2017年の初夢

1月3日の朝方に見た夢

どこかの部室のような部屋。きちんと片付いて清潔感がある。私がその部屋へ行くと、知らない女性がいて、話をしているうちに盛り上がり、仲良くなる。その人が帰った後は部屋にひとりきり。

帰らなければならないのに、鍵が見当たらない。やっと探し当てたものの、その鍵をどこに返せばいいのかわからない。職員室? 部外者の私が行っても大丈夫だろうか、と心配になる。

帰る前に部屋を片付けようとするのだが、いつの間にか部屋中に、私物があふれており、あせる。積みあがった布団も、来た時にはなかったのに。

自分が持ちこんだものは、ちゃんと持ち帰らなくては。そんな思いで片付けを始めるけれど、どれだけやっても終わらない。あちらにもこちらにも物が積み重なって、それを手にとっては、「これは私のものだろうか」と考え込む。終わらなくて、絶望的な気持ちになる。

早く帰らなければ、鍵を返さなければ、不審に思われてしまう。でも片付けが終わらなければ鍵を返さない。いっそ先に鍵を返しにいって、私は窓から出ようか。でもそれでは不用心だし、もし何かあったら困る。

私が思案していると、当番の男性が来て「早く鍵を返してください」と。私は謝って、「すぐに行きます」と言うが、部屋が片付かなくてはそれもできない。

すぐに行く、と言ってしまったのだからと、私はますますあせって片づけを続ける。でも終わらない。

そういえば、いつもこんな夢をみているなあ、とぼんやり思う。その日の夢によって、状況は少しずつ違っているけれど。帰らなければならないのに、私物がまとまらなくてあせるというシチュエーションはいつも同じ。

物はあちこちに散らばっていて、どこにあるのか、どこに置き忘れているのか、自分でも判断がつかないのだ。そのまま帰れば、物を置きざりにすることになる。二度と戻ることのない場所に、自分のものを置き去りにすることはどうしても心残りで。必死に頭を使いながら、自分の私物を捜し集める。

これも夢ならいいのに。

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そんな風に思っているところで、目が覚めました(^^;

やっぱり夢でした。それにしても、これが初夢かあ。なにを意味しているんだろう。この、自分のものを捜し集める夢、というのはしょっちゅうみるのです。いつも焦って、うまくいかなくて、もやもやして、夢の中の自分は、物が自分のものか、そうでないのかすら、ちゃんと判断することができず、もどかしくてじたばたしながらあがいています。

2017年明けましておめでとうございます

明けましておめでとうございます。

年末にはもっと更新しようと思っていたのに、いつのまにかお正月の三が日が過ぎてしまったという(^^;

月日の流れは早いものです。小学生の頃は、1年がとんでもなく長くて、5月くらいにお正月のことを思ったとき、遥か彼方の、とんでもなく先の出来事のように思えて、そのときの気持ちがとても印象深く、今でも覚えているのですが。

今、1年が早いです。あっという間。

2016年は、思いのままに生きる、というのを実践してみた年でしたが、結果どうだったかというと。思いのままって難しいなーと感じました。やはり、生きているといろいろしがらみがあったり、役割があったりで。面倒くさくてもやらなくてはいけない仕事も、けっこう多くて。

そういうのを一切放棄して、仙人のような暮らしをするわけにもいかず。やはり、人間社会の中で暮らす以上、最低限、自分の果たすべき役割というのは、ありますから。

ただ、そういう中で、自分の選択が許される範囲では、実践することができました。「感情に素直に従うこと」、です。

それで、何を思ったかというと、感情もそうですが、流れに沿うといろんなことが上手くいくなーと感じました。なにかしようとしたときに、障害が多発したら無理をせず諦めて、別の道を選ぶのです。そうすると、スムーズに流れる。最初の道より、案外こっちの道の方がよかったんじゃないか、みたいなことが多い。

あと、2016年に確信したこと。私、体質的に牛肉が苦手みたいです。去年、素敵なレストランでいいお肉を食べる機会が2度ありました。そのとき、味はもちろんおいしいのですが、その後で、どうも調子が悪い。体が、肉を受け付けない感じなのです。昔はそんなことなかったんだけれど。

今年、2017年に実践しようと思っていることは、やっぱり、「自分の感情に素直に生きる」ことです。このブログも、書きたいと思った時に書きたいことを、どんどん書いていきたいと思っています。今年もよろしくお願いいたします。

2016年を振り返る その4 明治神宮と預言カフェ

今年も数回、東京へ行く機会があった。私は、東京へ行くと必ず立ち寄る場所がある。それは、代々木の明治神宮と、高田馬場の預言カフェ。

明治神宮では、社務所のそばを通りかかったとき、あまりにも窓からこぼれる明かりが素敵で、一枚写真を撮った。暖かな橙色。こんなふうに光がこぼれてくる雰囲気が好きだ。どんな人が集って、どんな話をしているんだろうなあと思う。

窓越しに見える灯りは、やっぱり暖色系がいいのだ。いつか、どこかの公園の脇を散歩していた時。古い洋館の窓の向こうにも、やっぱり、オレンジ系の照明が見えた。その部屋には無数の時計があって、今もときどき、その部屋のことを思い出すことがある。普通の民家のようで、時計屋さんでもないのに、なぜあんなに部屋の中に時計があったんだろうと。

そして、高田馬場の預言カフェにも、今年は計3回も通ってしまった。ウェイティングリストに名前を書いて、席に着くまでは長いけど。コーヒーを飲み預言をいただいたら、余韻は一切なしですぐにお店を出る。

預言カフェの何が嬉しいって、とにかく神様からの言葉として、すごく褒めてもらえること。落ちこんだときは、書き起こした言葉を読み返して、元気をもらっている。

今年は高田馬場だけでなく、赤坂にも預言カフェの2軒目がオープンしたのだ。高田馬場店で預言を受けた後、さっそく赤坂にも行ってみた。雰囲気はよく似ているけど、赤坂の方は窓がない分、少し暗くて圧迫感があるような。

この赤坂店は、私が行ったときには全く並ばずに入れた。私が入ってちょうど満席となった感じ。高田馬場はいつも待ち時間があるのだけれど、こちらはすいているから、急いでいるときにはありがたいなあ。

赤阪店では、抽象的ではあるけれど、「もっと書け」的な預言があったので、そのことが少し気になっていて、年末になって立て続けにブログを更新しているわけです。たしかに、思ったことは文字にしておくと、後で振り返ることができるし。今年もあと4日ですが、できる限り、いろいろと書いてみたいなと思います。

2016年を振り返る その3 鳴子温泉と松島

2016年初夏には、東北へも行きました。

まずはフェリーで仙台港へ。そこから作並温泉で一泊。翌日は鳴子温泉で一泊。最後に松島で一泊です。

この旅で印象に残ったのが、鳴子温泉。そして松島の島巡り(嵯峨峡までいく長いコース)でした。

鳴子温泉では、温泉パワーを満喫。これぞ本物の温泉、という地球のエネルギーをまざまざと見せつけられたような気がします。たとえばうちの近所の温泉だと、掘削して汲み出す作業、また所によっては、加温したり、湯量が足らなければ継ぎ足すなどの加工が必要なのですが、鳴子温泉周辺では、ぽこぽこ豊かなお湯があちらこちらに沸いているのです。

それはまず、匂いでわかります。

私は作並温泉を出発した後、尾花沢市を経由してぐるっと、車で47号線を東へ向かったのですが。鳴子温泉に近付くと、鳴子温泉ではないけど、○○温泉、△△温泉、と、次々と温泉の看板が並んでいて、硫黄の匂いが漂い始めました。

これだけ強い匂いだと、普通にちょっと山の中とか、ふとしたところに自然と湧いているのかなあと。それくらい強烈でした。

鳴子温泉では、ホテル亀屋に宿泊。源泉露天風呂を目当てに泊まったのですが、期待を裏切らないお湯の良さで大満足。

熱めのお湯なのですが、肌に柔らかい。最初熱いなと思っていても、不思議に長く入れてしまうお湯なのです。そして、湯上りはいつまでもぽっかぽか。

鳴子温泉に泊まるときは、昼間のうちにすぐ近くの鬼首(おにこうべ)温泉郷の「地獄谷遊歩道」に行ってみることをお勧めします。ここを見学してから温泉に入ると、大地のエネルギーを肌で感じることができ、その後の温泉もまた、一層感慨深く楽しむことができます。

吹上温泉「間欠泉センター」の間欠泉の方が有名かもしれませんが、大自然の迫力では断然、「地獄谷遊歩道」に軍配が上がりますね。ただ、道の案内がわかりづらいのが惜しい。間欠泉センターで間欠泉は見学したけど、地獄谷遊歩道には寄らずに帰ってしまう人も多いのではないでしょうか。

私は宿のチェックインまでまだ時間があったので、その時間を利用してまず、車を走らせて間欠泉センターへ行きました。間欠泉センター内にある露天風呂。すっごく入りたかったけど、混浴ということで諦めました。そんなにきちっと整備する必要はないけど、狭くていいので男女別で簡単な目隠しをして、通りすがりの人の目線を遮ってくれたら、喜んで入るのになあ。センターの入場料とは別に、入浴料をとってもいいので、それをやってくれたらいいのに。混浴、しかも通りすがりの人の視線も気になるということで、諦める人は私だけではないはず。

その後、センターの駐車場から地獄谷遊歩道を目指します。が、どうやって車で地獄谷遊歩道へ行けばいいかわからず、迷いました。もう少し看板や地図の掲示などでわかりやすくすると、観光客も増えるのになあと。センターは有料でしたが、地獄谷遊歩道は無料です。でも、地獄谷遊歩道は有料にして、観光地として整備する価値が、十分にあると思いました。

地獄谷遊歩道とは、要するに川沿いの散歩道なんですが。行ってびっくり。歩いていくと、川から湯気が上がっているし、時間とともに、小道のわきから熱湯が噴き上がるではありませんか。場所によっては、かなり大規模な噴き上がりもあって、道に注意書きもあります。ここは、すべて自己責任の世界です。熱湯に直撃されたら確実にケガをします。

一番危険な箇所は、何十秒かおきに熱湯が道を直撃するので、まずそのタイミングをじっくり見定めて、お湯が出ない間隔を見計らって道を渡りました。でもこれも運ですね。渡り始めたときに直撃されたら、逃げようがない(^^;

地球は生きていて、その内部は煮えたぎっていて。小学生の頃に図鑑で読んだ知識が、今さらですが蘇りました。地熱ってすごい。本物の温泉は、掘らなくても自然に湧いて出てくる。というか、とめても無理。次々と湧き出し、湯煙を上げ、人が利用しようとしたら加温どころか、むしろ冷ますのが大変なくらい。

鳴子温泉、鬼首温泉郷で、温泉の神髄に触れることができたような気がします。温泉は、大地のエネルギーそのものだということがよくわかりました。

ただ、これだけ素晴らしい温泉なのに、人出が少ないのがちょっと寂しかった。泊まったホテルの近辺に、温泉街としての賑わいはあまり感じませんでした。もったいないなあ。温泉の質は最高なので、これは他の観光地にはない大きな宝だと思います。

翌日、鳴子温泉を後にして、47号線をひたすら東へ。松島へ向かいます。松島では松島センチュリーホテルに泊まりましたが、観光船の乗り場も瑞巌寺も徒歩圏内でかなり便利。

松島の島巡りの観光船。私は、松島湾の奥をぐるーっと周って、嵯峨峡まで見せてくれる、「嵯峨峡コース」を選びました。1時間40分ほどかかりますが、50分の「仁王丸コース」では行かない場所もたっぷり楽しめるのでおすすめです。この「嵯峨峡コース」は、参加する人が少ないせいか、「仁王丸コース」より本数は少ないですし運航日時が限られていますが、もっともっと船に乗っていたいなあと感じる、快適で楽しいひとときでした。

船内放送があり、丁寧に島の説明をしてくれます。右を見たり左を見たり。島というより、岩という感じの奇妙な形の無人島や。湾の奥に進むにつれ現れる、人が住む、生活の匂いの感じられる大きな島の影。

島での生活は、どんな風なのかなあと想像すると、不思議に胸が締め付けられるような、なんともいえない感覚に捉われました。島の、波打ち際の砂浜。そこに立てば、目の前には大海原。子供達は、自然いっぱいの中で育つんだろうなあ。人によっては、生まれてから死ぬまでずっと、その島の中で生活することもあるでしょう。

太陽と、風と、海と、砂浜と。想像すると、胸がぎゅっとなるのです。島で暮らした経験はないけど、遠い昔、どこかでそんなことがあったような。あるいはこの感覚は、原始からのDNAが見せた錯覚なのか。甘酸っぱくて、懐かしくて、この感覚をなんと表現するべきか。

私は、昔からこの不思議な感覚に、時々捉われることがあり。それは、景色をみたり、音楽を聴いたり、なにかを想像したときに不意に、湧き上がる気持ちです。一番近い言葉は、ノスタルジイなのかな。

その砂浜に立ったこともないのに、自分が立っているような錯覚を覚えました。辺りには誰もいない。太陽が降り注いでいる。良く晴れた日で、私は海を見ている。小さなプライベートビーチ。空気の匂い。いつかそこを出ていく日。帰る予定のない、胸をチクリと刺す痛さ、寂しさ。

船での島巡りは、とても楽しかったです。私が乗船した日は、乗船人数も少なくて席も広々していたので、まるで貸切のようで、ゆったりできました。途中うとうとしたり、想像にふけったり、ぼんやりしたり。波も穏やかで、船酔いもなく。

良い旅になりました。

2016年を振り返る その2 厳島神社、鞍馬寺と伏見稲荷大社

2016年初夏、厳島神社と伏見稲荷大社にも、初めて参拝することができました。出雲大社だけでなく、こちらの神社にも行きたいとずっと思っていたのです。でも出雲大社からだとアクセスがちょっと。乗り換えが多かったので、出雲大社参拝とはまた別の日程で、出かけました。

厳島神社に行きたかった理由。

昔、夢で、海に浮かぶ朱塗りの神社に参拝したことがあるのです。そこは船でしか行けない場所でした。夢から覚めた後も妙に気になって、あれはもしかして厳島神社なのかなあと。行ってみればわかるだろうと思い、実際に行ってみました。そしてわかりました。

夢でみた神社ではありませんでした(^^;

ちなみに、私が出かけた日は、ちょうどブラタモリの撮影があったみたいで、修学旅行生が「タモリさんいた!」とかなり興奮してしゃべりながら歩いていました。

厳島神社参拝の前には、宮島錦水館に立ち寄り、温泉に入りました。桟橋から神社に行く途中にあるお宿です。私が行ったときはちょうど空いていて、貸切状態。お湯の質もよく、雰囲気もあってとてもリラックスできました。参拝前に身を清める意味でも、こちらの温泉はお奨めです。

あと、宮島口もみじ本陣の中にある、広島ヤマダというお店の焼きがきがおいしいです。厳島神社で参拝した日、島内でカキを食べ損ねたので、フェリーで戻ってきた後に食べました。最初一皿だけ頼んだのですが、あまりにも美味でもう一皿追加しました。大満足です。

その日は宮島コーラルホテルに泊まったのですが、翌朝ミラクルが。朝食のバイキングでお味噌汁を飲んだところ、体中にエネルギーが満ち溢れて、ものすごく元気になったのです(^^) これには驚きました。ごく普通の、バイキングのお味噌汁なんですけど、飲んでしばらくしたら、ちょっと疲れていたのにもりもりと気力と体力がみなぎって、自分でもびっくりするくらい元気に、次の目的地である京都へ出発することができたのです。

あれは特別なお味噌汁だったのでしょうか。今でも謎です。それ以来、私はホテルのバイキングでは必ず意識して、お味噌汁を飲むようになりました。

お味噌汁で元気百倍になった私は、いそいそと京都へ。その日は京都駅近くのホテルにチェックイン、まずは鞍馬寺へ。参拝後、山中を通って貴船神社へ行くつもりでした。しかし、土砂降りの雨と、夕暮れという時間帯もあり、その日は貴船神社を断念。

翌朝は、ホテルのバイキング朝食で、ある意味貴重な体験をしました。オレンジジュースから怪しい匂いが(^^;

なにかの間違いかと思って、何度も嗅ぎましたが、微かな、でも確かに腐臭がするのです。バイキングでとったものを残すのはまずいと思いましたが、どうしても口を通りませんでした。それに、このままでは他の人に被害が出てしまうかも。

そこのバイキングは食器を自分で返却するタイプではなく、テーブルに残しておいてスタッフの方が片付けるシステムでした。なので私は、食事後にそっと近くにいたスタッフの方に近寄り、他の人に聞こえないように小さな声でオレンジジュースの異常を伝えました。片付けるときに、現物を確認してもらえばわかるはずです。

それにしても、オレンジジュースって腐るんですね・・・って、食品なんだから当たり前か。きちんと冷蔵保存していなかったのか、使い切りでなく何日も継ぎ足して使っていたのか、原因はわかりませんが。ホテルが忙しいというのもあるのかな。駅前のホテルはどこも観光客でいっぱいで、宿をとるのが大変でした。満室のところばかりで。

その日はまず、晴明神社へ。式神の像があって、可愛かった。こんな式神欲しい(^^)

それから鞍馬寺へ。参拝後、山中を通って貴船神社へ。

鞍馬寺は、とにかく山中にパワーを感じました。鞍馬寺の本殿、そして貴船神社へ続く山道は、途中かなりの登山です。甘くみると挫折するレベル。この山中で義経が天狗に剣術を習っていた、というのもうなずけます。この山なら、天狗が出てもおかしくない。

あと、鞍馬寺のすぐそばにくらま温泉という温泉があるのですが、ここおすすめです。いいお湯でした~。露天風呂もあって、ワイルド。山の空気がおいしい。鞍馬駅から、無料の小型送迎バスが出てるので便利です。バスだと鞍馬駅から温泉まで3分くらいですぐ着きます。歩いてもいける距離ですが、歩道がある道ではないので、安全のためにも送迎バスを利用するのがベストかと思われます。予約なしで乗れるから気楽ですよ。駅を出たすぐのところに車が待機しているので、すぐわかります。鞍馬寺参拝前のお清めに、また、参拝後の疲れをとるのにも、いい温泉なのです。

貴船神社は。う~ん、ちょっと観光化されすぎてるかなと感じてしまった。奥宮まで行く道、細くて、でも車も通る道で。厳かに歩くというより、車に注意しながら歩かなきゃいけなくて、違和感が。でも車を規制してしまうと、沿道のお店が困ってしまうのだろうか。

その後は、アーバンホテル京都へ移動してチェックイン。翌日の伏見稲荷大社参拝に備えて、体を休めました。本当は、伏見稲荷大社の境内にある参集殿に泊まりたかったのですが、前日に予約の電話をしたところ、満室とのことで残念ながら。

アーバンホテル京都は、朝、早めにチェックアウトしました。観光客で混む前に伏見稲荷大社を参拝したかったのです。このところ、外国人観光客の人気ナンバーワン神社になっているそうですね。

私は本殿をお参りした後、伏見神宝神社に行き、そのさらに奥の、竹林を貫く小道をたどっていきました。すると、道はどんどん、山の中へ。かなりの登山となりました(^^; でも、道が険しい分、ほとんど誰にも会うことなく、空いていたのはよかったです。

伏見稲荷大社に行ってみたかったのは、お稲荷様が好きだったからです。特に理由はなく、なんとなく昔から好きでした。よく、お稲荷さんは怖い、という話も聞きますが、失礼なことをしなければ全然恐れることはないと思います。罰の当たるようなことをすれば別ですが、真摯に参拝するのに、怒る神様なんていないと思うのです。

ただ、私は千本鳥居のイメージしか持っていなかったので、次々と現れる「お塚」に驚きました。それは、今まで見たことがない光景でした。伏見稲荷大社は、とにかく広いのですね。稲荷山全体が神域であるということを、実感した旅となりました。