素直な賞賛の言葉を

 

 今さらですが、舞台『エリザベート』製作発表の動画を見ました。

 山口さん相変わらず天真爛漫です。余裕です。緊張感全くない(^^;

 それを見ていて思いました。結局、自信なんだろうなあって。今まで築き上げてきたものや、自分に自信があるから、あんなふうに自然に振舞える。

 山口さんの言葉も態度も、ぜんぶ本当のものなんだろうなあって思うんですよね。周囲へのサービスの部分が全くないとは言いませんが、でもあのとき、思ったことをそのまま口にして、感嘆しながら肘をついた。その動作に嘘はないというか。

 それができるのは、自分に自信があるから。誰かに何かを言われたとしても、そのことで折れたり傷ついたりしないだけの芯を持っていて。

 実は飾りのない人じゃないかと。とりつくろうことなんてしないから。守る鎧を必要としない。それに、本当の自分を見せることを恐れてない。

 あんまりあからさますぎて、だから周囲は逆に、裏の意図があるのじゃないかと勘ぐったりするわけですけど。実は本人は何も考えてないという。

 朝海ひかるさんが、山口さんの言葉を、一片たりとも聞き漏らすまいとする真摯な姿勢に打たれました。ちらりとも、侮蔑の表情は見えなかった。

 体ごと朝海さんに向かって、語りかけてる山口さんもどうかと思ったけど(笑)、静かに、笑み一つ浮かべずに耳を澄ませてる朝海さんの姿がとても印象的で。好印象を持ちました。

 これ、舞台の製作発表なのに。なぜ目の前の記者ほったらかしで二人は向かい合っているんだろうとか、そういうのは稽古場でやってくださいとか言う人もいるでしょうが、製作発表だからこそこういう形になった、というのはあるのかもしれません。だって、これ稽古場でやったらまずいもの。大勢の記者がいる前だからこそ、山口さんは日頃の素直な思いを口にしたんでしょうね。

 朝海さん、実際、とても綺麗なんです。見ていると吸い込まれそう。映像ですらそれを感じるんだから、隣に座って至近距離で見たら、尚更ということですね。

 朝海さんの反応が、私の予想するどのパターンとも違ったから新鮮でした。もし普通の女優さんがあの場にいたら、どう反応するか。私が思ったのは、愛想笑いです。別にそれが悪いというわけじゃありません。曖昧に笑みを浮かべて受け流すのは、ごく普通の反応だと思うんですよね。

>この人どういうつもりなんだろう? 

>冗談で言ってるの? だったらもう少し笑った方がいいかしら・・・。

 そんな思いが、汲み取れるような微笑。普通は、そんな風にしてやりすごすのかなと。でも朝海さんの顔は真剣そのもので。笑みを浮かべることすら、失礼にあたると考えているのではないかと、そんな風にも見えました。

 出てくる言葉を、全力で受けとめようとする真摯な思い。それが透けて見えたから、よけいに美しく見えました。だから山口さんも、ため息まじりに何度も、「綺麗だよね」って言葉を口にしたんだろうなあ。リップサービスじゃなくて。本当に、雑念のない純真な瞳を目の前にして、思わずこぼれてしまう言葉。美しいものを、思わず賛美してしまった、みたいな。

 稽古場では、言いたくても言えないですしね。製作発表の場だからこそ、許されるという。きっとお稽古の段階では、喉まで出かかった言葉を何度も飲みこんだんだろうなあ。

 普通の女優さんだったら曖昧な笑みで受け流すか、もしくは一瞬、蔑みの表情があったんじゃないかなあと思うのです。

>なに言ってるのかしらこの人は。

>前から何考えてるかよくわからない人だったけどやっぱり。

>ずいぶん変わった人なのね。

 瞬間的に浮かぶ軽蔑の色は。すぐに、営業用の微笑みに打ち消されて。普通の女優さんは、ただ艶然として賛美の言葉を受け流すんだろうなあ。

 朝海さんはきっと、山口さんに対して尊敬の気持ちがあるんですね。山口さんの表面上の顔じゃなくて、その向こう側を見ている気がします。この人が、無駄なことを言うはずがないという信念というか。だから、山口さんが発する言葉を、全力で受けとめようとして意識を集中させてる。敬意を払っているからこそ、放つ言葉の真意を掴もうと、本質を解そうとして真剣になる。

 朝海さんの演じる舞台、見てみたいなと思いました。まっすぐにしか生きられない、不器用なほどに純粋なシシィ。朝海さんは、そんなイメージです。強さというよりも、真っ直ぐという印象が強く。品があって、物怖じしないところもいいですね。凛としてるけど、冷たさを感じない。

 製作発表の場で自分をみつめる山口さんの視線を、そのまま臆することなく受けとめたのは、度胸がなきゃできません。その度胸はそのまま、気品につながります。

 

 一路さんとも、涼風さんとも、全然違う主人公になりそうです。

 以前にも書いたように、私は元々『エリザベート』という舞台が苦手でして。見に行くたびに、主人公のわがままっぷりに気分が悪くなってしまうのですが。今回、この製作発表の動画を見て、帝国劇場で新しい朝海さんシシィを見るのが楽しみになりました。

瀬奈じゅんさんのエリザベート

 どうしても東宝版エリザベートが好きになれない私であったが、先日、宝塚で過去に上演されたときの「私だけに」を聴く機会があり、引き込まれるのを感じた。

 歌う人によって、こんなにも表現は違うのか・・と、改めて思い知らされる。好みの問題だとは思うが、エリザベートを誰が演じるかで、この作品は全然違うものになるんだなあ。

 始めに、私が前から聴いてみたかった花總まりさんを聴いて、うわーやっぱり東宝版と違うなあ、と再確認。花總さんシシィは、思っていたほど強さが前面に出たものではなく、少女っぽいイメージだった。儚さを感じる。

 次に白城あやかさんを聴く。花總さんよりもさらに、可憐な感じ。それでいて、内に秘めたパワーが凄い。今まで私が聴いた中でベストかな・・と感じた。

 その次に聴いたのが大鳥れいさん。なんとなく、私の中では一路真輝さんと同じカテゴリーで、苦手だった。これは本当に、個人的な好みの問題だと思う。

 そして最後に聞いたのが瀬奈じゅんさんで。今まで聴いた中で一番清清しく、好感の持てるエリザベートだった。こんなエリザベートもいたんだ?と衝撃を受けた。

 瀬奈さんという人を私はよく知らなかったのだけれど、元々男役で、現在も月組トップの男役だという。男役の人がエリザベートを演じる、というのはかなり大胆な発想だと思うが、歌いだしからその透明感ある声に魅了された。

 私がエリザベートを嫌いだった理由は、エリザベートのわがままさだ。甘ったれだなあと感じてしまうし、そんな人が「私だけに」を歌うと、はいはい勝手にどうぞ、という気分になってしまうのだが、瀬奈さんが歌うと、エリザベートの描く心の中の自由な風景に自分も引き込まれ、一緒に空を飛んでいるような開放感に包まれる。

 瀬奈エリザベートには、嫌悪感を感じないのだ。不思議だなあと思った。

 あくまでイメージなのだが、瀬奈エリザベートには、権力や金銭、美貌への執着を感じない。ただただ、自分の心に正直に、自由になりたいと望む姿が浮かんできた。束縛を嫌うけれど、そこにいやらしさがない。

 「私だけに」という曲の中で、エリザベートは少女のように無邪気に夢想する。自分の心は自由なのだと空想の世界に遊ぶ。哀しみや怒りよりも、うっとりと思い浮かべた自由の光景に酔いしれる幸福感の方が勝るから、その姿に素直に共感できる。

 エリザベートはもともとエゴイスティックで、権力や美貌に執着した人かもしれない。だから、そういう意味でいうと、瀬奈さんのエリザベートは「違う」のかもしれない。だが、とても可愛らしいのだ。私は瀬奈さんのエリザベートで、山口トートとの絡みを見てみたい。

 可愛らしさということで気付いたのだが、なぜ東宝版エリザベートが好きになれないか、その理由の一つは、エリザベートが不幸を何でも人のせいにしている(ように思える)から。

 恨みます~♪恨みます~♪

 そんなふうにぶつぶつ、口の中で小さく歌いながら、暗い部屋で蝋燭を灯し、ゾフィーやフランツの行動をあれこれ思い返しては、「絶対許さない」とハンカチの端を噛み締めてるイメージがある(あくまでイメージ)。

 瀬奈エリザベートは本当に小鳥っぽくて、つらかったことも空に羽ばたけば全部忘れてしまいそうな感じ。

 誰かを恨むよりも、あくまで自分の気持ちに正直に、幸福を追求していく。その形が人になんと言われようとも、平気。

 私がトートなら、きっと瀬奈エリザベートを可愛らしいと思うだろう。

 山口祐一郎トートの歌で好きなフレーズは、これ。

「お前に命許したために~生きる意味をみつけてしまった」

この歌詞とメロディが大好き。微かな後悔と憂いをにじませた深みのある声が、エリザベートを丸ごと、包み込んでいく感じ。

 宝塚のトートは、映像でみるとまるで漫画から抜け出た王子様のように綺麗。シルエットがとても美しい。やはり女性だからどうしても線が細く、華奢なのだ。この線の細さは、男性では無理。きっと宝塚が好きな人は、その立ち姿に理想の男性像を重ねているんだろうなあと思った。

 私が山口トートを好きなのは、むしろ華奢ではない点につきる。誰かが勢いつけてぶつかっても、よろけることなく全ての衝撃を余裕の笑みで受けとめそう。そして劇場に幾重にも広がる圧倒的な声の波。その強さと深さが好き。

 エリザベートは、エリザベート役を誰が演じるかによって、こんなにも変わってくる作品なのだ、ということを痛感した。

 次に東宝で上演するときには、できれば複数のキャストがエリザベートを演じてくれればいいのに・・・と思った。人の好みはさまざま。複数キャストなら、自分の好みのキャストを選んで観劇することができる。

 それは役者にとっても、ずっとシングルで出続けるより休憩を挟めるから、楽になれることだと思う。

 エリザベートもトートも、次回東宝で上演するときにはできるだけ、たくさんのキャストで演じてくれるといいな。クワトロでもOK。

 

 瀬奈じゅんさんの「私だけに」を聴いてから、エリザベートという作品に対する見方が、少し変わったのは確かである。

『エリザベート』と『マリー・アントワネット』その違いとは?

 何故ミュージカルの『マリー・アントワネット』は評判がイマイチで、『エリザベート』は人気なんだろう? というのは、今でもすごく不思議に思ってます。

 これは私の個人的な感想で、もちろん、他の方には他の方の意見があって当然だし、だからこそこの2作品の評価が分かれているのだろうと思いますが。私の感想としては2作品とも、基本的に登場人物に共感できないという点で、一緒なんですよね。

 でも劇場の雰囲気は全然違います。私がエリザベートを初めて見たのは、2004年の帝劇でした。席はほぼ満席で、たまたま隣に座った女性が宝塚ファンで、熱心にいろいろ教えてくれたのを覚えてます。その方によると、エリザベートの東宝バージョン(宝塚ではないバージョン)は、当初はそんなに人気なかったとのこと。

「チケットとるのも、そんな苦労じゃなかったのよー。2階は空席もけっこうあったし。最後の一ヶ月だったかしらね、いきなり盛り上がって、連日満席になって、チケットとれなくなっちゃって」

その女性とは終演後も盛り上がり、いろいろお喋りをしました。

 なにが女性客の心をつかんだんだろう?と思います。なにか、リピートせずにはいられないような魅力があったということですよね。初見の客が大挙して押しかけたわけではないのですから。

 見た人がもう一度、また見たくなる、そういう魅力があったんだなあと思います。

 私はといえば、2003年に山口ファンとなってから『エリザベート』を見るのをすごく楽しみにしていました。お姫様、死の帝王、そのシチュエーションだけで、ワクワクしたのです。それに、ポスターの山口トートのビジュアルが綺麗だったから。あの写真を見ただけで、心が躍りましたよ。期待が高まりました。

 ただ、あのトート扮装写真は、山口ファンの中でも「あれはちょっと・・・」という人が結構いたみたいで、それも不思議でした。

 私の感覚だと、すごく美しいと思うのですが。

 その期待を、すでに2000年からのエリザベートを見た友人も、後押ししてくれました。「絶対気に入るって~」。

 レ・ミゼラブルの、バルおじちゃんな山口さんしか知らなかったものですから、恋愛物っぽい作品(本当はそんな俗物的な話じゃないよ、と怒られそうですが)を見られるのだという期待は高まり、だからこそ初めて観劇した後の足取りは重かったです。

 エリザベートに恋する山口トート、私は好きになれなかった。エリザベートに共感できなかったから、そんなエリザベートと恋におちるトートにも、共感できなかった。冷めた目で2人を見ている自分がいました。

 「あ。そうなの。ふーん。まあ、いいんじゃないですか?お似合いだと思いますよ」みたいな投げやり感(^^;

 こうすればもっと萌えるのになあ、とは前にも書いたことがありますが、よくよく考えてみれば実在の人物を描く以上、ある程度の制限があるのは仕方のないことですね。だって、もし日本の歴史上の人物をもとに描かれた芝居が海外で上演されて、それが「この方がウケがいいから」という理由で史実とは違うキャラに描かれていたら困りますもん。それなら、「その人の名前を使うな」という話になりますよね。モデルとして名前を出す以上は、できるだけ史実に忠実に描くのは当然のことで、そこには一定の縛りが出てくる。

 それにしても、舞台『エリザベート』の人気はすごいです。去年、日生劇場で上演されたときには、自分が行きたい日のチケットがとれませんでした。その日ならどこの席でもいいやーと思ったのですが。完売、たった一つの空席すらない、ということはすごいことだと思います。役者さんもやりがいあるでしょうね。

 なんのかんの言っても、山口さんが出てる公演には足が向いてしまう自分がいます。エリザベートでも、マリー・アントワネットでも、それは同じです。あの声が、歌が、聴きたくなるのです。そして聴いてしまうと、その出演舞台がもっとこうならいいのに、ああならいいのに、と脚本や演出に一言いいたくなってしまうのです。上を望んだらきりがない。でも少しでもいい作品に出て輝いている山口さんを見ていたい、と思うファン魂であります。

 マリー・アントワネットの舞台は、エリザベートに比べて客席の反応が薄い感じがしますね。拍手もそうだし、私が舞台の熱気(評判)を一番感じるのは、女子トイレです。並んでいるとき、周りから聞こえてくる舞台の評判は、率直で飾りがありません。幕間、見終えたばかりの一幕の感想を、少し声高に興奮した様子で話す女性客の言葉に、その舞台の一般的な評価を知ることができます。

 MA(マリー・アントワネット)は、観客の反応が鈍いような感じがあります。みんな黙って、トイレの列に並んでいたような。それと、劇中、見せ場の後の、ウワーっという拍手の勢いが弱い。

 もし私が演出の栗山さんだったら、納得いかないと思う。客のウケが悪いのは、自分と客の感性の違いとしても、だったら何故エリザベートは? そう考えたら、客の反応を理不尽に感じてしまうと思います。不思議です。栗山さんの感性と、小池さんの感性と、なにかが違う? それはいったい、何なんだろう。

 私が今まで見た中で、一番感動したミュージカル。単純に、楽しいと思い何度でも見たいと望んだミュージカル、それは『ダンス・オブ・ヴァンパイア』です。これは、本当に私の感性にぴったり合った舞台でした。

 たとえ世間の評判が最悪で、もし空席だらけだったとしても、私は通い続けたでしょう。極端な話、あの帝国劇場に観客が自分以外誰もいなかったとしても、私は嬉々として座席に座り、音楽とお芝居に酔いしれたと思います。

 実際には、人気のあったミュージカルでしたが。

 世間の評判と自分の感性。一致するときも、違うときもありますね。『エリザベート』と『マリー・アントワネット』の評判の違いを聞くたびに、そんなことを思います。

エリザベート 観劇記 3回目

 昨日の続きです。ネタバレしてますので、未見の方はご注意ください。

 山口祐一郎さんトートは、柔らかくて艶のある美声でした。よく、ビロードのようなと形容する人がいるけれど、本当にその通りだと思います。この声を聞くために、いつも帝劇に出かけているのです。

 トートの場合、囁くような歌い方にうっとり。朗々と歌い上げる、爆発するというよりも、しっとり静かな感じの曲が耳に残ります。登場シーンの「天使の歌は喜び・・・・」に含まれる、憂いがいいのです。

 気まぐれな死神。冷たくて、残酷で、人間を見下ろしながら唇の端にわずかに笑みを浮かべているようなイメージ。山口さんには、こういう皮肉な役がよく似合います。

 初日のせいなのか、それともこのあと舞台のスケジュールがびっしり詰まっているからなのか、歌い方はとても丁寧だったように思いました。いつも以上に神経を張りめぐらせて、間違いのないように確認しながら歌う感じ。

 山口さんの舞台を何度も見ていると、稀に「うわー!」と思う日があります。共演者と客席と、たぶんご本人の体調と、すべての条件が揃った奇跡のような日。そのときの弾けるようなパワーの歌声を聴いてしまうと、無意識にその再演を求めてしまいます。しかしそれは、めったにないからこそ奇跡なわけで。

 私が今までに感じた奇跡の日は、1度だけ。その日のことは、鮮明に覚えています。

 つい、その日と比べてしまい、少し物足りなく感じてしまいました。

 

 慎重な歌い方。それが初日の山口トートに感じたことです。

 ゆっくりと探るように、1つ1つ確かめながら歩いていく感じ。プロだなあと思いました。いつも必ず、きっちり仕事をこなすから。波があるのは人間だから当たり前なんだけど、その波の底辺が水準以上だから、すごいなあと思う。その波の頂点にたまたま観劇日が重なった日には、ああ舞台の神様って本当にいるのかもしれないという気持ちになります。

 今回のトートは、後姿が素敵でした。銀髪のゆるいウェーブに目が釘付けです。前から見るより、横から見るより、後姿がよかった。ライトに照らされると、微妙に青味がかって、とてもきれいだった。

 ただ、このミュージカルの中のトートの描かれ方は、私、あまり好きではないのです。エリザベートが甘えん坊に見えるから、そんなエリザベートを好きになるトートも、なんだかなあという感じで。

 どういう人を好きになるかで、その人の人格がわかります。トートが死の帝王にも関わらず人間に恋したのなら、その人は魅力にあふれた人であってほしい。誰もが納得するくらいの、美しい人であってほしいのです。

 もう少し、エリザベートの苦悩を自己中心的なものでなく、誰もが共感できるようなものとして描いたなら、トートももっと大きな存在になれるのかなと思ったりします。

 帝国劇場はクラシカルで大好きな劇場なのですが、1階S席は、前に座る人の座高によって、視界がかなり左右されます。今回、私の前には運悪く、背の高い女性が座りました。肝心な場所で、舞台が見えない。これはかなり悲しかったです。

 前の人の座高が、あと10センチ低かったらなあ、と思いました。見えないからといって私が体を横にずらせば、今度は私の後ろの人が迷惑するから、動くに動けず。場面によっては、全然トートの姿が見えなかったりして残念でした。席の改善は、ぜひしてほしいです。

 そして最後にもう1つ。2004年に見たとき、安っぽくて失笑してしまったシシィの落下シーン。前回よりは持ち直してました。2004年のときの、ありえないような安っぽさが消えていて、ほっとしました。他の場面はそうでもないのですが、そこだけものすごく浮いていて、当時はびっくりしたものです。やはり、評判がよくなかったから変えたんでしょうか。

 エリザベート。楽曲が好きでないというのもあるかもしれませんが、私は今ひとつ作品の世界に酔えませんでした。出番は少ないけど、モーツァルトのコロレド大司教の方が好きです。

 ただ、あのトート閣下の鬘はいい。後姿に惚れました。

エリザベート 観劇記 2回目

 昨日の続きです。ミュージカル「エリザベート」の観劇記ですが、ネタバレしてますので未見の方はご注意ください。

 さて、私が2004年に2度見たときには、2度ともパク・トンハさんがルドルフ皇太子の役でした。今回は浦井健治さんがルドルフだったのですが、見ていて「そうそうこれなのよー!」と思わず叫びたくなってしまうくらい、私が描くルドルフ像にぴったりでした。

 パクルドルフだと、強すぎて浮いてしまうのです。キャラと役が合っていなかったような気がします。青年というより、「大人の男」という印象。肉体も精神も強固なイメージ。

 だから、トートに誘惑されてふらっと自殺するのが不自然な感じだったし、そもそも孤独感が伝わってこなかった。トートがつけいる隙などない、大人のルドルフでした。トートの死の接吻も、なんとなくお互いの反感が伝わってきて見ている私はどうにも苦笑い、という感じでした。

 トートはルドルフを愛してないし、ルドルフはトートを、「なんだコイツ?」と思っているようで。そんな二人のキスシーンは、正直、やらないほうがいいんじゃないかと思ってしまいました。

 その点、浦井ルドルフの持つ不安定さ、脆さはよかったです。母にも父にも見捨てられた孤独感が、ひしひしと伝わってきました。強くなろうとするのに、体も心もついてこない。優しい人なんだけど、上に立つ人間はときに非情さを持つことも必要で、そもそも向いてないのに立場は生まれたときから決まっている。そういうどうしようもない絶望感が、トートにつけこまれる要素となったわけです。

 

 鈴木綜馬さんのフランツ皇帝役もよかった。浦井ルドルフと共通する、弱さを匂わせていました。優しさと優柔不断さは表裏一体。フランツがもう少し大人だったら、ルドルフとの関係ももっと良好になっていたと思います。弱さという面で、共通していた父と息子。

 フランツは、エリザベートのことが大好きで、他の誰を犠牲にしても構わないほど優先順位は上だったのに、その思いは報われず。目の前に差し出されたかりそめの愛情につい手をのばしたら、そのことが原因で彼女との間の溝は決定的なものとなり。

 フランス病をうつされたシシィがどれだけショックを受けたか、というのは気の毒な気もしますが、それまでの経緯をみると、フランツがどれだけ寂しかったかという方が大きいよな、と思うのです。私がフランツの立場でも、やっぱり誘惑には負けたと思う。長い不仲の歴史があったなら。がんばってもがんばっても一方通行の期間が長ければ、偽者の愛情だとわかっても、温かく見えるその人に手を伸ばしてしまう気持ちは、わかります。

 結局、最後までフランツはエリザベートから拒絶され続けてしまうようで、可哀想でした。でももっと哀れなのはやっぱり、ルドルフ。浦井ルドルフの一生って、一体なんだったの?という感じです。

 「友達だよ」と言ってくれたトートのこと。泥沼にはまって、助けを求めても誰も来てくれなくて、最後にトートがやってきて死の接吻をする。それは彼にとって、救いだったんだろうなあと思います。やっと楽になれたんじゃないでしょうか。またこのキスが意外に長くて、官能的でした。

 トートが愛おしそうにルドルフを抱くので、見ているこちらの方がドキドキします。見方によっては、実はこの人はエリザベートより、ルドルフの方を愛していたんじゃないかと思えるほど、優しい感じ。

 浦井ルドルフの華奢さが、甘美な雰囲気を醸し出していました。

 

 長文になりましたので、続きはまた後日。