『恋唄(コイウタ)に恋して』前川清 著 感想

『恋唄(コイウタ)に恋して』前川清 著を読みました。以下、感想を書いていますが、ネタばれも含んでおりますので、未読の方はご注意ください。

そもそもこれを読んだきっかけは、糸井重里さんの『ほぼ日刊イトイ新聞』を読んだことです。
糸井さんと、前川清さんの対談なのですが、そこにあった衝撃の一言。

>歌も嫌いだし 自分自身も嫌い

ええーーー!!! と、私はかなりの勢いでショックを受けました。
だって、私の中では、前川清ブームがおこってたからΣ(;・∀・)

初めて生歌聴いたときに、いいなと思ったのに。それから日を追うごとに、思い出がよみがえって、嬉しい気持ちになったのに。それだけの感動を与えてくれた前川清という人は、いったいどんな人なのだろうと。

興味を持ったので、前川さん関連の記事を捜して読んだら、いきなりこれです。もうビックリ。

まあ、歌嫌い自分嫌いの話をした後で、「べつに、いやいや歌ってるわけじゃないんです」と多少フォローの話もしていましたけども。でも、その少し後で、「歌いたくないんです」なんて言葉がまた、ふっと出てしまうという。

私、そんな人、聞いたことないや~と。
歌手なのに歌が嫌いって。おまけに自分が嫌いって、なんでなんで?と。いや、これがまだデビューしたての新人歌手ならわかるんですよ。
なんとなくデビューしてヒット曲も出したものの、実は、流れに乗っただけでどうしても歌いたいという自分の意志はなくて、これが本当に自分がやりたかったことだろうか、迷ってる、とかね。

でも前川さん大ベテランじゃないですか。
そんなことってあるのか? と。
これだけ長い時間たくさんのヒットも出し、順調な芸能生活送ってて、なにより私は生歌に滅茶苦茶感動したのに、じゃあ私は、歌が嫌いな人の歌を聴いて、これだけ感動してしまったのだろうかっていう。

私の反応も、決して特殊なものではないと思います。
嫌なのに無理して歌ってる人の歌とか、普通は「聴きたくない」じゃないですか。

でも私は歌を聴いたし、それがよかったし、心に響いた。
なんなんだーと。とても納得がいきませんでした。それで、前川さん自身が出した本があるなら、読んでみようと思ったのです。

前川さんが自分の口で語る言葉って、どんなものなのかなあと気になって。

糸井さんとの対談で出た、「歌は嫌いだし、自分も嫌い」発言は、「自分が嫌い」っていうところも、驚きましたね。

なんで? 私なんていきなりファンになったのに(^^;
前川さんが自分が嫌いって、実は人には見せない裏の顔があって、それが最低なのかな、とか。いろいろ想像がふくらんだり。

でもやっぱり納得がいかないわけです。
自分が嫌いって言いきっちゃう人を、なぜ私は好きになったんだろうという。

対談では、歌嫌い発言の後、こんなこともおっしゃってました。

>ぼくはね、単に食うためですよ。

いやいやそれだけじゃないですよね。それだけだったら、あれだけ多くの人を魅了することはできなかったし、一曲だけの歌手で終わってたのではないでしょうか。

一体全体、前川清さんとはどんな人なのだろう、という興味で、さっそく著書『恋唄(コイウタ)に恋して』を入手。

ちょっと前置きが長くなりましたが、さっそく本の感想を書いてみたいと思います。

本は、前川さん自身の生き方について書いてあるというよりは、ほぼ、馬の話でした(;;;´Д`)ゝ

そもそも、前川さんがオーナーだった「コイウタ」という馬が、2007年にG1レースに優勝したことが、本を出すきっかけだったようです。馬主って凄いなあ。相当お金ないと無理だから。競馬好きの人はいても、だから自分が馬主になるって、なかなかハードル高いと思う。

そして馬主になったからといって、その馬が優勝する確率なんて、普通はとても低いもので。しかもG1という大きなレースで一着をとるというのは、強運を持ってないと難しいですね。前川さんは、大きな運を持っている人なのだなあと思いました。

そういう経緯があって出版された本。
だからこそ、馬の記述が多いのは当たり前なのですが、それにしても馬の話題が多すぎ。

この本を買う層って、前川さんファンがほとんどだと思うのですが、ファンが求める内容と、乖離が激しいのでは?なんて思いながら読み進めていきました。
馬に興味がない人にとっては、その辺がちょっとつらいかもしれません。

ただ、馬の話が多い中にも、ちゃんと私生活のお話も入っていて、とても貴重だと思いました。なにより、ご家族のお話とか、名前まで公表してしまっているのです。ちょっとびっくりもしたり。オープンなんですね。

思わず笑ってしまったエピソードは、オーストラリアに、奥様と三人のお子さんと旅行していたときの話。馬を預けていた調教師の方から電話があって、「レース、見に来るでしょ?」と問われ、前川さんはなんと、旅行を途中でやめて、家族みんなで帰っちゃうんですよ。

なんと言ってお子さんにそのことを切り出したのか、言い方が笑えます。

>「みんな、帰ろうか」
>それ聞いて、みんな「えー?」です。
>「なんで帰るの?」って。
>「う、馬が、走るんだよ」
>「……帰ったら勝つの?」
>「うっ……」

なんとか家族で日本に帰れたのは、子どもがまだ親のいいなりになる年頃だったから。と書いてありましたが、当時、上から10歳、9歳、3歳とのことで、いやいやこれは、私は奥さんが素晴らしい方だったのだと思います。

前川さんを信頼して、後をついていくという姿勢の方なのではないでしょうか。奥さんが前川さんを尊敬しているから、そのことが子どもたちにもちゃんと伝わっていて。
この年の子どもだったら、せっかく旅行に来たのになんでいきなり帰らなきゃいけないのか、理解もできずに泣いたり怒ったりしても無理ないかなあと。
子どもたちが抵抗もせず、帰国に同意したのは、日頃から奥さんが子どもたちに「お父さんが一番よ」っていう姿勢だったんだと思います。

いい方と結婚したんだなあ、と思いながら読んでいました。

私だったら、反論してしまったかもしれないです。急な仕事だったら仕方ないけど、馬でしょ? 自分の趣味なのに、どうしてせっかくの家族旅行が中止なの?って。そしたら喧嘩になってるなあ。

奥さんの人柄が浮かび上がってくる、素敵なエピソードでした。

でも、本を読み終わっても、さっぱり疑問は解消されません。どうしてこんなに理想的な御家族がいて、お仕事も順調で、それなのに「自分が嫌い」って言葉が出てくるのか。

それと、「歌が嫌い」という部分も、本の中では、元々ロックが好きだったけど、キャバレーで歌う関係上、歌謡曲を歌わざるをえなくなった経緯が書かれていて。
そうか、いわゆる歌謡曲とよばれるものは、そもそも前川さんの好みじゃなかったんだな~というのは、わかったんですけども。それから40年近くの月日が経ってるわけで。

その間、ほぼ歌謡曲だけを、歌ってきたわけですよね。それでまだ、「歌は嫌い」って糸井さんとの対談で言いきってしまったのは、どんな心境なんだろう、どんな思いがあるんだろうと。それを知りたいと思いました。

気持ちは、変化したのでしょうか。
糸井さんとの対談は、約三年前。本を書いたのが約五年前。それから心境の変化で、歌が好きになっていたのではないか、少なくとも私が行った時のコンサートでは、歌を好きな気持ちで、いてくれたのではないか、そうだったらいいなあと。

じゃなきゃ、あれだけ魅了されてしまった自分って一体…という( ̄Д ̄;;

「こう思え」だなんて、人に強制するのは傲慢だし、失礼なこととはわかっています。だから願望として。

前川さんには歌を好きでいてほしいし、ご自分のことも好きでいてほしいなあと、心からそう、思いました。

『華麗なる一族』山崎豊子 著 感想

『華麗なる一族』山崎豊子 著 を読みました。以下、感想を書いていますが、ネタばれしていますので未読の方はご注意ください。

この小説は、タイトルが素晴らしいです。

本当に、この小説の中身を端的に表すとしたら、これ以外の言葉はないのではないだろうかと。

一族。それも、華麗なる、きらびやかな上流社会のお話。

いつか、聞いた言葉を思い出しました。「どこの家にも、表に出せない秘密がある。そーっとタンスの奥にしまわれているから、見えないだけだよ」と。

銀行の合併をめぐる、凄まじい駆け引きと頭脳戦。
その裏にある、万俵家の父、大介と、長男鉄平との、生生しい確執。

でも私にとっては、ひとつだけ解せない展開がありました。それは、鉄平の最後です。

鉄平がああした最期を遂げるなんて、違和感ありすぎで、納得いきませんでした。話の展開上、とどめとなったのは、彼が父の最終目的=大同、阪神銀行の合併を知ったこと、なのでしょうが、だからといってああいう最期を選ぶかな~と、その部分だけもやもやしたものを感じてしまいました。

鉄平が受けた痛手は、確かに相当のものだったとは思いますが。
同時に彼は、家族としてとうとう父から得られなかった愛情を、妻の早苗から受けていたからです。

子供を連れて実家に帰ってほしいと頼んだ鉄平に、早苗はこう答えていました。

早苗>あなたのご指示通り、この家を出ることは承知いたします。

早苗>ですが、あなたご自身はどうなさるのです?

鉄平>僕は役員寮に入って(中略

早苗>それはいやです、この家を出ることは明日からでも致しますが、あなたと私たちが別れて生活するのはいやです、どんな住まいでもいいから、ご一緒したいと思います

私は、この状況でこれ以上の対応なんて、あり得ただろうか、と感動してしまいました。
憎しみ合った実の親子。
それなのに。夫婦は他人なのに。なにもかもなくした鉄平を夫として尊敬し、ついていくという妻。

思えば、鉄平と早苗の結婚なんて、始まりは典型的な閨閥作りだったわけですよ。でも出会った二人は共に時を過ごし、かけがえのない子供が生まれ、心を通わせあった。そして、家族が生まれた。

小説の中で鉄平がああした結末を選んだのは、絶望だろう、と推測します。ならば、この早苗の言葉は、その絶望を救う、光になったはずだと、確信するのです。

本当に絶望させるのなら。こんな展開だったと思います。

万俵家の後ろ盾を失った鉄平に、冷たく離縁を言い放つ妻、だったり。
もしも妻の口から、「私はあなたに嫁いだのではない。万俵家の長男という立場に嫁いだのだから、当主に勘当されたあなたを、もはや夫とは認めない」などと、そんな言葉が漏れたなら。
鉄平のなかで、ぷつんと切れるものがあっても、おかしくはないのですが。

親に愛されたいというのは、子供なら誰もが持つ、原始的な欲求。
だけど、常に誰もがその欲求を満たされるわけではない。駄目ならばその代償を求めるし、それに代わるものが得られたなら、生きていける。

30をとっくに過ぎた男で、会社では専務まで務めて、子供も二人いて。

どうしても父に愛されない→救いのない絶望

単純に、そういう図式にはならないんじゃないかなあ。いやもう、私の願望かもしれないけど、そういう鉄平であってほしくないというか。

早苗の言葉は、家族としての愛、だと思いました。何があっても、私たちは家族ですよっていう。
鉄平にはきっと、これから大変なこと、たくさんあるだろうし。今までみたいな順調な人生では、ないだろうけど。

装飾やおまけを一切排除した、裸の鉄平を。
夫として尊敬し、ついていくという早苗の決意。これがわからないほど、鉄平は鈍感じゃないと思うんですよね。
そしたら、ああいう最期は選ばないはず。早苗と子供たちのために。

まあ、そもそも罪深いのは大介ですけどね。憎み、対決するのは、息子じゃなく父親であるべきだったのに。なんで怒りの矛先を、なんの罪もない子供に向けちゃってるんですかーという。大人げなさ(^^;

母の寧子も、ひどいなあと思っていました。おひいさまだから仕方ないのかもしれませんが。自分の本当の父親は誰なのか教えてほしいと、真剣に乞う息子に対して

>許して、許しておくれ!

そんなこと、言っちゃいけなかった。言ってる場合じゃないのに。どんなに自分がつらくても苦しくても、母親なら、真正面から鉄平を見据えて、言ってやらなくちゃいけない言葉が、他にあった。嘘だろうが真実だろうが、そんなことはどっちでも関係なく。
とにかくあのときの鉄平にかける言葉は。母親なら、たった一つしか、なかったはずなのに。

言ってあげてほしかったなあ。
「あなたの父親は、万俵大介です」と。

この小説を原作としたドラマが、2007年に放映されましたね。鉄平役の木村拓哉さんと、大介役の北大路欣也さんのキャスティングがよかったなあ。私が原作を読んだイメージ、ほぼそのままでした。

逆に、これはイメージだいぶ違うなあと思ったのが、相子役の鈴木京香さん。

美しすぎるし、気品があって貴族的で、「華麗なる一族」に対する卑屈さが皆無だから。

私が思う相子のイメージはもっと。やぼったい感じなんです。綺麗ではあっても、どこかに垢抜けない素朴な部分が残っていて。どこまでいっても、「華麗なる一族」に染まりきれないことへの、コンプレックスみたいなものを、抱えている女性。

また、意外なハマリ役だと思ったのは、万樹子役の山田優さん。演技というよりも、存在そのものが万樹子の雰囲気にぴったりでした。大事に育てられたお嬢様としての素直さと、自然な我儘さと。気の強さと、そして華やかさと。

ドラマと小説を比べた時には、ドラマは甘口、小説は辛口だと感じました。ドラマはよりわかりやすく、説明的に作られていたように思います。

実際には、大介や鉄平は、あそこまで饒舌じゃなく、思いをぐっと、胸の中に飲み込むタイプだと思いますし、そういうバージョンのドラマも、見てみたかった気がしました。

『ふたり』唐沢寿明 著 感想

『ふたり』唐沢寿明 著を読みました。以下、感想を書いていますがネタばれしていますので未読の方はご注意ください。

発売当時、かなり話題になった本。だけどその時点では、あまり読む気はなかった。
唐沢さんといえばトレンディ俳優で、本の中身もきっとそういう感じなんだろうなあと、勝手に想像していたから。綺麗ではあるけど、薄い感じの本なのだと思ってました。

当時の書評として、この本はわりと衝撃的というか赤裸々に描かれていてびっくりする、なんてのをちらっと耳にしたような気もしたけど、しょせん「トレンディ俳優が少し別の側面を見せてファン層の拡大を狙いました」ということなのだろうと誤解してました。

実際には、予想を裏切る内容で、面白かったです。

あの爽やか好青年キャラがつくられたものである、と知って驚きました。そういう意味では、本当に役者なんでしょう。演者として、完璧に仮面をかぶっていたのだなあと感心させられました。

最近はバラエティ番組でおみかけすることもあるし、面白い人柄は端正な二枚目顔とのギャップもあって印象的だったけれど、そもそもご本人は、見かけのイメージである「お坊っちゃま」ではないということに衝撃を受けました。

そうだったのか~!!と。今さらですが。

若い頃にオーデションに落ち続けたり、という苦労の歴史や、路線に迷って煩悶していた時代があったこと、まったく知りませんでした。
役者という職業を真面目に志していたこと、その熱意など、ページをめくるたびに新たな発見があり、一気に最後まで読み通しました。

>おれの場合はポロシャツ一枚で自分を変えたと言ったらオーバーだろうか。

そんな一文がありましたが、これはまさに、唐沢さんが芸能界で売れるための必須条件だったと思います。
だって、Tシャツに革ジャンは全く「唐沢さんのイメージではない」から。

もし意固地になって、服装なんて役者には関係ないからと、自分が選んだ服を着続けていたら、今の唐沢寿明はないんだろうなあと。

この本で読んであらためて考えてみたんですけど、服装という些細なことではありますが、唐沢寿明が売れるためには、それはなくてはならないイメージだったと。

ポロシャツやVネックのセーターは、唐沢さんの魅力を最大限にアピールするアイテムだから。逆に、あの頃、Tシャツに汚いジーンズでテレビ画面に登場していたら、あれだけのインパクトを視聴者に残せたのかどうか疑問です。

笑顔の素敵な、爽やか好青年。それこそが、唐沢さんの人気の原点であったと思います。そこでブレイクしなかったら、その後の芸能界の活躍はなかったわけで。
その後、自分の好きな役柄に挑戦するにしても、まずは売れることが大切なわけで。

ポロシャツ。そしてVネック。チノパン。苦労知らずの鷹揚さ。

実際にはないはずのそうしたものが、唐沢さんを最高に輝かせたというのは、皮肉な話ですね。
でも、本当にそれがなかったら、唐沢さんは今、芸能界で役者をやっていないだろうなあと思いました。

売れる売れないの境目は、不思議なもので。
もしも唐沢さんが野望を抱えたままの飢えた目でテレビ画面に現れたら。そのときだけで終わってしまっただろうなあ。
他人の目から見たときのアドバイスが、有効なときもあるのですね。

映画『メイン・テーマ』の主役オーデションに落ちたときの話も、興味深かったです。どんな奴が受かったんだと、唐沢さんが東映本社前でひたすら待った気持ち、ひしひしと伝わってきました。

あの映画、確かに唐沢さんより野村宏伸さんの方が合ってたかも、と私もそう思います。
役柄には、その人がいい悪いでなく、合う合わないって、あるんですよね。でもオーデションに落ちるということは、たび重なれば「自分自身の否定」のように感じちゃったりもするんだろうな。

唐沢さんが当時、ひりひり焼けつくような思いでみつめたその人、野村さんにもまた、その後の役者人生では、唐沢さんの知らない苦労があったわけで。

もし『メイン・テーマ』に唐沢さんが受かっていたら。そのときは嬉しかったかもしれないけど、キャラがいまいちイメージじゃなくて、逆に唐沢さんの評価を下げることになってしまっていたかもしれない。合わない映画に出て、不当な評価を受けるよりは。自分に合った鮮烈なデビュー、というのが幸運なのだと思います。

ちなみに、私にとっての唐沢さん最高傑作は、化粧品『ルシェリ』CMです。
あのCMのインパクトは、今も心に強く残っています。絵に描いたような幸福そうなカップル。漫画から抜け出たような完璧な好青年。

いやー、あのCM製作者のキャスティング能力は秀逸でしたね。水野美紀さんが相手役で、まさにベストカップル。
水野さんが一生懸命、「慣れた」感じを醸し出そうとしているのを、唐沢さんが余裕ある感じで見守っていて。
キスシーンが話題になりましたけど、あれ、二度目のがいいんですよね。本当に自然で。あんまりにも可愛くて思わず、みたいな雰囲気がよかったなあ。

本の中には、山口智子さんの話も出てきましたが、二人が結婚したのは運命だったのね~と思いました。暴漢に襲われたとき、たまたま唐沢さんが在宅していて、しかも二人とも無傷で撃退できたって凄すぎる偶然です。ていうか、もうこれはあれです。結婚しろっていう、運命の声だったんですよ、たぶん。

ただ、この本のタイトルは『ふたり』でしたが、唐沢さんは実は『ひとり』の人だろうなあって、読後、そう思いました。山口さんとの仲がどうこうというのではなく、基本的にすごく孤独な人なんだろうし、ひとりでも大丈夫なひとなんだろうなあって。

結婚直後に出版された本、ということで。販売戦略的に『ふたり』というタイトルがついたんだろうなあという、大人の事情を思ってしまいました。

『彼女がその名を知らない鳥たち』沼田まほかる 著 感想

『彼女がその名を知らない鳥たち』沼田まほかる 著 を読みました。以下感想を書いていますが、ネタばれ含んでおりますので、未読の方はご注意ください。

沼田まほかるさんの本は、以前にデビュー作『九月が永遠に続けば』と、『アミダサマ』を読んだことがあるのですが、これらの作品についてはあんまりピンときませんでした。

『九月が永遠に続けば』は後味が悪く、現実感があんまりない話だなあというのが正直な感想だったし、『アミダサマ』に関しては、最後まで読むのが苦痛なくらい途中で飽きてしまいました。

それでも『彼女がその名を知らない鳥たち』を読んでみたいと思ったのは、タイトルに惹かれたのです。それと、二作を読んだ時点で、にじみでる文体の雰囲気に、のみこまれたというのもあります。独特で、他の作家さんとは違うなにか、があったから。

『彼女がその名を知らない鳥たち』も、後味の悪さという点では『九月が永遠に続けば』に対して負けていないのですが、とにかく一気に読めてしまいました。続きが気になって、夢中でページをめくるうちに、どんでん返しが来た、という感じです。

何が気になったかというと、主人公十和子は、前彼である黒崎に何をされたのか、ということです。姉から

>あのとき野々山の言うことを聞いて、
>警察にちゃんと被害届を出しておけばよかったのかもしれないって思うのよ

と言われるシーンがありまして、ますます謎が深まりました。

そもそもこの十和子という女性、嫌悪してやまない陣治という男と何故か同棲し、夫婦同然の生活を送っていまして。その辺が本当に不思議だったのです。

深い深い恋愛の末の破局、そしてその人と別れた空虚な穴を埋めるために好きでもない人と一緒に住み、寂しさを紛らわす、なんてことは。わからなくもない流れなんですけど、そうそう長く続くものでもないと思うんですよね。

陣治に対する、十和子の生理的な嫌悪感は相当なもので。とにかく、ずーっとその、嫌悪感の描写が延々続くんですね。生活のすべてが、陣治に対しての嫌悪で埋まってる。

そうすると、読者としては気になるのです。

なんで一緒にいるんだろう? ここまで嫌いな人と。
寂しさをまぎらすためといっても、時間がたてば、耐えられなくなるはずなのに。寂しさなんてふっとんじゃうくらいの、生理的な嫌悪感を持ってる人だろうに、なぜこの人は、自分の意志で同棲を続けるのだろう。

壊れてしまった彼女の感覚と、その行動。
そこまで追いつめた前彼は、なにをしたんだろう。どんな出来事が、彼女を変えたんだろう。

そして。普通なら、そうした恋人同士のあれこれって、表沙汰になることって少ないと思うのです。喧嘩とか、別れの原因とか。そんなもの、二人だけの間で完結するものであって、どんなにひどいことがあっても、それは二人の間だけの秘密、になってしまうってことが多いのではないかと。

前彼との関係が、警察沙汰になってしまった過去があり。それでもなお、過去の記憶に支配され続ける女性。そして、それほどひどいことをされながらも、いつまでも執着して彼を忘れられない女性。なにがあったのか、気になります。

陣治に対しての嫌悪感が語られれば語られるほど、気になっていくのです。

でも、真相は、語られてしまえば案外あっけないものでした。
十和子を利用して出世をもくろんだ黒崎が、すべてをばらすと言って怒った十和子に暴力をふるった、という。

なにか恐ろしく複雑で、とんでもなく絡み合った事情があるのかと構えていたので、真相がわかったときには拍子抜けしました(^^;

まあ、よくある話、という感じのトラブルです。
別れ話のもつれ、ということで。

それに、十和子を特別可哀想、とは思わなかったし、共感もしませんでした。デパートに対しては、クレーマーだったし、元々自己中心的だったであろう十和子。
黒崎に惚れたからといって、いくらうまいこと言われたからといって、他の人と・・という要求に素直に従ってしまうところが、まさに理解不能。

それ、言われた瞬間に、黒崎に愛情がないことはわかる状況じゃないですか。私だったら、百年の恋も一瞬で冷める。

どんな理由があろうと、そういうのは、好きな人にはさせないから。それをさせるってことは、愛情がないんです。さっぱり。もう、僅かな愛情のおこぼれを期待するだけの可能性も壊滅的なほどの、決定的な発言だと思うんですけど。

そんなこと言われてなお、黒崎の言葉に従い続ける十和子の気持ちは、全然わかりませんでした。

他の人と結婚する、と言われて初めて、激昂する十和子ですが。いやいや、その前に普通は、怒るし呆れるし、気持ちも冷めてしまうものじゃないかと。十和子が愛されていなかったということは、誰がみても明らかな事実で。

ちなみにこのときの黒崎の対応が、現実離れしていて、いまいち物語に入りこめませんでした(^^;
ここで十和子に暴力をふるうっていうことは、現実にはありえないだろうなあと。黒崎はずるい人ですから。自分の損になることはしないはず。

体に傷が残れば、十和子にその気がなくても、周りの人が不審がりますよね。一体どうしたの?って話になる。
黒崎と十和子の関係、そしてなにがあったのかを知れば、十和子の関係者は間違いなく、憤り、黒崎を訴えるでしょう。

精神的に傷付いただけならまだしも、体に残った傷跡は立派な証拠になります。

黒崎がずるい人間なら、十和子に暴力はふるわないと思います。むしろあそこで殴れば、逆効果。だって、もう失うもの、なくなっちゃうから。失うものがない人間ほど、恐いものはないと思う。
追い詰め過ぎてしまえば、相手は自爆するしかない。そうなれば、どんな説得もきかない。すべてをなくした十和子は、捨て身で黒崎に向かってくるだろうから。

甘い言葉で、言いわけを重ねつつ。曖昧な好意を匂わせながら、とどめで写真を持ち出し、脅す。

黒崎がうまいことやろうと思ったら、そういう展開が妥当かなあと思いました。

そもそも、十和子は黒崎を、本当に好きではなかったのかも、と。そんな気もします。

だから、非道な行為にも耐えられた。
好きな人に言われた言葉じゃなかったから。好きな相手に強いられた行為じゃなかったから。

陣治も。水島も。十和子にとっては、ひととき楽になれる相手、だったのかもしれないなあと。そこに愛はなかったような。

最後、陣治がとった行動は衝撃的なものでしたが。十和子が誰も愛せなかったのと対照的に(本人は黒崎を愛してたと思いこんでいるけど)、実は陣治こそ、深い愛情を持つがゆえに破滅した人間だったのかもしれない、と思いました。

彼女が知らない鳥の名前こそ。もしや「愛」だったのでは?と思う、そんな小説でした。

『無伴奏』小池真理子 著 感想

『無伴奏』小池真理子 著 を読みました。以下、感想を書いていますが、ネタばれしていますので未読の方はご注意ください。

そもそも、小池さんの小説を読もうと思ったきっかけは、8月5日の日経新聞に載った、「生と死の営み」と題する小池さんのエッセイ。小池さんの住む別荘地(軽井沢?)の描写があまりに鮮やかで、素晴らしくて、一気に引き込まれてしまった。
映像が目の前に、パーっと現れるような文章なのである。

光も、風も、音も、暖かさも。全部、体感できるような文で、私はすっかりその情景に飲みこまれてしまった。

小池真理子さんと言えば、小説家で、美人で、恋愛小説を多く書く人、というイメージがあったのだが、なんとなく作風が自分の好みではないような気がして、今まで一冊も読んだことがなかった。
でも、こんなに素敵な文章を書く人だったんだ~。読まず嫌いだったけれど、こんなエッセイを書く人なら、その小説をぜひ読んでみたい。

そうして手に取ったのが、小池さんの代表作。なんといっても、直木賞受賞作の『恋』。『恋』を手始めに、『欲望』、『無伴奏』と、3冊を読みました。これらは、恋・三部作だそうです。書かれた順番は『無伴奏』→『恋』→『欲望』なのですが、私は順番無視で読破(^^;

結果。
う~ん。日経に載ってたエッセイは大好きだけど、小説の方は、私の好みではなかったなあ、と。

登場人物に、全然共感できなかったのです。
登場人物の悩みが、とても小さなものに思えてしまって。私だったら、そんなこと全然悩まないだろうなあというところに、小説のキャラは深く煩悶しているから。

人それぞれ、悩みというのは違うのでしょう。
誰かにとっては、軽く受け流せることであっても。違う誰かにとっては、人生を左右するほどの問題に思えたり。

そういう意味では。こういう生き方もあるんだな、こういう考え方もあるんだなあと、新鮮な気持ちで読み進めました。三部作の中でも、『無伴奏』には、一番小池さん自身が反映されているみたいですね。

『無伴奏』のあらすじは、といいますと。

青春時代の忘れられない記憶をたどって、主人公の響子が仙台を久しぶりに訪れ、回想が始まる・・・。

あのとき、なにがあったのか。

高校三年生だった響子は、バロック音楽専門の喫茶店で、大学三年生の渉、祐之介、そして自分と同じ高三のエマと出会う。
響子は渉と恋人同士になります。祐之介はもともとエマと付き合っていて。四人は仲良く、交流を深めていくのですが。

最後に驚愕の事実が発覚。

実は渉は同性愛者で、渉と祐之介は相思相愛だった過去があるのですが、彼らはそれを断ち切ろうと、意図的に女の子と付き合おうとしていたという・・・。

まずその時点で、響子とエマが可哀想~でした。彼らの苦悶よりも。

響子は渉と祐之介の関係を知ってもなお、渉に執着し、エマと祐之介がカップルになれば、渉を祐之介に取られることはないという幼い考えから、エマには真実を教えません。

エマは祐之介に夢中になったまま、結局妊娠。
響子が、エマに彼らの本当の関係を教えていれば、あるいは、結果は変わっていたのかもしれませんが・・・・。

まあ、エマも祐之介に対しては物凄い執着ぶりで、もし別れてくれと言われても「いや」と、それしか言わない、なんて言いきっちゃってるので、本当の関係を知ったところで、ますます追いかけまわすことになったのかも。

祐之介は、エマの妊娠という事実を受け入れられずに殺人を犯し、服役。
そして渉は、祐之介の罪を背負おうとしたがそれもできず(いくら嘘の自供をしても、アリバイがあったので)、自殺。

この登場人物四人には、それぞれツッコミどころがたくさんあります。

響子に関していえば。
たしかに、好きになった相手が同性愛者で、その人には本命の恋人がいた、というのは、女子高生にはショックすぎる出来事なのかもしれませんが。でも、仙台に戻ってきて回想するとき、彼女は四十歳でもう他の人と結婚していて、七才の子供もいるんですね。
それなら、過去はもう遠い思い出になってしまっているのでは?と思うのです。

もし今も引きずっているなら、結婚もできないし、まして子供なんて、とても無理でしょう。

エマについては。

若いから仕方ないとはいえ、強引すぎるところが同情できないというか。相手に嫌われても、私が好きなんだからいいじゃないか。どこまでも追いかけてやる、みたいな考え方は、好感が持てませんでした。
逆の立場になったら、絶対嫌だと思うけどな~。
人の嫌がることをしたら駄目ですね。一方的な思いの押しつけなんて、暴力でしかない。

渉については。
響子に対し、僕なりにきみを愛してた、みたいなことを言うんですが。でもその愛って、祐之介に対するものと比べたら、天と地ほどの差があるよね~と、言いたくなります。
祐之介のことが好きだったなら、その愛はそのままでよかったんじゃないかと。無理に響子を巻き込まなくても。

読んでいて、響子に対しては、友人としての愛情以上のものは何も感じませんでした。まさに「利用」したんだなあという感じです。自分は女性も愛せるんだという証明のために、響子が必要だったのかと。
そして恋人同士になったことに満足し、自分自身に言い聞かせていたような。ほら、僕はちゃんと、普通だよって。

祐之介については。
この人が一番、ずるかったな~という印象です。出所した後、子供が三人いる女性とあっさり再婚。沖縄でお土産屋さんを経営し始め、遊びに来てねと渉のお姉さんに絵葉書を出すという・・・・。
すっかり、あの過去が遠い記憶になってしまっているという・・(^^;

苦悩の果てに死を選んだ、渉の立場がありません。

祐之介にとって、それは若い日の一時の激情だったのかと。だったら渉もそんなに悩まなくてもよかったのになあ。しかも渉、祐之介の犯した罪を、自分の罪と考えて、さらに暗い闇の中へ足を踏み入れてしまったわけで。

渉が思うほど、祐之介は思ってはくれなかったという、それが、残酷な真実なのでしょうか。

そもそも悲劇の根源は、エマの死にあると思います。そしてその死をもたらしたものは、エマの妊娠。祐之介がそれを望まないなら、なぜエマを妊娠させたんだろうか。
そこは、祐之介が一番気を付けるべき点じゃないのかと。

後から考えれば、いくらでも他に手はあったし。
傍から見れば、とるにたらない悩みであっても。

四人にとっては解けないロープで、ぐるぐる巻きになった、悲しい記憶なのかもしれません。

でも正直、この四人にはあまり、共感できないです。それぞれ、十分に恵まれた環境の中で、恵まれすぎたからこその悩みだったような。

特に響子。制服廃止闘争委員会の委員長・・・・。お嬢様ですなあ。
先生方、いろいろ大変だったろうなあ。

安保。三島。本の中には、その時代の空気が濃厚に流れています。
でも、安保を叫ぶ学生の多くは、それなりに裕福な家庭出身だったろうことが、皮肉な感じです。苦学生はそれどころじゃないし、当時、大学に行ける環境そのものが、ひとつの特権だったと思うから。

この小説に似合う曲は、『無伴奏チェロ組曲』よりも『青い影』のような気がしました。 回想に、後悔のエッセンスが滲むイメージです。