中野明海さんメイクと、マックスファクターCM

 来月、どうしてもこの日だけは綺麗になっておきたいなあという日があります。しかしここで問題が。

 私は普段、アイメイクを全くしないので。そこのところどうしようかなあと。

 でも化粧っていったら、普通はアイメイクまで含むわけです。その日だけいきなり自分でやっても、たぶん下手。だから練習しなきゃいけないし、でもアイメイクって私本当に好きじゃないし、練習とはいえ毎日やってたら、目に負担がかかりそうだしなあ、とか。

 普段アイメイクをしない理由は、面倒くさいというのもありますが、なによりも「目に悪そう」というのがあります。特にアイライナーは、目のキワに異物を塗りこむわけで、抵抗を感じるのです。目のまわりなんて皮膚も薄くて敏感なのに、そこにメイクはしたくない。まつ毛の間と間をアイライナーで埋めていく作業、想像しただけで、目を悪くしそうです。

 一日だけのことなら、お店でメイクしてもらうってのもアリですね。それなら、自分で練習する手間がはぶける。アイメイクもその日だけのことで、以後続けるつもりはないので、それを考えるとお店に頼んでしまうのも合理的かもしれない。

 最近ではメイクをしてくれるお店もいくつかあるし、私も以前、利用したことがあります。そのときは、すっぴんの状態からフルメイクをお願いしました。

 どんなメイクにするかと聞かれ、特に雑誌の切り抜きを持っていったわけでも、理想とするタレントさんがいるわけでもない当時の私はかなり迷ってしまい。う~んと考えこんだ私に、担当さんはこう言ったのでした。

 じゃあこうしましょう。「可愛い系」と「かっこいい系」どっちがいいですか?

 さすがプロです。二択なら考えやすい。
 「可愛い系」に照れくささを感じた私は、担当さんに「かっこいい系で」と答えたのでした。

 そしてできあがった自分の顔。
 正直な感想は、「恐!!」でした(^^;

 普段の顔に慣れてしまっている目には、濃いめのメイクはかなりのインパクトでありまして。
 かっこいいを通りこして、「コワ!!」としか思えなかったのです。眉も目もかなりの迫力で。

 一生懸命やってくださった担当さんの手前、「すごく気に入りました」と笑顔をみせたものの、胸中は、「これは怖いわ~」でした。もちろん、メイクそのものはばっちりなんですよ。ただ、私のなりたかったイメージとは、違っていただけで。

 それを考えると、お店でメイクしてもらうのも、ちょっと尻ごみしてしまいます。たぶん、自分の理想イメージをそのまま再現してもらうのって、なかなか難しいことなのではないでしょうか。

 いつも利用していて、気ごころのしれた担当さんならまた別なのかもしれませんが。初対面同士で、言葉にうまくできない「これ」というものを、共通認識できるかどうか…。

 せっかくプロのメイクを頼んでも、自分の好みのメイクでなかったら、テンション下がってしまいます。もちろん技術は完璧だから、たぶんどこへ出ても恥ずかしくない仕上がりなんだろうけど、鏡を見た自分が納得できなければ、心も沈んでしまうわけで。
 それなら、稚拙でも自分で気に入るように仕上げたほうがいいかな、そう思うようになりました。

 とりあえず、アイシャドーとマスカラを購入。マスカラはともかくとして、アイシャドーのグラデーションつけるのが難しい~。
 これがうまくできてる人を見ると、本当にすごいなあと感心します。目を閉じたときと開けたとき、どちらもまぶたに自然な陰影ができるようにするのは、至難の業です。私にとって。

 アイシャドーも何色にするか、かなり悩みました。本当はピンクとかグリーンとか、すこし明るい色が付いてる方に心を惹かれたのですが、初心者には難しいかと諦め、無難なブラウン系で。
 明るい色がついたものだと、やりすぎ感が出てしまいがちかなあと思ったのですが、ブラウンなら多少のことでは、派手にならないかと。

 以前テレビで見た、女性のことが脳裏に浮かびました。
 アイシャドーが赤系統で、すごく派手だったのです。美容にかなりのお金と労力をかけている方でしたが、アイシャドーが壊滅的に駄目でした。濃すぎて、なにかのいたずらかと思うほどのメイクになっていて。
 効果的に使われる赤のアイシャドーは素敵ですが、やりすぎは見ていられないものがあります。

 メイクで作る「綺麗」には憧れるけど、やりすぎは絶対に嫌だなあ、と思います。
 お化粧しました~という主張が、強くなりすぎることは避けたいのです。ナチュラルなんだけど、綺麗、という感じにしたいのです。

 プロに頼まないんだったら、自分でやるしかない。だったらメイク講座を受けてみようか、と思い、近所でやっているところを探しました。
 けれど、どのお店もピンとこないのです。
 こういうのはもう、フィーリングですね。主催してる方、その方に憧れる気持ちがないと、きっと仕上がりにも満足しないと思う。その方自身のメイクを素敵と思わないんだったら、自分にやってもらったときにも、納得はしないと思う。

 これだ、と思えるお店があればよかったんですが。
 たいてい、メイク講座をやっているところはカラー診断もやっているので、自分のカラータイプも再確認できるし、ファンデーションや眉の色についてのアドバイスも受けられるから、一石二鳥でもあったのですが。
 自分がこれだ、と思うお店はありませんでした。

 そこでもう一度、自分の心に、静かに問いかけてみました。

 例えば芸能人なら、誰のメイクを素敵だと思うのか?

 浮かんできたのは、マックスファクターのCMでの綾瀬はるかさんでした。あれは本当に美しかった~。画面に吸い寄せられてしまいました。あの、「私じゃ駄目かな」と言っているバージョンのやつです。
 綾瀬さんの正面には男性が座っていて。視聴者はその男性の目線で、綾瀬さんをみつめます。

 息をとめてしまうほど、あのときの綾瀬さんは美しかったな~。肌もきらきら、瞳もきらきら、かといって激しい自己主張はなかった。
 もし目の前にあんな人がいたら、私が男だったら確実に恋におちてます。
 派手ではないけど、しっかりメイクをしていて、それがもう完璧なバランスだった。

 あのメイクは本当に素晴らしいです。もちろん綾瀬さん自身の素材のよさもありますが、じゃあ他のCMに出演している綾瀬さんが同じだけ魅力的かというと、私の目にはそうは映らなくて。
 あのマックスファクターのCM。あのメイクの綾瀬さんだけが、魔法の粉をかけられたように魅惑的に思えるのです。

 あのメイクをしたのは、いったい誰なんだろう。
 調べてみると、中野明海さんという方らしく。本を出されているということだったので、一冊読んでみることにしました。
 『大人の赤ちゃん肌メイク』というタイトルです。

 いやー、表紙のモデルさんがまず可愛い。表紙で惹きこまれますね。妖精みたいだなあ。ファーの帽子も似合ってるし、その一方で大胆に露出した肌も、全然生々しくなくて、ふわふわと可愛い。このセンス、好きです。

 ブラウンシャドウを使ったアイメイク法もちゃんと載っていたので、さっそく練習してみました。まだあんまりうまくできないけど、本に載ってるモデルさんの完成した目元は、すごく素敵です。やる気が出てきた(^^) うん、これを目指してがんばろう。

 アイライナーなしでもいいかと思ってたんですが、本を読んで、やっぱりアイライナーも買うことにしました。目の健康を考えると抵抗あったけど、やっぱり美を求めるなら、多少の健康には目をつぶらなくては。

 そういえば昔、友達と靴を買いにいったとき。ヒールのある靴を徹底的に避けていたら、説教されたことがあります(^^; 「いい? 美のためには、健康とか言ってちゃだめなのよ。美しさのためには、我慢が必要なんだから」

 時折思い出すんですよね、この言葉。特に靴を買おうとするとき、よみがえってきます。
 まあ確かに、ヒールのある靴は足をすらりと美しくみせるし、幅も狭い方が華奢で綺麗に見えますが、私は歩くのが好きなので、どうしても実用的な靴の方を選んでしまいがち。
 美しいフォルムの靴は、履く機会が限られてしまいます。

 中野明海さんの本は、出てくるメイクがみんなどれも可愛かった。このセンス、大好きです。というか、中野さん自身の写真を見て、中野さんがとても綺麗な方だったので驚いてしまいました。
 本の後半でタレントさんと並んで映ってる写真を見ても、全然見劣りしないのです。オーラがあって、肌も艶々。そしてメイクもナチュラルで、かつ美しい。

 この本でアイメイクをしっかり勉強しておけば、なんとか来月には、自分の納得できるメイクができそうです。あとは努力あるのみ。

 ところで、最近の化粧は唇にグロスをのせるのが一般的みたいですが、私はあれあんまり好きじゃないなあ…。天ぷら食べた後みたいで、綺麗というよりはギラギラしたイメージ。
 肌に合わない口紅の色で、唇だけが目立ってしまうのも嫌ですけど、だからといって唇本来の色を活かして、そこにグロスを、というのもあんまり、いいなあとは思わない。

 きれいに発色する、自分に合った色の口紅が、理想です。
 あと最近は、ぷっくりと大き目の唇がはやってるみたいですが、これも不思議な傾向だな~。私は厚い唇ってあんまり好きじゃないから。

ファンデーション→自分の肌色に合ったものを塗る
アイメイク・眉→濃くなりすぎず、自然に
チーク→大き目ブラシでささっと
口紅→派手すぎず、自分の肌に合った色を

 私がやってみたい化粧は、こんな感じです。とにかくやりすぎ感が出ないよう、かつ、綺麗に見えるよう、そんなメイクを目指してがんばってみたいと思います。

 その日だけは、魔法がかかったように、きれいな自分になれますように。

ひまわりを見上げる

 夏ですなあ。
 二メートルを超えるひまわりが咲きました。青空によく映えます。

 それにしても、これだけ背が高くなると、支柱を立ててもらわないと自立できないのですね。それって自然の植物としてはどうなの?(^-^; と思ったりして。

 あーそうか。自然のやつは、別に見てくれがどうでも、次世代に続いていきさえすれば、構わないのか。直立してないと、なんとなく気持ち悪いっていうのは人間の勝手な感想なのであって。

 自然界だったら、たとえ45度に傾いていようが、枯れなければそれでオッケーですもんね。なるほどなるほど~。

 支柱を立てる手間はかかるかもしれませんが、ひまわりはやっぱり背の高いのが好きです。見上げたいから。夏って感じがするなあ。

 ひまわりといえば、『ひまわり』を作詞作曲した福山雅治さんですが。あの曲は最初の歌詞が、いろんな情景をぎゅっと凝縮していて、あれだけで、ひとつの広大な世界を構成している、と思います。

>夢を見ていました あなたと暮らした夏

 これですよ~。この言葉だけで、記憶がぎゅーっと強制的に引き戻されるような錯覚を覚えます。もう、その他の歌詞や後のメロディは、おまけといってもいいかもしれない。

 時間がさかのぼると、夏の風景が鮮やかによみがえってきますね。本当に一瞬だなあと思う。一瞬で、過去の映像の中に自分自身がいるようで。

 私が福山さんを初めてテレビでみたのは、かなり昔。なにかのドラマの宣伝です。番組中に、新番組のドラマの紹介ということで、そのドラマの出演者が勢ぞろいしてました。

 今となっては、なんのドラマだったか、さっぱり覚えていません。
 共演者が誰だったか、主演は誰だったのかすら、記憶にないです。

 けれど、そのときの福山さんの表情があんまり印象的で、後に彼がブレイクしたとき、「あ、あのときの人だ」とすぐにわかりました。

 なぜかというとですね、そのときの福山さんはまだ知名度もない新人で、役もそんなに大きなものではなかったのですが、顔に「なんで俺が主役じゃないの?」と書いてあった(ような気がした)から( ̄○ ̄;)!

 すみません。そんなの勝手な思い込みだろうと言われてしまえばその通りなのですが、私には、おでこにそう書いた紙が貼ってあるくらいはっきりと、福山さんの不満が伝わってきたような気がしてしまい。
 もちろん、ご本人はもしかしたら体調不良などで、少し顔をしかめていただけ、なのかもしれないのですが。というかそもそも、ただ無表情なのを私が勝手に、そう解釈してしまっただけかもしれませんが。

 そのとき私は少し驚いて、まじまじとテレビ画面をみつめてしまったのです。
 不満が顔に出てるけど、でも全国ネットのドラマに出るだけで、本当はすごいことなのになあ。なにがそんなに気に入らなかったのかな。と。

 整った顔立ちでした。
 そうか~。もしかして、地元ではモテモテだったのかな。それで自信をもって芸能界に入って、そしたら主役じゃなかったから、アレ?という感じなのかな。でもドラマは、全国から集まった美男美女がたった一つの主役を競い合う場だからなあ。競争激しいよね。いきなり主役というのは難しいかもしれないけど、勝負はきっとこの先だね。

 などと、私は勝手にいろいろ思ったのでした(゚ー゚)

 目に力があって、「俺はやってやるぜ」的な意気込みを感じたので、それが印象に残っていたのですが。

 後にブレイクしたとき、「あ、あのときの人だ~」と思いました。同一人物で、間違いないと思います。確証はないですけど。
 今では、歌にお芝居に大活躍ですね。湯川教授の役も、ぴったりです。

岩盤浴、天照石、そしてヨガ

 普通のサウナは肌がピリピリしてあまり好きでなかったのですが、最近になって岩盤浴にハマっております。

 熱くて閉鎖された空間に入り、汗をかく、ということに変わりはないのですが。岩盤浴の熱は、熱いというより温かくてすごく気持ちいい。

 天照石、という特別な石を使っているということで。
 バスタオル敷いてその上に寝っ転がって、目を閉じると夢心地です。とにかくふわーっとあったかいし、出てくる汗がちっとも不快ではない。全身にその温かさがじんわりと行きわたり、体中にエネルギーが満ちる感じなのです。

 部屋の中は暗く、ヒーリングミュージックが流れています。時間によって種類も変わり、ときには、森の中。小鳥のさえずり。川のせせらぎなどなど。目を閉じて横たわっていると、自分が今いる場所を、忘れてしまいそうになります。

 決まった曜日には、岩盤浴の部屋でヨガも行われており、初参加してみたのですが、これが意外によかった(^^)

 ヨガというと、インドの行者のイメージがあったもので。なにか難しいとんでもない苦行のポーズとかあるのかなと思ってたんですけども。

 ヨガの先生曰く。「絶対無理しないでください。自分の体をわかっているのはご自分だけですから、少しでも気分悪くなったり、気持ちが乗らないときには遠慮なく途中退出してください」

 大切なのは、自分の体と会話すること、だそうです。

 途中、好きなときに飲み物もどんどん飲んで、水分補給してくださいねということで、かなり自由な雰囲気でした。おかげで緊張もとけ、初めてのヨガはとても楽しかった。

 お気に入りのポーズは、シャバアサナ(死体のポーズ)です。

 これ、いつも寝る前にやってました。今も毎日、寝る前にはこの格好だ。
知らないうちにヨガしてたんだなあ、と思いました。

 頭の中をからっぽにして、思考を停止させる、というのもヨガの先生が教えてくれまして。
 でもこれも、私寝る前にはときどき、やってるような気がする。それが本当にできているのか、は別として。
 思考がゼロになる(と思えた)瞬間て、あるのです。

 たいてい、切れ切れです。
 いろいろ考える→ふっと空白が生まれる→また思考が生まれる

 目を閉じて、仰向けに寝っ転がって、寝る前のひとときは幸福の瞬間です。私、寝るのが大好きなので(^^)

 そしてヨガをやりながら自分の体と対話してみた結果、もう少し体を鍛えようかなと思いました。
 お腹周りに重さを感じたのです。普段の生活ではあまり自覚なかったのですが、横たわった状態で体中に神経をはりめぐらすと、どうもウエスト周りが重苦しく。脂肪がつきすぎているようで。

 でも、脂肪がついた理由も、よくわかります。いろんな臓器が存在する場所だからこそ、外部から衝撃が加わったときの危険性を考えて、脂肪は臓器を守ろうとしているのですよね。
 日本には腹巻、という素敵アイテムがあるように、昔からお腹は大切な場所。
 もし今のままの状態で、脂肪だけをなくしたら、皮一枚はさんで臓器は無防備な状態に…。

 これはやっぱり、腹筋だろうなと。
 腹筋で脂肪を安心させるしかありません。一時期は全身筋肉、というくらいに鍛えた時期もあったのですが、このところすっかり運動不足の状態。
 いつのまにか、筋肉もすっかり減ってしまったようで。

 適度な運動で、体を鍛えてみたいと思います。 

ユリの女王 カサブランカ

 部屋中に、いい香りが漂っている。カサブランカ。どうしてこんなにいい匂いなんだろう。

 外から部屋に入るそのたびに、思わず深呼吸してしまう。この匂い、大好きだ。真っ白な花と、それに似合いの香り。ただ清純というだけではなくて、そこにあるのは白の魅力。

 てなんだそれΣ(;・∀・)

 姿形もそうですが、女王さまって感じです。雪の女王? 咲くのは初夏だけども。
 悠然と構えてる感じで、余裕があります。

 そして香りも、押しつけがましくない。でも濃厚。私の好きな香り。

 決して甘い、という類ではないような。ちょっと山の中の雰囲気を思わせる。
 人里離れた山の中。木漏れ日。蝉の声。川の畔。
 誰も来ないのに、毎年そこで咲く花っていうイメージです。

 カサブランカには思い出があります。昔、文化祭で何人かで花を生けることになったとき、それぞれ違う花材が用意されて、誰がどの花に当たるかはあみだくじで決めようという話になりました。

 みんなあらかじめ、興味津々で花の種類をチェック。
 中でも人気が高かったのが、カサブランカの入ったものでした。

 やっぱり、一目でゴージャスと感じさせられる。白で派手ではないけど大きいし、香りも強い。私も、カサブランカの入った一包みに魅了されました。

 あれが当たればいいのにな。でもたくさんある中で、一つだけだもんな。当たらないだろうなあ。

 期待せずにあみだくじを引くと、なんと私はカサブランカを引き当てたのです!

 そのときの喜びと、驚きは今でもはっきりと覚えています。だからカサブランカを見るたびに、その香りをかぐたびに、あの瞬間に戻り、手に汗握る自分がいたりします。

 幸運で手に入れたカサブランカは、一際輝いてみえました。その日から、カサブランカは私の記憶の中で、特別な花です。

心を彷徨わせる猫

 うちの近所に、数年前から耕作されなくなった田んぼがあります。

 畑にしようと思ったのか、中途半端に土が入ったものの、すべてを埋める前に工事はストップしてしまい。そのまま季節が幾度か巡りました。

 低いところには、低いなりの。
 埋め立てが終わったところには、それなりの。

 雑草が生い茂りました。
 年に数回は刈り取られて、その直後はすっきりしているものの。雑草の生命力は凄いです。またいつの間にか、元通り。

 高く背を伸ばした草の葉が、風にゆらゆらと揺れています。

 その光景が、私は好きでした。ススキに似た草が、一斉に揺れる風景や、葉の擦れるささやかな音。つい見入ってしまいます。

 幾重にもキリのない波紋みたいに、延々と波打つ草の画は。通りかかるたびに、つい覗きこんでしまうものだったのですが。

 今日は面白いものを見ました。

 近所の飼いネコが一匹。放棄地の脇でぴしっと背筋をのばしたように、容易く触れられないような威厳を漂わせて、座りこんでいるのです。
 顔を真っ直ぐに、草原に向けています。 
 背中は真っ直ぐに、道路を向いています。

 まるで人間が、瞑想しているようにも見えました。猫の目には草の波が映ってはいるのでしょうが、だからといって猫の心はその草の波そのものにはなく。さらにその、向こう側にあるような。
 微動だにしないその佇まいからは、まるで修行僧のような清冽さを感じました。

 まるで人間が、物思いにふけっているようにも見えます。あまりにも集中していて、心がまるで、別次元に飛んでいるようです。

 こんな猫の姿をみるのは初めてで、私は猫を驚かせないように、足音を忍ばせるようにして、その傍を通り過ぎました。

 用事をすませて、30分後に、再び同じ道に戻ってきたとき。私は信じられないものを見ました。

 なんとあの猫が、まったく同じ姿勢で、同じ場所に座りこんでいたのです。猫は30分も、その場を動かないままでした。眠っているのとも違います。目はしっかり開いて、ぼんやりと草むらを映し出しているようでした。

 けれど、こんなことってあるのでしょうか。物思いにふける猫。瞑想する猫。無我の境地に至る猫。

 私はやっぱり、出かけた時と同じように、猫を驚かせないよう、そーっと抜き足、差し足。

 心がのぞけるものならば。あの猫の心をのぞいてみたい。そこに映る風景を見てみたい。そう思った、一日でした。