ダンス・オブ・ヴァンパイア観劇記 その20

 では、昨日の続きです。『ダンス・オブ・ヴァンパイア』のネタバレが含まれていますので、舞台を未見の方はご注意ください。

 ソワレでは珍しいものを聴きました。それは、「抑えがたい欲望」の最後で、伯爵は声を細くせずに一気に歌い上げてしまったのです。いつもだと、いったん弱く、細くしてからぶわーっと盛り上げるのですが。最初の一声が少し不安定な感じだったので、安全策をとって、ボリュームを落とさずにいったんでしょうね。

 舞台は何度も見てますが、一度も声を弱めないこういう歌い方をしたのは初めてだったように思います。小さくなるかな?という予想を裏切って、そのまま盛り上がっていったので少しびっくりしました。やっぱりいったん弱くなった方が、後のバズーカが活きてくるので効果的です。普段のテクニックの凄さを思い知りました。

 「今こそここで予言をしよう」と言うときの姿が、ヴァンパイアでなく神様に見えてしまったのは私だけでしょうか。清らかなオーラが立ち上っているようで、思わず手を合わせたくなってしまったというか。悪の帝王でなく、人々を教え導く聖者のように見えてしまった。穏やかな表情には迷いがなく、微笑みさえたたえているような。仏さまのようにも思えました。

 その前に出てくる歌詞、この訳詞も素晴らしいです。

 人間や愛を信じること。金、名誉、芸術、勇気に救いを求めること。奇跡や罪や罰に頼りたくなること。どれも、痛いほどその気持ちがわかる。つらいことがあって神様に助けを求めるとき、私もいつもそうしてるから。伯爵はなんでもお見通しというか、そういう経緯を自分も辿ってきて、そしてあえて「だが違う、真実はひとつだ」と言い切ってしまう。そこに心を打たれるのです。欲望という言葉の前に、「卑しく恥ずべき」なんて修飾をつけてしまうところは、実はすごく真面目な人じゃないかという気がする。

 清清しいほどの強さ。欲望こそがこの世界を支配するという、伯爵の結論。この歌を聴くと、いつも胸がいっぱいになります。山口さんの声の持つ力と、歌詞と、曲、照明も、その前後の舞台の空気も、出演者全員の存在も、すべてが合わさってあの瞬間に凝縮されているような。

 伯爵と教授が初めて対面するシーン。今回はS席下手後方だったのでわりと伯爵の表情なども見えたのですが、これは不気味ですね。真夜中に石造りの冷たいお城を訪問して、出てきたのがあの伯爵だったら相当怖い。全編通して、私が一番、伯爵を怖いと感じるシーンかもしれない。凄みを感じさせるというか、得体の知れない相手を目の前にしたときの恐怖です。

 「長い孤独にうんざりして」というところでは、本当に時の流れを感じました。なにも変わらない、空虚な時間の流れ。やっと現れた教授は、敵になるかもしれない。それでも、なにもない時間よりはよほどましだし、もしかしたら通じ合える部分があるかもしれない。久しぶりにまともに話せる相手とめぐり合えた伯爵の興奮が伝わってくるようです。

 アルフの腕を強くつかんで持ち上げる、ロングトーン。つかまれた指の感触まで、リアルに想像できました。その痛さが、心地いい。あの力強さが、伯爵の魅力なのですよね。迷いをふっきる、力強い指針。

 去っていく背中。一度振り返って客席を見据えるのがいいなあと思います。あのまま退場するのではなく、会場に見得を切るところがポイントです。一幕の終わりにふさわしい絵だなあといつも感心するのです。

 さて、今日は伯爵が、城の貴族たちを見下ろして、煽るシーンの持つ意味について考えてみたいと思います。そう、あの電飾で飾られた螺旋階段の上です。これから始まる舞踏会を前に、興奮した吸血鬼たちの息遣いまで聞こえてきそうな迫力のシーン。

 

 私は、「抑えがたい欲望」からこのシーンまでの、怒涛の流れが好きですね。とめられない大きな力を感じるというか、動き出した運命の歯車の勢いに、ただただ圧倒される。坂の上の大きなボールが、ゴロゴロと転がりだすようなイメージもあります。

 そして、人々を見下ろして「さあ諸君」と呼びかける伯爵の姿に、その言葉に、「悲劇」の印象を受けるのです。言葉にするのは難しい、複雑な気持ちになってしまう。あの場面を見ているときの私の気持ちを、一言で言うなら「悲劇」なのです。

 サラという獲物を獲て、すぐにでも喰らいつきたいのを堪えてまでなぜ、伯爵はあのような派手な舞踏会を催したのか。華やかな舞台で、退屈な時間を紛らわせたいというような単純な理由だけではないと思うのです。食欲を満たす以上の意味が、あの舞踏会にはあったような気がする。

 それは、伯爵が自らに課せられた運命への宣戦布告というか、徹底抗戦の意志を明らかにした場面だと思うから。神様への挑戦といってもいいかもしれない。

 「神よ、見るがいい。私はこの娘を誘惑し、娘は自ら呪われた生を選んだ。私はもはや、この運命に惑わされることはない」的なメッセージがこめられているのではと想像しました。1617年に輝く髪の娘を失って以来、初めて伯爵が運命を甘受した劇的な瞬間ではないでしょうか。

 自分が心から愛した娘の命が、自分のせいで失われてしまった罪悪感。それと戦いつづけた伯爵の長い時間が終わる。サラは喜んで伯爵に血を吸われ、自らの意思で吸血鬼となった。伯爵は娘の願いを叶えただけ。そして、その血はこのうえなく美味。たとえ一時でも、伯爵の渇きは癒される。単純で、原始的な欲望と充足感。

 たぶん、サラの血を他の人が吸うことは予定されていなかったでしょうね。サラは伯爵にとっての特別な獲物だから。「サラという生贄を得た」という伯爵の言葉に皆が沸くのは、痩せこけた農夫ではない華やかな仲間が増える嬉しさだったり、滅多にない派手な舞踏会の主役にふさわしいという賞賛だったり。また一人こちらの世界にやってきて自分達と同じような闇の世界の住人になるのだという、他人が自らと同じ地獄に落ちるのを見るサディスティックな喜びだと思います。

 だから、「あと2人の獲物が待ってるのだ」という言葉は、食欲に翻弄される彼らにとっての思いがけない朗報だったでしょう。華やかな舞踏会の空気を楽しむだけでなく、そこに、渇きを癒すごちそうが登場したのですから。そして、舞踏会の空気は一気に最高潮に達するのです。

 「抑えがたい欲望」の中で、伯爵は「この私がわからない自分でさえ」と悲痛に歌っていますが、伯爵は吸血行為にいつも、金の髪の娘だったり、牧師の娘だったりの幻影がちらついてその罪悪感やモラルから逃れられなかったのではないかなあと思うのです。ヴァンパイアとしての自分の運命の謎を解くことも叶わず、かといって渇きは癒されない。生きていくのに血は必要なのに、その血を吸うたびに失った人の記憶が胸を刺す。

 自分の弱さを思い知るというか、すぐに克服できると思ったのに心が言うことをきかない状態。

 その打開策として、伯爵が切り開いた道があの舞踏会であり、サラだったのかなあと思いました。

 夏休み中なので帝劇にはお子様の姿も見えましたが、この演目はあんまりお子様向きではないかも(^^;描いてる内容が複雑だし、吸血鬼の客席いじりも、子供には相当の恐怖ではないでしょうかね。かといって、帝劇の中心客層と思われる熟年女性にターゲットを絞った演目とも思えないし。これを上演しようと計画した東宝の決断はすごいなあと思いました。あまり若者にお勧めの作品とも言えないですね。学生の団体観劇には絶対ふさわしくないしなあ。

 ただ、これは一部の熱狂的なリピーターを呼ぶ作品だと思いました。これは、子供向けでなく大人のための舞台ですね。

ダンス・オブ・ヴァンパイア観劇記 その19

 8月8日マチネ&ソワレ 帝国劇場で『ダンス・オブ・ヴァンパイア』を観劇してきました。以下、ネタバレを含む感想ですので、未見の方はご注意ください。

 マチネ。大塚ちひろサラに浦井健治アルフレートでした。最近は泉見アルフでの観劇が多かったので、浦井アルフを楽しみにしていたのですが、あれ・アレレ・・・。なに、この物足りなさはなに?と、欲求不満になってしまったのでした。

 今回の席は1階S席下手前方という、かなりの好位置。浦井アルフはお人形のように美しく、女性のような線の細さ、貴族的な物腰。相変わらずの王子様キャラでした。だけど、泉見アルフにあるような情熱が感じられないのです。ズバリ言ってしまうと、「サラのこと、別にどうでもいいんだろうなあ」ということです。

 浦井アルフの見た目は好きです。立ち姿も美しい。ああいう気品は出そうと思って出せるものではないと思うし、おとぎ話の王子様だったら、これ以上のはまり役はないでしょう。

 でも、アルフレートとしたら、私は泉見さんの方が好きになってしまったかも・・・。いえ、かもではないですね。今回、観劇して気付きました。泉見さんのアルフレートを見た後だと、浦井さんを薄く感じてしまうのです。初めて見たときは浦井アルフの方が好きだったのに、泉見さんの熱演にすっかり魅せられてしまった。

 浦井アルフのサラへの愛情を、薄いなあと感じてしまいました。アルフの、臆病な若者なりの勇気というのが一つの見所だと思うのですが、そういうものがあんまり見えなかった。

 

 浦井アルフで好きなところを3点挙げてみます。まず1点目。「恥ずかしいです。でもできない」この言い方は、いつ聞いても笑えるのです。客席も毎回、この台詞で沸いているような気がします。

 2点目は、ヘルベルトに襲われてヒャーヒャー言って逃げるところ。通路をぐるっと回って舞台に戻ってくるまで、ずっと悲鳴を上げ続けているのですが、これは面白いです。アルフの情けなさが際立つ、効果的な演出だと思います。

 3点目は、最後に血を吸われてからの一言。「悪くないね」を、わりと自然な調子で言っているのが好きです。ここは、変に悪ぶると不自然さを感じてしまうのです。泉見アルフの「悪くないね」よりも、浦井アルフの言い方の方が好き。

 大塚ちひろサラについては、以前からの感想と変わりませんでした。大塚サラは、どことなく世慣れた感じがしてしまって、新鮮さがないのが残念かも。どこにでもいるような現代娘で、それはあなただったかもしれないし私だったのかもしれない、と観客に思わせるための演出だったら、その点では成功ですね。大塚サラを見ていると、すでに街には何度も遊びに出ていて、遊び仲間もたくさんいる人のように感じてしまうのです。そもそも、外へ自由に出かけること、自分の欲望に忠実に従うことを罪悪だと感じていないあっけらかんとしたものを感じます。親からとめられているからそれをしないだけであって、自分の内なるモラルとの葛藤はないように思えます。

 

 

 そういえば大塚さんは写真撮影のときに「エロかわいい」がテーマだというようなことを演出サイドから言われていたようですが、「エロかわいい」って、サラのイメージとちょっと違うような気がする。エロなんてものは、意図的に見せるものではないと思うし。むしろ、あからさまではないところに存在するんじゃないかと思うわけです。剱持さんは、「真面目にあんまり考えるな」と言われたそうですが、そういうアドバイスの違いにも、2人のもともとの性格の違いが現れているなと感じました。同じサラという役でも、演じる人によって個性がそれぞれあります。

 私は「エロかわいい」という言葉、もともと好きではありません。それを用いるとき、そこには色気も可愛らしさもなく、ただ下品さが前面に出ている気がするのです。若い女性の色気なんてものは、意図的に作り出すものではなく、無意識に出てくるものだと思っています。

 サラは、もともと真面目で素直な子という設定なのではないでしょうか?それが成長するに伴い、束縛する親への反発だったり、自分が知らない外の世界への憧れが出てきて、モラルと誘惑の板ばさみになるのだと思います。それを演じるには、剱持さんの方が合っているように思います。

 ヘルベルトは、「牙つけるの早!!」という感想です。歌いながら、しかもアルフの背中に一瞬隠れてその隙につけるという早業なんですね。出演者の牙つけの中で、一番の器用さだと思いました。ヘルベルトとの相性で言ったら、浦井アルフです。なんの根拠もないんですが、ただ舞台を見ていて、ヘルベルトは浦井アルフのようなタイプが好みだろうなと思ったのです。気のせいか、ヘルベルトの両アルフへの愛には差があるような・・・。浦井アルフのときにはヘルベルトの執念を感じました。

 クコール。回を重ねるごとに不気味というよりどんどん可愛くなっているのは、それでいいんでしょうか(笑)。でも、よくよく考えてみるとかなり可哀想な境遇です。シャガールに忌み嫌われているのは、伯爵がバックについているという以前に、やはりその容姿でしょう。クコールの生きる場所は、伯爵のお城しかないのだろうと想像できます。雪に閉ざされた村の中。異形のクコールはあまりにも目立ちすぎる。闇の世界の住人にしか受け入れてもらえない。それでも、シャガールのところへ来たときに「こんにちは」と深く頭を下げる姿がいじらしいです。

 クコールは、十字架や日光が大丈夫なところを見ると、吸血鬼ではなく人間ですね。でも、人間側には受け入れてもらえない。

 いつも一生懸命だし、心優しい人なんだなあと思います。モーニングティーをいそいそと用意するしぐさ。ベッドで眠る教授の布団を、ぽんぽんとあやすように叩くしぐさ。それでも、ただ容姿が異形のものであるというそれだけで、アルフにも受け入れてもらえない。「いやー」と叫びながら去っていくクコールですが、その気持ちはわかります。きっと、アルフや教授に喜んでもらいたかったのですよね。「ありがとう」って笑って欲しかったのです。でもそんな簡単なお礼の言葉ですら、クコールにとっては高嶺の花。

 伯爵に甘える姿も、せつないものがあります。唯一、優しい言葉をかけてくれるのが伯爵なのかな。ヘルベルトは、クコールをただの使用人として冷たく扱っていそうなイメージ。城の住人と交流があるようにも思えないし、やっぱり伯爵だけがクコールにとっては救いなのでしょう。

 誉めてもらいたいから、お客様のお世話は張り切りますよね。クコールがいてよかったと言われたい。クコールに任せてよかったと言われたい。伯爵の腰に頭突きをしたり、すりすりと甘えるしぐさは、そんなクコールの心の声を表しているのだと思いました。

 

 最後、狼に襲われて死んでしまうところも哀れでした。結局人間社会でも生きられず、吸血鬼にもなれず。伯爵には可愛がられたといっても、それはしょせん「使用人に対する愛」でしかなかったと思うし。

 エンディング、欲望に身を任せた吸血鬼たちが楽しそうに踊り狂う中に、クコールの姿がない。クコールは、どちらの世界にも属さない異端児だったということでしょう。

 次回は、ソワレの分の観劇記を書きます。

ダンス・オブ・ヴァンパイア観劇記 その18

 8月4日マチネ。帝国劇場で『ダンス・オブ・ヴァンパイア』を観劇してきました。以下、ネタバレを含む感想ですので、舞台を未見の方はご注意ください。

 本日、伯爵絶好調でした。「抑えがたい欲望」の表現力には、参りました。どんなに抵抗しようとしても、気がつくと伯爵の作り出す世界に引きこまれてしまう。今日はいつもより冷静に見ようと考えていたのに、音楽が流れ始めて墓場に大きな影が見えると、それだけで胸の奥が痛くなるのです。

 手を伸ばして、それを掴んで、自分のものにしたと思ったのにそれは粉々に砕けて。呆然として、もはや元の形を持たないそれを、伯爵はどんな思いで眺めたんだろうと想像してしまうのです。伯爵がどうしても欲しいものは、いつも消えてしまう。その原因がどこにあるのかわからない。自分のせい?

 運命を呪ったところで、答えはみつからない。神はいないと断言するまでに、なにがあったのか。この歌を聴くたびに、いつもいつも、それを考えてしまいます。

 「虚しく果てしない欲望の闇」の最後の「み」が哀しいくらいに高い音で、それがすーっと心にしみますね。目の前に真っ暗な海が広がるイメージです。伯爵が見ているその海はきっと、果てがないほどに広くて暗いのでしょう。どこに終わりがあるのか、どこが出口なのか。自分という存在そのものが飲み込まれてしまうような感覚。その海を前に、伯爵はたった一人立ちすくんでいる。

 「神は死んだ」の中で「私は祈り堕落をもたらす」と歌い始めるシーンなのですが、伯爵が無垢な存在に感じられました。優しくて、弱くて。これは今日だけの感想かもしれません。

 ヘルベルトも教授も、そしてクコールも他の登場人物も、毎日少しずつ変化していきます。「お客様に伝えたい」という熱意を感じました。墓場のシーンから、客席に降りて退出していく吸血鬼たち。通りすがりに客席を脅す姿には、熱いものがありました。私のそばにいた初観劇らしきおばさまは、吸血鬼に構われて本当に大喜びしていました。カーテンコールの盛り上がりを見ると、出演者全員のパワーが、観客を動かしているのだと痛感します。

 どんどん良くなっていく舞台。いいものをみせてもらいました。ありがとうございます。

ダンス・オブ・ヴァンパイア観劇記 その17

 8月3日ソワレ。帝国劇場へ『ダンス・オブ・ヴァンパイア』を観劇に行ってきました。以下、ネタバレを含む感想ですので、舞台を未見の方はご注意ください。

 今日もB席。贅沢を言っては罰が当たる・・・とはいうものの、B席が続くと前方席で見たくなってしまうのも確かなのです。伯爵の表情を間近で見たい。

 本日最大のハプニングは、アルフレートが見る悪夢のシーン。天蓋つきベッドの上で一人の吸血鬼が劇場を引き裂くような雄叫びをあげるクライマックス。その後エコーもかかるという、見せ場です。なのにいきなり声がかすれるというか割れるというか、とにかくひどい状態でした。

 可哀想に、一声叫ぶだけでなくて、ずっと声を出し続けるというシーンのため、そのボロボロ状態の声を伸ばし続けることになってしまいました。公開晒し者状態です。これはつらい。気の毒でした。最後のエコーはどうなるんだろうか、もう止めてあげたい、などと思いつつ様子をうかがっていたところ、結局ちから技でなんとか、無理やりまとめてました。これはすごいと思いました。あれだけボロボロだったのに、なんとか形をつけて終わらせたから。声量を上げることで、むりやり穴を埋めたという感じです。

 さすがプロだなと思いました。まるで自分のことのようにハラハラしてしまいましたが、私だったら途中で諦めて声を出すのをやめていたかも。

 今日の失敗した人、終演後やっぱり演出から怒られてしまうのでしょうか。もしかしたら、声質がああいう叫びに合っていないのかもしれません。ヘビメタのように太い声を出すのが得意な人でないと、あのシーンは厳しいですね。

 以前からこの、雄叫びシーンは不安定だ(その日によって出来が違う)なあと思っていたのですが、今日のような決定的な失敗を聴いてしまうとなおさら、山口伯爵のすごさを思い知らされます。たしかに、山口さんは今日はどうだったとかこの間はとか、いろいろ声の調子を言われてしまう存在ですが、その良し悪しの振れ幅は驚くほど小さいのです。伯爵の調子の悪いときと調子のいいとき、初見だったら絶対気付かない。

 たとえば一幕最後。アルフに歌い上げる場面があります。最後をどこまで伸ばすか、というのは日によってもっと差があってもいいような気がしますが、いつも「これでもか」とばかりに伸ばしてくれて、危なげなく安心して聞いていられる。あれだけ伸ばすんだから思いきり息を吸いこむのが感じられて当然なのに、ブレスが自然で、全然違和感がない。普通に呼吸するかのようにすっと息をすって、それから歌にあれだけの広がりを与えるって、空気はどこから取り入れているのかという素朴な疑問がわきました。歌いながら鼻から吸うとか・・・(笑)もはや、人間ではなくなってます。

 「抑えがたい欲望」に関しては、最後の音をブレスを入れずに一気に歌い上げるようになりましたね。一時、細い声のときにいったんブレスしてそれからうわぁっと盛り上げるように歌っていたことがあって、そりゃ肺活量にも限界があるんだろうし、安定したレベルの歌を提供するにはそれが確実だろうけども、少し寂しかったのも事実。ファンのそんな思いが通じたのか、それともご本人のこだわりなのかは不明ですが、最近はその箇所でブレスするのをやめたパターンが続いてます。このままでお願いしたいです。私はその方が好き。細い消え入りそうな水の流れが、濁流になって最後は全てを押し流す、そんなイメージの音です。

 

 伯爵がコウモリになってサラを訪ねるシーン。悩ましいサラの高音と共に、黒い幕?が上がっていくところがいいなあ、と思いました。人は誰でも、その人固有の空気をまとっていると思います。あの人が来るとパっと明るくなったとか、暗くなったとか、そういうオーラのようなもの。伯爵は夜の住人ですから、登場前にその場の空気が変わる演出は必須です。黒い幕が上がって、背景が黒くなるという単純な仕掛けなのですが、夜の闇が一層濃くなって、いつなにが現れてもおかしくない禍々しい空気が感じられます。なにが始まるんだろう、という不安と期待が高まる瞬間。

 そしてコウモリ伯爵登場!「ごきげんよう・・」このおとぼけぶりが笑えます。お風呂のぞいておいてごきげんようって、どんな伯爵だよ・・・と、私はいつも心の中でツッコミを入れてしまうのです。でも、こんにちはでも今晩はでもなく、それが「ごきげんよう」であるのが伯爵らしい。いかなるときも優雅。のぞきが見つかって慌てふためくアルフとは格が違う。

 伯爵とヘルベルト、教授とアルフが城で一堂に会する場面。伯爵が「よろしくどうぞ」と言ってくるりと後ろを向いてしまうところが好きです。この4人の構図が素晴らしい。一人だけ後ろを向いてしまうところが、かえって想像をかきたてて効果的だと思います。この演出センス、大好きです。ふいっとすべてを託されたヘルベルトの「やっと退屈にさよなら」が、不気味で怖くて、でも美しい。

 教授を見ていて思ったのですが、もしかして台詞や動作を数パターン用意していて、その日によって変えているのでしょうか。今日も、ヘルベルトを撃退した後アルフにお説教するシーンで、座ってました。前はずっと立ってたと思うから、この間初めて見たときには「座ることが特別」だと思ったのですが。これからはこのバージョンで行くのかな。

 「ニンニクをぶらさげているんだ?」「ニンニクをブラブラさせているんだ?」「目覚めは安らか」「目覚めは爽やか」この辺も、日によって違う感じです。

 今日は泉見洋平さんのアルフレートでしたが、またマイクの調子が途中で悪くなって、生声?に聞こえる箇所がありました。どうするのかなと思って見ていたら、それからはいつも以上にはっきりと発声。マイクなしでも客席にきちんと声が届くよう、とっさに対応したんだと思います。この間の杭なしハプニングのときもだったけど、こういうときに機転がきくのっていいですね。

 そしてカーテンコール。2階席にやってくる吸血鬼さん数名。気の毒すぎる・・・・。公式のリー君ブログを見ると、どうやら当番制らしいのですが、早くやめてあげてーと思いました。2階には2階の空気があるし、吸血鬼さんが来なくても皆立ってます。やってきた吸血鬼さんも、正直、やりにくいのではないでしょうか? わざわざ2階に来る意味が、よくわかりません。カーテンコール時の吸血鬼の客席降りは1階だけで全く問題なしだと思います。

 1幕のお城シーンで、2階にも吸血鬼を登場させてくれるのはとても嬉しいのですが。あそこは、舞台の明るさが逆光となり、行き来するマント姿の吸血鬼の姿が黒く浮き出て、幻想的でとても気に入ってます。あれは続けてほしい。

 伯爵がスタンディングを煽っているのを見て、思わず顔がにやけてしまいました。煽り方がとても、独特。「ほら、立って?ね?ねね?」という心の声が聞こえてくるようです。こんな風に客席と気さくに交流を持つなんて、山口さんにしてはとても珍しい。他の作品のときだと、まわりに気を遣っているのがよくわかります。でも今回は主演だから・・・。これでいいんじゃないでしょうかね。スタンディングの合図は伯爵ということで。最後の垂れ幕だって、「俺様大勝利!!」ですもん。この場で、誰が伯爵に逆らえますかっていう話ですよ。今日も2階は総立ちでした。

ダンス・オブ・ヴァンパイア観劇記 その16

 8月1日ソワレ。帝国劇場で『ダンス・オブ・ヴァンパイア』を観劇してきました。以下、ネタバレを含む感想ですので、舞台を未見の方はご注意ください。

 本日のサラとアルフレートは、私の一番好きなコンビ。剱持たまきさんと浦井健治さんでした。二人とも気品があって、どこか浮世離れしていて、おとぎ話に出てくる登場人物みたいでした。うーん、やっぱりこのコンビは好き。情けなさでいったら泉見アルフだってかなり熱演しているのだけど、浦井さんのはまた独特の情けなさなのである。

 浦井アルフで私が見逃せないシーン。それは、アルフが棺で眠る伯爵に杭を打とうとして、どうしてもできず断念するという場面です。教授に叱責され、「情けないです。でもできない」この台詞に泣きが入ってるところがおもしろい。浦井アルフの真髄はここにあるのだ、と私は勝手に思っています。ちなみに、泉見アルフの真髄は、たぶんヘルベルトに迫られて震えるところかと。泉見アルフに関しては、教授の顔色をいつも窺って、必要以上に笑顔なところも好きですね。

 サラに血を吸われた後、自分の血をなめて「悪くないね」というシーン。泉見アルフはいきなり悪人声で言うのですが、私は浦井アルフの自然な言い方のほうが気に入っています。吸血鬼化は徐々に進行するものだと思っているので(サラもそうだったし)、あのときはまだ、人のいいアルフのままでいいんじゃないかと思います。子供がおもしろいおもちゃを手にしたときのように、無邪気な喜びを表してほしい。

 伯爵は、今日も絶好調でした。この舞台は、伯爵に限らずカンパニー全体が、日ごとに進化していると思います。7月の初めに見たときと、熱気が違う。余裕が出てきて、役者さんがそれぞれ試行錯誤しつついろんな方向性を試しているように思えます。7月の初めに見ただけの人は、ぜひ8月以降もう一度見てみることをお勧めします。その違いに、驚くのではないでしょうか。

 伯爵が「その若さが枯れてもいいのか」と歌い始めるときの悪っぷりにドキドキしてしまいました。山口さんの声はもともとすごく甘い。「時はついに訪れ」で始まるのが、いつもの甘く優しい歌声だとしたら、この誘惑シーンはまさに「邪悪」という感じ。こういう歌い方する山口さんは新鮮です。サラをまっすぐに見据える姿も迫力だし、ガンガン押したかと思うと「教え込まれただろう」というところでは、フイっと追及の手を緩める。押しと引きのテクニックを駆使して、これでもかとばかりに歌い上げる。

 「抑えがたい欲望」では今回、私はかなり贅沢なことを試みてみました。途中、目をつぶって聞くというチャレンジです! 普段は伯爵の動きの一つ一つを見逃すまいと凝視しているのですが、たまには変わったことをしてみようかとしばし目を閉じました。

 視覚が遮断されるとそれだけ音に対する集中力が増すので、堪能しました。でも10秒ともたなかった。牧師の娘に会ったのくだりで伯爵の声があまりにも喜びに満ちて、顔を輝かせるその映像が脳裏いっぱいに広がったからです。実際には、座っているのはB席だったし肉眼なので、舞台上の細かい表情など目を開けたところで見えるはずもないのですが。でも、思わず目を開けずにはいられませんでした。

 ダンス・オブ・ヴァンパイアに通い始めた最初の頃は、「輝く髪の娘」が伯爵にとって一番なのかと思っていましたが、この頃の歌を聴く限り、「牧師の娘」に寄せる愛情も相当深かったのかなあという気がしてなりません。牧師の娘のことを思い出したときの、伯爵の嬉しそうな声。思い出だけで、こんな幸福な気分にさせるなんて。白い肌に赤い血のイメージがまた、扇情的で、印象深いです。

 

 鐘の音と共に去っていく伯爵の後ろ姿。大好きなのですが、今日はマントをバサっと動かすしぐさが見えました。こういう激しい動きは以前はなかったような気がするのですが、私が気がつかなかっただけでしょうか。それも、今日は2回くらいバサっとしていたような。

 ここは静かに立ち去る方が荘厳な感じでいいなあと思いました。もしくは、バサっとやるのなら一度だけ。過去の甘い感傷を自ら断ち切る意志を示す表現として、なら効果的だと思います。

 せっかくマント姿なのだから、それを翻すかっこいい姿を見たいなあという気持ちはあるのですが、場面を選ばないともったいないです。

 墓場のシーンは、歌う伯爵の横で、たぶん新上裕也さんが踊っています。視界の隅にその姿を見て、「見たい」と思うのですが、どうしても伯爵から目が離せなくて残念です。なぜあのシーンにダンスを入れたのか、その点は謎ですね。たしかに伯爵は動きも少ないし、それをかばう意味でダンスシーンを入れたんだろうけど。観客の目はどうしても伯爵にいってしまうだろうし、せっかくの新上さんのダンスがもったいなさすぎる。伯爵の動き、そして歌だけで、あの場面は十分だろうと思うのです。いろんなものを詰め込みすぎるとかえって、駄目になってしまう気がします。

 8月からはなにかが変わる、ということで、公式HPのリー君の言葉にわくわくしていたのですが。結局変わったのは、カーテンコール時に二階席にも煽り部隊が登場・・・・でした。これはちょっと、あんまりいい企画とは言えないかも(^^; 二階席に煽る人って必要かなあ。私はいらないと思います。

 たしかに二階は、一階以上に舞台との距離を感じる席ではありますが、カーテンコールはそれなりに盛り上がってますよ。まあ、7月の最初の頃は、たとえ一階席がオールスタンディングでも二階は誰も立たない状態が続きましたが。

 今は違います。二階もみんな、立ち上がってます。それは、伯爵がクイックイとスタンディングを煽る手つきをしているから。私が山口ファンだからなのかもしれませんが、あれをきっかけに立ち上がる人が多いような気がします。やはりみんな日本人だから「立っていいよ」という指示がないと、立ち上がるきっかけがつかめない人が多かったんじゃないでしょうか。自分から率先して、というのはなかなか勇気がいります。立ちたいけど、変なタイミングだと後ろの人に悪いなあとか、思ってしまう。。誰かが立てば、その後ろの人は視界が遮られてしまうから。

 伯爵自ら、「ほら、立って。立って♪」とやってくれると安心して立てるのです。

 二階に煽り部隊登場は、意味がないと感じました。十分熱いんだから、そこまでしなくてもいいと思う。一階と温度差があったって、それはそれでいいじゃないですか。わざわざ二階にやってくる部隊の人たちも、なんだか気の毒に感じてしまいました。

 カーテンコールで煽る伯爵を見るのは、ひそかな楽しみだったりします。カーテンコールの伯爵は、手拍子も含め微妙にレトロな感じで、それがたまらなく愛おしいです。