なぜそこで速水さんを連想するの?という話

 登録講習の翌日、名古屋駅近くの、ノリタケの森へ行ってきました。そこに、森村・大倉記念館CANVAS(キャンバス)という施設があります。
 私は、一枚の写真と出会いました。

 森村組大幹部、と銘打たれた写真。
 6人の男性が写っている。前列に3人、後列に3人。
 前列の真ん中は、森村組を作ったまさにその人、森村市左衛門さん。白い髭に貫禄を感じます。威風堂々たる佇まいです。
 その他の人たちも、さすがこれだけの大グループの祖となるだけあって、威厳ある雰囲気。

 そしてその中にあって一人だけ。目をひくのは若者。
 細面の顔に眼鏡。髭はきれいに剃られており、全体の線は細く、優男です。いかにも大企業の大物、といった風の5人に比べ、彼はあまりにも若く、華奢で繊細に見えます。

 彼は誰なのだろう?
 私は写真のキャプションを読みました。

 大倉 和親(おおくら かずちか)とあります。森村市左衛門の義弟で、森村組(現在の森村商事)に参加した大倉孫兵衛の長男だそうです。

 なんか、『ガラスの仮面』の速水さんぽいな~と、ミーハーなことを思ってしまいました。
 もし速水さんが実際にいるとしたら、こんな感じなんだろうなと。

 がっちりした体格というより、細身で。企業を率いるにはあまりにも若くて。
 けれど、その瞳はまっすぐで、悪い意味でなく虚勢を張っているように見えました。
 この若さで経営に携わるということ。海千山千の男たちを相手に、見くびられぬようかつ傲慢にならぬよう、最善のバランスを保つことの難しさは、容易に想像がつきます。

 端正な顔立ち。腕っぷしは強くなさそうですが、その分優美で、上品で。
 彼にとっては、自分の若さもその容姿も、マイナス要素だったろうなと想像しました。むしろ、もっと年をとっていた方が威厳はあっただろうし、もっとごつい印象であったなら、無用な嫉妬も受けなかっただろうし。

 大倉和親さんは、日本陶器合名会社(現・ノリタケカンパニーリミテド)初代社長になったそうです。当時若干29歳。慶応義塾を卒業後、米国に留学、森村組ニューヨーク支店勤務というスーパーエリートお坊ちゃま。父は森村組幹部で陶磁器部門の責任者、大倉孫兵衛さんであります。

 恵まれた環境と言えば、その通りでしょうが。
 その肩に負った重圧も、なかなかのものだったでしょう。周囲の目は、冷ややかなものになったかもしれません。
 二代目の宿命ですね。父を知る人たちからの、「しょせんはお坊ちゃん。さて、どこまでできますかね?」という無言のプレッシャーを、どうはねのけ、我が道を切り開いていったのだろう、と想像しました。

 きっと速水さんも、同じだったのかなと思います。
 悠然と微笑みながら、決して仮面を外さずに、大都芸能を率いていったのだと思うから。
 最近『ガラスの仮面』に嵌るあまり、何を見てもつい、『ガラスの仮面』と結びつけてしまう癖があります。
 

 森村組大幹部の写真は、とても感慨深かったです。
 そこに、速水さんを見たような気がしたので。

 
 大倉さんのように、あるいは速水さんのように。会社を率いる立場になれば、年齢の若さは逆に、弱点にもなりえたのかなあと思いました。不安感や自信のなさなど、絶対に人には見せられませんね。きっと仮面をかぶって、10も20も年上の顔をして仕事してたのかなあと、そんなことを思いました。

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