モーツァルト!観劇記 4回目

 昨日の観劇記の続きです。ネタバレありますので、未見の方はご注意下さい。

 山口祐一郎さん演じるコロレド大司教。私、このキャラかなり好きかも(^^;

 登場シーンからして、ぞくぞくするわけですよ。富も名誉も権力も手にした男の傲慢さ。普通だったら、ぞっとするくらい嫌な奴なわけなんですが、山口さんが演じるとなぜか、清潔さを感じるのです。なんでだろう。声に力があって、命令が当たり前で、そのことに少しの疑問を感じない権力者で、そこに立っているだけで周囲を威圧していて。

 その最初のシーン。歌の終わりが、「・・・父親も息子も」で、キーがすごく高くなる。ここが大好きです。低い音から、いきなり急上昇。でも、楽々歌い上げちゃう。山口さんの高い歌声、いいんですよねえ。私は低い声より、こうやってぎりぎりまで高い音を歌う声の方が、好き。なんというか、山口さんの本領発揮という感じがするから。

 この、急にふいっと高くなる部分で、鳥肌立ちました。この方の歌声は、心を鷲づかみで揺さぶる、そういうパワーがあるのです。この「父親も息子も」という高いキー。モーツァルトの全曲の中で、一番好き。ここが、最高潮に盛り上がる。うっとりでした。

 コロレドという人は、実はモーツァルトの一番の理解者ですね。音楽談義をしたら、唯一モーツァルトと同レベルで話せそう。モーツァルトの持つ神がかり的な才能を、一番よくわかってる。父親ですら理解できないものを、理解している。

 美食家で、女性をはべらせて、自分の権力に固執する堕ちた聖職者。だけど山口さんが演じると、清冽な求道者に見えてしまうから不思議です。モーツァルトに対しては、怒りはもちろんあるんだけど、それ以外の様々な感情が複雑に絡み合っていて、ただ単純に怒っているわけではない。モーツァルトをみつめる瞳が、まるで愛しいものを見ているように優しかったり。

 手の中に、置いておきたかったんでしょうねえ。モーツァルトが大司教に完全な服従を誓い、決してその手から羽ばたこうとせず、与えられた鳥かごの中で作曲活動にいそしんだなら、大司教ほどモーツァルトを可愛がった人はいなかったと思いますよ。

 その才能を理解し、敬服し、恐れ、閉じ込めてしまおうとした気持ちが、わからなくもないです。音楽の圧倒的な力の前に、神の摂理までが霞んでみえたら、大司教のアイデンティティはどうなるのかと。そういう意味では、コロレドはとても真面目だと思う。神様という大前提の前に、生活があるわけで。彼は彼で、神様に身も心も捧げている。

 お戯れシーンがあります。4人の女性に囲まれたコロレド様。なのに、相変わらずなぜかエロくない。ハーレム状態なのに、なんだか哲学でも考えているのかと思ってしまう。手は女性を触りながら、思考は遥か彼方をさまよっているような。演じる人によっては、ガハハっという下卑た笑いが似合う堕ちた聖職者に見えるだろうに、なんで山口さんだとこんなに清潔なんだろう。

 人間、なにもかもを手に入れたら、世の中の真理というものを探求したくなるのかもしれません。ちょっとした小金だったら、ハーレムを作るというのもあるでしょうが、いつかは飽きますよね。そもそも命ってなに? 神様ってなに? コロレド様は、そういう境地に達していたのでしょうか。だとしたら、モーツァルトはどんな美女よりも、気になる存在だったでしょう。

 コロレド役。山口さんにぴったりです。もし山口さん以外が演じていたら、魅力は半減していたと思う。山口さんにしか出せないコロレド像だと思いました。ファンの方、必見です。 

モーツァルト!観劇記 3回目

8月4日 ソワレ 帝国劇場 前方センター席。

モーツァルト! を観劇してきました。

以下、ネタバレしておりますので、未見のかたはご注意ください。

 「モーツァルト!」を観劇するのは2度目です。前回は、井上芳雄さんが演じるモーツァルト(ヴォルフガング)を見たので、2度目は中川晃教さんが演じるのを見ようと思っていたのですが・・・。どうしても、前方のセンター席がとれませんでした。

 来週あたりから、そろそろ仕事の方が忙しくなってくるものですから、今週を逃すともう見られないかもしれないし・・・・と悩んだ末、とにかく、良席のチケットがとれたら、配役に関わらずそれを見ようと決めまして。結果、井上さんのヴォルフガングをもう一度見ることになりました。

 前回、シカネーダーを演じた吉野圭吾さんの、あまりの名演技っぷりに衝撃を受けたものですが、今回も吉野さんは素晴らしい!! とにかく細くて、スタイルいいんですよねえ。普通に生活するぶんには、痩せすぎなんじゃないかと思ってしまいますが、舞台上ではひときわ輝くのです。

 あのシカネーダーのダンスは、ぜひご覧になってください。なにかをたくらんでいるような、意味ありげな笑みも印象的です。とにかく怪しいオーラが全開。

 初めてモーツァルトを見たときから、数日間は、シカネーダーの姿が頭から離れませんでした。それだけ衝撃的です。モーツァルトの主役はモーツァルト。なのに、なぜあんなにも忘れられない人物なのか。

 舞台って、怖いですねえ。主役よりも目立ってました。あまりにもハマリ役すぎます。シカネーダーが吉野さんなのか、吉野さんがシカネーダーか。長髪がかなり美しいです。

 もしも吉野さんがシカネーダーでなかったら、この作品の魅力は半減しているのではないでしょうか。それだけ、いい味出してます。また見たいです。センター前方で。レ・ミゼラブルは歌がメインのミュージカルだと思うので、よくB席で見ていました。でも今回のこの作品は、シカネーダーを間近で見たいがために、どうしても前方センター席にこだわります。

 吉野さん。本当に素晴らしかった。吉野さんを見る目が変わりました。レ・ミゼラブルのときとは、全然違います。

 井上ヴォルフには、前回見たときよりも、丁寧さを感じました。セリフの一つ一つ、動きの一つ一つに心がこもってます。前回は少し、荒削りで感情的なイメージだったんですが、今回は繊細な感じ。こういう神経の細やかな感じが、いかにも井上さんらしいなと思いました。

 舞台上で発するエネルギーはすごいですね。最初から最後まで、若者のエネルギーが爆発してました。自分の中の情熱をもてあます演技に、若さを感じます。

 さて、前回と配役が違ったのは男爵夫人とコンスタンツェです。まず男爵夫人。歌がうまいです。前回の久世さんよりも、余裕を感じる歌でした。

 ただ、なんとなく宝塚っぽさが気になってしまって。どこがどうとは、うまくいえないんですが、宝塚っぽいなあと思ってしまうのです。男役っぽい歌い方? なのかなあ。男爵夫人になりきっていないように思えました。あそこは、貴族ならではの優雅さ、女性らしさがほしいです。

 ヴォルフガングを導く重要な役どころなので、もうワンステップ役に入り込めたら、もっと観客の心に響いてくると思う。

 コンスタンツェ。前回の西田ひかるさんより、私は今回の木村佳乃さんが好みですね。なによりも声。存在感。西田さんの場合、どうしてもお嬢様っぽい品行方正な空気が伝わってくるのですよ。

 西田さんで見ていたときは、西田さんで満足していたんですが、木村さんで見てしまうと木村さんのよさを実感します。

 蓮っ葉で、単純で、わがままなところもあり、そういう「いい子ちゃん」でない魅力があふれているから。きっとモーツァルトだったら、よき妻になるような西田さんではなく、木村さんを選んでいたと思う。

 無味無臭ではない、突き抜けた個性が魅力なんですよ。生命力が強いというか、輝いている。きらきらしている。そういうものが伝わってくるから、モーツァルトがコンスタンツェに惹かれた気持ちがよくわかる。

 ただ、惜しいのは声量。盛り上がって、ここぞというところで声が小さい。がっかりでした。そのときだけ「これが新妻聖子さんだったら」と思ってしまいましたよ。新妻さんの声は、気持ちいいくらい通りますから。

 木村さん、声そのものはとてもきれいなんだから、発声の訓練をしたらもっと歌えると思うのです。もったいない。喉の奥がきちんと開いていないような歌い方でした。

 井上さんと声の相性がいいですね。すごくお似合いの二人だったように思います。だから、気持ちがすれ違っていくときの悲しみが、よけいに増したような気がするのです。木村さんのコンスタンツェ、とても純粋な感じだったから。本当にモーツァルトを愛していたのに、どんどん二人の距離は離れていった。

 また長文になってしまったので、続きはまた後日。

モーツァルト!観劇記 2回目

 

 昨日の観劇記の続きです。ネタバレしておりますので、未見の方はご注意ください。 

 今回の観劇で驚いたこと。やたら目立つお方がいたのです。そのお方の名は、シカネーダー。登場したときから紫の衣装で、怪しいシルクハットをお持ちの劇場支配人。

 名前からして、常人ではありません。モーツァルトに、芸術ではなく娯楽の音楽の方が難しいのだと説きます。群舞というのでしょうか。シカネーダーを中心に皆が踊るシーンがとても華やかで、楽しかった。ダンスのきれが、他の人と全然違っていました。それと、スターのオーラがすごかった。目立つ、目立つ。

 彼を見ながら思いました。私、この人をどこかで見たことあるなー。誰だろう。そして、舞台が進むにつれ思い出したのです。「青江冬星なんだわ」と。

 青江冬星といえば、「はいからさんが通る」の登場人物の一人。その2次元の人物が、今、私の目の前で踊っているのです。足の長さ、スタイルのよさ、ダンスのうまさ、もう彼から目が離せませんでした。そこはかとなく漂ううさんくささ。山師を思わせる笑み。

 「うわー、青江さんを3次元で見られるなんて」興奮しながら見ていました。いったいなんという役者なんだろうか。この人は、絶対これから人気がでるはず。だって、持ってるオーラがスターのものだもの。家へ帰ってきて、名前を調べてびっくりです。なんと吉野圭吾さんなのでした。以前、「レ・ミゼラブル」でアンジョルラス役をやった人ではありませんか。

 アンジョルラス役は、正直合ってなかったと思います。私は吉野アンジョルラスを見ましたが、学生達をひきつけるだけのカリスマ性を感じなかったし、そもそもパワーが弱いのです。客席に訴えかけてくるなにかが、絶対的に足りない。もう一度、吉野アンジョを見たいとは思いません。

 でも、当たり役というのはあるのですねえ。このシカネーダーは、吉野さんが演じるからこそ、あれだけの魅力が出ているのだと思います。とにかく、人の心をがしっと掴むなにかがある。うさんくささの向こうが、気になってついつい、足を踏み入れてしまう感じ。

 とてもきれいな人なのですよね。きれいな人が演じる、怪しい人物。身のこなしが一つ一つビシっと決まっていて、美しかったです。

 私は「はいからさんが通る」では少尉派でしたが、青江さんが好きな人はぜひ劇場で、前方席で吉野シカネーダーを見てください。もしはいからさんの実写映画を作るなら、青江冬星役は彼以外にいないでしょう。

 ちょっと「モーツァルト」から話が脱線したので、元にもどすとして。モーツァルトの父を演じた市村正親さん。さすがベテランという感じでした。私は思うのですが、すごく個性を抑えて演じていたような。思う存分に演じたら、父親の方が目立ってしまうから、わざと抑えていたのでしょうか。市村さんの持つエキセントリックな部分が影をひそめて、そのぶん常識的な父親が前面に出ていたと思います。

 もう少し、破天荒な父親像でもよかったかなあと残念でした。モーツァルトの父親ですもん、普通のお父さん的イメージはあんまりないです。モーレツパパの、変人ぶりを見たかった気がします。そうすれば、モーツァルトとの対立ももっと激しくなったでしょう。

 天才を育てたという自負のある人物ですから、モーツァルトに対する複雑な思いをもっと前面に押し出して、個性的に演じてもよかったんじゃないかと思います。

 モーツァルトの前に現れる謎の人物(黒衣に白仮面)も、市村さんが演じてましたね。私はあれを見た瞬間「ファントム!」と心の中で叫んでしまいました。今にも、クリスティーヌに愛を乞うセリフが聞こえてくるのではないかと、そんなことまで思ってしまいました。舞台の袖から、タキシードの山口ラウルが現れるのではないかと、そんな妄想をしてしまったり。

 モーツァルトの妻、コンスタンツェを演じたのは西田ひかるさん。西田さんがこんなにうまいとは思っていませんでした。歌に心がこもっていて、さびしさがひしひしと伝わってくるのです。コンスタンツェがモーツァルトに捧げた無償の愛。お金はなくても、あの頃が一番楽しかったと振り返るシーンは、ホロリときてしまいました。そうなんだよなあ。「そのままの僕を愛して」なんてモーツァルトは言ってるけど、素の、なんにも持ってない彼を心から愛してくれたのは、妻だったのにねえ。それに気付かないところがモーツァルトの傲慢さなんだよな。

 モーツァルトより、よほどコンスタンツェの方がかわいそうだったような気がします。

 モーツァルトは、自分の好きなように生きたもの。苦しんだりもしたけど、でも自分の思う道をまっすぐに生きた。それを支えてくれる人もいた。

 影を逃れて、の意味がよくわかりませんでした。モーツァルトは、昔の自分に捕われていた? 自分の影に怯えていた? どっちも違うと思うのです。子供の頃の自分と今の自分は矛盾していないでしょう。むしろ、モーツァルトが苦しんだのは、自分の才能が世間に認められないところだったと思います。こんなに素晴らしいものを作っているのに、思うようにお金が入ってこなかったり、名声が得られなかったり。それと、どんなに才能があっても、貴族にかなわないという階級制度への憤りだったり。自分にプライドを持っている人だったら、うまくいかない人生に苛立つということはあると思うのです。

 

 

 天才は天才を知る、というけれど、モーツァルトは孤独だったでしょう。自分を本当の意味で理解してくれる人は、なかなかいなかったから。父親でさえ、世の中に羽ばたいていこうとするモーツァルトを引き止めた。モーツァルトが天才だということを、わかってくれる天才はなかなかいない。

 子供の自分=音楽の才能 という隠喩だったのかなあ。だから、子供の頃の自分が、いつも作曲をしながら大人のモーツァルトについてきたのか。

 でもモーツァルトは、自分の持つ才能を「いらない」とか「逃れたい」なんて思っていなかったと思う。自分の才能に誇りを持っていたし、それでこそ自分だと思っていただろうから。

 

 この「モーツァルト!」という作品。貴族たちの扮装が、けっこうおもしろかったです。演奏会に現れた女性のカツラ。船がのっかっていたり・・・・・。かつらの高さがどんどん高く、しかも装飾的になっていった時代のことを少しは耳にしたことがあるのですが、なるほどこういうことかと思いました。実際見ると、笑えます。でも、その人だけでなく他の人も派手なカツラなので、全体としてみるとけっこうまとまっていて、流行とはこういうことなのだなあと納得しました。ここで一人地味な人がいたら、かえって目立ってしまう。

 楽曲的にはそれほどぐっとくる曲はなかったのですが、目に楽しいミュージカルだったような気がします。

モーツァルト!観劇記 1回目

 帝国劇場で上演されている、「モーツァルト!」を観劇してきました。以下、その感想です。ネタバレしてますので、未見の方はご注意ください。

 やっと見ることができた~、という感じです。そして、記念すべきモーツァルトの初観劇は、なんとセンターブロックE列(前から5列目)。期待に胸を膨らませて見ました。

 モーツァルト、井上芳雄君。若くて傲慢で、自分の才能に絶対の自信を持っている若者のエネルギーが、舞台上で弾けてました。私の抱くモーツァルトのイメージと重なりました。

 モーツァルトって、わりと恵まれた人だったと思うのですよ。シューベルトとか、ベートーベンとかに比べたら、華やかな人生だったと思う。生きているときに、その才能が世間に認められてますし。病と闘ったわけでも、命をおびやかすような貧困に苦しめられたわけでもない。

 垢抜けているし、上昇志向もあるし、若さゆえの生意気な部分だったり、情熱の爆発だったり、いかにも「モーツァルトらしいなあ」と感じる部分が多々ありました。

 井上さん自身が、シンデレラボーイのような経歴なのですよね。東京芸大在学中に抜擢されて、「エリザベート」のルドルフ役でデビュー。そして「モーツァルト」で主役。東京芸大に入っている時点で、すでに王子様ですねえ。

 本人の努力もさることながら、東京芸大って、恵まれた人でないと入れないところだと思うので。才能と、それを応援できる家庭環境。

 やっぱり、合うキャラ合わないキャラというのは、あると思います。モーツァルトは、井上さんのイメージに合うのです。洗練された役が合う。暗かったり、どうしようもない傷をひきずった役だったら、努力しても壁を越えられないと思う。泥臭い役も、似合わなそう。

 「エリザベート」、井上ルドルフで見てみたいです。これも、きっと似合うと思う。生まれながらの品のよさとプライドを、きっとうまく演じてくれるでしょう。

 そして大司教コロレド様。山口祐一郎さんが演じているのですが、登場した瞬間から視線を一身に集めてしまう。まさにスターの貫禄でした。なにも声を発していなくても、そこにいるだけで空気が重い。

 色と欲にまみれた、とんでもない破戒僧を想像していましたが、これが予想と正反対。うーん、品があるわ、このお方。あまりにも堂々としていて、それが批判を許さないほどの神々しさを醸し出しているのです。

 実は、人間くさいシーンが多いのですが、山口コロレドだと、それを人間ぽい、と感じないのです。たとえば、馬車に乗っていて急にお腹が痛くなっちゃうシーン。お付きの人が、慌ててお世話をしますが、本人はお世話されるのが当たり前で、そこに恥ずかしいという気持ちはまったくありません。乱れた髪さえ、それを少しも恥と感じていない。

 人に仕えられることを当然として人生を過ごしてきた、そういうオーラが漂ってました。きれいなお姉さん4人に囲まれてのお取り込みシーン。まったくエロさがないのにびっくりしました。いや、お姉さんたちはがんばっているのですが、なんというか、コロレド様の背筋のよさが、すがすがしく。実際に背筋をぴんと伸ばしていたかどうかはともかく、なんだか「お姉さんたちの誘惑をまったく意に介さず」的な雰囲気が伝わってきたのでした。

 私、このコロレド様がけっこう好きになりました。見る前は、どんな嫌な人物だろうと思っていましたが、なかなかどうして、真摯な人物のような気がします。ただ堕落しただけの人物だったら、きっとモーツァルトの才能に気付くことはなかったでしょうし、固執もしなかったでしょうね。

 マント捌きは必見です。長身だから、赤に金の刺繍のゴージャス衣装がよく似合います。存在感にうっとりでした。

 ちょっと長くなってしまったので、続きは後日。