱいお庭のスペースをとりたい、だとか、北側は無駄なスペースをなくしてギリギリまで境界線に寄せたい、とか、そういう「欲」が、結果的に大損を招くのではないでしょうか。

大きな視野でみると、隣地とはほどよい距離を保ったほうが、絶対に上手くいきます。工事のときも、迷惑は最小限にすみますし、気を遣わなくても自分の敷地内ですべて終わらせることができるわけで。

でも、相手の敷地、相手の好意ありきの、相手の敷地を利用しなければ建てられない、メンテナンスできない、というのは、避けるべきですね。

また近所で、こんなケースがありました。目一杯、境界によせて車庫を建てたお宅がありまして。もちろん敷地内になにを建てようと、基本的にそれは自由なのでしょうが、問題は、ギリギリすぎて、隣地を踏まないと工事ができない仕様だということなのです。

壁から境界線まで15センチないのです。当然、大人一人立つこともできないくらいのスペース。車庫といっても窓もあるし、施工は外側から行うため、どうしても隣地を踏まなければ建築は不可能な状態です。お隣にお願いして、工事を行ったらしいのですが、正直、施主の気持ちが理解できません(^^; できるだけ自分の土地を有効利用すべく、ぎりぎりの位置に建てたいのはわかりますよ。でも、隣地を踏まなければ建てられない、メンテンスできない、というのは、あまりにも自分の欲にとらわれすぎた建て方だと思います。

建てて終わり、ではないですからね。今後、修理のたびに、「すみません、入らせてください」と頼むのかな? 今は良くても、土地の持ち主が変わったらどうだろうか。もし相手が変な人で、対抗するように同じような車庫を建てられたら、メンテナンスも無理だし、窓も意味がなくなるけど、そこまで考えているのかな?

家は建てて終わりではなく、そこからご近所さんとの長いご縁が始まります。トラブルの種は、少しでも減らしておいた方がいいですよね。そのためにも大切なのは、家の周囲をぐるっと、大人一人が余裕で歩けるくらいのスペースをキープすること。そのスペースは決して無駄ではありません。必要なものです。お互いにそうした、相手に配慮した者同士が隣り合ったら、もめることなんて何もないでしょう。

家と家との距離は、絶対にあけた方がいい。本当にそう思います。建ててしまってから後悔しても遅いです。トラブルがあって嬉しい人なんて誰もいません。新築のとき案外気が付かない、でも大切なポイントだと思います。

映画「闇の歯車」 感想

映画「闇の歯車」を見ました。以下、感想を書いていますが、ネタバレ含んでおりますので、未見の方はご注意下さい。

いや~この映画、瑛太に始まり、瑛太に終わった作品でした。今まで瑛太をイケメンと思ったことは一度もないのですが、佐之助を演じた瑛太の暗い色気が半端ないです。これ、瑛太が佐之助を演ってなかったら、もっと凡庸な作品になっていたんではないでしょうか。

この作品に出ている瑛太は間違いなく、「色男」でした。現代劇より、時代劇の方が合ってるんじゃないかなあ。今まで瑛太がどんなドラマに出ていても、ふ~ん、と流していた私の目が、予告の時点で釘づけになりましたもん。誰、この人?って。

それも、正統派の正義の味方、じゃないところが合っているんですよね。背負う闇が、透けて見えて。やさぐれた影の部分に、思わず目を奪われるのです。

伊兵衛を演じた橋爪功さんも、裏で糸引く感じがなんともいえないドス黒さで、最初の柔和な商人顔からどんどん変わっていく姿に引き込まれました。佐之助とはいいコンビ。

伊兵衛は人の弱さにつけこむんだけど、決してごり押しをしないのね。時間をかけて、相手が自分から「やる」と決意するのを待つ。見事に絡み取られた佐之助。押し込みという悪事を働くのに、どうして素人複数を巻きこむのか。それは、迷った人を流れに乗せるっていうシステムでもあるんじゃないでしょうか。

自分だけじゃない。他にも仲間がいるっていう。そうでないと、少なくとも若旦那の仙太郎さんがなぜ一味に加わってるのか、その意味がわからないもの。腕っぷし弱そうだし、弥十の開錠技術みたいな特技もないし。

弥十を演じた大地康雄さんも凄みがありました。うらぶれてるんだけど、なにか裏がありそうな佇まいだったり。ただの酔っ払いが管を巻いてるのとは、ちょっと違う感じ。

伊黒清十郎を演じた緒方直人さんは、実直な感じが役にぴったりでした。最後、あれはわざと討たせたんですね。それもあっさりではあまりにも相手に無礼だから、それなりに討ちあった後で、というところに繊細な心遣いを感じます。まじめに優しく生きてきただろうに、どうして?という人生になってしまいましたが、あれはやはり、女性に弱かったということなんだろうなあ。すがりつく人を拒めなかった。

映画の中で、私が最後になってやっと気付いた点があるんですが、押し込み後、なぜかきえさんをそっとつけまわす佐之助の真意は、きえさんを守ることにあったんですね。なんだ~勘違いしてた。てっきり未練で追いかけ回してるのかと思っていたよ。おくみさんに逃げられたもんだから、再会したきえさんに執着してるのかと。この佐之助という人も、女性には弱いのですなあ。

それと、伊兵衛が捕まったとき、佐之助を知らないと言い放った場面。私は「あれ、伊兵衛は意外にいい人なんだなあ。佐之助がきえさんを守ろうとする気持ちに感動して、佐之助を助けてあげたのかしら」なんて思ったのですが。

牢屋での賄賂シーンを見てわかりました。いや、これ伊兵衛は生き残る気まんまんなのですね。これで最後なんて思ってない。誰かの気持ちにほだされるほど、やわな神経はしていない。佐之助を知らないと言いきったのは、保身以外のなにものでもない。あそこで佐之助もろとも破滅するのではなく、生き残る可能性に賭けた、ということなのだと。

登場人物のほとんどが破滅する中、真のボスは居酒屋のおっちゃんというところも、意外な感じがしてよかったです。案外、ああいう凡庸な日常の中にとんでもない真実が隠されていたりするんだなあ。

だけどツッコミどころがひとつ。佐之助は元々殺しにだけは手を染めてなくて、それが最後の自分の中での矜持みたいになっていたけど(押し込みも殺しはなしで、という前提だったし)、あれだけためらいもなく人を刺せる人が、殺しにだけは過剰反応するっていうのが解せませんでした。いやいや、人を刺してる時点で殺人と変わらないでしょう。たまたま助かってるだけで、亡くなってもおかしくない。

それと、あれだけの大金、預かってたお金を奪われた商家のその後は、たとえ命を奪われなくても死んだも同然で。自死に追い込まれることがわかりきっていながら、「押し込みでも殺さないからOK」みたいなところが、偽善に思えてなりませんでした。直接手を汚さないから何なの?っていう。結局、やってることは殺人だと思うのです。

映画全体、決して明るくはなくて、みんな幸せにはなれないし、でも引き込まれる作品でした。役柄によって、ものすごく輝く役者さんがいる、ということも知りました。時代劇の瑛太は、一味違います。

今年の抱負

2019年の抱負を語ります。

でもまずその前に、2018年の抱負、英語の勉強がどうなったかの発表です。

結果、駄目でしたね~。日本語と同じくらいペラペラに喋ることが目標だったし、TOEICも受験しようと思っていたのですが、どちらも叶わず。

まあ、TOEICに関しては、今受けてもダメだなというのが自分でわかっていたので、もう少し後で、もうちょい後で、と考えているうちに一年が終わってしまいました…。

英語のスピーキングに関しては、そのための対策としてとにかく英語に触れることを心がけていました。できるだけ英語のテレビ番組を見るようにしたのです。

BSで面白そうな番組を捜し、時間の許す限り見ました。でも結局のところ、真剣さが足りなかったかなと思います。それと、圧倒的に量が不足していた感じです。

英語の学習に、一番適しているかなと思ったのは、BBCニュース。基本的にアナウンサーがずーっと喋ってるし、早口だし、CMもほとんど英語なので無駄がないのがいいところ。ただし、内容は政治経済スポーツが多く、自分に興味がない話題だと、視聴意欲は削がれます。

私はアフリカのマーケットをぶらぶら歩いて、珍しい食品などをリポートするような番組が好きなのですが、BBCではあまりやっていません。見る時間帯にもよるのかな。たまにそういう内容を見かけると、集中して見ることができるし、内容も自然と頭に入ってくる感じ。異国の文化、景色に触れられるようなプログラムがたくさんあるといいんだけど。

アフリカや、砂漠の国に興味があります。日本と全く違う色彩や音楽、建築などなど。そういう番組をやっていると、引き込まれて見入ってしまいます。

あと2018年前半によく見ていたのが、アニマルプラネットの「猫ヘルパー」でもこれも、だんだん飽きてしまって、後半は見なくなってしまった。いつも似たようなパターンが多く。

自分勝手な飼い主と猫の組み合わせが、ほとんどでした。対策としては、まず飼い主の意識改革。結局、飼い主次第で動物の問題行動は直るんだなあという印象です。

敏腕猫ヘルパーのジャクソン・ギャラクシー。とてもいい人なんだけど、刺青がえらいことになってます。ある回で、問題が解決したお祝いに依頼人をタトゥーショップに連れて行ってあげて、二人で記念タトゥーをいれるという衝撃の展開もあったりして。少しずつジャクソンに親近感を持ち始めていた私はドン引きしました。なんというか、やっぱり遠い人なんだなあ。そういう世界もあるのね。

「猫ヘルパー」を見なくなった分、視聴機会が増えたのが「デンバー動物クリニック」でした。犬や猫だけじゃなくて、いろんな動物が見られて、しかも可愛い。見てるだけでほっこりです。でも、英語を聞く量としては、ニュース番組に比べて全然少なくなってしまうのが残念。獣医さんの右腕に、「外科侍」という刺青が入っているのが気になりました。日本人が見ると、違和感満載の造語です。

ドラマでは、「クリミナル・マインド」を時々見てましたが、毎回殺人、それも凄惨なシーンが多くて、だんだん気持ちが沈んできてしまい。結局、あまり見なくなってしまいました。

2019年は、やはりBBCを中心に見ようかなと思っています。発音も綺麗だし、一番効率的に英語のインプットができるのかなと。そして年末には、今度こそTOEICを受けて、客観的に自分のレベルを見つめ直し、今後の励みにしたいと思っています。

2019年にやろうと思っていること。

1. 電子ピアノを買って「幻想即興曲」の暗譜

2. 乗馬(競技ではなく、趣味として乗れるようになりたい)

3. 高野山へ行く

4. 英語が日本語と同じくらい流暢にしゃべれるようになる

5. ブログをもう1つ始める

6. 前から行きたくて、どうしても行けなかったレストランへ行く

7. 綺麗になる

7の、綺麗になるっていうのは唐突で抽象的ですけども。今は本当に、そうなりたいと思うんですよね。じゃあ今まではそう思わなかったのかというと、うん、思わなかった(^^; それより、強い人になりたかった。筋肉をつけたかった。

私、洋服のセンスがかなり悪いので、そういう美的感覚を磨いていきたいです。お化粧はあまり興味ないけど、素肌は綺麗になりたい。

5の、ブログをもう一つ始める件に関しては、備忘録を兼ねて毎日の出来事を細かく記録していくブログを始めようかなと思っています。「冥王星からこんにちは」とは全く別の場所で、名前も高萩カロンではなく、別人として、です。

「冥王星からこんにちは」は、私のリアル知人が見ても身バレがないように、内容を制限して書いているので、こっちに日常を書くわけにはいかない。いっそ二つのブログに分ければ、思う存分書けるかな~と。

以上、2019年の抱負でした。年末には、全部達成した~と言えるようにがんばりたいと思います。

霧の三峯神社、そして海の写真

2018年三峯神社を再訪したとき、初日は霧で、二日目は更に深い霧で、神秘的な光景を見ることができました。そのときの写真がこれ。

初日

これはたしかお仮屋への道を撮ったんだと思う。

二日目

もはや目の前が何も見えないほどの濃い霧。駐車場を撮ったような記憶がある。

こんなに深い霧、普通の場所なら怖いですが、そこは霊験あらたかな三峯神社。安心感がありました。目に見えないなにかに守られているという絶対的な信頼感。

一度は霧の三峯神社を経験してみたいと思っていましたが、興雲閣に一泊したおかげで、貴重な体験をさせてもらいました。

そして2019年のお正月、海へ行ったときの写真です。太平洋岸の、穏やかな波と空。ぼーっと座っているだけで癒されます。

だんだん日が暮れてくると、光の色がもの寂しい。

やがて日が沈むとき、オレンジの光が海面に反射して、桃源郷へ続くようなかりそめの道が浮かび上がります。太陽の形がシャープじゃなく、手作りめいた、いびつな形になるのがいい。

いったん日が暮れるとすぐ真っ暗なので、急いで海岸を離れました。神社と違って、海の傍は少し怖いです(^^; 夜の海というのも見てみたい気はするし、きっと綺麗なんだろうけど。

海風に吹かれていたら、雑念がきれいさっぱり。体が軽くなりました。