『殉愛 原節子と小津安二郎』西村雄一郎 著 を読みました。以下、感想を書いていますが、ネタバレを含んでおりますので、未読の方はご注意ください。
なぜこの本を読んでみようと思いたったのか。それは、この本のタイトルが『殉愛』だったからだったりします(^-^;
今年になってかなりの話題になったあの本。そう、百田尚樹さんの本が、同じ題名でしたね。百田さんのはまだ私読んでないんですが。金スマでその本の宣伝をしていたのを見まして。本のタイトルがすごいなあと。
殉死という言葉はありますが、殉愛とは。
金スマを見たとき、百田さんはどうやってこんな言葉を思いついたんだろうと思っていたら、2012年にすでに、同じタイトルの本が発行されていたではありませんか。それがこの、西村雄一郎さんのお書きになった、『殉愛 原節子と小津安二郎』だったわけです。
もうその時点で、私の中の百田尚樹さんに対する尊敬の気持ちが、すーっと冷めていきましたね。だって、本のタイトルがまるかぶりって、ライターとしてどうなんでしょうか? それも、辞書に載っている言葉ではなく、造語で。
一般的によく使われている言葉で、しかも二文字という短い言葉なら、タイトルがかぶるのも仕方ないです。
でも「殉愛」でかぶるのは意図的でしかないでしょう。特別な言葉です。実際出版する前に、必ず調べていたはずですから。もしこの言葉を本当に偶然に思いついたのだとしても、同じタイトルで以前出版されたものがあったら、それを避けるのが当然だと思います。
百田さんが出演したそのときの金スマの内容も、見ていてあまり納得できないもので。私は、どこかもやもやした気持ちを抱えていたところに、もうひとつの『殉愛』本の存在を知り。百田さんのは、たかじんの後妻のお話でしたが、西村雄一郎さんのものは原節子と小津安二郎を取材したものだと知り、ぜひ読んでみたいと思いました。
原節子さん。
私は出演する映画を一本も見たことないのですが、原さんが、小津監督の死後に、芸能界から姿を消した、伝説の女優さんということは知っています。
たとえ映画界から姿を消したとしても、請われて少しだけ、テレビドラマにゲスト出演したり、雑誌のインタビューに登場したり、そんなことがあってもおかしくはないのに。ただの一度も公的に姿を現さないというところが、とても神秘的です。他の女優さんではありえないことでしょう。
そこには何か、強い意志があるわけで。それを知りたいと思いました。もしそれが、以前からよく言われているような、小津監督への敬愛の念からだとしたら、「殉愛」という激しいタイトルにもふさわしい、愛の形だなあと思いまして。
そんなことが、実際にあるのだろうかと。
原さんと小津さんの間にあったものはなんだったのか。
読み終えてまず思ったのは、世間で言われるほど、原さんと小津さんの間にあった感情は、大きなものではなかったなあ、ということです。
意外でした。そこには人がうらやむような愛の形があるのかと思っていましたが・・・。もちろんこれは私の個人的な読後の感想なので、読者それぞれに読後の解釈は違うとは思いますけども。私は、二人の間にあったのは、「敬愛」のようなものかなあと、そんな感想を持ちました。
なぜ原さんが完全な引退を選んだのか。
そこには、小津さんへの思いとはまた別に、様々な要素が絡んだのではないかと思います。白内障を患った後、撮影中に目を傷めて入院したのが、一番大きかったのかもしれません。目が見えなくなったら、という恐怖は相当なものです。
撮影に入ってから、いちいちライトに注文をつけることは、女優さんにはその権限がないでしょうし、目を失うリスクを考えたら、引退を選ぶのも無理ないわけで。
そして、年齢的なこともあったのかな。主役から、上手に脇役へとシフトしていくことが、難しかったのかもと。出演作のほとんどが主役級で、毎年のようにたくさんの映画に携わって。もう十分やり尽くしたと、満足してしまったのかもしれないと想像しました。
きっと小津監督の作品で評価を受け、自分の中で達成感もあったと思うのです。だから小津監督が亡くなったとき、この先の自分を考えて、芸能界ではない、静かな世界に身を置きたいと考えたのかもしれません。
私はこの本を読むまで、原節子さんという女優は、小津監督への愛情が大きすぎたあまりに、小津監督の死を乗り越えられなかった。それが原因で引退した、と思っていました。でも、語られるいくつかのエピソードを読むと、原さんも小津さんも、それぞれ別に好きな人がいたり、してるんですよね。
たとえば、原さんの場合は、一番好きだったのが義兄の熊谷久虎さんだと思います。その他にも、噂のあった助監督もいたそうだし、ただ結婚をしなかったというだけで、普通に恋愛はいろいろあったのかなと。
一方、小津監督に関しては、これは私は突っ込みを入れたいです。
なぜなら、1935年(昭和10年)から、少なくとも1952年頃まで、小田原の芸者さん、栄(さかえ)さんと付き合っていて、結婚の話も出ていたというではありませんかw(゚o゚)w
そして1952年、小津監督と栄さんの結婚話が出たとき、同時に原節子さんとの結婚の話も出て、なんと栄さんが遠慮して身を引いたと言われているそうです。
全然殉愛じゃないじゃ~ん←(ツッコミ)
殉愛どころか、そういうのを世間では二股というのではないでしょうか。むしろこの場合、「私なんか・・・」と遠慮してそっと身を引き、決して週刊誌に暴露話を売ることのなかった栄さんの方こそ、殉愛ですよね。小津監督ではなく。
小津監督は、原さんとの愛を温めつつ、一方で栄さんとも。
大人の愛ってそんなものかしら┐(´-`)┌
小津監督と栄さんとは、二度も結婚の話があったそうで。親戚を含む周囲も、二人が結婚するだろうと思っていたそうです。ちなみに、一度目の結婚が流れた理由は、栄さんが家族を食べさせなくてはならなくて、彼女が芸者で稼がないといけないという・・・栄さんけなげです。
やっと家族のためでなく、自分のために生きることができるときがきて、今度こそ結婚となった、その時。相手には有名大女優との結婚話が持ち上がった。そこで、何も言わず静かに身を引くことができた栄さんには、本当に真の愛情があったんだろうなあと、そう思いました。
想像ですが、小津監督と原節子さんの関係は、生々しい男女間の愛情というよりもむしろ、お互いを尊敬しあう、一歩引いたものだったのかなあと思いました。それは恋愛ではなくて。
そして、恋愛という観点でいうなら、本に出てくる登場人物で一番純情だと思ったのが、映画プロデューサー、藤本真澄(さねずみ)さん。私は最初、この方を、「さねずみ」さんではなく、「ますみ」さんと読んでしまいました。
そうです! 女優に一方的な愛を捧げ続けるその無骨さ、不器用さ、純粋さ。そしてその名前。きっと、『ガラスの仮面』の速水真澄(ますみ)のモデルは、この人です。だって速水さんは養子になる前の旧姓、「藤村」ですもの。
「藤本真澄」と「藤村真澄」。偶然でしょうか? そこに関連性を推し量るのは、ロマンチックすぎるでしょうか。
映画の世界で大成功し、権力を手に入れ、華やかな世界で大金持ちになった藤本さんは、当然、女性からモテモテだったと思います。けれど生涯独身を貫いた。それは、心の中に、原節子さんがいたからなのではないでしょうか。
引退したにも関わらず、原節子さんには、毎月東宝から給料として、いくらかのお金が支払われ続けたそうです。その影には藤本さんの意向があったとか。1960年代には、もう結構ですと、原さん側から断りの申し込みがあったそうですが。そのときの藤本さんの胸中を想像してしまいました。
お金という形でわずかでも繋がっていた細い糸が切れてしまう寂しさは、いかばかりだったろうかと。
引退した女優に東宝から払われる異例のお給料は、藤本さんにとっての、届かない思いそのもので。
その他にも、藤本さんは原さんの土地の取得などに、関わっていたそうです。
そして、そんな藤本さんが何を語っていたかというと。
>原節子に、実は惚れてたンだよ、昔だけどね
(中略)
>それで、あきらめたのさ。しかし俺は、本当だよ、
>商品に手をつけたことは、一人もいなかったね。
>“清く正しく美しく” が我が社のモットーだからね
(『シナリオ』別冊「脚本家 白坂依志夫の世界」)
この言葉を、信じます。根拠はないけど、そんな気がするから。
もし藤本さんが原さんと一線を越えちゃっていたら、それこそ、
別に原さんでなくても、誰かと結婚していたと思うんですよね。
そして、藤本さんは会社からの給料という形でなく、個人的に
原さんを援助していたと思う。もし二人の関係がそうだったなら。
逆に、清いものであったからこその、東宝からの給料だったのだと、
そう思います。
原さんが、東宝からでないと受け取らないことを知っていたから、
藤本さんはそのように手配をしたのだろうし。
そんな藤本さんの配慮を知りつつ、原さんはしばらくの間、給料を
受け取っていたのだと思います。
二人の間には、言葉にならなくても、静かに通じるものがあったのかなと
そんなことを想像しました。
この本を読んで一番に感動したのは、小津監督よりも藤本真澄さんのことでした。
こんな人が実在したのですね。
まるで、漫画や小説の中に、出てくる人のように思えました。