エリザベート 観劇記 2回目

 昨日の続きです。ミュージカル「エリザベート」の観劇記ですが、ネタバレしてますので未見の方はご注意ください。

 さて、私が2004年に2度見たときには、2度ともパク・トンハさんがルドルフ皇太子の役でした。今回は浦井健治さんがルドルフだったのですが、見ていて「そうそうこれなのよー!」と思わず叫びたくなってしまうくらい、私が描くルドルフ像にぴったりでした。

 パクルドルフだと、強すぎて浮いてしまうのです。キャラと役が合っていなかったような気がします。青年というより、「大人の男」という印象。肉体も精神も強固なイメージ。

 だから、トートに誘惑されてふらっと自殺するのが不自然な感じだったし、そもそも孤独感が伝わってこなかった。トートがつけいる隙などない、大人のルドルフでした。トートの死の接吻も、なんとなくお互いの反感が伝わってきて見ている私はどうにも苦笑い、という感じでした。

 トートはルドルフを愛してないし、ルドルフはトートを、「なんだコイツ?」と思っているようで。そんな二人のキスシーンは、正直、やらないほうがいいんじゃないかと思ってしまいました。

 その点、浦井ルドルフの持つ不安定さ、脆さはよかったです。母にも父にも見捨てられた孤独感が、ひしひしと伝わってきました。強くなろうとするのに、体も心もついてこない。優しい人なんだけど、上に立つ人間はときに非情さを持つことも必要で、そもそも向いてないのに立場は生まれたときから決まっている。そういうどうしようもない絶望感が、トートにつけこまれる要素となったわけです。

 

 鈴木綜馬さんのフランツ皇帝役もよかった。浦井ルドルフと共通する、弱さを匂わせていました。優しさと優柔不断さは表裏一体。フランツがもう少し大人だったら、ルドルフとの関係ももっと良好になっていたと思います。弱さという面で、共通していた父と息子。

 フランツは、エリザベートのことが大好きで、他の誰を犠牲にしても構わないほど優先順位は上だったのに、その思いは報われず。目の前に差し出されたかりそめの愛情につい手をのばしたら、そのことが原因で彼女との間の溝は決定的なものとなり。

 フランス病をうつされたシシィがどれだけショックを受けたか、というのは気の毒な気もしますが、それまでの経緯をみると、フランツがどれだけ寂しかったかという方が大きいよな、と思うのです。私がフランツの立場でも、やっぱり誘惑には負けたと思う。長い不仲の歴史があったなら。がんばってもがんばっても一方通行の期間が長ければ、偽者の愛情だとわかっても、温かく見えるその人に手を伸ばしてしまう気持ちは、わかります。

 結局、最後までフランツはエリザベートから拒絶され続けてしまうようで、可哀想でした。でももっと哀れなのはやっぱり、ルドルフ。浦井ルドルフの一生って、一体なんだったの?という感じです。

 「友達だよ」と言ってくれたトートのこと。泥沼にはまって、助けを求めても誰も来てくれなくて、最後にトートがやってきて死の接吻をする。それは彼にとって、救いだったんだろうなあと思います。やっと楽になれたんじゃないでしょうか。またこのキスが意外に長くて、官能的でした。

 トートが愛おしそうにルドルフを抱くので、見ているこちらの方がドキドキします。見方によっては、実はこの人はエリザベートより、ルドルフの方を愛していたんじゃないかと思えるほど、優しい感じ。

 浦井ルドルフの華奢さが、甘美な雰囲気を醸し出していました。

 

 長文になりましたので、続きはまた後日。

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