『マリー・アントワネット』観劇記 その7

 前回に引き続き、舞台『マリー・アントワネット』の観劇記です。4月15日ソワレの感想を書いています。ネタバレを含みますので、舞台を未見の方はご注意ください。

 カリオストロの新曲「ILLUSION−或いは希望−」。

 凱旋公演を初めて見てショックを受けてから、よーく考えてみたのですが。

やっぱり、この曲は必要ないと思う(^^;

 必要ないどころか、この曲を入れることによって、舞台全体が、おかしなことになってしまっていると思いました・・・。

 人間たちの愚かさを歌い上げる、というイメージならよかったのですが。実際聴いてみると、カリオストロの迷い、不安、恐れ、みたいなものが伝わってくる歌でした。(あくまでも、私の感想です。)

 人間臭いカリオストロにびっくりしました。それだけではありません。この歌には、カリオストロの善性みたいなものも、表現されていたような気がするのです。愚かな人間たちの行く末を憂う、というような。

 カリオストロは、そんなキャラクターではないと思います。

 高みから人間を見下ろし、傲慢な態度で戯れに人の心を操る・・・そんな、超人的なイメージがあります。だから、彼が嘲笑するなら、わかるのです。

 でも、私が感じたのは、人間臭い、善なるカリオストロ像だったわけで。

 曲も、無理にサビを作ろうとして、かえって焦点が定まらなくなっているような感触でした。歌い手にはものすごく負担を強いているのがわかります。でも、クドすぎるような・・・。

 歌詞も曲も、空回りしているように思いました。

 今回、この新曲を追加したのは、演出の栗山さんにとっては苦渋の選択だったんだろうなと思いました。去年の帝劇公演。栗山さんの描く世界は、私の好きな世界ではないけど、でも、描こうとしている全体像はなんとなくわかりました。

 それが、凱旋公演はこのカリオストロの新曲によって、見事に分断されている。

 なにもかもが、中途半端な舞台になってしまったように思いました。カリオストロのキャラクターが崩れたら、舞台全体がバラバラになる。結局なにが言いたいのか、無秩序な世界です。

 栗山さんの最初の構想の中に、そもそもカリオストロはいたのでしょうか?

 私は、いなかったのだと思います。それを無理に入れたのが、去年の帝劇公演。そして凱旋公演の目玉として、さらにカリオストロの新曲を追加することになった。新曲追加によって、手直しすべきところがあちこちにでき、手直ししたところが更に、手直しを必要とし・・・・。池に小石を投げ込んだときのように、波紋が次々に広がって、収拾がつかなくなってしまったように感じました。

 凱旋公演では、オルレアン公が高嶋政宏さんから鈴木綜馬さんに。フェルセンが井上芳雄さんから今拓哉さんに変わりました。

 私より一足早く観劇した友人から、「凱旋の方がいい感じだよ~」と聞いていたのですが、私はどちらの役も、以前の配役の方が好きですね。

 鈴木綜馬さんには、高嶋オルレアン公のような、ゾッとする厭らしさがなかったのです。高嶋さんが演じたオルレアン公には、腹黒さがありました。狂気も、ねっとりと絡みつくようなドロドロした感情も、高嶋オルレアン公の方が上だったような気がします。

 高嶋オルレアン公の、アクの強さ。歌いだすと、すぐにわかりましたもん。個性の強さは、他を寄せ付けなかった。そのくどさがないと、物足りないです。

 今拓哉さんのフェルセンは、普通にいい人でした。ただ、普通すぎて、目立つものがなかったような気がします。井上芳雄フェルセンは、まぶしいほどの若さで、そのまっすぐな気持ちが光ってました。

 私は、井上フェルセンの方がいいなあと思いました。泣くシーンはちょっとやりすぎだったと思いますが(それも演出の指示?)、マリーを愛する気持ちは客席によく伝わってきたから。

 そして、その真っ直ぐ過ぎる、少し強引なほどの純粋さに惹かれるマリーの気持ちも、なんだかわかるような気がしたのです。

 個性があること。埋没するのではなく、その人独自の、光るなにかを持つこと。やっぱり舞台を見ていて思うのは、どんな役でもなにか、訴えかけるものを持った役者さんがいいですね。

 今回、マルグリット役は新妻聖子さんでした。そのパワフルな歌声を十分に堪能しました。ただ、マルグリットという役は、あまりにも感情の振れ幅が大きくて、まるで二重人格のように思えてしまいます。

 憎しみ→同情→憎しみ。心が揺れる、というよりも。まるで、別人格の人間が、場面ごとに現れているようです。心が揺れながらも、一定の方向に収束していくという方向で描けば、終盤に向けて盛り上がっていくと思うのですが。

 見ていて、「いったい何がしたいの?あなたは」と聞きたくなってしまいました。これも、脚本・演出の問題なんでしょう。

 役者さんたちの熱演は十分にわかるのに、脚本と演出がバラバラな感じで、とても勿体無いと思いました。こんなに力のある役者さんが揃っているのに、その力をまとめられないなんて・・・。一流の音楽家が揃っているのに、指揮者がいないオーケストラみたいです。

 場面場面を切り取ってみれば、それぞれ、いい感じなんです。でも全体の流れ、方向性が定まらない。だから、終わってみても、結局なにを訴えたい舞台だったのか、わからないまま。

 石川禅さんの演じるルイ16世は、秀逸でした。この味は、石川さんにしか出せないもののような気がします。人のよさを十分に感じさせる声。望み通り鍛冶屋に生まれたなら、どんなに幸せだったろうと思わせる、温厚な雰囲気。

 マリーによせる愛情も、愚かさも。すべてが魅力的でした。

 その分、フェルセンとマリーのラブシーンは、げんなりでしたが。ここは相変わらず、しらけました。うーん。マリーは絶対、夫亡き後、子供たちの前でフェルセンと熱いキスなんてする人じゃないと思うんだけどなあ。

 以前のマリーならともかく。逃げずに、国王と運命を共にすると決めたあのときから、王妃としての自覚、母としての決意はあったと思う。こういうところの脚本・演出が不満です。

 今回、初めて2階のB席で観劇しました。去年の帝劇MAは、2回とも1階のS席での観劇でしたが、1階で見るよりも2階の方が舞台全体が見渡せてよかったです。ライティングが工夫されているのも、上から見たほうがよくわかります。

 2幕の残酷なシーンも、2階からなら落ち着いて見られますし。1階にいると、結構ドキドキしてしまうのです。この作品は、1階よりも2階の観劇がお勧めだなあと思いました。

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