2015年を振り返る

 2015年も、あと数時間となりました。今年を振り返ってみたいと思います。
 とにかくのんびり過ごした年でした(^^)
 そして、自分を大切に、自分の気持ちに素直に生きた年でもありました。自分に優しく過ごすと、なんだか他の人にも優しくなれたような気がします。
 旅行にも行きました。まず6月に、電車とバスを乗り継いで、一人で分杭峠に行ってきました。ここはゼロ磁場と呼ばれる、知る人ぞ知るパワースポット。どんな神秘体験ができるんだろうと、かなりワクワクしながらの3泊4日の旅。
 初日は伊那市内のビジネスホテル泊。ゼロ磁場自体は、そんなに体感できるほどの特別な何か、はありませんでしたが、普通に山の空気がおいしかったです(^^)
 本当に、なんにもない山の中にあるので、空気が澄んでいて水汲み場の水もおいしかった。水場から、林道沿いに少し歩いてみると、土砂が崩れて道がふさがっていました。それ以上行くのも怖いので、その手前あたりの木陰で少し涼んだりして、のんびり。
 斜面になった、ここが本当の気場(パワースポット)ですよと案内されている場所よりも、私にはその場所(水汲み場から少し歩いた林道)が気持ちよかったです。気場とされている場所は、斜面で座れるようになっているのですが、座っているとハエがたくさん寄ってきて、思い出すとそのイメージしかありません(^^;
 帰りには、シャトルバスの駐車場にあるお土産屋さんで、ゼロ磁場の水を買いました。500ミリリットルを3本。重かったけど、これが最高のお土産になりました。
 そして、その夜は諏訪大社の下社秋宮境内にある、山王閣にて泊。建物は古くて趣があり、立地も雰囲気もよく、リラックスして過ごせました。温泉に入って、ぽかぽかです。
 翌日は、諏訪湖見学へ。
 初めてみる諏訪湖は、大きかった。湖畔の宿にて一泊。しかしここで、予約した部屋にトイレがないことが判明し、がっくり。お値段もそこそこだったので、まさかトイレがないとは思わず。部屋に浴室はいらないけど、トイレは欲しかったな。でも温泉は源泉かけ流しなので、そこは満足でした。
 翌日、どうしても諏訪大社の上社前宮へ行ってみたく、時間的に無理なのを、走ってカバーするという荒業でのりきりました。所用で、どうしてもその日の内に帰宅せねばならず、本来なら直帰する予定でしたが。
 どうしても、前宮に行ってみたかったのです。でも、行ってよかった。素敵な場所でした。
 まず宿の朝食が7時だったのですが、これを10分で食べ終えるというところから始まり。上諏訪駅へダッシュ。電車に乗り、茅野駅下車。そこからひたすら走って、前宮へ。道がわかりにくかったですが、走り続けてなんとか到着。
 この諏訪大社前宮は、最初の鳥居をくぐった辺りの、大木のパワーが凄かったです。走って息をきらして、へとへとになってたどり着いたのが、一気にエネルギーチャージ。私は御本殿よりも、大木にパワーを感じました。汗びっしょりになったけど、行った甲斐がありました。
 そして、9月には伊勢神宮へも出かけました。伊勢には15年くらい前にも一度行ったことがありますが、ずいぶん変わったなと感じました。おかげ横丁が新しくなり、活気にあふれています。式年遷宮が終わった後だからすいているかと思ったのですが、平日にも関わらず大賑わいでした。外国の方も多かったような。
 日頃の感謝の気持ちを、神様にお伝えしてきました。
 伊勢神宮で買ったお土産は、お神酒。参集殿で購入できます。白い陶器に入っていて、すごくいい感じのお酒です。神棚や、神徒壇にお供えするお酒にはぴったりだと思います。
 その日、伊勢神宮の上空には雲がかかっていたのですが、風に吹かれて次々と形が変わり、それがまるで神様のお使いのようにも感じました。日本の神様の総本部ともいうべき、神聖な場所。きっと、日本全国からたくさんの神様や、神様のお使いがいらっしゃるんだろうなと。参拝前、五十鈴川の流れに手を浸し、清めながら空を見て、心癒されました。
 伊勢神宮へは、五十鈴川駅から歩いていったのですが、その途中にある月讀宮(つきよみのみや)にも参拝しました。ここは、4つ整然と並んだ社殿にも心打たれますが、そこに至る参道がまた圧巻なのです。深い森の中。すぐそばには大きな道路もありますが、一歩足を踏み入れると、そこは別世界。この世なのか、あの世なのか、不思議な感慨にとらわれるような空間です。
 そして9月には、高田馬場の預言カフェにも行きました。3月にも行ったばかりなのに。
 だって、当たるんだもの(^^)
 いや、預言なので、当たるとか当たらないとかは言ってはいけないのですが、ここで頂く言葉にはドキリとさせられることが多くて。
 おいしいコーヒーをいただけるのも嬉しいところ。9月の預言で驚いたのは、神様が、私と一緒に声を合わせて歌っている、という言葉でした。
 実はその日、私の頭の中では、ある曲がずーっと流れてまして。もちろん、口に出して歌うことは全くなかったのですが、とにかくその日はずっと、その曲がリピートされていた。そこを指摘されてびっくりです。
 預言カフェはやっぱり好き。いつも楽しい言葉、励ましの言葉をくれて。しかも、預言の言葉には、心当たりがあることが多い。それは、万人に当てはまるのではなく、個人にしか当てはまらない言葉なのです。
 そうそう、今年は豆乳ヨーグルトを始めた年でもありました。
 最近、流行ってますよね。私も毎日食べてるのですが、おいしいし作るのが楽しい!
 作り方もいろいろあるようですが、私がやっているのは超簡単です。庭でなったトマトやビワ、ヨモギ、などなどなんでもいいので、皮もむかず洗わないで(乳酸菌が流れてしまうから)お椀の中に少し入れる。そこに無調整の豆乳を入れる。あとは1日半くらい待つ。これだけ。
 最初は何回か失敗しました。色が変わったり、匂いが悪ければ失敗です。成功すれば、ヨーグルトの香りです。
 こんな簡単なことで、本当に固まるのかと最初は半信半疑でしたが、いざコツをつかむと成功率がぐっと上がります。あんまり時間をかけすぎると駄目ですね、腐ってしまうので。
 身の回りのものに、あまねく乳酸菌が存在しているのだなあと。
 そして一度ヨーグルトづくりに成功すると、あとはもっと簡単になります。出来上がったヨーグルトからスプーン一杯分、もしくは乳清(上にたまった水状のもの)を一杯分すくいとり、また次の種とする。まあこの量も、適当です。種と豆乳の比率で、出来上がりの時間も変わってきます。
 2世代目、3世代目は、最初に作った時より、出来上がりまでの時間が早いような気がします。気温にもよりますが、12時間あれば十分、固まることが多い。
 そして、成功させるコツは、あまり時間を置きすぎないこと。しっかり固めようとして2日以上置くと、雑菌がわいて腐ることが多いような・・・。
 表面にひび割れができるほど放置するのは、やりすぎ。器を傾けて、こぼれない固体になっていれば、それでOKだと思います。
 できあがるまでは、器にラップをふわっとはっておきましょう。ほこりが入らないように。
 乳酸菌は温かいと活動が活発になるので、居間などに置いておくといいと思います。私はいつも、ラップをかけて、テレビの横の棚に器を置いてます。2世代目以降の乳酸菌なら、朝作れば晩にはもう、新しいヨーグルトができあがってます。
 ヨーグルトメーカーなどの機械も使わず、こんなにお手軽にヨーグルト、それも牛乳でなく豆乳のヨーグルトができるなんて、思ってもみませんでした。
 いろいろ書きましたが、もし試したいという方は、なにぶん食べ物ですので、雑菌に気を付けて、匂いや色など、出来上がりを十分チェックしてから食べてみてください。
 主な注意点は3つです。
 1.時間をかけすぎないこと(時間をかけすぎると、たいてい腐る)
 2.豆乳は無調整のものを使う
 3.食べる前には、必ず匂いや色、味をチェックして安全を確認
 私は牛乳のヨーグルトより、豆乳で作ったヨーグルトの方が好きです。やはり日本人は昔から豆と共に生きてきたから、体もそうなっているのかな、なんて考えたりします。
 さて、それでは次に、2015年にやろうと思っていたけど、できなかったことの話。
 それは、出雲大社へのお参りでした。出雲大社と、それから厳島神社に行きたいと思っていたのですが、行こうと思うといきなり急用ができたり、乗ろうと思った日のサンライズ出雲が満席だったりして、なかなかチャンスがなく。気が付けば年末。
 12月29日に、地元の大好きな神社でおみくじを引いたら、旅行はこの方角を避けるべしと書いてあり、それが、まさに我が家からみた出雲の方角でした。ということは、今年は行かなくてよかったということなのか。
 2015年は、念願だった資格もとれたし、穏やかでよい年でした。今年も一年、ありがとうございました。

波打つ緑の水面

 まるで海のような、一面に広がる緑の光景を見たことがある。風に揺られて、水面は幾重にも、果てない繰り返しを描いていた。風に運ばれて、さざ波はどこまでも広がっていく。
 五月の田園風景である。伸び始めた稲の、柔らかさとエネルギー。まだまだ、どこまでも伸びていくんだという若さと、希望に満ちた風景。
 見渡す限り、緑の海。その海を、風が渡っていく。辺りには誰一人いなくて。私はその景色をとても美しいと感じ、見とれていた。その海の中、たんぼ道を歩いていた。その日のことを、今もよく覚えている。
 それから時が流れ。私は同じような風景のことを描いた人の文章に、触れた。それが始まりだ。
 読んだとき、私の目の前に現れたのは黄金の稲だった。五月の緑ではなく、九月の実りの秋。豊穣の季節。夕暮れ? セピア色? そして黄金の、懐かしい風景。
 胸を刺す悲しみと寂しさを、圧倒的な力で押し流した、見渡す限りの稲。風に揺れている。
 その人は、抽象的な言葉で書いていたから。それを、緑の若葉ととらえるか、金の稲穂ととらえるか、読み手によって解釈は分かれるだろうけど。私はそれを、まぶしい黄金の光だと感じた。実った重たげな穂が、風に揺れている。そこに、夕暮れの光が、重なっている。
 私も、同じような風景を、見たことがあるんですよ。
 私が見たのは五月、眩しい緑の田園風景でしたが、と。
 実際、その人に話しかけたい衝動にかられた。
 実際に会って、聞いてみたいと思った。あなたが見たのは、どんな色でしたか? それは秋ではありませんでしたか?
 偶然手にした冊子の、短い文章。それから、その人の書く他の文章も手に入れ、夢中になって読んだ。
 綺麗な言葉。綺麗な風景。その人の目に映るものは、どれも美しくて、書かれた言葉を通して、私はその人の見たものを追体験した。
 その人は切れ切れに、いくつもの過去を浮かび上がらせた。
 覗き込んだ相手の目の中に、宇宙を見たこと。白いドレス。夜明けの空。ぎゅっと握った手の力強さ。
 オレンジに染まったアパートの中。テレビから流れたニュース。
 その時間にしか見られない月のこと。何を意味するのかは、わかっている。
 
 川を眺めた日に起こった出来事。なにが起きたのかは、知っている。だって私にも、同じような日はあったから。
 たくさんの文章に酔いしれて、けれど実際に話す機会などなくて。
 いつか偶然に会う日がもしもあるのなら、確かめたいと今でも思っている。
 その日みた光の色のことを。きっと、黄金色だったと思うからだ。
 言葉は不思議。ただの記号に過ぎないのに。並べれば、ときに無限の感情を引き起こす。自分でも思いがけない、過去の情景を蘇らせる。
 それが、会ったこともない相手だったとしても。

『殉愛』騒動を語ってみる

 百田尚樹『殉愛』の真実、という本を読みました。百田さんが書いた『殉愛』ではなく、その検証本の方ね(ややこしいな)(;´▽`A“

 実はこの話、金スマに百田さんが出たときからずっと気になっていたのです。

 金スマ見たときに、「誰も知らない驚きの真実」みたいなことを謳ってたから、金スマ内でどんな衝撃の事実が出てくるかと思ったら、そのときは結局、

 1.さくらさん(たかじんさんが死の2か月前に入籍した方)は、財産目当てではないよ。たかじんの元に舞い降りた天使。天使のおかげで、たかじんは初めて真実の愛を知って、幸せに旅立ったのです。その看病はとても人には真似できない、献身的なものでした。

 2.財産目当てじゃない証拠に、さくらさんは遺産のほぼすべて?(正確な表現は忘れましたが、要はそんな感じで)を受け取っていません。

 という、主に2点を強調した再現ドラマでした。

 それで、衝撃の真実ってこれ? う~ん、それは言い過ぎじゃないかと、かなりの違和感を覚えたのでした(^-^;

 看病がすごいといっても、お子さんや高齢者抱えた上での奮闘ではないし、経済的な負担もないし、身内が病院に重病で入院していたら、誰でもそれなりにがんばるよなあ、と思ったので。それに、病院に入院していたら、自分がすべてみるわけではないですしね。大変なのはわかるけど、それを「天使」とまで強調するのがちょっと…。この再現ドラマに、さくらさんが許可を出してしまう気持ちがわからなくて。自分をこんなにも褒め称えるドラマって、やりすぎで嫌じゃないのかなあ、と。
 でも、出演した百田さんが涙目になってたんです( ̄○ ̄;)!

 びっくりしてしまいました。これ、そんなに泣くところかなあと。さくらさんを天使、とまで言い切っていたから。

 そして、遺産をほとんど受け取ってない、的なことを言っていたのもなんとなく違和感があって。正確な文言を覚えてないのですが。どういうテロップがでたのか。

 でもそのとき思ったのが、「遺産目当て」という批判をかわしたいなら、全部放棄すればいいのに、と。生活力のない人ならともかく、海外でネイルサロンを経営していたほどの女性なら、「一切いただきません。一緒に過ごした時間だけで十分です」とか、言ってもよさそうなのに。その瞬間、すべての疑惑を完璧にはらすことができるんじゃないかと。

 そして、金スマを見た後、なんとなくすっきりしない気持ちでいたのですが。この話は驚くほど、マスコミが沈黙してるんですね。週刊誌が一番興味を示しそうなのに。でもネットではいろいろ書かれていて、一番びっくりしたのが、実はさくらさんはたかじんと知り合ったとき、イタリア人と結婚していたという事実で。

 嘘じゃ~ん、と思いました。話が全然違ってくる(;´▽`A“
 金スマの再現ドラマでは、そんなこと一言も言ってない。いえ、別に結婚してるから悪いわけじゃなく、嘘をつくのがよくわからない。

 結婚していて、それでも運命の人に出会ってしまった。離婚してでも、たとえ短い時間でも、この人と添い遂げたいと思った、とかならまだ、わかるのですが。そういうの全部隠して、物語を純な乙女と、年の離れたプレーボーイの出会い、みたいにするのは無理がある…。

 その後出版された、百田さんの『殉愛』は読んでいません。その代わり、その検証本である、「百田尚樹『殉愛』の真実」を読みました。著者は、角岡伸彦さん、西岡研介さん、屋敷渡さん、そして宝島「殉愛騒動」取材班、です。

 この検証本を読んで、思いました。金スマ、いい加減だなあ。話が全然違ってるし\(*`∧´)/

 検証本にこそ、驚くような事実がたくさん書かれていました。

 でも一番気の毒だったのは、たかじんさんの娘さんのことです。『殉愛』で、ひどい書かれ方をしていたようですが、なによりも、たかじんさんが亡くなる前に会えなかったのが一番、つらかっただろうなあと。

 実の親子ですから。もし命が残りわずかなら、たかじんさんには娘さんに話したかったことがあるだろうし、娘さんだって、言いたかったことがあると思うのです。それなのに、連絡がつかなかった。何も知らされないまま、突然に親が死んだという連絡が入るなんて。

 私はなにより、そのことが一番ひどい話だと思いました。

 入籍して、それまでの家族関係、友人関係をすべて切ってしまうというのも乱暴な話だと思います。64年間の人生の最後の2年だけが真実だなんて、そんなことはないだろうと。
 最後の2年の前には、ちゃんと62年間の軌跡があるはずです。ある日突然、出現したわけじゃない。生まれて、成長して、年をとって。
 いろんな人と出会って、別れて。その過程を、最後の2年で全部否定するのは、傲慢だと思いました。

 

ブルーベリーケーキの思い出

 ブルーベリーの季節です。食べていたら、ふと自分の中学時代を思い出しました。私が今まで食べた中で、一番おいしいブルーベリーケーキを作っていた、近所のケーキ屋さんのことを。

 できたばかりの、オシャレな新築マンションの一階。まぶしい白の外壁は、ケーキ屋さんの雰囲気にとても合っていました。中学校に近い場所にできたので、生徒たちの間でも評判になっていました。

 私が初めて買いにいったとき、最初ということで、まずはいろいろな種類を一つずつ買って試してみたのですが、一番おいしかったのがブルーベリーケーキ。とにかくブルーベリーがずっしり並べてあるのです。スポンジの間にもぎっしり。そして驚くべきはその重さ。ケーキを手に持つと、見た目との重量の違いに戸惑います。
 それだけブルーベリーたっぷり使ってるんだなあ、と、私はすっかりそのケーキがお気に入りに。
 (あ、でもブルーベリー自体はそんなに重いものではないし、もしかしたら他の材料の重さだったかもしれないです。ただ、当時はブルーベリーの重さがこれなんだと、思い込んでました)

 当時はブルーベリーも、フルーツとしては珍しい部類で。そんなプレミアム感あるブルーベリーと、生クリームと、スポンジの相性が抜群!
 ずっしりしっとりした重さも、好ましかったです。無意味に持ち上げてみては、「う~ん、やっぱり他と比べて重いなあ。さすがだなあ」と。

 そして、楽しみに通うようになりました。お店はものすごくシンプルです。店内によけいな装飾はほとんどなくて、ガラスケースの前には年配の男性が一人。たいていケーキ屋さんというと女性の店員がほとんどなので、最初は違和感ありました。でもこの男性はとてもお話好きで、いつも誇らしそうにケーキの説明をしてくれました。

 その男性によると、ケーキを作っているのは息子さんだそうです。その息子さんは、作る方に専念されていて、私が奥をのぞきこんでもチラっと背中しか見えませんでした。ショーケースの前に出てきて販売を担当することは、一度もなかった。

 男性は、とてもうれしそうに息子さんの話をしてくれました。東京の有名なケーキ店で何年も修行して、このたび独立開店したんだと。この味が地方で食べられるのは絶対お得、と。
 自慢の息子さんなんだろうなあ、と私はほほえましく見ていました。ちょっと親バカ入ってるところも、ご愛嬌です。

 それに、そのブルーベリーケーキは本当に、よその店にはない味でした。他の店だと、ほんの少し、見栄えのために飾ってあるようなブルーベリーが、この店だと惜しげもなく使われているのです。それも大粒で、おいしいものばかり。材料を、相当厳選していたのだと思います。

 おじさん息子さんのこと、誇らしいんだろうなあ。一生懸命だなあ。わかるよ。こんなおいしいブルーベリーケーキないもんね。
 当時の私はそう思いつつ、いつもブルーベリーケーキを買いに行っていたのでした。

 ところがそんな素敵なお店が、ある日突然閉店してしまい、私はびっくりしてしまいました。あんなにおいしいケーキを売る店がなぜ、と。

 しかし、中学のクラスメートと話をしていて、その原因の一つを知ったのです。

友達Aの話

 「あの店つぶれて当然だって。私1回だけ行ったことあるんだけど、嫌な思いしたから2度といかなかったもん。1種類のケーキを5個買ったら、説教されたんだよ。買い方がだめだってさ。こういうのは、違う種類を買って味の違いを見るんだってさ。そんなの客の自由なのに」

 これは…(゚ー゚; たしかにお客さん怒らせちゃうだろうなあ…。
 でもおじさんの気持ちもわかるのです。中学生の女の子が買いにきて、年齢的には自分の娘みたいなもので。ちょっと一言いいたくなったんでしょう。 
 うちの店は本当にどれを買ってもおいしいんだから、いろいろ味を試してみてねと。
 きっと大人のお客さんだったら、思っていても言わなかっただろうけど、子供相手だからつい、お説教みたいな感じになっちゃったのかな。悪気は一切ないんだろう。ただ純粋に、おいしく食べてもらいたいという一心。

 おじさんの態度も多分、まずかったんだろうな。
 もともと、素人っぽかったんです。いや、悪気はないのはわかりますし、私自身は特にお説教ぽいことはなかったので、全然、腹が立ったこととかはないですけども。基本的に、態度が少し偉そうだったんですよね(^-^; いわゆる、サービス業慣れしていない感じ。
 たとえば、会社の偉い人とかが、急に接客をやった場合。どうしても上から目線みたいになってしまう場合があるじゃないですか。客あしらいがうまくない。

 おじさんの場合もそうだったのです。今考えると。
 もしかしたら、息子が開業するから、ということで張り切って、会社を辞めて手伝っていたのかなあ。そして、もともと職業的に接客業とは違う会社だったり、それなりの地位の人だったら、どうしてもお客さんをうまくさばけない、というのも無理ない話で。

 自分では普通に話しているつもりが、偉そうに映ってしまったり、相手に不快感を抱かせたり。

 おじさんの空回りが閉店につながってしまったのは大きいかも、と、せつない気持ちになりました。どんなに息子が可愛くて自分が手伝いたくても、もしかしたら、販売に関してはバイトの若い女の子を置くべきだったのかな。

 女性だと、お客さんもなんとなく安心感があったりして。

 もう一つ、閉店の理由になったと思われるのは価格設定でした。田舎の街のケーキ屋さんとしては、高いほうだったから。もちろん、東京ではその値段が当たり前だったんだろうけど、でも田舎だとやっぱり、敷居が高くなってしまうこともある。おいしいし、いい材料使ってるからこの値段は妥当だと、そうわかってもらうまでにはまず食べてもらわないといけない。
 そして食べる前の段階で悪感情抱かれてしまったら、これは厳しいかも。

 息子さんが有名店で働いていたことは、お店の宣伝ポイントですが。もうちょっとうまく、他の方法でアピールできていたら、よかったのかもなあ、なんて、思います。たとえば、お店の前に、その有名店での修行のことを書いた、お知らせの看板置いたり。
 開店したばかりのお店は、みんな興味津々ですから。通りがかりの人はまず、読むと思います。

 そしてシンプルすぎる店内には、おすすめケーキのご案内のチラシを一枚だけ、貼ってみたらいいかも。目立って効果抜群ヽ(´▽`)/
 新しいケーキ屋さんは、どれを買っていいか迷うことが多いから。お店のおすすめがわかれば、それを参考にする人は多いと思うのです。チラシに書いてあれば、売り子さんの接客の上手下手は関係なく、お店のイチオシをうまくアピールできるはず。

 そのケーキ屋さんの閉店がもったいなくて、私は、どうしたらお店を存続させることができただろう、と今も思ってしまうのです。あれほどの味がありながら。悲しいです。一生懸命だった息子さんの後ろ姿も、おじさんの熱意も。

 お店は本当にシンプルで。余計なところにコストをかけていなかった。ケーキの箱も袋も、真っ白なんです。それで、最後に箱に貼るシールだけは、お店のロゴが印刷してあって。これなら、オリジナルはシールだけだから、箱や袋は特注でなく、一般のものが使える。
 たぶん、他の経費を全部削って、ケーキの材料を厳選していたんだろうなあと思います。だからこその強気の価格設定。絶対の自信を持ってお店の経営していただろうになあ。きっとお客さんには受け入れてもらえる、わかってもらえるって、信じてただろうになあ。

 あの後、どうしたんだろうか。と今でも考えてしまうお店です。ブルーベリーを食べると、つい思い出してしまいます。

2015年 今年の私的春薔薇No.1

 今年も春薔薇を鑑賞すべく、近所の植物園に行ってまいりました。

 いつもこの時期になると、そわそわします。紫外線の強い時期なので、薄曇りの日を選んで出かけたところ、雨が…。

 小雨がぱらつく中、薔薇のコーナーへ。遠くからでも、華やかにたくさんの種類が咲き乱れているのが見えました。そして微かに、薔薇独特の芳香。離れていても香ります。

 まず目を惹かれたのが、シャンテ・ロゼ・ミサトです。濃いピンクから薄いピンクまでのグラデーションがとても綺麗。たくさんの花が咲き乱れていました。花弁は幾重にも巻いていて、けれど開花が進んでも反り返るほどには開かず、その形も気に入りました。

 今年の私的No.1はこれで決まりかな。
 そう思いながら歩き続けていると、園内でさらに、息をのむほどに咲き誇る、白い薔薇の一群を発見。

 圧巻でした。
 強い品種なのでしょうか。貴重な珍しい薔薇などが、どんなに手をかけても弱々しく、少しずつしか育たないのに比べ、この薔薇には圧倒的な勢いがあったのです。
 その薔薇の名は、「マチルダ」。

 雨が降った暖かい日です。
 ほとんどの花が、つぼみではなく、ずいぶん開いてしまってはいたのですが、その開いた姿もまた風情があり。枯れた、とか、旬を過ぎた、という感じではありませんでした。とにかく一面。白。白。白。その中に、薄くピンクを差したような光景。

 近寄ってよく見ると、つぼみはピンク。花が開くにつれ、白に変わっていくようでした。開ききった白い花弁の数枚に、うっすらとピンクがかかっていて。
 でも、目の前の光景は、総じて白です。
 それは、つぼみがほとんど残っていなかったせいでしょう。ほとんどの花が、開ききってしまって。その白が、清々しいのです。花弁は、シルクのワンピースを思わせます。

 葉の緑を、完全に凌駕する白。これ以上花をつけることは難しいと思われるほどの、見渡す限りの白。

 白い薔薇は地味で寂しい、という、私がそれまで思っていた概念を、打ち破る衝撃でした。

 その白さに心を打たれ、じっと見入ってしまいました。その後も園内を回りましたが、やはり「マチルダ」が、私にとっては一番でした。

 後でネットで確認したところ、解説ではマチルダはピンクの薔薇となっていましたが。私には、開ききって白くなった姿が、つぼみのピンク以上に美しく見えました。白でも寂しくないのです。むしろ、温かい。
 イメージは、12,3才の、チュチュをつけたバレリーナの少女。清楚。無邪気。あどけなさ。無垢。すっきりまとまったシニヨンヘア。

 ちなみに、シャンテ・ロゼ・ミサトのイメージは20歳前後の乙女ですね。ほんのり頬を染めて、片手には本を抱えて、緑のまぶしい丘、大木の影に座り込んで夢をみる、みたいな。

 マチルダが1位。シャンテ・ロゼ・ミサトが2位。そして、今年の私的薔薇No.3は、バルカロール。

 このバルカロール、まず色がいいのです。ダークレッド。まさに薔薇の中の薔薇。たとえば一輪だけ包んで誰かに贈ったとして、それが堂々と様になる。それだけ存在感のある薔薇です。
 赤いビロードのような花弁。その赤も、歴史ある劇場の、多くのドラマを見てきた幕の色のように、決して新品ではないのです。浅くない。見つめれば、吸いこまれそうに深くて。

 イメージとしては、中世の貴婦人。年齢は、少なくとも50代以上。少し不機嫌な様子でこちらを見返すような。身につけたドレスの重さを感じます。プライドと、威圧感と。気安く触れられない空気が漂っていました。

 雨の日の薔薇鑑賞。花や葉に光る水滴が、晴天の日には味わえない味わいです。晴れた青空をバックに見るのとはまた違った、別の表情を見ることができました。