エリザベート 観劇記 1回目

 9月2日は、「エリザベート」に山口祐一郎さんが出演する最初の日。初日のチケットが手に入ったので行ってきました。以下、感想ですがネタバレしてますのでご注意ください。

 全体的な感想は、無難だなあということです。そもそも、私は「エリザベート」という演目が好きではなくて、それを再確認した一日でした。2004年公演でも2度見たのですが、やっぱり好きになれなかった。今回あらためて見たら、好きになれるかもと期待していたのですが、やっぱりダメ。

 主役のエリザベートを演じる一路真輝さん。歌うまいです。あれだけの歌を、最初から最後まできっちり歌い上げるのはすごいことだと思う。それもシングルキャストだから、毎日。昼夜あれをこなすというのは、なかなかできることじゃない。ただ、醸し出すオーラがまじめすぎて、ちょっと魅力に欠けるかなあと思ってしまう。

 姿形は完璧、そのまま美しいエリザベートなのですが。奔放さが足りないような気がしてしまう。死の帝王トートでさえも虜にしてしまうような、はじける生命力のようなものがあれば、もっと魅力的になると思うのです。

 

 たとえば「風と共に去りぬ」でいうなら、一路さんはスカーレットじゃなくメラニーなんですよ。賢明で、従順で、地味なイメージ。スカーレットのイメージは、大地真央さんだなあ。

 我が道を行く、強引さを持った人だと思う。その強引さがまた、魅力になっているような気がします。一歩間違えたら嫌味になってしまうようなアクのある個性。大地さんのエリザベートを、見てみたいです。一路さんとWの出演になったら、お互いの違いが見えておもしろいと思います。エリザベートの大地さん、実現したらどんな風に演じるんでしょう。

 

 劇中のエリザベートを見ていると、だんだん苛々してきます。それは、彼女があまりにもないものねだりで、わがままだから。なにもわからない、どこか抜けた人であったなら、まだ可愛らしさも見えるとおもうのですが、一路さんシシィ(エリザベート)は賢すぎるんです。頭よさそうなんですよ。自分の立場を理解できるだけの知性を持ちながら、それでも駄々をこねている、まるで子供のように。

 本当に子供のように真っ白な心で、心底「どうして私は自由になれない?」と苦悩しているなら、それはそれで共感できるのですが、一路さんからは知性を感じてしまう。大人の分別が伝わってくるのに、でもやっていることが自分勝手だから、単なるわがままに見えてしまう。

 実際、一路さんとシシィって、性格は重ならないだろうなあと思うのです。一路さん、すごくいい人な気がする。なんとなく。

 エリザベートは、とにかく自由を欲しがります。でも自由が欲しいって、そりゃ庶民と同じ自由は望めなくても、それなりに十分恵まれた立場のはず。フランツ皇帝にも愛されてるし、嫁姑争いでも、結局自分が勝ったし。子供も義母から自分の手に取り返して、好きなようにわが道を生きて。

 だけどいつも不満だらけで、精神病院の女性に「私があなたならよかった」と語りかけるなんて、もうその時点であきれ果ててしまいます。ちっとも悲劇の人に見えないのです。むしろ、周りの人間がどんどん不幸になっていく。

 一路さんが演じる、少女時代のシシィが一番好きです。このときの演技はさすがという感じ。ただただ、明るい未来があると信じて疑わない無邪気さが弾けてます。声も少女そのものだし、パパとの会話も可愛くて、ほのぼの。

 パパ役は村井国夫さんですが、この役ははまり役ですね。シシィのことは、愛してはいるんだろうけど、それはお人形さんを愛でるような愛情。結局は自分が一番大事という酷薄さが透けて見える。嫌なことからはさっと逃げ出す自分本位なところなど、うまく演じているなあと思います。享楽的に生きているということですね。本当に娘を愛して守ろうとした父親なら、シシィの人生も少しは違ったのかなあと思ったりします。本当にいい父親なら、彼女にとって耳の痛いことでも、ちゃんと小さなときから教えたはずです。後で苦労するのは、シシィ本人ですから。

 ゾフィー皇太后は、前回の初風諄さんが体調不良で、寿ひずるさんに代わりました。違いは、声が若くなったというところでしょうか。

 初風さん、厳格で気品にあふれたおばあさま、という感じだったのですが、寿さんにはまだ若さを感じました。歌は抜群の安定感。

 ちょっと長文になってしまったので、続きはまた後日。

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