ショパン国際ピアノコンクールとブルース・リゥ

昨日BSプレミアムで、「ショパン国際ピアノコンクール 世界最高峰のステージから」を放送していました。

この番組では、入賞した方々や、話題になった演奏などをまとめて見せてくれるので、大変楽しく、また癒しの時間となりました。

会場で生の演奏を聴くのが一番素晴らしいことですが、でも、緊張感の中で長時間耳を澄ませるのは、観客にとってもなかなか大変なことだと思います。私がもしチケットもらえて、行ける環境にあっても、ちょっとためらってしまうなあ・・・。

咳とか、「してはいけない」と思えば思うほど、苦しくなってしまいそうで。

だから、私にとってはテレビで見るのがちょうどよかったです。同じ曲を弾いたピアニストを、続けてきくことができる(演奏を編集して、比較できるように並べた)のも、とても面白かった。

同じ曲でも、表現の仕方は奏者によって全然違う。

解釈というか、個性が豊かで、その人の内面世界がにじみ出るのが興味深かったです。技術はもう、ああいう大会に出場できる時点で、みなさん同じように高くて、そこはもう比較対象ではなく。

後は、本当に好みだなあと思いました。順位はつくけど、順位というより個性かなと。それを、「いい」と感じるかどうか。

1位になったブルース・リゥさんの演奏を初めて聞いたのですが、1位であることに納得しました。

とても、際立っていました。個性的だと感じました。

私のイメージだと、音がすべて30センチくらい飛び上がっている感じです。そして、よく弾んだボールを想像しました。確固とした核があって、そこから生み出される音が、勢いよく跳ねていました。

「他と違う」ということが強烈で、ああ、これは確かに1位になるだろうなあ〜と思いました。

番組の中では本人のインタビューもありましたが、自信にあふれていて、「すごい自信があるんだなあ」と思いましたが、演奏を聞いて納得です。

観客の反応を見ながら調整していく、とか。いかに喜んでもらえるか、あるいは賞をとるためにどうするか、というような考えは全然ないのです。

あるのはひたすら、高みへとのぼりつめるための努力のみ。自分との戦いです。その高みは、聴衆の存在とまるで関係がなく、聴衆はそこへのぼりつめる彼を、ただ見守るだけ、というイメージでした。

彼にとっては、評価は後から付いてくるもので、そのことによって自分の価値が上がるものでも、下がるものでもなく。

ただ、自分が「良い」と感じる音を目指して、走っているだけなのだなあと。さすがの1位、際立った演奏だったと思います。

後、印象深かったのが3位のマルティン・ガルシア・ガルシアさん。

番組内でも、たしかナレーションで「明るい」みたいなことを言われていたような気がするのですが、本当に、陽射しを感じました。かっと照り付ける太陽じゃなくて、柔らかくて優しくて、明るい光です。

ショパンの曲はロマンチックだなあと思うのですが、そのロマンチックさの裏にある悲劇性が、彼の前では溶けていくような感じでした。

どんな闇にも、静かに忍び込む光であり、希望、というイメージがあり、とても心地いい演奏です。耳を傾けていると癒されました。

今回の大会では、「ファツィオリ」のピアノが大躍進したということで、これもすごいですね。

歴史あるピアノメーカーでなく、まだ新しいメーカーがここまでの力を示すのはすごいことです。クラシックの世界は保守的だと思うので、今までと違う選択をするのには、相当な力がないと無理で。

それだけ「ファツィオリ」に魅了されたピアニストがたくさんいた、ということなのかなと思います。

「ヤマハ」や「カワイ」にとっても、希望の光だと思いました。王者スタンウェイも、絶対ではないということなのです。来年が楽しみです。「ヤマハ」と「カワイ」に期待します。

その一方で、番組に出演していた、コンクールで審査員をつとめたピアニストの海老彰子さんが、「同じピアノで(同じ条件で)やるのもいいかも」みたいなことをおっしゃっていて、それもまた面白いなあと思いました。

ピアノによる「差」がなくなれば、それこそ、同条件での比較になりますね。たしかに、それも聴いてみたいです。

でも、奏者それぞれの個性にあったピアノ。選ぶところもまた面白くて、うーん、両方見てみたいなあ。贅沢だけど(^^)

日曜のひととき、美しいピアノ演奏を堪能することができ、とてもいい気分になりました。番組を見ているとき、外には静かな雨が降っていて。そのことも含め、よりピアノの音が冴えて聞こえました。

歌作りと人生経験

私は村下孝蔵さんの曲が好きだ。

最初はあの有名な『初恋』で村下さんのことを知り、その後、カラオケで先輩が『踊り子』を歌っていたのを聴いて、素敵な曲だなあと思って注目するようになったのだ。

『初恋』や『踊り子』以外にも、いい曲がたくさんある。『かざぐるま』や、『春雨』、『ゆうこ』などなど。

46歳という若さで亡くなってしまった村下さん。私が生前の村下さんに対して持っていた印象は、穏やかそうな普通のおじさん、というもの。バリバリの二枚目というわけではないし、芸術家特有の気難しさみたいなものもなく、いつもにこにこしていて温厚そうな人だなあと。あくまで、私が抱いた個人的な印象だが、激しい恋愛をするようにも、上昇志向があるようにも見えなかった。

去年、村下さんの前妻のゆうこさんと、長女の露菜さんが共同で運営しているブログの存在を知った。ゆうこさんが綴る、村下さんとの出会いから結婚までの経緯は、まるで小説のようにドラマチックで運命的で、そのお話を読んでからあらためて曲を聴くと、しみじみと感慨深い。

結ばれるべくして結ばれたお二人、だったのだと思う。離婚してしまったのは悲しいことだけれど、その結婚があったからこそ、村下孝蔵さんが数々の名曲を作り出したのは確かなことで。前妻のゆうこさんが綴る、「太郎と花子の日本昔話」を、私は夢中になって読んでいた。

ところが、連載は途中で急にとまってしまった。露菜さんが今年に入って書いたブログによると、おばさん(村下さんのお姉さん?)が、ゆうこさんの書く物語を売名行為だとして怒っているらしい。書き続けるなら、自分が持っている露菜さんの幼い頃の写真一式を渡さないということを言ってきたようで、ゆうこさんはそれを気に病んで筆をとめてしまったとのこと。

露菜さんは、写真アルバムを諦める、という方向で考えているようだが、私はアルバムはきっちり返してもらうべきだと思った。

売名うんぬんは、人によって考え方は違うだろうけど、私は、子供が親の名前を使うのはとても自然なことだと思う。使うも使わないのも、その人の自由だ。

その人の子供である、というのは嘘でもなんでもない、単なる事実だから。それを表明したところで、結局は自分の実力が勝負となる。先入観を持たれたくないという理由で、有名人の子供であることを隠す人もいるだろうけど、逆にその名前を、人に知ってもらうきっかけにしたって、誰かに非難される筋合いではない。

そんなことより、新生児の頃の写真が全くないというのは、あまりに気の毒な話。写真を撮ったのは実の両親なのだし、いくら親戚とはいえ、当事者以外が持っていて本人に渡さないというのはどうかと思う。

妥協点としては、写真をブログに載せないということで、なんとか返してもらえないかなあと、そんなことを思った。写真はブログに載せない。その代り全部、娘さんが受け取る。(だって自分の赤ちゃんの頃の写真だからね)

ただ、「太郎と花子の日本昔話」は、ぜひ続けてほしい。誰かを悪く言うお話ではないし、「書くな」と言われる筋合いはないと思う。村下さんのイメージを傷つける、という人もいるみたいだが、私はむしろ、村下さんの過去を知ったことでもっともっと曲が、好きになった。

ありえないような奇跡の連続の末、結ばれたお二人なのだと思うと、その歌にもまた深みが増すような気がする。ゆうこさんとの出逢いがなければ、生まれなかった曲の数々。

若くて、野心があって、葛藤があって、優しさがあって、もがいてもがいて、その上につかんだ名声。シンガーソングライター村下孝蔵ではなく、夢を追う若者の姿。初めての結婚。村下さんがゆうこさんに語る言葉のひとつひとつが、とても心に残った。その姿と曲が、重なりあう。

「太郎と花子の日本昔話」、もっと続きを読みたいなあ。

『かざぐるま』という曲に関する話も、興味深かった。昔、村下さんが奥さんに語ったという、かざぐるまのイメージ。そうか、そういう印象を抱く言葉を、曲にしたのかと。

歌作りの影に、人生経験あり、ということをつくづく思う。激しく感情を動かされたからこそ、できあがった曲の数々。それらはみんな、村下さんの人生そのもの。だからこそ、人の心に響くんだろう。きっとこれからもたくさんの人が、それぞれの場所で、村下さんの曲を聴き続けるのだろう。

『翼を広げて』 DEEN 感想

DEENのヴォーカルは池森秀一さん。声がとてもいいのです。

『このまま君だけを奪い去りたい』も好きな曲なのですが、この『翼を広げて』という曲も大好き。夏の終わりにぴったりなメロディと歌詞です。

冒頭の一節だけで、想像がぶわーっと広がります。夏の間に急速に仲良くなって、あっという間に別れがきたのかなと。なんとなく、長い付き合いという感じがしない。

でも短いから浅いわけじゃなくて。普通に過ごす時間の何倍も、一緒にいて笑って泣いて、いろんなことがあったあとに。彼女のために別れを決意するっていう。そのせつなさが、胸をしめつける歌なのです。

君が飛び立つなら、邪魔はしない。そういう歌なのかな。

エールは送るけれど。でも静かに見送っている。最後の一節もいいですね。

一言に、万感の思いをこめて。二人で過ごした日々の全部。でも過去形。たぶんその思いを、彼女が知ることはないんだろうなあ。

でもそれでいいのです。彼女が気付かなくても。飛び立つ後ろ姿をそっと見送る優しさ。目には見えないけど、その祈りはきっと、未来の彼女を守ってくれるはず。

池森さんの声は独特で。心地よい湿っぽさがある。ただ明るく乾いた声ではなくて。その歌声を聞いていると、懐かしい記憶が蘇ってきたり。誰の心にもある、あの日の空気。

出会いは別れの始まりです。生きていればたくさんの人と出会うけれど、別れは必ず訪れる。そのときの胸の痛みを、思い出させる曲だなあと、思ったりします。

『交響曲第五番第四楽章』マーラー 感想

 今日、マーラーの交響曲第五番、第四楽章を聴いた。CMに使われていたその曲が耳に入ってきた途端、私の脳裏に、熱い夏の一日がよみがえった。

 メキシコをテーマにした屋台が、ずらっと建ち並んだ一画。暑くて、乾燥していて、赤茶けた大地のイメージ。サボテン。どこまでも続く砂漠。

 20年以上前のアメリカだ。全く前後を覚えていない。なぜそこに立ち寄ったのかも不明。観光バスに乗って、途中休憩で立ち寄ったどこかの、観光お土産売場?

 私が覚えているのは、その日の空気の暑さ。温室の中にいるような、もわっとした熱気がどこにいってもつきまとった。白い簡易テントの波。

 通路をゆっくりと歩いていくと、異国の人が、異国の言葉でしきりに、商品を勧めた。手にはさまざまな土産物を持ち、私には理解できない言葉でなにか話しかけてくる。革でつくった製品が多かったように思う。

 私は展示された商品を眺めて歩いたが、特別買いたいものもなかったので、足をとめることはなかった。そしてそのとき、心の奥底から、強烈に湧き上がってきた気持ちがあった。

 「もう二度と、この場所に来ることはない」

 それは、言葉というよりも、イメージだった。せつない感情が、体中にあふれた。

 今日、マーラーの交響曲第五番、第四楽章は、一瞬で私をその日のその瞬間に引き戻した。

 「この場所に、二度と帰ることはない」

 それは、とても寂しい感情だった。なぜ不意にそんなことを思ったのか、まったく謎である。自分の知らないところで、コントロール不能な原始的な思いが、ふっとこみあげたのである。

 当時の私は、不思議に思ったものだ。

 なんでこんなこと思うんだろう。そりゃあ、また来る可能性は低いかもしれないけど、ゼロではないのに。それに、二度と来ない可能性なんて、他の場所だって同じことなのに。どうしてこういう、なんてことないテントの土産物を眺めて、こんな気持ちになっちゃうんだろう。

 それはとても強い感情の波で。私はその波に揺られながらその日の空気を全身で感じていた。

 時を超えて。音楽によってぐいっと、その日の気持ちを、また体感してしまった。

 なんだろうなあ。あの場所はいったい、どこだったのか。二度と戻れないというのは本当だろうか。生きて、同じ時代にいるのだから、物理的な距離など、その気になればいくらでも壊せるのに。

 あの、強制的な感情の波はなんだったのだろうか。こちらの意志とは無関係に、のみこまれてしまった。あんな風に、あれほどの強い思いが、勝手に奥底から湧き上がってくるなんて。

 暑い空気。赤茶けた土。サボテン。荒野。白いテント。浅黒い肌の売り子。不思議な言葉。革細工。

 マーラーの曲に呼び起こされた記憶に、しみじみと浸った。
 音楽の力は、時に、時間までもねじまげることができるらしい。あの日、あのとき、あの場所に。

 たしかに今のところ、私はあの場所を再訪してはいない。けれど、記憶の中にはしっかりしまいこまれている、その映像と暑さ、あの日の気持ち。

 音楽の力は、凄いな。 

KIYOSHI MAEKAWA 35th Anniversary HAPPY LIVE [DVD]  感想

KIYOSHI MAEKAWA 35th Anniversary HAPPY LIVE [DVD] を見ました。以下、感想を書いていますがネタばれしていますので、未見の方はご注意ください。

前川清さんの『夏の花よ』という歌が好きで、その歌を歌ったライブの収録である、ということで見ました。

いいですね~。『私集』というCDで聴いたものよりも、ずっとずっと、私がイメージした『夏の花よ』の世界観に近かったです。CDの方は声が若いし、歌が完成されてしまってる感じで、あんまりいいなと思いませんでした。

『私集』と『HAPPY LIVE』を比較すると、『夏の花よ』に関しては『HAPPY LIVE』圧勝です。

もうね~。声が疲れてるところがすごく、いいのです。ああ、声が疲れてるっていうと違うか。声に人生の疲れがにじみ出てる。その表現の方が、近いかも。倦んでるのです。
やっぱりこの曲は、そういうところが土台にないと、さまにならない感じがします。元気に上手く歌われても、響かないというか。

ライブでは最初の方でこの歌を歌っているので、決して本当に疲れているわけではないと思いますが。前川さんの表情もいいし、疲れた感じの陰が、なんともいえない味わいなのです。

このライブ。35周年ということは、10年ほど前に撮られたものなのですね。私も生で聴きたかったなあ。
会場がまた、素敵なのです。品川プリンス CLUB eX 。円形の舞台があって、その前面に、ディナーショーみたいな円形テーブルが並べられ。それが客席になっているのですが、なぜかテーブルの上には飲み物と、それからケーキ?らしきものが。

飲食しつつ、ショーを楽しんでくださいねーという趣旨なのでしょうか。
でも、どうなんだろう。飲食タイムは分けないと、目の前で歌ってるときに、なかなか飲み食いってできなくないですか? まして会場にいるのは、35周年ということもあり、熱心なファンの方々なわけで。

こういうのは、あれですね、やっぱり最中ではなく、終わったあとでおしゃべりしたいのではないでしょうか。ファン同士で。帰りにお茶しつつ、今日の舞台について熱く語る、みたいな。

円形舞台は、高さもそんなになくて。客席との距離も近い。
かなりファンとの距離が近い会場だなと思いました。あの会場で、最前列に座った人は大ラッキーでしょう。およそ90分の間、あの距離で生歌とトーク。プラチナチケットだなあ。

『夏の花よ』のとき、歌う前に客席の女性から老眼鏡を借りるシーンがあったのですが、それがまた歌詞の世界にぴったりというか。
いきなり老眼鏡借りちゃう前川さん、フリーダムすぎ(^^;

だけどその、ちょっと哀愁入った横顔や。立たずに座って歌う、そのスタイルが。ぴったりなのです、『夏の花よ』に。
歌詞の主人公はきっと、若い人ではないから。

私は『夏の花よ』を聴いてから、思わず川端康成の『眠れる美女』を再読してしまいました。共通点なんかないだろう、と言われればそれまでですが。あと、『美しさと哀しみと』も読み返しました。
なんでだろうなあ。別に内容が歌詞とかぶるわけではありませんが、流れる雰囲気に、彷彿とさせるものがある。

このDVDでの『夏の花よ』歌いだし前のシーンは、本当に、印象的でした。(老眼鏡は、歌ってるときには外してます)

立って歌ったら。そして譜を全く見ずに歌ったら。あの独特な雰囲気はでなかっただろうなあと思います。
そして歌い終えた後、本来、舞台から去って暗転、という構成だったのに、それを忘れて座ったままその場に残ってしまった前川さん。

もう、そこまでがすべて、『夏の花よ』のための筋書きかと思いました。完璧です。

あの歌には、そういう魔力があるのかも。

歌ってるときの衣装もよかったな。ライトの具合で、実際には違うのかもしれませんが、私には朱鷺色に見えました。朱鷺色のジャケットに黒いパンツ。

この日の舞台にぴったりです。
黒でキメキメにするほど、格式ばった会場の雰囲気じゃなかったし。というかその雰囲気は、前川さんのゆる~いトークが醸し出したものでしたが。

面白いんだけど、意外に毒舌で(^^; ちょっとはらはらもしてしまいました。誤解受けるんじゃないか、へたしたら怒っちゃう人いるかも?なんて。
でも来てる人たちは、熱心なファンの人たちだから大丈夫なのかな。
顔見知りの方もたくさんいるみたいで、舞台上から気さくに声かけてました。

トークを聞いていて思ったのですが、飾りがないお人柄なのだなあと。たぶん、お世辞とか、心にもない言葉とか、嫌なんでしょうね。だから、気が置けないファンの前だと、いつもは携帯している最低限の社交辞令も、うっかり滑り落ちる、みたいな。

そしていつかの、糸井重里さんとの対談での発言、「歌が嫌い」の意味も、解けたような気がしました。

歌が特別嫌い、というより。歌に対する感覚は、歌手ではなく、普通の人に近いんじゃないかと。

だから何度も同じ曲を歌えば飽きるときもあるし、「歌手なんだから歌は好きでしょう」と思われてしまうことに対する、否定の気持ちもあったりするのかな。
そして、個人的に好きな曲も嫌いな曲もあるわけで。

好きな歌でも何度も繰り返せば飽きる。嫌いな歌でも、リクエストがあれば歌わざるを得ない。
そうした感覚は、歌手というより、一般のお客さんの感覚と一緒のところがあるのではないか、という気がしました。

歌が命、歌っていなければ自分の人生はない、そうした歌手とくらべたら、やっぱり異端なのかな。

歌が嫌いなのではなく、「みなさんが思ってらっしゃるほど、盲目的に好きではない」ということなのかな、と。勝手に解釈しました。

いつかまた、前川さんの生歌を聴きにいこうと思います。生歌で、『夏の花よ』を聴いてみたいです。CDやDVDは何度も再生できて便利だけど、生の声が伝えてくれる目に見えない何か、は、そこにはないから。
生歌で聴いてみたいです。