愛の形と攻撃性についての一考察

 愛した人が、自分でない他の誰かに夢中。

 こういう状況下で、もし怒りがわき出でたなら、その矛先はどこに向かうのが普通なんでしょう?

 男の場合は、彼女自身を恨む、と聞いたことがあります。
 女の場合は、相手の女性を悪者にするとか。

 前回のブログでは、ちらっとALW『オペラ座の怪人』について触れましたけども。
 私はファントムの、純粋すぎるほどのクリスティーヌへの憧憬を可愛いと思ってしまいますね。

>Why should I make her pay for the sins which are yours?

 直訳したなら、(お前の罪を、なぜ彼女に償わさせねばならぬ?)でしょうか。

 

 ファントムがラウルに向かって叫ぶこの台詞、好きなんです。

 子供っぽいというか、ファントムがむきになっている様子がリアルに伝わってきます。

 クリスティーヌとラウルのラブラブっぷりはファントムもよくわかっているのでしょうに、心の底ではそれを理解しているのに、自分自身をも偽って絶対にそれを認めないという意地。

 ファントムの中では、あくまで悪者はラウル。
 クリスティーヌはラウルに騙された無垢なお姫様なんですよね。

 クリスティーヌが自分の意志でラウルを選んでいる、という事実を、認めたくないのです。認めたらそこで、終わりだから。
 クリスティーヌに愛されることで築けた幻の城。
 お姫様がいなければ、廃墟にしかならない。

 これは、私の中のイメージのファントムですが。
 もしもクリスティーヌのキスがなくても、ファントムはクリスティーヌに傷ひとつ、つけることはできなかったんじゃないかなあ。
 甘い幻想かもしれませんが。

 なんというか、口ではどんなに脅すようなことを言っても、ファントムはクリスティーヌに勝てないというか、クリスティーヌが傷付くことに耐えられない、人のような気がするのです。
  だからもし、クリスティーヌがラウルを選び、死の覚悟をしたとしても。

 その首にロープをかけたところで、ファントムはそれ以上はできなかったのではないのかと。
 震える手。激しく葛藤する心。

 もっと自分勝手な人だったら、クリスティーヌに拒絶された時点で怒髪天を衝き、自分の人生もこれで終わりだと無理心中を図ったかもしれませんが。

 なんだろうなあ。私のイメージするファントムは、そういうことできなさそう。
 口汚くクリスティーヌの選択を罵り、ラウルに憎しみをぶつけ、それでも最後には彼女を許してしまうのではないかと。

 クリスティーヌがファントムに複雑な思いのこもったキスをしたのは、ファントムにとって暗闇に射す一条の光であったと思いますが。だからこそ観客も悲劇的な結末の中にわずかな救いを見出し、慰められるのですけれども。でもでも、それは物語の中の彩りにすぎず、それがあったからこそクリスティーヌとラウルの無傷の解放は実現したのだ、とまでは思えないんですよね。キスなしでも、結果は同じだったのではないかと。

 最初から勝負は決まっていたのかもしれない。(ファントムが完敗という意味で)
 だって、ファントムはクリスティーヌが大好きだったから。
 クリスティーヌが他の人を選んだところで、心の奥底ではそれを許容してしまったのではないかと。

 己の醜さを知らないわけではないから。むしろ人一倍敏感に、好きな人の心を察する繊細さを持っているだろうから。

 というか。むしろわかってたんだろうなあ。クリスティーヌがキラキラした白馬の王子様に惹かれている気持ちも。痛いほどに。

 彼女がもし

☆私はラウルと共に生きます。
☆あなたに何をされてもその決意は変わらない

 なんて、きっぱり言い切っていたら。
 ファントムの絶望は、キスという救いもなしに、ただただもう、大きな影となって彼を覆い尽くしていただろうけど。

 それでも彼はきっと、クリスティーヌが好きで、だからこそ傷つけられなかったはず、と思います。
 そして、身を裂かれるような思いで、結局のところ、やはり二人をそのまま地上に送り返したのではないかと。

 まあ、このへんは私の勝手な解釈ですが。そういうファントムだからこそ感情移入してしまうし、憎めないんですよね・・・。
 これ、ファントムが激怒してクリスティーヌをラウルもろとも惨殺するようなキャラだったら、『オペラ座の怪人』はこんなにも人気の舞台にはなっていなかったんじゃないかと。

 全てを許し、包み込む愛。無条件の愛、ですよね。

 見返りを求めない。愛されなくても構わない。ただただ、あなたが好きです。あなたの幸せを祈りますっていう。

 嫉妬の炎で愛する人をメラメラ焼き尽くす『ガラスの仮面』の紫織さんには、ぜひ見ていただきたい演目です(笑)

 あ、紫織さんには『ガラスの仮面』内なら聖さんの生きざまを学んでもらうってことでもいいかもしれない。

 彼ほど禁欲的に献身愛を捧げてる人はいないんじゃないかと。

 聖さんは速水さんのこと好きだと思うんですが、もうこれは一方的に与えるのみ、の愛ですね。なにか受け取っても、即座に倍返ししちゃうんじゃないかっていうくらいの深い愛。謙虚にもほどがあるだろうっていうくらいに、相手を縛らない愛情。

 一応お仕事で仕えてるってことになってますけど、その形態は聖さんにとってとても都合のいい、居心地のいいものだろうなあと思います。「仕事ですから」の一言で、自分の愛情が顕になることを避けられる。涼しい顔で堂々と、惜しみない愛を注ぐことができる。

 聖さんはマヤにも好意を抱いているようですが、それは「速水さんが愛した少女だから」というのが根底にあるのではないでしょうか。

 あなたが好きな人だから。
 私もその人が好きなのです、っていう。

 嫉妬という感情を飛び越えて。
 速水さんの愛するものを皆、聖さんは愛してしまうんじゃないかと、思ってしまう。

 速水さんが聖さんの愛情に気付く日は来ないだろうけど、聖さんはそれでもちっとも構わないんだろうなあ。

 以上、愛の形についてあれこれと考え、書いてみました。

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