『迷路の花嫁』横溝正史著を読みました。以下、ネタバレを含む感想ですので、未読の方はご注意ください。
もともと横溝正史の小説はあんまり好きじゃない。特に短編ものは、途中で読むのをやめてしまうほど、私の趣味には合わなかった。映像化された『犬神家の一族』は面白いとおもったけど。
というわけで、あまり期待せずに読み始めたのだが、これは進めば進むほど、どんどん引き込まれる作品だった。
物語は、小説家の松原浩三が、心霊術師の建部多門を追いつめていく、という話です。この多門というのがひどい男で、たくさんの女性が泣かされているのですが、その一人ひとりを松原が救っていく。それも、その場限りではなく、その女性達が長く、幸せでいられるように、キューピット役を務めたりなんかして。
心霊術師の多門は、オカルト商法そのままに、女性達の弱い部分につけこんでいくのですね。
殺人事件が絡んだミステリー、謎解きというよりも、人間模様が興味深かったです。
基本は松原が正義で、多門が悪なんですけども。読後によくよく考えると、松原にも男のエゴ、みたいなものが垣間見えて、必ずしも彼は品行方正な紳士ではないなあと。
多門に囚われていた(軽い洗脳だったと思う)奈津女を鶴巻温泉に連れて行く松原ですが、この辺りの描写が強引なのだ。結局奈津女は、相手が変わっただけで、本当に自由の身にはなっていないから。
そりゃ、多門に比べたら、松原の方がよほどいい人。多門の元で暮らし続けるよりは、松原のところに逃げた方が幸せだと思う。だけど、逃げ出す代わりに、俺のものになれ的な、有無を言わせない強引さはどうかと思った(^^;
結果的には、奈津女は松原を好きになってめでたしめでたしだが、好きでもない相手に迫られるのはどうなの?みたいな。退路を断って、決断を迫るようなやり方が好きじゃないなあ。
松原にとっては、奈津女は好みの女性で、ラッキーという感じだったんだろうけど。弱みにつけこむのって、やっぱり卑怯な気がする。
ヒーローである松原だから許されてるのかもしれないが、これが別の、ぱっとしない普通の人だったら、読者の嫌悪感は相当強いと思う。
私がこの作品で一番好きなカップルは、元軍人の千代吉さんと瑞枝さんだ。千代吉さんは、瑞枝さんを守ろう、大切にしようという気持ちがありありと伝わってきて、かっこいいなあと。最初の頃、瑞枝さんに惹かれながらも、「結婚してください」と言えないその謙虚さが、せつなかったです。
ずうずうしくないところが素敵。瑞枝さんの幸せを祈るからこそ、うかつなことは口に出せない。ただ、自分にできる全力で、彼女を守ろう、役に立とうとするところがいいなあと思いました。瑞枝さんは瑞枝さんで、優しくて、でも正義を貫く人。
自分だけのことを考えたら、もっと楽な方法はあったかもしれない。でも、瑞枝さんは恭子さんとの約束があったから、逃げ出さずにじっと耐えていた。危険を冒してでも、恭子さんや他の人たちを助けようとした気持ちが、素晴らしいと思いました。
奈津女に対しても、「自分のようになってはいけない。早く逃げて」と諭していた。
自分が不幸だから、相手の不幸を願うのではなく。自分が不幸だからこそ、同じような人間を増やしてはいけないと、心を砕く。その優しさが心にしみました。
千代吉、瑞枝、そして蝶太はきっと、いい家族になれるでしょう。
私、瑞枝が火事の夜に、千代吉の家へ逃げてくるシーンが大好きなのです。好きだけど、決して2人の人生が交わることはないと諦めていた千代吉が、思いがけず訪ねてきてくれた瑞枝の姿を目の前にして、どんなに嬉しかったかわかるから。
私も昔、もう会えないとわかっていた人と、思いがけず再会して本当に嬉しかったことがあるので。そのときの自分の気持ちが蘇って、胸にじーんときました。千代吉の気持ちがわかります。
信じられないという気持ちと、相手が今、目の前にいるのだという現実と。
きっと千代吉も濁流のような歓喜の感情に全身を震わせて。目の前にいる人の顔を、ただただ見つめていたんだろうなと。
千代吉からは、言えないですもん。千代吉は、何も言える立場じゃない。幸せにできる自信も根拠もなくて、だから、一方的に焦がれて、瑞枝の幸せを祈るしかなくて。
でもその瑞枝が自ら、来てくれたのです。まさに奇跡。
本来の主人公である松原よりも、千代吉や瑞枝に感情移入してしまった作品でした。