Komm, susser Todを聞くと、不思議な気持ちになります。大木に囲まれた深い森の中。木漏れ日。葉ずれの音。古い洋館。
他に誰もいない自然の中で、たった一人立ち尽くしている気分になるのです。
繰り返す単純なリズムの中に、悲しみも喜びも、みんな詰まっているみたいです。こういう曲も珍しい。エヴァンゲリオンの曲ですが、このアニメが大ヒットしたのは、誰もが心に抱えている普遍的な不安を描いていたからでしょうか。
日本語の原詞を書いたのは庵野秀明さんですが、後に安野モヨコさんと結婚されたときには驚きました。庵野さんが抱えていたであろう陰は、結婚によってすべて昇華されたんだろうなあと思います。よかったねえ、シンジくんと思ってしまいました。一歩踏み出して、殻を破って、自分の場所を見つけたんだなあ。
この歌の原詞の向こうに見えるのは、情熱と繊細さの絶妙なバランス。だけど、優しいなあと思います。傷つけるくらいなら、自分が壊れた方がいいなんて。
好きな人を傷つけた刃は、必ず自分に返って来るのですよね。それも、2倍も3倍もの痛みを伴って。傷つけるくらいなら、傷つくくらいなら、出会わなければよかったと思ってしまいますが、それもまた運命。
すべての出会いには意味があるといいますが、お互いにつらいのなら最初から出会わなければよかったと、そういう出会いもあるのだろうと思います。
この曲の絶望的な歌詞と、穏やかな曲調の差がなんともいえません。