勉強そのものより、環境や態度、姿勢の方が大切かもしれない

家庭教師という仕事には、ずいぶん慣れている。学生時代からたくさんの生徒を見てきた。他の仕事をしながらも、機会があればちょこちょこと、教える仕事をしてきた。たぶん、これは特技なのかもしれない。いつも喜ばれてきたし、感謝もされたし、それがそのままやりがいにつながる仕事だった。

けれど、今教えているAさん(中一の女子)は、初めてのタイプ。

一番困るのは、指示に従わないところ。

「では宿題で、このページをやっておいてね」

「面倒くさいから嫌だ」

「・・・」

 

放っておくわけにもいかないので、そのたびに、今勉強の進度が遅れていて、自主学習の時間もとらないと皆に追いつけないこと、追いつけないどころかますます引き離されてしまうことなどを話すのだが、反応は鈍い。

前にも書いたが、根底には教師にたいする尊敬のなさ、があるのだと思う。私がいくら言っても、それを素直に聞いてくれないのでは、どうしようもない。ご機嫌をとるために雑談をする、といっても、その雑談にすら反抗的な態度で、「勉強したくない」「別に高校へ行かなくてもいい」という態度なので、閉口する。

本当は基礎からじっくりやり直すべきだろうところなのだが、テスト用の付け焼刃学習を試み、とにかく結果を出すことを優先した。信頼を結ぶためである。結果、成績は少しだが上がった。

Aさんも、多少は私に対して、認めるところがあったようなのだが、それでも相変わらず、態度はひどい。

「面倒くさい」「やりたくない」の口癖は、授業中禁止した。

椅子の上であぐらをかくのも禁止。肘をつくのも禁止。髪をいじるのも禁止。おもいっきりあくびをするのも禁止(どうしてもしたいときは、堂々とするのではなく噛み殺すように指導)

なんだか、幼稚園児を教えているような気分になる。もちろん、一挙にいろいろ言うとさらなる反発を呼ぶので、毎回授業毎に少しずつ様子をみながら、それでも守るべき態度はしっかり守らせるように、妥協しないようにしている。

今まで私が教えてきた生徒は、最初こそ勉強のできないつらさや絶望感で、「どうせなにをやっても無理」という虚無感はあっても、だからといって威張ったり、偉そうな態度で反抗したり、というのは一人もいなかった。そこには、教わる相手に対する一定の敬意があった。

「宿題の量が多くて大変だよ」という愚痴や、甘えなどはあっても、「やらない」とばっさり切り捨てるような失礼さはなかった。

実際、成績が上がってくると、勉強は楽しくなる。わからないからつまらないのだ。成績が上がれば、もっとわかりたいという欲が出てくるし、生徒には「こちらから頼んで教えに来てもらっている」という前提があるので、教師が指示を出せば、素直にそれに従う。

でもAさんは違う。

まず、基本的に教えてもらう態度ではないんだよなあ。

たとえば、ある日のこと。部屋に入ってみてびっくり。床に放り投げられたタオルや教科書。乱雑な室内。勉強する環境ではない。

私は黙って、自分が座る椅子の周りの空間を片付けた。椅子を動かすにも、動かせないほどの状態だったから。Aさんは、室内になかなか入ってこなかった。リビングでゲームをしている。私は始業の10分前には到着しているので、時間前といえばそれまでだが、それでも教師が到着しているのに、すぐに支度をしない態度はどうかと思う。そして親が、注意をしない。

この子は、教科書のどの部分がわかっていないのか。どういう問題をどの程度やらせたらできるようになるか、私はそういうことはわかっているけれど、Aさんの場合はそういう勉強以前の問題だと思う。しつけの問題といってもいい。

親が、失礼な態度をおかしいと思っていないから。当然、子供もそれをおかしいという感覚がない。

家庭教師の先生が来たら、すぐ机につく。机のまわりは整理しておく。先生から指示があったら、素直に従う。

特別なことじゃない。当たり前のことだ。なにも、豪華な勉強部屋が必要という話ではない。家が狭く、個室がないならリビングで勉強だっていい。でも、その勉強する環境を整える努力や姿勢は、とても大事だ。

Aさんに関しては、この先もあまり成績は上がらないと思う。理由は、今勉強ができないからではない。勉強に対する姿勢が、悪すぎる。

Aさんを見ていると、考えさせられるのである。きっとこれは、実は私にも当てはまる話なのではないだろうか。物事に取り組むときの姿勢、である。今できる、できないが問題ではなく。環境や態度、姿勢が、ゴールを決定づけるということ。そして、助けてくれる人がいても、環境や態度、姿勢が悪ければ、黙って去っていくだろうということ。

気が付いたことは、Aさんに少しずつ、注意はしているけれど。私は親ではないので、限度もある。

最初、あまりにも態度が酷かったころ、親には、「教師交代もひとつの手です」という話はした。本人が指示を拒絶するなら、私にはどうしようもないから。けれど、親が言うのには、Aさんは私のことを気に入っていると。

同じことは、Aさんにも直接話した。もし教え方がどうしても合わない、だから言うことを聞けないというなら、ご両親に話してねと。違う先生に来てもらうこともできるよ、と。

けれど結局、教師交代することにはならなかった。

たしかに本当に嫌なら、授業すべてをボイコットするのだろう。それをしないのは、Aさんなりの誠意なのか。

しかし、私のやる気モードはどんどん下がり。もちろん仕事なので最低限のことはやるが、モチベーションは確実に減少し。

つくづく思うのだ。家庭教師に勉強を教えてもらうとき、大切なことは勉強そのものより、勉強する環境や、態度や、姿勢ではないかと。

決して安くはないお金をかけるなら、まずはそこを整えてから、子供も納得の上で指導を頼んだ方がいいと思う。親子で話をするのだ。頼んで来てもらうのだから、限られた時間を有効に使って、自分なりに一生懸命がんばろうねと。

今のAさんのように、「私べつに頼んだわけじゃないし」的な態度では、非常にもったいない。そして私も、虚しい気持ちになってしまう。

家庭教師を頼むとき、親子でよく話合っておくことはとても大切だ。場合によっては、子供が困って、「家庭教師に来てもらいたい」と言い出すまで待ってもいいと思う。そうでないと、無駄になる部分が多い。なにも勉強しないよりはましかもしれないが・・・。

逆に言えば、今現在成績が最下位で、さっぱり授業についていけない生徒であっても、本人にやる気があり、(もしくは家庭教師の指示に素直に従う覚悟あるなら)、成績は上がるのである。学校の授業がわかるようになるのである。一定の時間はかかるが、不可能な話ではないのだ。

家庭教師を頼もうと思ったとき、まずは子供にその覚悟があるのか、そこをきちんと確認することが大事なのだと思う。

2017年の初夢

1月3日の朝方に見た夢

どこかの部室のような部屋。きちんと片付いて清潔感がある。私がその部屋へ行くと、知らない女性がいて、話をしているうちに盛り上がり、仲良くなる。その人が帰った後は部屋にひとりきり。

帰らなければならないのに、鍵が見当たらない。やっと探し当てたものの、その鍵をどこに返せばいいのかわからない。職員室? 部外者の私が行っても大丈夫だろうか、と心配になる。

帰る前に部屋を片付けようとするのだが、いつの間にか部屋中に、私物があふれており、あせる。積みあがった布団も、来た時にはなかったのに。

自分が持ちこんだものは、ちゃんと持ち帰らなくては。そんな思いで片付けを始めるけれど、どれだけやっても終わらない。あちらにもこちらにも物が積み重なって、それを手にとっては、「これは私のものだろうか」と考え込む。終わらなくて、絶望的な気持ちになる。

早く帰らなければ、鍵を返さなければ、不審に思われてしまう。でも片付けが終わらなければ鍵を返さない。いっそ先に鍵を返しにいって、私は窓から出ようか。でもそれでは不用心だし、もし何かあったら困る。

私が思案していると、当番の男性が来て「早く鍵を返してください」と。私は謝って、「すぐに行きます」と言うが、部屋が片付かなくてはそれもできない。

すぐに行く、と言ってしまったのだからと、私はますますあせって片づけを続ける。でも終わらない。

そういえば、いつもこんな夢をみているなあ、とぼんやり思う。その日の夢によって、状況は少しずつ違っているけれど。帰らなければならないのに、私物がまとまらなくてあせるというシチュエーションはいつも同じ。

物はあちこちに散らばっていて、どこにあるのか、どこに置き忘れているのか、自分でも判断がつかないのだ。そのまま帰れば、物を置きざりにすることになる。二度と戻ることのない場所に、自分のものを置き去りにすることはどうしても心残りで。必死に頭を使いながら、自分の私物を捜し集める。

これも夢ならいいのに。

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そんな風に思っているところで、目が覚めました(^^;

やっぱり夢でした。それにしても、これが初夢かあ。なにを意味しているんだろう。この、自分のものを捜し集める夢、というのはしょっちゅうみるのです。いつも焦って、うまくいかなくて、もやもやして、夢の中の自分は、物が自分のものか、そうでないのかすら、ちゃんと判断することができず、もどかしくてじたばたしながらあがいています。

2017年明けましておめでとうございます

明けましておめでとうございます。

年末にはもっと更新しようと思っていたのに、いつのまにかお正月の三が日が過ぎてしまったという(^^;

月日の流れは早いものです。小学生の頃は、1年がとんでもなく長くて、5月くらいにお正月のことを思ったとき、遥か彼方の、とんでもなく先の出来事のように思えて、そのときの気持ちがとても印象深く、今でも覚えているのですが。

今、1年が早いです。あっという間。

2016年は、思いのままに生きる、というのを実践してみた年でしたが、結果どうだったかというと。思いのままって難しいなーと感じました。やはり、生きているといろいろしがらみがあったり、役割があったりで。面倒くさくてもやらなくてはいけない仕事も、けっこう多くて。

そういうのを一切放棄して、仙人のような暮らしをするわけにもいかず。やはり、人間社会の中で暮らす以上、最低限、自分の果たすべき役割というのは、ありますから。

ただ、そういう中で、自分の選択が許される範囲では、実践することができました。「感情に素直に従うこと」、です。

それで、何を思ったかというと、感情もそうですが、流れに沿うといろんなことが上手くいくなーと感じました。なにかしようとしたときに、障害が多発したら無理をせず諦めて、別の道を選ぶのです。そうすると、スムーズに流れる。最初の道より、案外こっちの道の方がよかったんじゃないか、みたいなことが多い。

あと、2016年に確信したこと。私、体質的に牛肉が苦手みたいです。去年、素敵なレストランでいいお肉を食べる機会が2度ありました。そのとき、味はもちろんおいしいのですが、その後で、どうも調子が悪い。体が、肉を受け付けない感じなのです。昔はそんなことなかったんだけれど。

今年、2017年に実践しようと思っていることは、やっぱり、「自分の感情に素直に生きる」ことです。このブログも、書きたいと思った時に書きたいことを、どんどん書いていきたいと思っています。今年もよろしくお願いいたします。

2016年を振り返る その4 明治神宮と預言カフェ

今年も数回、東京へ行く機会があった。私は、東京へ行くと必ず立ち寄る場所がある。それは、代々木の明治神宮と、高田馬場の預言カフェ。

明治神宮では、社務所のそばを通りかかったとき、あまりにも窓からこぼれる明かりが素敵で、一枚写真を撮った。暖かな橙色。こんなふうに光がこぼれてくる雰囲気が好きだ。どんな人が集って、どんな話をしているんだろうなあと思う。

窓越しに見える灯りは、やっぱり暖色系がいいのだ。いつか、どこかの公園の脇を散歩していた時。古い洋館の窓の向こうにも、やっぱり、オレンジ系の照明が見えた。その部屋には無数の時計があって、今もときどき、その部屋のことを思い出すことがある。普通の民家のようで、時計屋さんでもないのに、なぜあんなに部屋の中に時計があったんだろうと。

そして、高田馬場の預言カフェにも、今年は計3回も通ってしまった。ウェイティングリストに名前を書いて、席に着くまでは長いけど。コーヒーを飲み預言をいただいたら、余韻は一切なしですぐにお店を出る。

預言カフェの何が嬉しいって、とにかく神様からの言葉として、すごく褒めてもらえること。落ちこんだときは、書き起こした言葉を読み返して、元気をもらっている。

今年は高田馬場だけでなく、赤坂にも預言カフェの2軒目がオープンしたのだ。高田馬場店で預言を受けた後、さっそく赤坂にも行ってみた。雰囲気はよく似ているけど、赤坂の方は窓がない分、少し暗くて圧迫感があるような。

この赤坂店は、私が行ったときには全く並ばずに入れた。私が入ってちょうど満席となった感じ。高田馬場はいつも待ち時間があるのだけれど、こちらはすいているから、急いでいるときにはありがたいなあ。

赤阪店では、抽象的ではあるけれど、「もっと書け」的な預言があったので、そのことが少し気になっていて、年末になって立て続けにブログを更新しているわけです。たしかに、思ったことは文字にしておくと、後で振り返ることができるし。今年もあと4日ですが、できる限り、いろいろと書いてみたいなと思います。

2016年を振り返る その3 鳴子温泉と松島

2016年初夏には、東北へも行きました。

まずはフェリーで仙台港へ。そこから作並温泉で一泊。翌日は鳴子温泉で一泊。最後に松島で一泊です。

この旅で印象に残ったのが、鳴子温泉。そして松島の島巡り(嵯峨峡までいく長いコース)でした。

鳴子温泉では、温泉パワーを満喫。これぞ本物の温泉、という地球のエネルギーをまざまざと見せつけられたような気がします。たとえばうちの近所の温泉だと、掘削して汲み出す作業、また所によっては、加温したり、湯量が足らなければ継ぎ足すなどの加工が必要なのですが、鳴子温泉周辺では、ぽこぽこ豊かなお湯があちらこちらに沸いているのです。

それはまず、匂いでわかります。

私は作並温泉を出発した後、尾花沢市を経由してぐるっと、車で47号線を東へ向かったのですが。鳴子温泉に近付くと、鳴子温泉ではないけど、○○温泉、△△温泉、と、次々と温泉の看板が並んでいて、硫黄の匂いが漂い始めました。

これだけ強い匂いだと、普通にちょっと山の中とか、ふとしたところに自然と湧いているのかなあと。それくらい強烈でした。

鳴子温泉では、ホテル亀屋に宿泊。源泉露天風呂を目当てに泊まったのですが、期待を裏切らないお湯の良さで大満足。

熱めのお湯なのですが、肌に柔らかい。最初熱いなと思っていても、不思議に長く入れてしまうお湯なのです。そして、湯上りはいつまでもぽっかぽか。

鳴子温泉に泊まるときは、昼間のうちにすぐ近くの鬼首(おにこうべ)温泉郷の「地獄谷遊歩道」に行ってみることをお勧めします。ここを見学してから温泉に入ると、大地のエネルギーを肌で感じることができ、その後の温泉もまた、一層感慨深く楽しむことができます。

吹上温泉「間欠泉センター」の間欠泉の方が有名かもしれませんが、大自然の迫力では断然、「地獄谷遊歩道」に軍配が上がりますね。ただ、道の案内がわかりづらいのが惜しい。間欠泉センターで間欠泉は見学したけど、地獄谷遊歩道には寄らずに帰ってしまう人も多いのではないでしょうか。

私は宿のチェックインまでまだ時間があったので、その時間を利用してまず、車を走らせて間欠泉センターへ行きました。間欠泉センター内にある露天風呂。すっごく入りたかったけど、混浴ということで諦めました。そんなにきちっと整備する必要はないけど、狭くていいので男女別で簡単な目隠しをして、通りすがりの人の目線を遮ってくれたら、喜んで入るのになあ。センターの入場料とは別に、入浴料をとってもいいので、それをやってくれたらいいのに。混浴、しかも通りすがりの人の視線も気になるということで、諦める人は私だけではないはず。

その後、センターの駐車場から地獄谷遊歩道を目指します。が、どうやって車で地獄谷遊歩道へ行けばいいかわからず、迷いました。もう少し看板や地図の掲示などでわかりやすくすると、観光客も増えるのになあと。センターは有料でしたが、地獄谷遊歩道は無料です。でも、地獄谷遊歩道は有料にして、観光地として整備する価値が、十分にあると思いました。

地獄谷遊歩道とは、要するに川沿いの散歩道なんですが。行ってびっくり。歩いていくと、川から湯気が上がっているし、時間とともに、小道のわきから熱湯が噴き上がるではありませんか。場所によっては、かなり大規模な噴き上がりもあって、道に注意書きもあります。ここは、すべて自己責任の世界です。熱湯に直撃されたら確実にケガをします。

一番危険な箇所は、何十秒かおきに熱湯が道を直撃するので、まずそのタイミングをじっくり見定めて、お湯が出ない間隔を見計らって道を渡りました。でもこれも運ですね。渡り始めたときに直撃されたら、逃げようがない(^^;

地球は生きていて、その内部は煮えたぎっていて。小学生の頃に図鑑で読んだ知識が、今さらですが蘇りました。地熱ってすごい。本物の温泉は、掘らなくても自然に湧いて出てくる。というか、とめても無理。次々と湧き出し、湯煙を上げ、人が利用しようとしたら加温どころか、むしろ冷ますのが大変なくらい。

鳴子温泉、鬼首温泉郷で、温泉の神髄に触れることができたような気がします。温泉は、大地のエネルギーそのものだということがよくわかりました。

ただ、これだけ素晴らしい温泉なのに、人出が少ないのがちょっと寂しかった。泊まったホテルの近辺に、温泉街としての賑わいはあまり感じませんでした。もったいないなあ。温泉の質は最高なので、これは他の観光地にはない大きな宝だと思います。

翌日、鳴子温泉を後にして、47号線をひたすら東へ。松島へ向かいます。松島では松島センチュリーホテルに泊まりましたが、観光船の乗り場も瑞巌寺も徒歩圏内でかなり便利。

松島の島巡りの観光船。私は、松島湾の奥をぐるーっと周って、嵯峨峡まで見せてくれる、「嵯峨峡コース」を選びました。1時間40分ほどかかりますが、50分の「仁王丸コース」では行かない場所もたっぷり楽しめるのでおすすめです。この「嵯峨峡コース」は、参加する人が少ないせいか、「仁王丸コース」より本数は少ないですし運航日時が限られていますが、もっともっと船に乗っていたいなあと感じる、快適で楽しいひとときでした。

船内放送があり、丁寧に島の説明をしてくれます。右を見たり左を見たり。島というより、岩という感じの奇妙な形の無人島や。湾の奥に進むにつれ現れる、人が住む、生活の匂いの感じられる大きな島の影。

島での生活は、どんな風なのかなあと想像すると、不思議に胸が締め付けられるような、なんともいえない感覚に捉われました。島の、波打ち際の砂浜。そこに立てば、目の前には大海原。子供達は、自然いっぱいの中で育つんだろうなあ。人によっては、生まれてから死ぬまでずっと、その島の中で生活することもあるでしょう。

太陽と、風と、海と、砂浜と。想像すると、胸がぎゅっとなるのです。島で暮らした経験はないけど、遠い昔、どこかでそんなことがあったような。あるいはこの感覚は、原始からのDNAが見せた錯覚なのか。甘酸っぱくて、懐かしくて、この感覚をなんと表現するべきか。

私は、昔からこの不思議な感覚に、時々捉われることがあり。それは、景色をみたり、音楽を聴いたり、なにかを想像したときに不意に、湧き上がる気持ちです。一番近い言葉は、ノスタルジイなのかな。

その砂浜に立ったこともないのに、自分が立っているような錯覚を覚えました。辺りには誰もいない。太陽が降り注いでいる。良く晴れた日で、私は海を見ている。小さなプライベートビーチ。空気の匂い。いつかそこを出ていく日。帰る予定のない、胸をチクリと刺す痛さ、寂しさ。

船での島巡りは、とても楽しかったです。私が乗船した日は、乗船人数も少なくて席も広々していたので、まるで貸切のようで、ゆったりできました。途中うとうとしたり、想像にふけったり、ぼんやりしたり。波も穏やかで、船酔いもなく。

良い旅になりました。