『レベッカ』観劇記 その2

 昨日のブログの続きです。舞台『レベッカ』の観劇記ですが、辛口なところもあるので、ご了承ください。完全にネタバレしてます。未見の方はご注意ください。

 

 マンダレイのお屋敷の壁面が、蔓のようなデザインで、それがまたこの舞台にぴったりでした。蔓そのものは元々、とても柔らかいのですよね。蔓の先が、ひそやかに撫でるように宿主に触れ、その繊細な愛撫が、やがては当初の優しさなど想像もつかないような荒々しい締め付けへと変貌する。気付いたときにはもう、きりきりと締め上げられた宿主は窒息状態。宿主と一体化すべく、蔓は深く、深く宿主の肌に食いこみ、そうなれば最後、宿主はもう枯れるしかなくて。

 強すぎる愛情を、盲目的にレベッカに注ぐダンヴァース夫人の姿と、蔓の姿が重なります。

 レベッカも、実際にはダンヴァース夫人のこと、少しうざったく感じていただろうなあと思いました。決して裏切ることはないから、そういう意味では利用価値があっただろうけど。ダンヴァース夫人は、彼女にとっては、たぶん特別な存在ではなかったはず。夫人はレベッカの、大勢いる崇拝者の中の一人にすぎなかった。だけど思いこんでいた。自分だけは特別で、自分だけがレベッカの真の理解者だと。

 そんな妄執が、マンダレイのお屋敷を締め上げ、侵食していったのですね。

 ああ、やっぱりレベッカは主人公だ。結局誰もが、レベッカに振り回されてる。いなくなってなお、人々の心に住み続け、心をかき乱さずにはいられない。罪な女性だなあ。

 マキシムが、ダンヴァース夫人を紹介するときの声、嫌悪感に満ちてました。それは、最後まで一貫していたように思います。マキシムはダンヴァース夫人のこと、大嫌いだったんだなあ。

 

 そうそう、マキシムが「わたし」を呼ぶ、「ダーリン」という言い方がこそばゆかった。日本人の耳には、「ダーリン」というと、ペアルック(死語)で記念写真を撮っている、ハネムーナーの甘い声が・・・。いや、マキシムたちも新婚なんだけど、やはり英国紳士としての落ち着きがほしいじゃないですか。

 「きみ」では駄目ですかね。「ダーリン」って、どうもしっくりこないです。マキシムは、「ダーリン」っていうキャラじゃないような気がするなあ。英語の呼びかけの Darling と、日本で使われる「ダーリン」は別物なイメージです。

 「ダーリン」とか、あの堅物マキシムに呼ばれてたら、「わたし」が愛情を疑う余地なんてないと思う。だって、使用人に影口きかれてるかもしれませんよ。

 「おい聞いたかよー。旦那様、奥様のこと“ダーリン”とか呼んでたぜ」みたいな。失笑の声が聞こえてきそうなのです。マキシムの威厳が台無し・・・。

 暖炉の前でチェスをするマキシム夫妻は、どちらも楽しげで、なんの翳りもなくて、それが少し物足りなかったのでした。お互いに、腹のうちを探りあう的な部分も、あっていいんじゃないかと。舞台では仲のよい新婚さんという感じで、マキシムは、マキシムというより『そして誰もいなくなった』のロンバードさんという感じでした。山口さん、このシーンでは声が高かった。とたんに10歳くらい若返ってしまう。もう少し低めの声の方が、マキシムのイメージだと思いました。

 マキシムが「わたし」にキレるシーンは、マキシムの弱点を露呈してましたね。そうかー、やはりマキシム的には、レベッカの裏切り、しかもその行為を世間に知られること、が、この上ない屈辱だったのだなあと。マキシムにとって、マンダレイは宝物。その宝に少しでも傷がつくことが許せない。人に指をさされるなど、マンダレイではありえないことだったんですね。

 マキシムが「私に力を こんな夜こそすべてを忘れられたら」と歌うのにホロリ。「わたし」への愛おしさが歌わせた歌だと思いました。

 ジャック・ファヴェル役の吉野圭吾さん。ダンスがすごいです。体の動きにキレがあって、目を奪われます。ただ、惜しいのは、毒のなさかなあ。

 

 

 これは私だけのイメージかもしれないのですが、ファヴェルって、きっとギラギラした野心家だと思うんですよ。もうね、見てるだけで胸焼け、お腹いっぱーい、みたいな。もちろん格好よさもあるんだけど、それ以上に醸し出すのは、えげつなさであってほしい。うさん臭さもほしい。絶対まともな仕事はやってないよね、みたいな。

 ファヴェルが笑顔でなにかを勧めると、人は裏になにかあるのかと勘ぐらずにはいられない。そういう、あからさまな、嫌らしさがファヴェルには欲しいです。

 吉野さん普通にかっこいいので、ファヴェルの汚れたキャラからすると、爽やかだなあって思ってしまうのです。

 ファベルは、笑顔が腹黒い人がいいなあ。

 舞台に、巨大な額だけの絵が登場したのには驚きました。あれ、絵の部分真っ暗でしたよね。後ろの席で見てたんで、違ってたらすみません。さすが演出の山田さん。これ、山田さんのセンスですよね。きっとウィーンではやってないと思う。(単なる私の勘ですが)

 だってあそこにいるべきはレベッカですもん。そうですよ、レベッカの顔は、闇の中に沈んでいなくては。見る人の心の中にだけ、ぼんやりと浮かばなくては駄目です。額だけの絵という奇妙な情景に、想像力をかきたてられました。

 ベン役の治田敦さんは、歌いだしがいいです。すごく素直で、邪気がない。天真爛漫な子供って感じです。でも、「ベンはなにもしてない!」というところは、もっと感情的になった方がいいのかなあと思いました。

 ベンはきっと、心優しい、素直な人。マンダレイの人たちからも、大切に扱われてきたはず。それだけに、レベッカから受けた冷酷な仕打ちは、人生始まって以来の衝撃だったのではないでしょうか。初めて人に、粗雑に扱われたというか。

 だから、そのときのショックはきっと頭にこびりついているはず。そのときのことを思い出すだけで、どうして?と混乱して、パニックになってしまってもおかしくないと思うんですよね。それを考えると、明らかにレベッカのことを思い出しているはずなのに、あまり動揺してない感じは変かなと。

 たぶん、ベンは、マキシムの異母弟なんでしょう。マンダレイの、公然の秘密。母は身分が貧しいゆえに、また、ベンの成長に問題があるがゆえに、親子はひっそり、館の庇護を受けながら暮らしているのかなあ。そうでなければ、ベンがあまりいじめられずに育ったことの説明がつかないです。マキシムの異母弟という、無形の圧力が、周囲の偏見の目を遮断していた。

 だから、レベッカのような対応をされるのが、ベンにはショックだった。そういうことなのかなと思います。もちろん、そんなことは小説には出てきませんが。ベンの世界に初めて登場した、悪意ある存在が、レベッカだったのかもしれません。

 治田さんのよさは、声が純粋さを感じさせること。無垢なイメージがあります。これが強みで、天性のものだと思う。だからこそ、レベッカの影に怯えるときには、もっと感情のままに、大げさに怯えてもいいんじゃないかなあと。そこがまた痛々しく、レベッカの邪悪さを際立たせることになると思うので。こんなに純真なベンを恐がらせたのは誰なの?という疑問につながってきます。

 

 長くなりましたので、続きは後日。

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