『THE SNOW GOOSE』PAUL GALLICO 著 感想

『THE SNOW GOOSE』PAUL GALLICO 著を読みました。以下、感想を書いていますが、ネタばれしていますので未読の方はご注意ください。

(原書を読みました。そのため、日本語訳は私が勝手につけたので、間違っている可能性があります。もし変なところがあれば、すみません)

先日ブログで『七つの人形の恋物語』の話を書いてから、どうもポール・ギャリコが気になって仕方なかった。ということで、彼の代表作でもある『THE SNOW GOOSE』を読んでみました。

読後感・・・やっぱり、どんより・・・でした(^^;
何とも言えない重苦しさ。『七つの人形の恋物語』に似た、やりきれなさがあります。

ひっそりと人目を避けるように、寂れた灯台で暮らし始めた絵描きのラヤダー。決して人間嫌いではないのに、その外見は他の人にはなかなか受け入れられず。十分に傷付いて、ひとりきりの静かな生活を選んだ彼の元に、怪我したハクガン(白雁)を抱えて現れた少女、フリス。

人間が好きなのに、誰からも受け入れられなかったラヤダーが、初めて見出した希望の光。そりゃあ、期待しちゃうでしょう。すがっちゃうでしょう。だって、それしかないんだもの。
たった一人、たとえハクガンを通じてだけの交流であっても。フリスの存在はどんなにか、ラヤダーの慰めになったのだろうかと思います。

そして、彼は、期待してしまう。ああ、このへんの流れは、読んでいて胸が痛かったです。
無理もない。好きになっちゃうよね・・・。

でも、さよならの日は、予告もなくやってくるのです。

私は、この物語のクライマックスは、フリスがラヤダーの秘めた思いに初めて気付いた日、ではないかと思いました。

渡り鳥のハクガンが、渡り鳥でなくなった日。ラヤダーのいる灯台を、自分の住処と定めた日。

ラヤダーは、震える声で言うんですよ。「彼女はここにいる、もうどこにも行かない。迷子のお姫様はもう、迷わない。ここが彼女の家なんだ-それが、彼女の本当の気持ちだ」と。

“Free will” という単語を、私は「本当の気持ち」だと訳して読みましたが。Free という言葉からは、「誰かに強制されたわけでも、同情からでもない、素直な本音の部分で、どうか僕を愛してほしい」というせつない叫びが浮かびあがってきますね。

渡り鳥が灯台に滞在する期間だけ、ラヤダーの元を訪れていたフリス。ラヤダーのいう「彼女」が、鳥ではなく、実は「フリス」を指しているのは明らかです。

渡り鳥は、灯台を住処に定めた。ねえ、君はどうするの? ハクガンの居る場所が君のいる場所なら、もうどこへも行かないよね? ずっと一緒にいてくれるよね? と。

以下の文からは、緊張感が伝わってきます。

>The spell the bird had girt about her was broken, and Frith was suddenly conscious of the fact that she was frightened, and the things that frightened her were in Rhayader’s eyes – the longing and the loneliness and the deep, welling, unspoken things that lay in and behind them as he turned them upon her.

( 鳥のかけた魔法は解けた。フリスは不意に、気付いてしまう。自分は怯えているのだと・・・。それは、ラヤダーの瞳の中にある。憧れ、寂しさ、そして深く、湧き上がる、言葉にならない思い。その瞳の、奥にあるもの。フリスをみつめる、ラヤダーの瞳。)

最後の as he turned them の them は、Rhayader’s eyes を指すと考えていいのかなあ。ここはちょっと自信ないですが。

息詰まる瞬間をとらえた文章ですね。読んでいて、苦しくなってしまった。まるで自分が答えを迫られているようで。
自分がフリスだったら、たぶんこの緊張感には耐えられない。この段階でもう、何も言わずにすぐ、逃げだしているかもしれない(^^;

決断を迫るラヤダーに、フリスは逡巡し、二人の間には言葉にならない応酬があります。
言葉にならなくても、十分にわかりあえてしまう沈黙。だからこそ残酷で、ごまかしがきかない。

>I – I must go. Good-bye. I be glad the – the Princess will stay. You’ll not be so alone now.

(私・・・私行かなくちゃ。さよなら。鳥がどこにもいかなくて、よかったですね。もう、寂しくなんてないですね)

いやー、言っちゃいました。あっさりバッサリ、期待の余地なんて、寸分も残さずに、ぶったぎっちゃいましたよ、フリス。

鳥じゃないのにね。いや、鳥も好きだろうけどさ、本当に居てほしかったのはフリスだってこと、ラヤダーもフリスもわかりすぎるくらいわかってるのに。

まるで気付かない振りをして、フリスは別れを告げちゃうのです。もうこの瞬間、ラヤダーはがっくり膝をついてると思う、心の中で。見事に、見事に断られちゃったよって・・・。

そのまま駆けだすフリス。
そうだね。そのままそこに居れば、二人ともつらいだけだ。ラヤダーの反応や返事を待たなかったのは、せめてもの救いかもしれない。

そして三週間あまり後に、再び灯台を訪れたフリスが見たものは、捕われた兵士を助けるために、ボートで出発しようとするラヤダー。
激しい戦火の中へ飛び込むことは、すなわち死を意味するわけで。

そうなって初めて、「一緒に行くわ」とか言っちゃうフリス・・・。
嘘つき・・・って思ってしまったのは、私の心が汚れているせいなのか(^^;

フリスは、ラヤダーを愛していないと思いました。
年上の、仲のいいお友達としての気持ちはあっても。そこに、恋人としての愛情はない。
でも、ラヤダーが求めているものは、その、まさにない、幻のもの。

たぶんラヤダーも、三週間前のあの日までは、期待してた。もしかしたら、ほんのかけらほどの、可能性があるんじゃないかと。でもそれが完全にないとわかったとき、覚悟は決まったんじゃないでしょうか。

私にはラヤダーが、あの日から、死ぬ理由と死に場所を、探していたように思えました。

>For once – for once I can be a man and play my part

(唯一つ、たったひとつ、僕が人として役に立てることなんだ)

ラヤダーの悲しみ。もうこうするしか、なかったという静かな諦め。

「戻るまで、鳥の世話を頼むよ」とフリスには言ったけれど。戻れる可能性などないことを、ラヤダーは知っていたと思う。

「無事でいて」と、フリスに見送られて旅立てたことは、思いがけない幸せだったのかもしれない。もう二度と会うことはない、と考えていただろうから。

この小説の後半には、ラヤダーの死を告げるように戻ってきたハクガン(ラヤダーの分身でもあると思う)に、フリスが思わず心の中で、「愛してる」と叫んでしまうシーンもあるのですが。

私はこの言葉を、とても複雑な気持ちで噛み締めていました。

ひねくれた見方かもしれない。だけどフリスは、女性としての感傷で、そう言っているようにしか思えなかった。自覚はないかもしれないけど・・・フリスは自分でもそう思いこんでいるのかもしれないけど、でもそれって、ラヤダーの求めた「愛」じゃないような気がする。

異性としての愛を求めたラヤダーに対し、フリスは、人としての愛で、応えようとしているような。優しいけど、でも、それじゃないんだよなあ、きっと。ラヤダーの求めるものは。たぶん。

まあ、間違ってはいないかもしれないけど。愛してるって言葉には、いろんな意味があるわけで。

あのとき。渡り鳥のハクガンが、ラヤダーの元に住処を定めたとき。ハクガンを通して、精一杯の愛の告白をした彼の思いは、ついに届くことはなかったんだなあ、と、そう思ってしまいました。あのときのフリスの描写が示すものは、つまりそういうことだったのだと。

ラスト。灯台が破壊され、全てが海に還っていく寂寞感。その光景は、とても美しいと感じました。
ラヤダーの見えない手が、そっとフリスの背中を押しているようにも思えました。思い出に、いつまでも捕われる必要はないのだと。
生きているフリスには、生きている時間が流れていく。

不思議な余韻の残る、小説でした。

心が重くなる小説

『七つの人形の恋物語』ポール・ギャリコ 著が、音楽座ミュージカルで舞台化されていたことを知り、ちょっとびっくりしました。

おおー。あのお話を舞台化ですか・・・。

そして思い出したのです。あの本を読み終えた後の、なんともいえない胸苦しさを。心に重さが残る小説でした。でも奇妙に印象深くて。ずっと覚えてます。

といいつつ、結末は覚えてないんですけどね(^^;

覚えているのは、キャプテン・コックがムーシュに憎しみを募らせ、その無垢さに苛立ち、暴挙に出たショッキングな場面。

最低だ・・・と思ったし、読んでいてつらかった。でも驚くことに、このキャプテン・コック。反省しないのだ。暴挙は何日も、続くのだ。

もうその時点で、なんなんだこの人・・・ひどすぎる・・・と思ったし。逃げないムーシュにも、苛立ったりした。たしかにムーシュには他に行き先もなく、人形一座を出れば生きていけないのかもしれないけれど、それでもここに、この場に居続けるよりはましなのではないかと。

翌朝、とても優しい人形たち。

読んでいるうちに混乱した。この人形には、別に魂が宿っているわけではないのよね? それにムーシュは、幻覚を見ているわけでもないのよね? だったら何? これはキャプテン・コックの本心?

なんとなく。一度だけの過ちなら、わかるような気がしていた。
やりきれなくて。キャプテン・コックがムーシュに抱いた、挑戦のような気持ちが、わからなくもなかった。

こんなにも汚い自分を、受け入れられないだろう?って。
自分を卑下するキャプテン・コックは、傷付く前に防御の殻をかぶったのだと。
わざと嫌われるようなことをして。そして嫌われて。
そうしたら、もしかしたら愛されるかもしれないという最後の夢を、いつまでも未練がましく持ち続けなくて済むから。
それを持ち続けることは、いつ失うかという恐怖との、隣り合わせだから。

でも。
読んでいて本当にわからなかった。
それを続けることの意味が。

たった1度で十分じゃない? どれだけムーシュが傷付いたか、傍にいてそれがわからないのか? 2度3度と重ねるなら。そこに愛なんて、ないんじゃないかと。残酷な喜びだけ、のような気がした。

もし私がキャプテン・コックの立場なら。たった1度だけでもう、吐き気がするほど自分にうんざりして、居たたまれなくなったと思う。感情に流された1度目はあっても2度目はさすがに・・・。

人形たちが優しいから、ムーシュは出て行かなかったのだろうか。

読んでいて、胸が苦しくなる場面でした。でも、忘れられなくて、ずっと覚えている小説でした。

あのお話を舞台かあ。
どんな感じだったんだろう、と思います。

久しぶりに、小説をもう一度読んでみたいと思いました。時間がたてば、また感想も違ってくるのかもしれません。

『少女椿』『笑う吸血鬼』『ハライソ』丸尾末広 著 感想

『少女椿』『笑う吸血鬼』『ハライソ』など、丸尾末広作品について語っています。ネタばれも含んでいますので、未読の方はご注意ください。

丸尾末広さんの作品を初めて知ったのは、昔、偶然買った『少女椿』のCD-ROM。もう10年以上前のことになるのかな。ずいぶん昔の話です。

買ったときのこと、今でも印象深く覚えています。

レジの横に、目玉商品、という感じで並べてあったんです。私はそのレトロな装丁に心惹かれて、なにげなく手にとって、もともと買う予定だった本に追加して、レジ台に置いたのです。

そしたら、そのレジの人が、「マジですか?」という感じで、一瞬ぎょっとしたように、私を見たんですよね。
なんでそんな風に見られてたのかわからなくて、私は少しむっとして、変な人だなあって思ったんですけど。

家に帰って、そのCDを見て納得です。

たしか18禁という表示はなかったと思いますが、(今は手放してもう手元にないので、記憶による限り)内容は完璧に、18禁でした(^^;

強烈すぎて夢に出ます。子供は見ては駄目な世界です。
あれ、レジの人は内容を知ってたんだなあと、後から思いました。

装丁だと大正ロマン的な、ほのぼのした雰囲気なんですけど、中身はもう凄まじいエログロです。たぶん、江戸川乱歩を百倍くらい過激にした感じです。

大人ならいいけど、これを子供がみたら、しばらくうなされそうな強烈な作品なのです。

ラストも、一見きれいなんだけど全く救いがないし(^^;

ワンダー正光が怖い。目が笑ってない。

主人公はワンダー正光に救われるけれど、それは見方を変えれば、また別の人の囚われ人になるようなもので。自由なんてどこにもない。愛でられる間だけ、守られるだけ。選択の余地はないのです。また別の人に囲われるだけ。

言うことを聞いている間だけは優しいんですけど。だからこそ、逆らったらどうなるかわかってるんだろうな、的な怖さがあります。
主人公がワンダー正光から距離を置こうとしたときの、あの緊迫感。

同じ丸尾末広作品でも、『笑う吸血鬼』と『ハライソ 笑う吸血鬼2』はわりと、過激ではなく読みやすいと聞いていたので、一度読んでみたいなあと思っていました。

なんといっても、あの過激さはちょっとつらいけれど、絵は綺麗なのです。ぞっとする魅力があるというか。毒をもつ花、のような。
それを手にすれば傷付くのを承知で、ふらふらと近付き、手折りたい衝動に逆らえない、みたいな。
一般受けするような作品で、しかも吸血鬼もの(私はもともと吸血鬼というモチーフが好きです)というなら、ぜひ読んでみたいと思っていました。

そしてこの間、出先でヴィレッジヴァンガードをのぞいてみたところ、あったのです。あると思ってましたよ。普通の書店には置いてないだろうけど、ヴィレッジヴァンガードにある予感はしてました(笑)

読んでみた感想。

十分、エログロだと思います。これは結構きついです。感性が鋭い子供が読んだら、かなりの影響を受けそうな気がします・・・。18禁の表示はないけれど、いいのかなあ。完全に、大人向きの作品ですね。

少女椿よりも過激でない、ということはないかと。

読み終えた後の重苦しさは、少女椿と同じです。でも同じくらい、不思議な魅力のある絵でした。

私は、『笑う吸血鬼』だけで完結したほうが、よかったような気がしました。『ハライソ』は蛇足に感じてしまった。

主人公は紅顔の美少年、中学生の毛利耿之助(もうりこうのすけ)です。望んでもいないのに無理やり吸血鬼の仲間入りをさせられた彼が、死にかけた(死後間もない?)クラスメート、宮脇留奈に自らの血を分け与え、花火をバックに空中でキスするシーン。

すごく、胸を打たれる光景でした。

月があって。暗い夜空いっぱいに、花火がキラキラと光りを放って。

たぶん、辺りには花火の爆音が響いているんでしょうけど、読み手に伝わってくるのは静寂なんですよ。胸が痛くなるくらいの静けさ。

世界に二人きり、という孤独。

ああ、二人なら孤独じゃないのか。でもそれは寂しい世界で。

そして同時に、おそらく耿之助が望んだ世界。留奈が安心して生きられる世界。もう、留奈を脅かすものはどこにもない。

空中に浮かんだ二人を、見ている者は誰もいないのです。それは一瞬の、忘れられない情景。

>月は衛星ではない
>あれは空にあいた穴だ
>向こうの世界の光が穴からもれているから 光って見えるのだ

上記は、作中に出てくる言葉です。

向こうの世界はどんなに、光にあふれて明るいことでしょう。そしてこちらの世界の暗さは、吸血鬼である耿之助たちを、どれだけ優しく包みこむのでしょう。

少年少女のまま時をとめ、永遠に生きるというのは、夢のような理想の世界なのかもしれません。

少なくとも留奈は、この世界に絶望し、一度自分を殺さなければ自由にはなれないほど、追いつめられていたのではないでしょうか。狂わなければ正気を保てない。だけど狂いながら生きることに、意味を見いだせない。

まあ。続編の『ハライソ』で、永遠の若さなどというものがまやかしだと、明らかにされるんですけどね。人より急速に老いて、そのまま永遠に生きるという、吸血鬼の苦しみ。

『ハライソ』とは、ポルトガル語で、天国とか、楽園を表す言葉だそうです。

人が楽園を探す物語。
天国は、どこにあるのでしょう。
月の向こう側にある世界と言われれば、それが真実のような気も、してきました。

『若菜集』島崎藤村 著 より、「おくめ」を読んでの勘違い

まずは、昨日のブログ記事に追記です。

昨日の記事では、宇多田ヒカルさんの『Prisoner Of Love』の歌詞で

>人知れず辛い道を選ぶ
>私を応援してくれる
>あなただけを友と呼ぶ。

人知れず辛い道を選ぶ人=あなた、そのあなたが私を応援してくれる、と私は解釈していたのですが。
だからこそ、その状況は速水さんに重なると思っていたのですが、これよくよく読み返してみると、私の勘違いですね(^^;

もし私の解釈通りなら、きっと

>人知れず辛い道を選「び」
>私を応援してくれる

となったでしょう。「ぶ」でなく「び」、ですね。

でも、実際の歌詞は、「ぶ」だった。

ということは、辛い道を選んだのは、私、と理解するのが自然なのでしょう。今さらですが、それに気付きました。
私がひそかに辛い道を選んだことを、あなただけがわかってくれた、そんな喜びが、にじみ出ている歌詞なのですね。最近ガラスの仮面のことを考えすぎているから、私はつい、変に歌詞をねじまげて解釈してしまったのかもしれません(^^;

後から自分の記事を読んで、その不自然さに気付きました。なので訂正です。

そしてこの解釈のねじれ、というので思い出したのですが。
そういえば昔、高校の国語の授業でも、私は恥ずかしい大勘違いをやらかしてしまったことがあるのです。
後から考えると、どうしてそんな風に解釈してしまったのか、自分でも「そりゃないだろ」と突っ込みたくなるような間違いでした。

島崎藤村の『若菜集』の中にある「おくめ」という詩です。ご存じの方も多いかもしれません。恋した女性の情熱を生き生きと表現した詩なんですけど、その詩を一節ずつ、意訳するのが宿題になりました。私に充てられたのはこの部分でした。

>しりたまはずやわがこひは
>雄々しき君の手に触れて
>嗚呼(ああ)口紅をその口に
>君にうつさでやむべきや

まあタイトルが「おくめ」であることからして、普通に考えればせつせつと恋を語るこの詩の主人公は、女性である、おくめ、なんでしょうけども。
私はなぜか、この詩のこの一節を読んだ瞬間、この描写は男性がおくめに抱いた恋情だと思っちゃったんです。

つまり、一人の男性が、おくめという女性に恋して捧げた詩、だと思いこんでしまったんですね。読んだ瞬間に浮かんできたのが、おくめではなく、おくめに恋する男性の姿でして。

私は、「雄雄しき君」を、男勝りのおくめだと、想定してしまったのでした。
当時の私の解釈はこうです。

>おくめ、君は知らないのだろうか。私の恋を
>強情な君の、その手に触れてみたい
>嗚呼、女らしい装いを嫌う君が、普段は決してつけない口紅を
>私の唇を通してつけずにはいられない(つまり接吻したい)

かなり、原作の意図からかけ離れちゃってますね・・・・。実際に書かれていない状況まで、勝手に補完しちゃってるしなあ(^^; 女らしさを厭う、男のような君って、いつの間にそんな設定ができたのかと。尊敬の補助動詞「たまふ」も無視しちゃって、ずいぶん上から目線の口調になっている点も、突っ込みどころですね。

ともかくこのとき、私の頭の中ではこんなシチュエーションが想像されていたのです。

主人公はおくめの幼馴染。密かにおくめに恋していますが、照れくさくてとても告白などできません。二人はお互い、憎からず思いながら成長していきます。おくめは女性らしくない、じゃじゃ馬で。普段からおしゃれなどには見向きもせず、ぱっと見は男(笑)な自然児ではありますが、年頃を迎えて。
なにかの瞬間に、はっと心が震えるような美しさを醸し出すことがあり。そのたびにひどく、男は心を動かされるのです。このまま黙って、君が誰か別のひとのものになるのを、見ているしかないのだろうか、と。

おくめのイメージは、『はいからさんが通る』の花村紅緒です。男のイメージは、中性的な蘭丸ではなく、もっとごつい感じかな。

それで男は、無理やりにでも、おくめに接吻したいと夢想しているのかなあ、なんて想像してしまったわけです。
なんて官能的なシチュエーションだろう・・・と、当時の私はドキドキしたものでした。
男が、まず自分の唇に口紅を塗って、キスするのかと思ったので。キスで口紅をうつすという。ちょっと退廃的で、官能的な場面なのかと勝手に妄想しておりました。今考えると、その発想がぶっ飛んでますね(^^;

こんな詩を授業でやるなんて、いいのかなあと赤面しつつ。でも、なんだかちょっと色っぽくもあり、綺麗な詩だなあと。意訳しながらワクワクしたし、授業で発表するのが楽しみでした。

そして翌日。
それぞれの生徒が、前日に宿題として充てられた担当部分を、順番に発表していきました。それを聞いているうちに、私は自分が、致命的な間違いを犯していることに気付いたのです。
私の担当部分は詩の中ほどのところだったので、他の人の意訳を聞けたのは幸いでした。

あ・・・・これって・・・・おくめさんの心情を歌った詩だったのね。おくめさんを恋した人が歌ったんじゃなくて・・・・
じゃあ、全然違うじゃん。
男が口紅塗ってキスするんじゃなくて、おくめさんがキスして、自然に口紅がついちゃうって話なのか。ああーなるほどー。それなら普通だよね。ていうか、私の発想ヤバかった。
よかった。今気付いて。

冷や汗をかきつつしどろもどろになりながら、私はその場で意訳をやり直し、事なきを得たのでした。
今でもそのときの、血の気が引く感じを覚えています。

言葉って難しい。直観的に、コレだ~と思ったことでも、後から読み返すと「なんで自分はあんなふうに解釈したんだろう」と不思議になることもあるし。

でも、一つの言葉から膨らんでいく想像が、人によってずいぶん違うというのは面白いことでもありますね。うわー、そういう解釈もあったのかーっていう、新鮮な驚きがあったり。

久しぶりに、「おくめ」を読み返した日曜日でした。

『淳之介さんのこと』宮城まり子 著

『淳之介さんのこと』宮城まり子 著 を読みました。以下、感想を書いていますが、ネタバレしていますので未読の方はご注意ください。

吉行淳之介さんといえば、宮城まり子さん。私は吉行さんの本を読んだことはないのだけれど、その名前と、宮城まり子さんとのことは知っていた。

吉行さんと宮城さんは、ずっと事実上のパートナー状態だったとのこと。

奥さんがいるのに、そうした関係を長く続けるというのは、当事者間ではいろいろ複雑な事情があるんだろうなあ。

実は今回この本を読んだのは、以前、大塚英子さんの『「暗室」のなかで』を読んだことがきっかけだった。

この本の中で、大塚さんは吉行さんとは長いこと恋人同士であったと書いている。つまり吉行淳之介さんは、宮城さんと大塚さん、二人と同時にお付き合いしていたということになる。

大塚さんの本を読んだ後だからこそ、宮城さんの本を読んでみたかった。

大塚さんの本を読んだ限りでは、吉行さんの愛情は大塚さんだけに注がれていて、宮城さんとの関係は惰性(言い方は悪いけど)のようなものに思われたからだ。

大塚さんの本の中では、たしか「M女史」と表記されていた。嫉妬深く、怖い存在として描かれていたような。

M女史の激しさに疲れた吉行さんが、癒されるために訪れたのが大塚さんの部屋だったと、大塚さんはそんな風に書いていたような気がする。

(『「暗室」のなかで』の方は、読んだのが大分前なので、少し記憶があやふやです、すみません・・・)

それでは、宮城さんは吉行さんとのことをどう思っていたのだろう。

宮城さんからみた吉行さんの姿を、大塚さんとは違う視点で見てみたいなあと思い、『淳之介さんのこと』を読み始めたのです。

結果、驚きました。

宮城さんは、吉行さんの最後のときまで、相思相愛であったというふうに書いていたからです。

宮城さんの著書の中には、大塚さんの存在を匂わせるものはなにも、出てきませんでした。完全に黙殺です。存在を知らなかったとは思いませんが、敢えて触れなかったのかなあと思いました。そこには、同じ男性の愛情をめぐる、無言のバトルを感じましたね。

大塚さんの本を読む限りでは、吉行さんが本当に愛していたのは大塚さんだし。

宮城さんの本を読む限りでは、吉行さんが本当に愛していたのは宮城さんだし。

私には、どちらも真実だと、そう思えました。視点が違うだけなんですよね。きっと吉行さん自身、二人の女性のそれぞれの個性を、それぞれに愛していたんじゃないかと、そう思うのです。

大塚さんの前では、吉行さんは宮城さんのことを怖い存在のように言っていたみたいですが、それは本当でもあり、嘘でもあって。

両方真実なんだなあと。

恋人として愛おしく思う反面、束縛されれば煩いだろうし。

ずるいといえば、ずるいですね。愚痴をいいつつ、でもその人の元へ、戻っていったわけですから。関係を断ち切らずに。

宮城さんは、正式な妻ではないという立場を割り切っている人なのかなあと勝手に想像していましたが、それは違ったようです。

本の中では、「私が必要、どっちが必要」などと、何度も迫った過去があると書いていました。

これはちょっと意外だった。そうかー、やっぱり正式な結婚を望んでいたんだなあ。そりゃあ、世間体は悪いですし、やっぱり2番目の存在である、というのは自尊心が傷つきますよね。

でも、結局、入籍することはできなかった。ならば2番目の存在であってもいいから、傍にいたかった。それだけ好きだった、ということなんでしょう。

吉行さんが癌になり病院に入院したとき、寄り添っていたのは宮城さんだった。奥さんのことは書いてなかったけれど、宮城さんの著書を読む限りでは、宮城さんがまるで本当の妻のように、医師との話し合いや付き添いをしたらしい。

自分が弱ったとき、最後のときを一緒に過ごした人・・・やはり、宮城さんとは、強いつながりがあったんだなあと感じました。

でも、大塚さんに対しての愛情も、あったでしょうね。別の種類の。

それは、吉行さんが大塚さんを、家族というよりも恋人として、女性としてだけ見ていたからではないでしょうか。カッコいいところだけを見せたかった美学、みたいな。

大塚さんにはすべてを見せているようでも、実際、彼女には見せなかった深い部分が、あったのかもしれません。最後、病院で宮城さんと過ごしたのは、そういうことかなあって思いました。

元気にしている間だけ、会おう。重い病気で入院などしてしまえば、会えなくなる。その日はいつ来るかわからない。だからこそ、二人が会える今この瞬間を、最高に楽しもう、みたいな。大塚さんとは、甘い恋人同士としての期間が、延々と続く。そこには生活の匂いなんてないわけで。

大塚さんはホステスの仕事をやめ、社会とほとんど関わりを持つことなく、ただ吉行さんの訪れを待つだけの生活を送りました。

いつでも自分だけを待っていてくれる存在がある、安らげる場所がある、というのは、吉行さんにとっては天国だったろうなあと思うのです。通常なら、「あなたが世界のすべて」という恋人の存在は、次第に重くなるものと思いますが、吉行さんの場合は、重さを感じたときにはフラっと出て行けばいいわけで。そしてまた、戻りたければ戻ればいいわけで。

そういう存在の女性がいる。小さな暗室で、ただただ自分を待っている存在がある。しかもその人は、嫌なことなんて言わない、とくれば、これほどの幸福はないでしょうね。

傍からみれば、まさに「都合のいい女」状態なんですけどね(^^; それでも大塚さんは、どんな立場でも構わない。一緒に居られるならそれで幸せ・・・と感じたのでしょうから、吉行さん、モテモテだなあ。

宮城さんも大塚さんも、自分こそが彼に一番愛されたと思っているし、それぞれの心の中でそれは真実なのだろうなあと、そう思ったのでした。

ところで、本妻の方も、吉行さんとの日々を綴った本を出版されているそうです。興味が出てきました。

本妻の方から見た吉行さんは、どんな方だったんでしょうね。

そして、なんと大塚さん以外にも、自分も愛人であったと名乗り出た方がもう一人いて、その方も本を出しているそうです。

すごい。吉行さんの周りには、4人の女性がいたんですね。そしてみんな、自分の言葉で、本を出しているとは。

愛人・・・。嫌な響きの言葉ですけど。それでも構わないと思えるほどの、魅力がある人だったんでしょうね。

昔ラジオでよく流れていた曲を思い出しました。愛人の心境を歌った歌です。「眠れぬ夜に泣いてしまうの・・・・」から始まる曲。全然ヒットしなかったけど、ある時期、しょっちゅう流れていました。

愛人かあ。

自分だったら、絶対嫌です(^^;

嫌というか、冷めてしまうと思いますね。相手が別の人を好きだとわかったら、一気に。

たとえ2番目以降の存在であってもいいから離れたくない、という気持ちは正直わからないです。