坂口杏里さんの転落

 タレントの坂口杏里さんがホストクラブにはまり、借金を重ねた末に、アダルトビデオの出演が決まったとのこと。

 有名な女優さんの二世で、テレビでも顔が売れていて。なぜアダルトビデオの出演?と思うけれど、それを言うならなぜホストクラブ?だし、なぜそこまでの借金を?という話になる。

 借金してまでなぜホストクラブにのめりこむのか? 

 やはり愛情を求める、ということなのかなあと思ってみたり。お金と交換に、愛情がわかりやすくもらえる場所だから。お客さんの立場で入れば、初めて会った相手だとしても親しげに話してくれるし、うざがられることもない。優しく微笑んでくれ、また来てねと誘ってくれる。

 寂しい人にとっては、他に代えがたい場所なんだろうなあと思ってみたり。だって、道を歩いているときに好みの人をみつけて、「すみません。お金は差し上げますから今から私とお酒飲みにいってください。おしゃべりしてください」と頼んだところで、頭がおかしい人としか思われないわけで。

 でもホストクラブでは、お客さんだからね。好みの人をある程度選べるし、その人は決して拒絶しないとわかってる。まるで昔からの知り合いみたいに、親しく接してくれる。愛情を求めても変な顔をされないわけです。それが仕事だから。

 私はホストクラブって行ったことないですが。テレビで特集しているのは見たことあります。キラキラゴージャスな店内。髪も服もビシっと決めたイケメンがずらり。

 そうした非日常的な空間で、大勢にちやほやされること。寂しさを抱えた人にとって、それはまさに夢心地の体験だろうなあという、想像はつきます。

 私が杏里さんをとても気の毒だと思うのは、思春期に嫌いな男性が義父(籍は入っていませんが)として、同居していたことです。

 う~ん。これは本当に、キツイ体験だと思う。
 子供には逃げ場がない。離婚したことだけでも傷つくのに、お母さんが知らない男の人を連れてきて、仲良くしなさいという。そしてお母さんとその男の人が、仲良くする姿を見せられる。
想像しただけで、泣けてくるような話です。

 バラエティ番組で、坂口良子さんの再婚を特集したのを見ました。お相手のプロゴルファー、尾崎健夫さんは、とてもいい方だと思いました。一生懸命、本当の父になろうと努力されたのだと思いますし、真面目で優しい人柄も伝わってきました。

 でも、どんなに神様のように完璧な男性であっても。子供が嫌うのなら、同居してはいけなかったと思うのです。

 この件については、尾崎さんというより坂口さんの責任が大きいのかなと。

 借金返済で仕事が忙しく、子供達に構ってやれなかったというけれど、尾崎さんと付き合う時間はあったということですよね。
 でも、仕事の合間の限られた自由時間であったら、好きな異性と過ごすより、子供と過ごしてあげてほしかったです。

 百歩譲って、もし恋人ができたとしても。子供の見えないところで付き合う。家には連れてこない、という思いやりがあってもよかったのではと。

 杏里さんやお兄さんが、尾崎さんを気に入って再婚を望んだなら、また話は別ですが。

 杏里さんは尾崎さんを嫌って、オジサンとしか呼ばず、尾崎さんにはひどい言動を繰り返したとか。そんな状態なのに、坂口良子さんはなぜ、子供達のいる家に尾崎さんを同居させたのか。自分の気持ちを、子供より優先したのは間違いだったと思います。

 杏里さんは当時10歳くらい?でしょうか。それから約10年の同居。
 家に嫌いなオジサンがいるって、どれだけ絶望的な状況だったことか。子供は家を出ていくことができません。ただ耐えることしかできません。

 そのことは、杏里さんの人格形成に大きな影響を与えたと思います。子供にとって、一番大事なよりどころになるはずの家が。杏里さんにとってはそうではなかった。

 坂口良子さんに特別悪気があったわけではないと思いますし、尾崎さんがいい人であることもその通りなのでしょうが、杏里さんの立場になってみれば、孤独を感じたでしょう。

 お母さんは、自分よりも恋人をとったのです。

 子供だった杏里さんは、「大嫌いなオジサン」に物を投げつけたこともあったそうです。そのことを後悔し、詫びる発言もされていましたが、私はむしろ、そこまで杏里さんを追いつめてしまった大人二人の選択を、ひどいと感じました。

 そしてもう一つ。坂口良子さんが、病状の本当の深刻さを杏里さんにきちんと伝えずに亡くなってしまったこと。

 母心として、よかれと思ってやったことはわかります。たぶん、母として、本当のことを伝えたら杏里さんが精神的に耐えられないだろうという、その思いやりが生んだ決断だと思いますが。当時の杏里さん、21歳。
 小学生ならともかく、母が亡くなるのに、それを受け止められない年齢ではないです。

 弱い子でも、可哀想でも、事実として母が死ぬのが避けられないなら、その子なりに耐えていくしかないです。そして、先が長くないことが事前にわかっているのなら、母から子供に伝えたいこともあるだろうし、逆に子供として、母と話したいこともあるはずです。

 母親が亡くなったとき。悲しいのは当たり前ですが、自分なりに「やれるだけのことをやった」という満足感があれば、その悲しみを少しでも和らげることができます。

 でも杏里さんの場合、後悔と怒りばかりが残る結果となってしまったようで、お気の毒でした。なぜ母の病状を黙っていたのかと尾崎さんに対してずいぶん腹を立てたようですが、本当の責任は、母の坂口良子さんにあったように思います。
 尾崎さんにしてみれば、実の子供ではないし、良子さんから病状の口止めを頼まれれば、それを無視してまで勝手なことはできなかったでしょう。

 良子さんは、杏里さんを心配するあまり、見くびっていたのだと思います。この子には母の死があまりに重すぎる、受けとめられないと。でも私は、もし余命わずかを知らされていたら杏里さんは杏里さんなりのやり方で、杏里さんなりに一生懸命にそれを受けとめただろうし、死を乗り越えて成長しただろうと思うのです。

 結局、杏里さんにしてみたら、お母さんに対して思いが残る結果になってしまったような気がするのです。

 義理の父との同居も。お母さんは嫌がる私の気持ちよりも尾崎さんをとった、と心の奥に刻まれて。
 
 亡くなったときも。お母さんは私を信用してくれなかった。私には教えてくれなかった。尾崎さんは知っていたのに、私はなにも知らなかった、と。

 これは寂しいですよ。親の愛情を感じずに育ってしまったら、心にぽっかり穴が開きます。埋めても埋めても、埋まらない穴が。
 
 両親が二人いて、二人の愛情をもらって育つのが普通なら。離婚した場合は、なおさら気を遣わなくてはいけないかと。子供が成人するまでは、自分の気持ちや自分の人生より、子供のことを優先し、考えてあげてほしいです。成人するまでの子供は弱いです。逃げ場がない。家を出て、どこかで1人で暮らしていけない。どんな家でも、そこにいるしかない。

 良子さんは、尾崎さんが杏里さんの後見になってほしいと望んでいたのかもしれませんが、それは無理だと思います。良子さんが生きていたからこそ、かろうじてバランスを保っていた義父と義娘の関係。母亡き後に、尾崎さんの忠告を杏里さんが素直に聞くわけないと、誰だってわかります。

 それよりも、仕事の選択がこれでよかったのかどうか。結果論というわけではありませんが、華やかで誘惑の多い芸能界の仕事が、杏里さんに合っていたのかは疑問で。まして、所属事務所が、あまりいい噂を聞かないところで、真鍋かをりさんや小倉優子さんのトラブルの話もあり、なぜそこに所属させたのかなあ、と。

 多くの人が、杏里さんのことを心配しているのは、この先だと思います。このアダルトビデオの出演が底ではなく、この先もっともっと、転落してしまうのではないかと案じているのです。それを防ぐためにどうするか。お金だけでは救えないですね。もし一時的に大金が入ったとしても、ホストクラブで埋める心の穴は、底が見えない。きりがない。

 できればアダルトビデオ販売が、中止されればいいのですが。その上で杏里さん自身が、借金をしてしまう心の病を自覚し、治す意志をもてたなら。助けてくれる人は出てくると思います。ただ、治す意志を持つところまでもっていくことが、とても難しい。

 義父の尾崎さんが今何を言っても反発しかないだろうし、他人である元カレの小峠さんだって、そこまでの義理はない。身内の方が、自分の人生を賭けて生涯見守っていくぐらいの気持ちがあれば軌道修正できるかもしれませんが、実際、とても大変なことだと思います。

 複雑な家庭環境⇒情緒不安定⇒生活の乱れ⇒ホスト⇒借金⇒風俗
 よくあるパターンですが、どこかでとめることができたなら。

 杏里さんはおバカタレントとして活躍し、通知表のほとんどが1というのも笑いに変えていましたが、実際のところ知的に問題があると、生きていくのが普通の人より大変になるわけで。悪意を秘めた誘惑に気付かない。対処できないままずるずると。

 ホストクラブにのめりこむのには、人とコミュニケーションとれないことの寂しさもあるのかなあと思ったりします。たとえば、友人同士の関係も、「空気を読む」能力はどうしても必要になる。でもそこのところがうまくいかないと、同性の友人ができない。
 友達はボランティアじゃないですから。気が合わなければ、自然と遠ざかる。
 でもホストなら、疑似恋人でなく疑似友人にも即興でなってくれるわけです。お金を介してですけど。お金がなくなれば、消える関係ですけど。

 通知表のほとんどが1というのは、もはや笑えるレベルを越えています。もっともっとひどければ、福祉の助けもありますが。普通と福祉の隙間に、すぽっとはまってしまったグレーゾーン。誰かの支えと見守りが一生あれば、と思いますが。じゃあその役を誰が担うのかというと。

 杏里さんの場合、ここまでくるとなかなか、独りで軌道修正するのは難しいような気がします。

アマゾンCMのライオン犬が可愛い

AmazonのCM。ゴールデンリトリバーが名演技すぎて泣けます。

特に印象的なのが、いそいそ近付いたのに赤ちゃんに泣かれてがっくりその場を去り、離れたところからそっと家族をみつめるその表情。

何ですかあれは。見るたびに泣きそうになってしまいます。なんて寂しそうな佇まいなんだろうと。特別大げさな表情を作ってるわけじゃないのに、目がすべてを語っている。もはや犬というより、人間ですね。

赤ちゃんが泣いたとき、犬が、笑ったように開いていた口を、すっと閉じるのがまた、人間ぽくて。笑顔→真顔になった瞬間。そして誰に促されることなく、自らその場を立ち去る背中。

楽しそうな一家団らんを、少し離れた場所で無言でみつめるその目は、誰を責めているわけでもないのです。ただ、寂しく、哀しいのです。

赤ちゃんがまた可愛いんですよね。若夫婦の初めての子供という設定なのでしょうか? お父さんお母さんが赤ちゃんにデレデレになってしまうのも納得。でも、ぽつんと一人ぼっちになってしまった犬のせつなさも半端ない。

ライオンのたてがみを注文し、犬と赤ちゃんが仲良くなってめでたし、めでたし、というこのCM。短い時間の中でよくここまで物語を表現できたなあと思います。

引越して初めてのブログ

今日が、ワードプレスで作ったブログの初日になります。

ココログからの過去記事の引っ越しも無事に終了し、ほっとしました。ココログでは写真を載せることはなかったのですが、これからは、時々は写真もありのブログにしようかなと思っております。

もっとデザインもいろいろ編集してみたいのですが、迷っていると先に進めないので、設定も最低限の基本的なところだけを決めて、この最初の記事を書いています。

gooブログ→ココログ→Word Press と、渡り歩いてきました。Word Press が、きっと最後の地になるでしょう。

これからもよろしくお願いいたします!

2016年にやりたいこと

 年始にあたって、やりたいことを考えてみたのですが。
 今年は、「直観を大事にしよう」と決めました。一番最初の印象に基づいて、動いてみようかなと。
 たとえばAとB、どちらを選ぶのか迷ったときに、条件は関係なく、一番最初の感覚で決めるということです。これ、意外と今までやってなかったんですよね。これまでは最初の印象というよりも、両者をじっくり条件で比べて、総合的な観点で決めてきたことが多かったような。
 このシンプルな、「第一印象で決める」ポリシー。これを1年続けたら、どうなるんでしょうか。ちょっとワクワクしてきました(゚ー゚)
 なんだか素敵な年になりそうな予感がします。
 違う生き方をしたら、また少し、違う人生が開けてくるのかな。
 AとB。本当は、見た瞬間にどちらが好きか、無条件でわかってるんですよね。同じ「好き」でも、そこには必ず差があるわけで。両方全く同じに好き、というのはないと思う。
 
 どれが好きで、どれが嫌いか。
 ただ単純に、「いいな」とか、「大好き」と思う感情。それは、勝手に自動的にわきあがってくるもので、その感情をなくすことはできない。人に許されるのは、ただその感情を行動に結び付けるか否か。
 でも、その点だって深く掘り下げてみれば、どこまで行動の自由があるのかは、厳密には不明なわけで。
 私たちは、どこまで自由なのだろう。
 考えても、たぶん答えは出ない。わかるのは、ただ自分の心が叫ぶ、「好き」や「嫌い」の感情だけ。そう考えると、感情ってすごいなあと思います。そこに嘘はない。好きなものは好き、ということで。
 そんな感じで、今年1年を過ごしていきたいと思います。

2015年を振り返る

 2015年も、あと数時間となりました。今年を振り返ってみたいと思います。
 とにかくのんびり過ごした年でした(^^)
 そして、自分を大切に、自分の気持ちに素直に生きた年でもありました。自分に優しく過ごすと、なんだか他の人にも優しくなれたような気がします。
 旅行にも行きました。まず6月に、電車とバスを乗り継いで、一人で分杭峠に行ってきました。ここはゼロ磁場と呼ばれる、知る人ぞ知るパワースポット。どんな神秘体験ができるんだろうと、かなりワクワクしながらの3泊4日の旅。
 初日は伊那市内のビジネスホテル泊。ゼロ磁場自体は、そんなに体感できるほどの特別な何か、はありませんでしたが、普通に山の空気がおいしかったです(^^)
 本当に、なんにもない山の中にあるので、空気が澄んでいて水汲み場の水もおいしかった。水場から、林道沿いに少し歩いてみると、土砂が崩れて道がふさがっていました。それ以上行くのも怖いので、その手前あたりの木陰で少し涼んだりして、のんびり。
 斜面になった、ここが本当の気場(パワースポット)ですよと案内されている場所よりも、私にはその場所(水汲み場から少し歩いた林道)が気持ちよかったです。気場とされている場所は、斜面で座れるようになっているのですが、座っているとハエがたくさん寄ってきて、思い出すとそのイメージしかありません(^^;
 帰りには、シャトルバスの駐車場にあるお土産屋さんで、ゼロ磁場の水を買いました。500ミリリットルを3本。重かったけど、これが最高のお土産になりました。
 そして、その夜は諏訪大社の下社秋宮境内にある、山王閣にて泊。建物は古くて趣があり、立地も雰囲気もよく、リラックスして過ごせました。温泉に入って、ぽかぽかです。
 翌日は、諏訪湖見学へ。
 初めてみる諏訪湖は、大きかった。湖畔の宿にて一泊。しかしここで、予約した部屋にトイレがないことが判明し、がっくり。お値段もそこそこだったので、まさかトイレがないとは思わず。部屋に浴室はいらないけど、トイレは欲しかったな。でも温泉は源泉かけ流しなので、そこは満足でした。
 翌日、どうしても諏訪大社の上社前宮へ行ってみたく、時間的に無理なのを、走ってカバーするという荒業でのりきりました。所用で、どうしてもその日の内に帰宅せねばならず、本来なら直帰する予定でしたが。
 どうしても、前宮に行ってみたかったのです。でも、行ってよかった。素敵な場所でした。
 まず宿の朝食が7時だったのですが、これを10分で食べ終えるというところから始まり。上諏訪駅へダッシュ。電車に乗り、茅野駅下車。そこからひたすら走って、前宮へ。道がわかりにくかったですが、走り続けてなんとか到着。
 この諏訪大社前宮は、最初の鳥居をくぐった辺りの、大木のパワーが凄かったです。走って息をきらして、へとへとになってたどり着いたのが、一気にエネルギーチャージ。私は御本殿よりも、大木にパワーを感じました。汗びっしょりになったけど、行った甲斐がありました。
 そして、9月には伊勢神宮へも出かけました。伊勢には15年くらい前にも一度行ったことがありますが、ずいぶん変わったなと感じました。おかげ横丁が新しくなり、活気にあふれています。式年遷宮が終わった後だからすいているかと思ったのですが、平日にも関わらず大賑わいでした。外国の方も多かったような。
 日頃の感謝の気持ちを、神様にお伝えしてきました。
 伊勢神宮で買ったお土産は、お神酒。参集殿で購入できます。白い陶器に入っていて、すごくいい感じのお酒です。神棚や、神徒壇にお供えするお酒にはぴったりだと思います。
 その日、伊勢神宮の上空には雲がかかっていたのですが、風に吹かれて次々と形が変わり、それがまるで神様のお使いのようにも感じました。日本の神様の総本部ともいうべき、神聖な場所。きっと、日本全国からたくさんの神様や、神様のお使いがいらっしゃるんだろうなと。参拝前、五十鈴川の流れに手を浸し、清めながら空を見て、心癒されました。
 伊勢神宮へは、五十鈴川駅から歩いていったのですが、その途中にある月讀宮(つきよみのみや)にも参拝しました。ここは、4つ整然と並んだ社殿にも心打たれますが、そこに至る参道がまた圧巻なのです。深い森の中。すぐそばには大きな道路もありますが、一歩足を踏み入れると、そこは別世界。この世なのか、あの世なのか、不思議な感慨にとらわれるような空間です。
 そして9月には、高田馬場の預言カフェにも行きました。3月にも行ったばかりなのに。
 だって、当たるんだもの(^^)
 いや、預言なので、当たるとか当たらないとかは言ってはいけないのですが、ここで頂く言葉にはドキリとさせられることが多くて。
 おいしいコーヒーをいただけるのも嬉しいところ。9月の預言で驚いたのは、神様が、私と一緒に声を合わせて歌っている、という言葉でした。
 実はその日、私の頭の中では、ある曲がずーっと流れてまして。もちろん、口に出して歌うことは全くなかったのですが、とにかくその日はずっと、その曲がリピートされていた。そこを指摘されてびっくりです。
 預言カフェはやっぱり好き。いつも楽しい言葉、励ましの言葉をくれて。しかも、預言の言葉には、心当たりがあることが多い。それは、万人に当てはまるのではなく、個人にしか当てはまらない言葉なのです。
 そうそう、今年は豆乳ヨーグルトを始めた年でもありました。
 最近、流行ってますよね。私も毎日食べてるのですが、おいしいし作るのが楽しい!
 作り方もいろいろあるようですが、私がやっているのは超簡単です。庭でなったトマトやビワ、ヨモギ、などなどなんでもいいので、皮もむかず洗わないで(乳酸菌が流れてしまうから)お椀の中に少し入れる。そこに無調整の豆乳を入れる。あとは1日半くらい待つ。これだけ。
 最初は何回か失敗しました。色が変わったり、匂いが悪ければ失敗です。成功すれば、ヨーグルトの香りです。
 こんな簡単なことで、本当に固まるのかと最初は半信半疑でしたが、いざコツをつかむと成功率がぐっと上がります。あんまり時間をかけすぎると駄目ですね、腐ってしまうので。
 身の回りのものに、あまねく乳酸菌が存在しているのだなあと。
 そして一度ヨーグルトづくりに成功すると、あとはもっと簡単になります。出来上がったヨーグルトからスプーン一杯分、もしくは乳清(上にたまった水状のもの)を一杯分すくいとり、また次の種とする。まあこの量も、適当です。種と豆乳の比率で、出来上がりの時間も変わってきます。
 2世代目、3世代目は、最初に作った時より、出来上がりまでの時間が早いような気がします。気温にもよりますが、12時間あれば十分、固まることが多い。
 そして、成功させるコツは、あまり時間を置きすぎないこと。しっかり固めようとして2日以上置くと、雑菌がわいて腐ることが多いような・・・。
 表面にひび割れができるほど放置するのは、やりすぎ。器を傾けて、こぼれない固体になっていれば、それでOKだと思います。
 できあがるまでは、器にラップをふわっとはっておきましょう。ほこりが入らないように。
 乳酸菌は温かいと活動が活発になるので、居間などに置いておくといいと思います。私はいつも、ラップをかけて、テレビの横の棚に器を置いてます。2世代目以降の乳酸菌なら、朝作れば晩にはもう、新しいヨーグルトができあがってます。
 ヨーグルトメーカーなどの機械も使わず、こんなにお手軽にヨーグルト、それも牛乳でなく豆乳のヨーグルトができるなんて、思ってもみませんでした。
 いろいろ書きましたが、もし試したいという方は、なにぶん食べ物ですので、雑菌に気を付けて、匂いや色など、出来上がりを十分チェックしてから食べてみてください。
 主な注意点は3つです。
 1.時間をかけすぎないこと(時間をかけすぎると、たいてい腐る)
 2.豆乳は無調整のものを使う
 3.食べる前には、必ず匂いや色、味をチェックして安全を確認
 私は牛乳のヨーグルトより、豆乳で作ったヨーグルトの方が好きです。やはり日本人は昔から豆と共に生きてきたから、体もそうなっているのかな、なんて考えたりします。
 さて、それでは次に、2015年にやろうと思っていたけど、できなかったことの話。
 それは、出雲大社へのお参りでした。出雲大社と、それから厳島神社に行きたいと思っていたのですが、行こうと思うといきなり急用ができたり、乗ろうと思った日のサンライズ出雲が満席だったりして、なかなかチャンスがなく。気が付けば年末。
 12月29日に、地元の大好きな神社でおみくじを引いたら、旅行はこの方角を避けるべしと書いてあり、それが、まさに我が家からみた出雲の方角でした。ということは、今年は行かなくてよかったということなのか。
 2015年は、念願だった資格もとれたし、穏やかでよい年でした。今年も一年、ありがとうございました。