No.1黄門さま

 ドラマ『水戸黄門』が、ついに今放送中の43部で終了するそうです。時代劇の代表格だったドラマがなくなるというのは、寂しいですね。
 といいつつ、私は最近のは見てませんでしたが・・・。

 だって、里見浩太朗さんが黄門さまだなんて、イメージが違~う(^^;
 里見さんといえば、私の中では、助さんです。情にもろくて、旅先でときどきは現地の娘さんと恋におちて、でも旅してる最中なのでいっとき心の交流があっただけでお別れ、的な。

 そんなイメージがあるものですから、里見さんが黄門さまと言われても、受け入れがたかったです。

 実は、ここ最近ちょうど『水戸黄門』について考えていたところでした。それは私が以前ブログで、クラーク・ゲーブルがレットバトラーを演じるのを、力強さでは満点だけど、野卑な印象がある、と書いたことに始まるのですが。
 ああ、野卑っていう言葉だとちょっと違うかもしれませんが。乱暴?といったらいいのかなあ。
 私はその文章を書いたとき、二人の黄門さまを思い浮かべていたのです。

 それは、東野英治郎さんと、西村晃さん。

 このお二人は、それぞれはっきりした個性を持った役者さんであったと思います。そしてそれぞれの黄門さま像がとても、面白かったのです。

 こんなことを思ってるのは私だけかもしれませんが、『水戸黄門』における東野英治郎さんと『風と共に去りぬ』のクラーク・ゲーブル、どこか似てると。
 役柄に対して、エネルギッシュで破天荒で。野卑というと怒られちゃうかもしれませんが、なんというか、とりつくろわない情熱、喜怒哀楽の素直さみたいなものを感じるのです。

 私、ずっと東野英治郎さんの黄門さまが一番、黄門さまらしいと思ってたんですが。西村晃さんの黄門さまを見たときに、おお、なんと上品な・・・と感動しまして。
 対比したからこそわかる違い、ですね。
 たぶん、東野さん、西村さん、それぞれの黄門さましか見なかったら、比べることもないし、そんな違いを感じることもなかったと思うんですが。西村黄門さまをみたときのあの、上品な感じ。

 助さんや格さんを叱る声にも威厳があって、ただ怒ってるというのじゃなくて、まさに、叱る、という感じでして。

 自然に敬服してしまうような、品を感じたんですよね。

 対して東野黄門さまの魅力はというと、頑固じじいっぷりです(^^) もう、子供みたいというか、助さん格さんもあきれちゃうよっていうくらい、わがままなところがあったなあと。感情が昂ればガンガン怒るし。
 でも、そういうところが逆に、可愛らしいというか魅力的でした。人間らしいってことですかね。決して聖人君子ではなく、前の副将軍という高い身分ではあるけれど、お茶目でどこか、そのへんで将棋でも指していそうなおじいちゃん的な親しみやすさ。

 かっとなると、助さん格さんの心配をよそに、プンプン怒りながら一人で勝手に行動する姿も、さまになってました。

 一方、西村黄門さまは、子供っぽいというよりはダンディなイメージ。頑固さはあれど、大人の理性にコントロールされた枠内でのそれ、みたいな。

 そういえば、以前、芸人さんだったかなあ。西村晃さんのエピソードを話していたのを聞いたことがあります。
 その方がまだ売れない時代に、生活のため個人の家を回って物を売る営業の仕事をしていたんだそうです。それで、すごく立派な門構えの家に「無理っぽいな」と思いつつ恐る恐る入ってみると、出てきたのは男性で。

 とても丁寧に、「今、家のものがいないから私ではちょっと・・・」といって断ったそうですが、優しかったと。
 

 何軒も、けんもほろろに冷たく断られ続けたあげくだったので、その対応が印象に残ったみたいですが、後にその家が西村さんのお宅で、対応に出てきた男性が西村晃さん本人だったとわかったそうです。

 私、この話を聞いていかにも西村さんらしいな~と思ったんですよね。

 嫌そうな顔したりせずに、穏やかに話されたんだろうなあと思って。
 確かに自宅に訪ねてくるセールスってうるさいですけど、でもそういう相手にだって、西村さんは邪険にしないで、きちんと話されるんだろうなあと。その品格が、素敵ですね。

 私の中のNo.1黄門さまは、西村晃さんです。そして僅差でNo.2が、東野英治郎さんになります。

ドラマ『流れ星』最終回の感想

 ドラマ『流れ星』最終回の感想を書きます。

 ネタバレしていますので、未見の方はご注意ください。

 いいなあと思ったのは1シーンだけ。

 それは、青白い光の水槽越しに健吾役の竹野内豊さんが梨沙をみつけ、まばたきも惜しむかのように、じっと彼女を目で追う場面でした。

 これはよかったなあ。インパクトありました。

 

 このドラマ、という設定なしで。

 なにか他の設定のもとで、この一場面を見てみたかったと思いました。

 たとえばこれは、一目ぼれのシチュエーションだったら、ぴったりくるのに、なんて。

 

 一度も会ったことがないのに。

 その人を見た瞬間に、不思議な感情がわきあがったときのような。

 驚きながらも、その人から目を逸らすことができず。

 ただ、目で追っているという。

 幻ではないか。

 次の瞬間、夢から覚めるのではないか。

 そう恐れながらも、目の前の存在に魅了され、絡めとられていくというシチュエーション。

 そうです。

 私には、ドラマの設定とはそぐわない場面のように思えたのです。

 一応、ドラマ上は、健吾はやっと梨沙に会えたわけで。 

 当然彼の表情には、願い続けた人に会えた爆発的な喜びが、じわじわとあふれてくるものだとは思うのですが。

 私はそれをあまり感じなくて。

 むしろ、困惑?みたいなもの。

 どうしようもなく、心が動く。目の前の人に魅了される。

 見知った人をみたというよりも、初めて見る人から目を離せない、的な。

 この映像から始まる物語を、想像しました。

 なにか面白いストーリーが、できあがりそうです。

 この一場面は映像として、心を揺さぶるものがありました。

 竹野内さんは、魅力的な表情をもつ俳優さんですね。

 結局、ドラマとしては、正直あんまり、好きにはなれませんでした。

 

 健吾と梨沙。再会して一緒になって、うまくいくとは思えない。

 梨沙が、偶然に健吾を見かけるほど近い距離で、暮らし続けることにも違和感を覚えたし。

 本当に別離を決めたら、遠くにいくはず。

 絶対に再会などしようもないほど、遠くへ。

 健吾が、探せないほどずっと遠くへ。

 それができない未練を、私は可愛いとは思わなかったんですよね。

 梨沙の、「私をみつけて。迎えにきて」という声に出せない願いを、あざといと思ってしまいました。

 そして健吾。

 梨沙への愛情を、感じないのは私だけ?(^^;

 本当に、彼女を好きだという気持ちは感じなかったんですよね。

 たしかに、気になる。気にはしてる。

 折にふれ、思い出すでしょう。

 一緒に暮らした日々や、梨沙の優しさや、言葉や、笑顔や、あれこれを。

 でも、それって恋愛感情なのかなあ。

 深く関わった相手、という意味で。

 健吾は梨沙の行方を気にしたし、元気でいてくれることを願っていたとは思うけど。

 それ以上になにか、あったかなあと。

 本当に好きになった相手だったら。

 健吾はまた、違う行動をとったんじゃないかと思います。

 そうじゃないから。梨沙だからこそ。

 ああいう、最終回の終わり方だったのかなあって。

 クラゲ、飼いたくなりました。

 見ていると無心になれそうで、いいですね。

 不思議な生き物。半透明で、まるで意志なんて持っていないように見えるけど。

 最終回の1シーンだけが、妙に心に残るドラマでした。

ドラマ『流れ星』感想

 毎週月曜日に放送しているドラマ『流れ星』の感想を書きます。ネタバレしているので、未見の方はご注意ください。

 ふたご座流星群を見ていたら、『流れ星』のことを書きたくなりました。

 このドラマ、私はそんなに熱心に見ているわけではなく、初回の放送は見逃してしまっています。来週は最終回ですが、今週も冒頭の10分は見逃しました(^^;

 なぜって、主人公の健吾(竹野内豊)に共感できないから・・というのが、一番大きいかな。竹野内さんは好きだけど、健吾のキャラはちょっと。

 健吾の妹のマリア(北乃きい)ちゃんが重い肝臓病で、彼はその肝臓移植のドナーになってもらうために、梨沙(上戸彩)と契約結婚をするんです。肝臓をもらうために。

 梨沙には両親がなく、たった一人の身内の兄、修一(稲垣吾郎)は、妹に借金を押し付けるようなロクデナシ。一生この兄貴にたかられ続けるのかと人生に絶望した梨沙が、自殺をはかったところを助けたのが、健吾です。

 死ぬくらいなら、肝臓をくれ、というのは、わかるといえばわかる論理で、それでもやっぱりヒドイ、と思ってしまう。

 健吾は37歳。梨沙は26歳。

 肝臓移植のドナーになることの意味を、危険性を、きっと梨沙は本当にはわかっていないと思うのです。でも少なくとも健吾は、わかってるよね。梨沙より11歳年上っていうことは、そういうことだと思う。

 その場限り、ということではなく。それは、リスクは一生ものだと思う。決して、安易に引き受けられるような、簡単な手術ではないはず。

 自殺未遂をするほどの精神不安定な若い女子、しかも、保護する身内のいない人間に、契約でドナーを持ちかけるというのは、どうも私には納得いかないというか、モヤモヤするものがあって。

 健吾は妹を大切に思い、愛しているんだろうけど。

 梨沙だって、大事な一人の人間なわけで。そこのところを、健吾はあえて見ないふりしてるんでしょうね。

 健吾は、もしマリアが梨沙の立場だったら、ドナーになることに賛成するだろうか?と。

 

 まあいろいろありつつも、結局手術は行われ。そして梨沙は、健吾や、健吾の母、そしてマリアと擬似家族としての、つかの間の時を過ごし。

 家庭の温かさに飢えた梨沙が、岡田家の家族になることに喜びを感じてしまうところが、すごくせつないです。

 どうしても、肝臓がちらついてしまう。

 ドナーになったから、健吾の母は梨沙に優しい。

 ドナーになったから、健吾は梨沙に優しい。

 つきつめてしまえば、そういうことかなあって、傍から見ていてそう思うから。

 梨沙はきっと、自分が手術を受けることで岡田家の一員になれたことが、嬉しかったんでしょうね。それがわかるだけに、見ていて可哀想というか、せつなくて。健吾に恋していく様子も、それも無理ないよなあとわかるだけに、なんともいえない気持ちになります。

 健吾はマリアに対して優しい兄なんですよね。梨沙の兄とは全然違って。それで、マリアに対しても、優しいわけですよ。マリアが風俗嬢だと知っていても、それに対して嫌悪感とか表さないし。素のマリアを、そのまま受けとめてくれるわけで。それでもって、マリアをあの、ヒドイ兄貴からかばってくれようとさえする。

 天涯孤独のようなもので。ひとりぼっちをずっと生きてきた梨沙が、健吾に惚れてしまうのも無理はないというか。健吾に惚れてしまった梨沙にしてみたら、もうドナーになることはお金の問題ではなく。本当に、本心からの提供だったと思います。そうすることで、岡田家の一員になれる、という。そういう気持ちは深層心理にはきっと、あったと思う。

 最初は、契約で。お金の取引だったわけですが。

 300万。成功報酬でプラスアルファ。

 この金額にしても、37歳の健吾にとっての300万と、26歳の梨沙にとっての300万は、ずいぶん価値が違うでしょうね・・・・。

 26歳の梨沙にとっては大金。手術のリスクなど霞んでしまうほどの法外なお金。たやすく手には入らないもの。

 でも健吾には? そのお金で、契約結婚・・・・。うーん。やっぱり健吾、ひどいと思う・・・。お金が高ければいいって話でもないですが。

 ドラマ見てるとね。梨沙は本当に、健吾が好きだなあって思うんですよ。どんなに蓮っ葉な言い方をしても、好きだって気持ちが画面を通して伝わってくる。好きで好きで、でも自分なんかは健吾にふさわしくないって、そういう自制のジレンマも痛いほどに、伝わってくるわけですよ。

 対する健吾は。私には、梨沙に惹かれてるようには思えないんですよね。手術を受けてくれた感謝、その勇気に対する尊敬、それから、修一という兄貴を持ったこれまでの人生への同情、そういうものが混ざり合っているようにしか、思えない。

 好きかもしれないけど、それって恋愛じゃないよねっていう。

 梨沙に対して、「いい子だな~」という思いはあると思うけど、じゃあそれが、恋人としてとか、夫婦としての愛情かと問われたら、それはどうかなあと。

 来週は最終回です。

 今週のクライマックス。それは梨沙のこんな言葉だったと思います。

>私、どこに帰ればいいの。

>また1人にするのかよ。

 これ、どんなシチュエーションかと言いますと。梨沙の兄貴が、ドナーのことを臓器売買だとしてマスコミに密告しまして。契約結婚のことがばれたら梨沙までもが罪に問われると危惧した(と思います)健吾は、新聞記者に「契約結婚ではない。自分が梨沙を騙して結婚し、肝臓をもらったのだ」と言っちゃったわけですよ。

 一人で悪者になればいい、と思ったのかもしれませんが、これは最悪の選択だったと思います。

 すでに健吾に恋している梨沙。すでに手術を終えてしまっている梨沙。これがまだ、手術前であったならともかく、手術が終わった今、健吾が「俺が騙したんだ」なんて世間に向かって訴えるなんて、梨沙はどんな気持ちになることか。

 梨沙は悲しいと思う。堂々と、世間に向かって、「僕たちは愛し合っている夫婦なんです」って言ってほしかったと思う。本当は愛されてないこと、梨沙はわかってると思うけど、それでも、今の梨沙にはどんなにか、それが嬉しい言葉だったろうって思う。

 手術が終わってしまった今、健吾が梨沙にしてやれることはそれくらいしかなかったのに、どうして・・・。

 優しさのつもりだったかもしれないけど、それは違~う、と強く思いました。

>私、どこに帰ればいいの?

 あー、ほんとに、その通りだよねえ、と思ってしまう。守れないなら、梨沙が家を出て一人で暮らすといったときに、引き止めなければよかったのに。最初は寂しくても、つらくても、いつか傷は癒えたし、健吾のことを忘れたかもしれないのに。

 気持ちを揺さぶるかのように、引きとめて。そしたら梨沙だって、期待しちゃうよね。残酷すぎ。

 なんのかんの言いつつ、これだけ書くということは、このドラマにはまっているということなのでしょう。

 最終回、どんな結末になるのか、しっかり見届けたいと思います。

ドラマ『青い鳥』感想

 昔のドラマ、『青い鳥』を久々に見ました。

 以下、感想を書いていますがネタバレしていますので、未見の方はご注意ください。

 本放送は1997年の10月とのことなので、もう13年も前のドラマなんですよね。

 私は当時、あまり熱心に見ていなかったんですが、今回久しぶりに見て感動です。

 こんなに綺麗な絵のドラマだったんだーと。

 昔見ていたときに、一番印象深かったのはやはり、理森(よしもり)の目の前で、かほりが

崖から飛び降りてしまうシーンでして。

 衝撃でした。

 主人公の1人が、こんなにも簡単に、あっけなく死んでしまうなんて。

 それに、理解もできなかった。

 守るべき子供だっているのに。

 理森が、「大丈夫だよ。俺が守るから」って言ってくれたのに。

 その理森の目の前で飛び降りるなんて、どうしてそんなひどいことができるのかと。

 当時の私は、かほりに腹を立てたものです。

 

 でも、今あらためてドラマを見ると、当時とは違う感想を抱きました。

 かほりの判断を、いちがいには責められないかも・・・と。

 かほりを演じた、夏川結衣さん。本当にとっても綺麗で、そりゃあ理森が

一目ぼれするのもわかるって感じの美しさで、それでもって、全身から寂しさがあふれ出ている。

 それは、理森も一緒だったのかなあと思います。

 だから惹かれあったんでしょうね。同じ寂しさを抱えたもの同士にしかわからないような何かを、

お互いの中に見ていたような。

 かほりは。

 がんばってきたんだろうなあと思いました。かほりなりに。

 若くして結婚し、子供を生んで離婚して。水商売で苦労しているときに

佐野史郎さん演じる広務に拾われて結婚し・・・。

 救ってくれたことには感謝してる。でも、愛があって結婚したわけじゃなかった、という気持ち、

わかるような気がします・・・。

 

 広務は広務なりに、かほりを愛していたのかもしれませんが。

 でも、本当にかほりを理解していたかというと、疑問が残るのです。

 美貌の妻、自慢の妻が欲しかった、というのが結婚の理由では?と思ってしまう。

 自分の横に立って、人から賞賛される妻であれば、別にかほりじゃなくても

よかったんじゃないかなあという気がしました。

 広務が理森とかほりに対して激高するのは、自分のプライドが傷ついたからで。

 

 あのとき、崖の上でとっさにかほりが何を考えたか。

 もしあのまま、飛び降りることなく理森に抱きしめられたままでいたら。

 手斧を持って激怒している広務は、きっと2人を傷つけたでしょう。

 3人で揉みあいになれば、誰かが足を滑らせ、崖から落ちたかもしれません。

 そうなれば、詩織は?

 母親も、慕っていた理森も、義父の広務も、それぞれが被害者、加害者になり

警察沙汰になるばかりか、死んだり後遺症の残るほどの傷を負ったりして、

詩織の保護者は誰もいなくなってしまうかもしれません。

 自分さえいなくなれば、と、とっさに考えたんだと思います。

それと同時に、もう疲れてしまったんだと。

 理森と出会って、幸せを知ってしまったから。

 いっそ知らなければ、そういう幸せを求めないでいられたのに。

 理森と詩織と、3人で過ごす幸せを知ってしまったから、それを失うことに絶望もし、

そしてそうした幸せがあまりにもあっけなく崩れてしまうことに、疲れてしまったのかもしれません。

 どこまで歩いても、青い鳥はいない・・・・。

 ドラマのタイトルに絡めるなら、そんな気持ちだったのでしょう。

 「ありがとう」と言って、目の前で消えていったかほりを。

 ただ、呆然と見ているだけの理森。

 その表情が印象的でした。

 

 このドラマ、理森はかほりを殺したとして服役し、出所後に、結果的には

詩織と結ばれるわけですが。

 それって、倫理的にどうなの?という気持ちがないわけではないですが、でもでも。

 結局は、理森が好きだったのは。本当に心底惚れていたのは、やっぱりかほりのような

気持ちがするんですよね~。

 それはやっぱり、理森の、かほりを見る目が。

 完璧、恋に落ちちゃってたから。豊川悦司さん、演技うまいです。

 寡黙だからこそ、目で語ってましたね。

 決して、でしゃばらない。だけど、遠くから見てる。見ずにはいられない。

それくらい、好きになっちゃったからっていう。

 かほりの涙を、指でそっとぬぐってあげるシーンが好きでした。

 優しいなあって。

 すごく抑えてるんですよね。情熱も、想いも。

 ただ流れにまかせて。

 愛しい人を見ている、そういうところがいいなあと思いました。

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ドラマ『WITH LOVE』感想 その2

ドラマ『WITH LOVE』感想 その2です。
思いきりネタバレしていますので、未見の方はご注意ください。
感想その1はこちらです。

私が『with love』で忘れられないシーンて、長谷川天が川辺で佳織にキスする場面だったりする。

キスした後に、天が佳織をじーっとみつめるんだけど、その、心の奥まで見通すような目が、とても印象的で。

佳織は、寂しい目をするんだよね。
好きな相手に、心のこもったキスをしてもらったんだけど、その思いやりがわかるだけに傷ついた目をするんだ。
ああ、そうなのねって。私のことを大事に思ってくれているけど、それは恋じゃないんだねって。
どんな言葉より、それを深く理解してしまった目をするんだ。

対する天は。
純粋に、問いかけるような目だったり。
望んでいたものはこれだろ? これで満足?みたいな。
皮肉じゃなくてね、本当に天は、佳織のことを思って、自分にできる精一杯のことをしたって感じなんだよね。
それで、佳織の反応をみてる。
でもそれは、好きな相手にみせる表情じゃ、ないんだよなあ。

同時に、訝しげな表情でもある。
佳織のためにしたキスなのに、佳織はちっとも嬉しくなさそうだし、むしろ泣きそうなんだもの。
どういうこと? 何で? 天は佳織の反応が理解できなくて、戸惑う。

そして、もう一つ忘れがたい場面が。

それは吉田さんの台詞。
「雨音さんと一緒にいるのはつらいです。雨音さんもつらいでしょ?」

吉田さんのそれまでの行為は、見ている私には理解できず不気味に思えることばかりだったけど、
初めて吉田さんに共感してしまった。
ああ、すっごい常識的なこと言ってるよ、という。

自分のことを全然好きになってくれない相手。
しかも、他の誰かをずっと心に秘めていて、その誰かは自分の知ってる相手で。
この状況下で、「でも、結婚したもの勝ちだもんねー、へへっ」と
勝ち誇っていられるのはよほど、能天気というか幸せな人なのだと思います。

吉田さんの発した言葉に相当する状況って、意外にありがちなものなのかもしれない。

一方がすごく無理をしていて。そういうときって、たいていその相手も
つらい思いをしていたりする。なのに二人は、
それぞれに「がんばらなきゃ」って妙な使命感に燃えたりして。
でも、一緒にいても、先のない相手なら。
早く別れたほうがお互いのためなんだよね。

割れて、ボロボロ破片の落ちる花瓶を、二人して拾ってる感じ。
いくら拾ったってきりがないのに。苦しくて、苦しくて、それでも
その花瓶がきれいだった時のことを、忘れられなくて。

一緒に居て苦しくなったら、もう終わりなんだと思う。
吉田さん、最後だけは、常識人です(^^;

途中の行為は、目に余りましたけど。
病気で弱ってる雨音の部屋に上がりこむわ、勝手にPC立ち上げてメール見るわ、hataさんに成りすますわ。
そりゃーやっちゃいかんだろうってこと、てんこもりでした。
そうまでして雨音に執着したので、よほど最後はドロドロになるのかと思いきや、
意外とあっさり、天に譲ったのね・・・。

うーん、でもでも。

私は以前にも書いたように、どうも天の、雨音に対する愛情には疑問を持っていて。
画面から伝わってくるものには、困惑というか、違和感がぬぐえなくて。

これは演出なのか、それとも演じてる竹野内さんの素が出ちゃってるのか。
本人に聞いてみたい気分です。
ぶっちゃけ、竹野内さんは雨音を好きでしたか?って。
きっと、好きじゃなかったんだろうなあ、たぶん。と
私は勝手にそう思っております。

雨音と相対したときにね。どうしても、あれ、なんかちょっと違う・・かも。
みたいなものを感じてしまうのですよ。
天が感じた違和感のようなものを、見ている私も共有してしまうような。
天は天なりに、てるてる坊主さんに対するイメージをふくらませていたと思うのですが。
きっとそれは・・・雨音とは違うタイプの女性だったのではないかと。

そんなことを思ったりしました。