どうしても東宝版エリザベートが好きになれない私であったが、先日、宝塚で過去に上演されたときの「私だけに」を聴く機会があり、引き込まれるのを感じた。
歌う人によって、こんなにも表現は違うのか・・と、改めて思い知らされる。好みの問題だとは思うが、エリザベートを誰が演じるかで、この作品は全然違うものになるんだなあ。
始めに、私が前から聴いてみたかった花總まりさんを聴いて、うわーやっぱり東宝版と違うなあ、と再確認。花總さんシシィは、思っていたほど強さが前面に出たものではなく、少女っぽいイメージだった。儚さを感じる。
次に白城あやかさんを聴く。花總さんよりもさらに、可憐な感じ。それでいて、内に秘めたパワーが凄い。今まで私が聴いた中でベストかな・・と感じた。
その次に聴いたのが大鳥れいさん。なんとなく、私の中では一路真輝さんと同じカテゴリーで、苦手だった。これは本当に、個人的な好みの問題だと思う。
そして最後に聞いたのが瀬奈じゅんさんで。今まで聴いた中で一番清清しく、好感の持てるエリザベートだった。こんなエリザベートもいたんだ?と衝撃を受けた。
瀬奈さんという人を私はよく知らなかったのだけれど、元々男役で、現在も月組トップの男役だという。男役の人がエリザベートを演じる、というのはかなり大胆な発想だと思うが、歌いだしからその透明感ある声に魅了された。
私がエリザベートを嫌いだった理由は、エリザベートのわがままさだ。甘ったれだなあと感じてしまうし、そんな人が「私だけに」を歌うと、はいはい勝手にどうぞ、という気分になってしまうのだが、瀬奈さんが歌うと、エリザベートの描く心の中の自由な風景に自分も引き込まれ、一緒に空を飛んでいるような開放感に包まれる。
瀬奈エリザベートには、嫌悪感を感じないのだ。不思議だなあと思った。
あくまでイメージなのだが、瀬奈エリザベートには、権力や金銭、美貌への執着を感じない。ただただ、自分の心に正直に、自由になりたいと望む姿が浮かんできた。束縛を嫌うけれど、そこにいやらしさがない。
「私だけに」という曲の中で、エリザベートは少女のように無邪気に夢想する。自分の心は自由なのだと空想の世界に遊ぶ。哀しみや怒りよりも、うっとりと思い浮かべた自由の光景に酔いしれる幸福感の方が勝るから、その姿に素直に共感できる。
エリザベートはもともとエゴイスティックで、権力や美貌に執着した人かもしれない。だから、そういう意味でいうと、瀬奈さんのエリザベートは「違う」のかもしれない。だが、とても可愛らしいのだ。私は瀬奈さんのエリザベートで、山口トートとの絡みを見てみたい。
可愛らしさということで気付いたのだが、なぜ東宝版エリザベートが好きになれないか、その理由の一つは、エリザベートが不幸を何でも人のせいにしている(ように思える)から。
恨みます~♪恨みます~♪
そんなふうにぶつぶつ、口の中で小さく歌いながら、暗い部屋で蝋燭を灯し、ゾフィーやフランツの行動をあれこれ思い返しては、「絶対許さない」とハンカチの端を噛み締めてるイメージがある(あくまでイメージ)。
瀬奈エリザベートは本当に小鳥っぽくて、つらかったことも空に羽ばたけば全部忘れてしまいそうな感じ。
誰かを恨むよりも、あくまで自分の気持ちに正直に、幸福を追求していく。その形が人になんと言われようとも、平気。
私がトートなら、きっと瀬奈エリザベートを可愛らしいと思うだろう。
山口祐一郎トートの歌で好きなフレーズは、これ。
「お前に命許したために~生きる意味をみつけてしまった」
この歌詞とメロディが大好き。微かな後悔と憂いをにじませた深みのある声が、エリザベートを丸ごと、包み込んでいく感じ。
宝塚のトートは、映像でみるとまるで漫画から抜け出た王子様のように綺麗。シルエットがとても美しい。やはり女性だからどうしても線が細く、華奢なのだ。この線の細さは、男性では無理。きっと宝塚が好きな人は、その立ち姿に理想の男性像を重ねているんだろうなあと思った。
私が山口トートを好きなのは、むしろ華奢ではない点につきる。誰かが勢いつけてぶつかっても、よろけることなく全ての衝撃を余裕の笑みで受けとめそう。そして劇場に幾重にも広がる圧倒的な声の波。その強さと深さが好き。
エリザベートは、エリザベート役を誰が演じるかによって、こんなにも変わってくる作品なのだ、ということを痛感した。
次に東宝で上演するときには、できれば複数のキャストがエリザベートを演じてくれればいいのに・・・と思った。人の好みはさまざま。複数キャストなら、自分の好みのキャストを選んで観劇することができる。
それは役者にとっても、ずっとシングルで出続けるより休憩を挟めるから、楽になれることだと思う。
エリザベートもトートも、次回東宝で上演するときにはできるだけ、たくさんのキャストで演じてくれるといいな。クワトロでもOK。
瀬奈じゅんさんの「私だけに」を聴いてから、エリザベートという作品に対する見方が、少し変わったのは確かである。