Stephenie Meyer 著『breaking dawn』を読みました。以下、感想をかいていますが、ネタバレしていますので、未読の方はご注意ください。一部、原文をそのまま引用した箇所がありますが、訳は自分がつけているので、少し変なところがあるかもしれません。ご了承ください。
大好きなトワイライトシリーズの第四弾。ということで、期待に胸をふくらませながら読んだのだが、読了するのにこの巻だけものすごく時間がかかったのには、理由がある。それは、半ばまで読んだところで、興味をなくしてしまったからなのだ。あまりにも主人公のベラの態度がひどすぎて。
もう、そんなベラにベタ惚れなエドワードも、ひどい仕打ちをむしろ楽しんでいるんじゃないかとさえ思えるジェイコブも、どうにでも勝手にしてくださいという気持ちになり、しばらくこの本に手をつけないまま放置していたのである。続きを読むのが苦痛になってしまって。
このブログに以前、斉藤由貴さんの『かなしいことり』の話をのせたのは、ベラと、あの曲に登場する女性の共通点を、ふと思い浮かべたからだったりする。
どちらも身勝手な女性ではあり。(自分の気持ちに正直ではあるけれど)自分がされたら絶対泣くだろうなあという残酷な仕打ちを、わりと淡々とやってしまうところがすごいなあと。
『breaking dawn』は夜明けという意味で。めでたく?エドワードの手によって吸血鬼になったベラの、「はじめての吸血鬼日記」だなあと思いました。英語のタイトルのセンスは抜群。第四巻に至るまで、なるほどーと感心させられます。
この巻で、エドワードと結婚したベラはプライベートアイランドで新婚旅行を楽しむのですが、ここはうっとりでした。そうそう。やっぱり二人っきりがいいよねーという。南の島で二人きりという状況は、まさに天国。
夜の海の描写。月を見上げてる、真夜中のエドワードの後ろ姿とか、絵画的でしたね。
ただ、物語はここで終わったほうが美しかったのかも・・と思わなくもないのです。
結婚はしたけれど、まだ吸血鬼にはなっていないベラ。そこで終わらせていたほうが、せつなくてよかったなー、なんて思ってしまいました。
吸血鬼と人間の圧倒的な力の差から、心ならずもベラの体を傷つけてしまったエドワードの苦悩とか、そのへんのシーンは照れながらも楽しく読んでいたのです。が・・・。
子供ができた、という展開から、???の連続でした。
そもそも、無計画すぎるというか、エドワードもベラも、なにを考えているんだろう?という。
それに、話が生臭くなりすぎというか、おとぎ話的な感じで読んでいたところに、いきなり現実的な話になってきて、え?え?という。
子供って、やっぱり愛だの恋だのとかいう、うわっついた話とはまた別の、責任がかかってくる話ですもんね。自分たちさえよければ、という次元とはまた別だし。
それで、そこからのベラの行動がなんとも、私には理解しがたいもので。
完全に、「こりゃもう無理。これ以上読めない」と本を放り出したのは、ジェイコブの目の前で、ベラとエドワードがお腹の赤ちゃんのことで盛り上がるシーンです。
死に瀕したベラのため、、プライドも嫉妬もかなぐり捨てて「ベラの傍にいてやってほしい。ベラの望みをなんでも叶えてやってほしい」とジェイコブに頼みこんだエドワード。
ベラへの想いが強すぎるため、仲間と絶縁してまでベラと一緒にいることを選んだジェイコブ。
そのジェイコブの目の前で、「赤ちゃんが今、こんなこと思ってるよ♪」「赤ちゃんの名前はこうしようね♪」と盛り上がる二人。これはキツイ。キツすぎます。ジェイコブにとって、あんまりすぎる状況です。どうしろっていうんだろう。
>In that moment, I knew that I was alone. All alone.
(そのとき、自分は一人ぼっちだった。独りきりだった。)
ジェイコブの慟哭が聞こえてくるようです。強烈な疎外感。じゃあなぜ俺を呼んだのさ?っていう叫び。
これを読んだとき、もう私はいたたまれなくなってしまって。
だって、ベラはエドワードが好き。エドワードもベラが好き。二人は結婚しました。仲良しです。子供が生まれます。幸せです。
そこにジェイコブが入る隙間なんて、ひとっつもないわけですよ。彼だって、そんなことはよくわかってる。なのに、ベラはジェイコブに「そばにいてほしい」って言う。親友だって言う。
ベラが死ぬかもしれないと知り、動揺するジェイコブの心の隙間につけこむような、卑怯な願いだと思いました。死ぬかもしれない人の願いだから、なんでも許されるのか?
そしてジェイコブの目の前でいちゃつく、幸せな新婚カップル・・・。
ジェイコブはたまらず駆け出しますが(無理もない)、その彼に、咄嗟に車のキーを投げるエドワードはまだ優しいのかも。
エドワードのことは・・・。エドワードも、被害者なのかなあって思うから憎めない。ベラのことが好きすぎるんでしょう。内心はジェイコブに同情してると思います。ベラがジェイコムに望んでいるのは、あまりにも非常識で残酷なことだから。
ベラの傍にジェイコムを呼び寄せることは、エドワードだって嫌なはず。同志的な目で、きっとジェイコムを見てるんだろうなあ。同じ女性に囚われてしまって、もう身動きとれなくなった者同士で。
ああ、もうこの3人。勝手にしてくれ。と、ここまで読んで、私は本を閉じてしまいました。しばらくは、続きを読む気になれなかった。あんまりな展開だったから。
とはいえ。せっかく3巻までは読んだのだし、途中でやめるというのはすっきりしないので。結局どんな結末を迎えたのかだけは確かめたいと思い、気持ちが落ち着いた頃にまた、続きを読み始めたのですが。
もう、『twilight』『new moon』『eclipse』で感じたあの、ドキドキ感は全く感じなくなっていました。
ベラはやっぱり、ベラでした。
その後も、さすがベラ・・・と思うエピソードがたくさん。
たとえば、ジェイコブから、自分の子供が運命の相手だと聞かされたときの反応とか。
ジェイコブに対して怒るベラ。うーん、でも、自分だって、エドワードとは運命の相手だったわけよね。周りがどんなに反対しても、どうしようもなく惹かれ合ったし、理屈じゃない結びつきの強さ、抗えなさっていうのは、身をもって知ってるはずなのにどういうこと?という。
それに、ジェイコブには返しきれない恩があるのでは? その恩人に対する対応じゃなかったと思う。
それから、ジェイコブと娘を、万一のときには逃がそうとこっそり手配するところとか。
あれ? 逃げ切れないからこそ、ヴォルトゥーリ一族と対決するんじゃなかったっけ? ジェイコブと2人なら逃げ切れるって、どこからその発想が出てくるんだろう。あまりに単純すぎないか?という。
この4巻で、一番心に響いたシーンはどこかというと、ベラがエドワードに秘密裏に行動した後、家に帰ってくる場面の描写ですね。
長らくピアノに触れていなかったエドワードが、どんな思いでピアノを弾きながらベラの帰りを待ったのだろう、と。いろんな思いがあったでしょうが、ともかくエドワードは優しい。その優しさは、もはや夫というよりも幼子を守る親に近いのかも。大切に大切に。決して傷つかないように。
ベラのためなら、見えていることも見えないふり。知っていることも知らないふり。それが彼女の望みなら。
そしてエドワードはピアノを弾くのです。そうすることで自分を表現したかったのかなあって。
こんなに愛してる。いつまでも待ってるって。
私がエドワードなら、ベラを問い詰めちゃったかもしれない。少なくとも、真実を知りたがっただろうし、それを隠したベラには不信感を抱いたと思う。
でもエドワードは違うんだな。ピアノを弾いて静かに帰りを待つ、という。その音が、ベラの耳に届くことを信じてるから。
巻末の終わり方が、意味深だなあと思いました。
今までベラの心の声だけは、どうしても読み取れなかったエドワードに、初めて心の声を聞かせるベラですが。彼は途中でベラにじゃれかかって、最後まで聞こうとしませんでした。
これねえ。エドワードは、わかっちゃったんだと思うなあ。
結局、自分の方がよほど、ベラを好きだってことに。だから、それ以上聞く必要がなかったんだと思う。もう、そんなもの聞いてもどうしようもないもんね。それほど深い思考を、ベラが持ってるとは思えないし。
ああ、やっぱりね。これがベラの心だったんだなあっていう。妙な感慨はあったと思います。どうしてもどうしても聞きたかった、愛しい人の心の声は、実際に聞いてみたら、ああ、なあんだ、こんなものかっていう。
聞こえないからこそ、神秘化された部分は大きかったと思うので。不安にもなったし、彼女が不可解な存在にも思えただろうけど。
知ることができないからこそよけいに、狂おしく思えた部分も、あったんだろうなあ。
というわけで、twilightシリーズをすべて読み終わりました。
前の3巻と比べてこの最終巻は、パワーが違うというか、物語の軸が、別方向に向かっているように感じてしまいました。