家系の因縁

母の従兄が亡くなり、お通夜とお葬式に行ってきました。従兄は本来、本家を継ぐ立場でしたが、いろいろ事情があって、家を継ぐことはありませんでした。そして、その本家は後を継ぐ子供がなく、途絶えてしまいました。

お葬式の間、ご先祖さまについていろいろと考えさせられました。もし本家を継いでいたら、従兄の人生も違うものになっていたかもしれません。

本家の菩提寺の和尚様は、高齢ですがお元気です。8月19日が、本家を継いだ伯父の23回忌でした。8という数字も、19という数字も、私の人生でたびたび登場する数字なので、なにか因縁を感じます。すべては、つながっているのかなあと。

ある日突然この世にあらわれたわけではなく、ご先祖様のひとりでも欠けていたら、今の自分はいないのです。

もはや本家はなく、23回忌はささやかなものでした。和尚様と伯父は同級生です。本家の大伯父は、今の和尚様の父(先代のご住職)ととても仲が良かったそうです。大伯父は何かというとお寺に入りびたりで、草取りの奉仕など、お寺のために尽くしたとか。

時が流れて、もう本家は途絶えてしまいました。墓は、新しくできた永代供養の小さな墓へと移されました。私は年に数回このお寺を訪れて、永代供養墓に手を合わせています。

母の従兄のお葬式をきっかけに、ご先祖様に思いを馳せました。本家が途絶える家には、本家が途絶えるだけの因縁があるのだと思います。

私の人生も、大変なことが多かったので、これもまた家系の因縁かなと思います。結局本家ではないのに法要をしたり、永代供養の手続きをしたり、お寺との関わりは私が一番多いです。私の兄弟はなにもしていないのに、なぜか私にその役が来るという(^^;

お寺の和尚様と法要のたびにおしゃべりするのですが、先代のご住職も特別な縁で僧職についたそうです。そもそもお坊さんになる気はまるでなく、別の職業についたものの、どの職業に就いても必ず妨害が入り、しかも次々と家族が亡くなる不幸があり、とある方に「あなたがお坊さんにならない限り、身内の死が続く」と諭されたとか。その後、お坊さんの修行に入ると、身内の死はぴたりととまったそうです。

こうしたお坊さんや神主さんなどは、自分がなりたいと思うよりも、見えない縁に導かれてなるものなのかもしれないですね。

宝塚はもう見ない

宝塚歌劇団といえば、夢の世界。私が以前東京に住んでいたとき、和央ようかさんの「ファントム」を、東京宝塚劇場で見た。真っ赤なじゅうたん。豪華な衣装。熱狂的なファンの方々。

帝国劇場の舞台とはまた違う、独特の世界観。とても素敵だなあと思ったし、紡ぎ出される華やかな物語、ショーを堪能し、また観劇したいなあとそう思いながら帰途についた。

でもその後、96期のいじめ問題が発生。劇団の対応がおかしいのにびっくり。宝塚に対する疑念がわく。裁判にまでなって、長期にわたっていじめの被害者が結局、救われなかったことを大変気の毒に思う。

そして昨年。有愛きいさんの自殺を知り、事件の経過をみるにつれ、私の中で完全に、宝塚歌劇団に対する印象が変わった。

私が宝塚を見に行くことは、もう2度とない。あまりにもひどすぎる劇団だ。見に行こうという気持ちは、一生持てない。

有愛(ありあ)きいさんの双子の妹さんが、退団したニュースが決定打だ。その後どうなったんだろうと検索してみて、有愛きさんの妹である一禾(いちか)あおさんの退団を知り驚愕。どうして被害者の遺族が退団して、加害者一団にはおとがめなしなんだろう。人が一人死んでなお、被害者関係者が黙らせられる現状に、失望しました。これが宝塚かあ。清くも正しくも美しくもないよ。

96期のいじめの話も、有愛きいさんの話も、根っこは同じ。宝塚では有愛きいさん以外にも、2018年6月に宝塚音楽学校の生徒が、パワハラを苦に寮のバルコニーから転落、全治3週間の全身打撲を負っていたそうで…。

宝塚歌劇団のやり方はもういろいろ破綻しているのに。ガタガタと崩れていたのに。有愛さんが亡くなるまで、ずっとパワハラ体質は続いていたのか、とびっくりしました。この飛び降り事件のときに宝塚が改革をしていたら、有愛さんは亡くならなかったんじゃないかと思います。

問題の構造、宝塚の体質については、ものすごく単純なことで。

要するに、上下関係が絶対だったら、必ず起こる事件だと思うのです。だって、世の中には意地悪な人間、理不尽な人というのは必ず一定数いるわけで。

宝塚では上級生が絶対正義。トップスターは雲の上の人。

その神様のような存在が、正義の人ならいいのですが。そうでない場合はどうなるのでしょう。そんなことわかりきった話です。

どこの世界でも上下関係が厳しい環境というのはあると思いますが、でも事件にまで発展するようなことがあれば、そこには正義が発動しますよね。調べて、誰の目にも明らかなリンチがあれば、加害者は処罰されるでしょう。職場にもいられなくなると思う。

意地悪な人が、絶対的な権力を握り、誰も逆らえなければやりたい放題になりますよね。いじめのターゲットにされればほとんどの人が逃げ出すだろうけど、逃げられなかった人が死を選んだ。その責任は誰がとるのでしょう。

もう団体の構造として、だめなんだと思う。これだけの騒ぎになって、事件になって、人が一人死んでいて。

加害者おとがめなし。謝罪文を提出したのも加害者全員ではない。書面だけの謝罪で、遺族と直接対面しての加害者の謝罪はなし。被害者の妹がひっそりと退団。宙組は加害者のトップスターはそのままに公演再開。

被害者の方が、死んでなおこの対応ですので、生きていたときには本当に地獄だったと思う。生きてどんなに上にパワハラを訴えても、これじゃ無理です。なにひとつ聞いてもらえないどころか、むしろパワハラがひどくなったんではないでしょうか。

信じられないのは、宙組の公演再開です。これを喜んで見に行く人がいるのかと思ったら、いるんですね。しかも大勢。

今回の一連の事件を批判して「もう見ない」「見る気になれない」とおっしゃってるファンの方も、少ないですがごく一部いて、救われる気持ちになりました。見に行くということは、加害者に加担する、加害者のパワハラ行為を容認するということなんだと思いますけどね。

私がもし熱狂的な宝塚ファンだったとしても、この事件を知ったら、即座に熱は冷めたと思います。パワハラの内容がもう、集団リンチだし。人数も一人ではなくて、劇団側が認めただけで10人。閉鎖された空間で、10人相手に罵倒を受け続ける日々は、地獄以外のなにものでもない。それは、芸を磨くことでもなんでもなく、単なるいじめでしょう。

有愛きいさんが本当にお気の毒だし、遺族の方々もすごく傷ついて、それでも精一杯劇団や加害者に立ち向かったと思うし。

事が公になったのは、よかったです。もし隠避されていたら、また続々と被害者が出たと思うから。遺族の方々、本当に勇気があった。遺族の方の勇気が、次の被害者を防いだ。

有愛きいさんのご冥福をお祈りします。

綺麗なものを見る、考える

嫌な出来事があったときこそ、綺麗なものを見る、考えることで気持ちをリセット。できるだけ綺麗なものだけを見ていたいものです。

ということで、また植物園で撮った写真を載せたいと思います。撮影は6月。早く記事にしないと、どんどん季節が過ぎ去ってしまう(^^;

元気な黄色のバラ。「伊豆の踊子」です。2001年フランス作出。とにかく元気いっぱいという感じで可愛い。どんどん上に向かって伸びていきますね。このバラは、晴れた空がよく似合う。「伊豆の踊子」という名前がぴったり。

お次は清楚な白いあじさい。

品種名はわかりませんが、白といっても部分的に薄く青みがかっていたり、クリーム色だったり、繊細なグラデーションがあり面白い。

あじさいというと、青もしくは赤というイメージがありますが、白もなかなかインパクトがあるなあと思いました。そう。この白いアジサイは、主張する白、という感じがしました。積極的なんです。ひっそり咲くというより、舞台の中央で静かにほほ笑む大物女優のイメージ。ことさら言動で表現はしないけれど、黙っているだけで周囲がひれ伏す、みたいな。

そして次の画像も変わり種のアジサイ。

これは、宇宙とか星のイメージだなあと思って眺めてました。品種はわかりませんが、一般的なアジサイとはずいぶん違う形ですね。夜に月明かりで眺めてみたい。漆黒の宇宙で映える、花火のような。闇を背景に、華やかなダンスを披露しているような花だと思いました。

最後は、女王様の椅子の写真。

この椅子を見たときに、どこかの国の女王様の椅子みたいだなあ、と思ったんですね。おとぎ話に出てくるどこかの王国の、お庭にあるイメージです。

ちょうど陽が射してきて眩しくて、光がきれいだなあと思って撮りました。この植物園の担当者さん、センスがいいですね。花だけじゃなく、オブジェも光ってます。入園者はどこか遠くの異世界に迷い込んだような気持ちになる。

この植物園、広いので1日歩き回るとくたくたになるんですが、365日いつ訪れても新たな発見があり、同じ景色はありません。心が癒される場所。

そして重要なのは、「ペットの入場が禁止されている」ということ。

園内の芝生のどこでも、安心して座ってくつろげるんです。今やどこの公園も犬のトイレと化している現代、貴重な存在だなと、つくづくそう思います。ありがたいです。

ペットを連れて入りたい、という声がないわけではないし、圧力もあると思います。でも、人間のための園を続けてくださっていることに感謝しています。

園内では、犬のフン尿を見かけることはありません。散歩中の飼い主が、マーキングさせている姿もみません。そのことが、なによりもありがたいです。

初夏のバラ園

いつもの植物園へ出かけて癒されてきました。薔薇は定期的に植え替えられるので、気に入ったバラも数年でいつの間にかなくなったり。寂しいけど、そうやっていつも目新しい品種を入れることで、たくさんの新しい出会いがあったり。

今回お気に入りのバラはこれ。

カインダブルーというんだそうです。2015年ドイツで作出。

青っぽいバラはたいてい樹勢が弱いものですが、このカインダブルーはとても元気。群れて咲き誇る姿は壮観です。晴れた空より、少し曇った空が似合う。

この植物園で年々弱っていった「青龍」という品種は、とうとう撤去されてしまったようで、姿をみることはできませんでした。代わりに、この「カインダブルー」が堂々の入場。

見惚れていて、ちゃんと匂いを嗅ぐのを忘れてしまった。次回は香りも楽しみたい。

写真を撮っているときには匂いにむせるということもなかったので、そんなに強い香りではないと思います。もう1枚どうぞ。

美しいバラ。そして紫だから、少し寂し気。でも誇りをもって咲いてる感じ。

紫のバラといえばガラスの仮面ですけど、このバラは紫織さんのイメージではない。かといってマヤちゃんでもないな。

人間ならば、たおやかで、でも凜とした美人さんです。

次は、白いバラ。こちらも曇り空がよく似合うなあと思って撮りました。白って地味な色ですが、でも個性がある。

明るい太陽の元より、これぐらいの雲の下の方がより、美しく映える気がします。

この品種は「チャイコフスキー」です。フランスで2004年作出。

チャイコフスキーと言えばロシアの作曲家。すぐに思い出すのは「白鳥の湖」。うんうん。この白いバラは、いかにもロシアって感じがする。白鳥の湖がぴったりくる。

バラの品種名って、本当にぴったりくるものが多いなあと思います。それだけ、作り出した人が魂を込めて命名しているのかな。

この白には、雪の清純さと、冷たさを感じます。遠い異国の、静かな白です。

この植物園が大好きで、とうとう年間パスポートを買ってしまいました。園内を散策していると、春夏秋冬癒されます。薔薇も素晴らしいけど、年中いろんな花を楽しむことができて、心が癒されるのを感じます。

植物のパワーってすごいですね。花も。そして山の木も。広い園内を歩いていると、ざわざわしていた心が空っぽになって、優しい気持ちになれるのです。また行こう。

農道に車を駐車して因縁つけられる

犬のフン尿で大変な思いをしている、我が家の畑ですが。今日はそれに加えて、知らないおじさんに因縁をつけられるという、大変不快な思いをしました(^^;

畑の横の草地に車をとめて草刈していると、散歩していた知らないおじさんが声をかけてきたのです。

男「すみません。これはおたくの車ですか?」

私「はい、そうです。」

おじさんは、じろじろ見ながら、通り過ぎようとします。

私「あの、何か?」

男「車止めがあるから、ここは入れちゃいけないんだよね」

たしかにここは農道なんですが、畑作業など、農作業をする人の車は、入っていいことになっています。一般車両の通行は禁止です。道路管理者が車止めを設置しています。ただし、その横をすり抜けて通り抜けるだけの幅はあるので、私はそこを通り抜けて畑の横に駐車したわけです。

うちの畑は、公道には接しておらず、農道にしか道がありません。だから、車は農道に乗り入れるしかありません。農作業用の車は入ってもいいことになっていますから、私もなんのためらいもなく、うちの畑の横の草地にとめました。横に舗装された道路(一般車両の通行禁止。農作業者の車だけOK)がありますが、そこにはとめません。あくまでも畑側の草地です。草地も農道の一部なのですが、舗装されておらず、誰も通りません。通る人は、舗装道路(車一台通れるだけの幅、舗装されている)を通るので、草地には誰も入ってこないのです。

私「農作業の車は入ってもいいことになっているんですよ。一般車はだめですけど」

そう話したら、おじさんが反論してきました。

男「だって車止めがあるじゃないか。車は入っちゃ駄目なんでしょ? そのための車止めでしょ」

私「ですから、関係ない一般車両の通行が禁止されているんです。農作業用の車は、入ってもいいことになっています」

男「でも車止めがあるってことは、入るなってことでしょ」

私「(だめだこりゃ、話が通じない)・・・・」

男「この舗装道路はお宅の土地?」

私「これは農道ですよ」

男「この草のとこは?」

私「ここも農道ですよ」

男「なんでこっちだけ舗装して、こっちだけ舗装してないの?」

私「それは道路管理者に聞かないとわかりません。本当は管理者が草刈するところなんですが、一部しか舗装してくれていないし、私が自分で刈っているんです」

男「知ってるよ。あなたが草刈してるとこ、何度も見てるもん」

私「・・・(うわ、気持ち悪すぎる。誰なんだこの人)」

男「俺のこと知ってるよね。」

私「知らないです。どちらの方でしょうか?」

男「そんなはずない。何度も挨拶したじゃん」

いや、たしかに道で出会った人には挨拶するけど、いちいち覚えてないし。喋ったこともない相手のこと、覚えてるわけないよ。

私「挨拶はみなさんにしているので、どなたかはわかりませんが…○○(ここの地名)にお住まいの方ですか?」

男「この近所に住んでる者だけど」

私「〇〇(ここの地名)ですか?」

男「そう。ここは自転車は通っていいんだよね」

私「いいですよ」

男「バイクは駄目だよね」

私「バイクは駄目です」

男「この舗装道路も、こっち側も、あなたが税金を払ってるわけじゃないでしょ?」

私「払ってないですよ。ここは農道なので」

税金っていうか、たぶん固定資産税のことを言いたかったんだと思いますが、もちろん農道の分までうちが払っているわけもなく。でも、なんでこのおじさんに、そこまで言われなきゃいけないのか、だんだん私も腹が立ってきました。でも我慢、我慢。

私「あのう、気になるようでしたら、道路管理者に問い合わせてみたらいかがですか?」

男「いや、ただ聞いてみただけだから」

そう言いながら、男は全然帰ろうとしません。もう明らかに因縁つけてますね(^^;

私とおじさんの会話が気になったのか、畑の奥で作業中の母が道路まで出てきてくれました。

母「こんにちは。おじさんはどこにお住まい?○○さんの旦那さんかと思った」

私「○○さんの旦那さんじゃないよ。全然違うよ」

というか、こんな因縁付けてくる人、近所ではいないと思うのですが…。皆さん、農道に作業用の車が乗り入れてOKなことは知っています。母は特に長く住んでいますので、ご近所さんの顔を一通り知っています。私もご近所さんのことを知っているつもりですが、こんなおじさんのことは知らないです。というか、この地域に昔から住んでいる人は、農道に車止めがあって一般車両が通行できないことも、作業用の車だけは乗り入れが許されていることも、知っています。

母「私たちは〇〇の横の家ですよ」

男「ああ、○○ね。知ってる」

母「おじさんはどちら?」

男「言えない」

私「何隣保ですか?だいたいでいいので」

男「それ言ったら家分かっちゃうから言えない」

母・私「・・・・」

男「別に、因縁付けてるわけじゃないから。気になっただけだから」

そう言って、男はやっと帰っていったのですが、私は思わず小声でつぶやいてしまいました。

因縁以外の何物でもないよ、と

母が出てきてくれなかったら、まだまだゴネて、車止めが~と、イチャモンつけて帰らなかったでしょうね。たぶんこちらが女性で、しかも一人で作業中だったので、甘く見たんでしょう。奥からもう一人母が出てきて、しかも近所の話をしたので形勢不利で、退散した形です。

もう、本当に気分が悪く、家に帰ってからさっそく道路管理者に電話して確認しました。やはり、農作業用の車なら、乗り入れOKとのこと。というか、そもそもうちは農道にしか接していないので、車は農道に乗り入れるしかないんですけどね。道路管理者がOKと言ってる以上、おじさんに文句を言われる筋合いはありません。

しかも舗装道路は完全にあけて、邪魔な駐車をしているわけでもありません。草刈をしている作業中の車に因縁つけるって、おかしいです。因縁つけてるわけじゃないって、自分でいきなり言い訳始めてたけど、因縁以外の何物でもなく。

私は普段は、畑に行くときは自転車や徒歩です。今日たまたま車で草刈に出かけて、草地にとめ(それも舗装道路にはまったく影響ない場所です)、草刈作業中に、信じられない言いがかりでした。

後から思い返してみると、おじさんはサングラスをかけていて、たしかに過去に何度か、サングラスをかけたおじさんとすれ違って「こんにちは」と挨拶をした記憶がありますが、毎日ならともかく、たまにすれ違うだけのおじさんのことを覚えているわけもなく(もちろん喋ったことなど一度もなく、挨拶のみ)、俺のこと知ってるよね、と食い下がられたのも非常に気持ちが悪く。

知らないって言ってるのに、そんなはずはない、とまで言われて、気持ち悪さは倍増です。

以前に、犬のフンで「俺の犬は高齢でもう長くないから、いいじゃないか。死ぬまでここでフンをさせろ」みたいなことを言ってきた、頭のおかしい飼い主も高齢のおじいさんでしたけど。今度も高齢の、(犬の時よりは若いけど)おじさん。もうこの年齢の人に対して偏見を持ってしまいそうです。たった2人とはいえ、ここまで変なことを言ってくる人、なかなかいないですよ。

嫌な気持ちはなかなか切り替わらず、今後を考えると、またあのおじさんに再会するのかと思っただけで、ゾッとしてしまう。

道路管理者の土地改良区の職員さんは、電話で「もしまた相手が納得しないようであれば、土地改良区の理事長に問い合わせるよう伝えてください」と言ってくださったので、今後はそうするつもりですが。でも、言いがかりをつけられるだけでも、気分のいいものではないです。それに、今日のように、なかなか帰らないのも困るし。

ああいう人って、気に入らない、納得できないなら、自分で道路管理者に問い合わせればいいだけなのに、なんで言いがかりつけてくるんでしょうね(^^;というか、そもそもおじさんには、なんの関係もない話。車で道路が塞がれて通れないわけでもないですし。

車止めがあるから、車が入れないはずだ、との言いがかり。なんだか、日本の農業って、こういうクレーマー対策もしなくちゃならないんですね。農道に農作業用の車が入ることの、何が悪いんだろう。

気になって調べてみたら、車止めがない農道(つまり誰でも通行可)での、一般車と農作業者とのトラブルって、けっこうあるんですね。今回、私の場合は、車止めがある農道でイチャモンつけられたので、多少違ったケースではあるのですが。

でも、農道って、農作業者の車が優先というのは、常識だと思いますけどね。何のための農道?かというのを考えたら、当然だと思います。

ああ、犬のフンに加え、またああいう変な人がうろついてイチャモンつけてくるのかと思うと、畑に出かけるのが憂鬱になってしまいます。かといって、放置すればよくない。所有する土地は、こまめに見回らないと、犬のフン尿やゴミを捨てられたり、不法侵入があったりと、不審者のやりたい放題になってしまいますから。

土地は、こまめに見回ることが大事だと、最近特にそう感じています。放棄地は甘く見られ、荒らされてしまうのです。