秋薔薇を見に、植物園へ行ってきました。まだ季節が早いらしく、咲いているのはちらり、ほらり。
どうしても見たかったのは紫のバラ。
紫のバラは珍しいからか、数種類が一か所にまとめて植えられています。
咲いてるかな~と見たところ。おお。咲いてます。一輪だけ。
それはなんとも弱弱しく、ひっそり陰の中で咲く、という風情の儚い花でした。
バラっていうと、自己主張の強い花、というイメージがあるんですけども。紫のバラは特別ですね。
いくつかある種類の中で、唯一咲いていたのは、マダム・ヴィオレ。
樹の勢いも感じられず、発色もいいとは言えなくて。紫というより、白がベースで、そこにほんの少しの青を溶かしたみたいな色です。
見た瞬間、「息も絶え絶え」という言葉が頭に浮かびました。咲くことに全エネルギーを使い果たして、疲労困憊といった感じなのです。
傍に、まだ咲かない一輪のつぼみがありましたが、驚いたことにつぼみはなんと、ピンク色に近かった。花が咲くと、これが薄紫に変化するのでしょうか。
そんな紫のバラを眺めながら、何故『ガラスの仮面』の速水さんは、数ある花の中から敢えて、この紫のバラを贈り続けたのだろう、などと考えていました。
年若い女優さんに、ファンが贈る花。それにしてはあんまり、地味かなあと。
普通なら、もっと明るい色を選びそう。
鮮やかで、華やかで、心が浮き立つような色。
若い女の子が喜びそうな、赤や、オレンジ、ピンクなどなど。
紫のバラ。通好みの粋なご婦人なら、「まあ珍しいこと。この繊細な色あいがなんとも言えないわ」なんて、喜んでくれるかもしれませんが。若い女性の目に、紫のバラは貴重というよりも、あまりにも地味で、冴えなく映るのではないかと、そう思いました。
なにより・・・。
この紫のバラを眺めていて、寂しい花だなあって、思ってしまいました。
何故、敢えてこの花なんでしょう。
マヤに赤いバラでなく、紫のバラを贈り続けた速水さんの深層心理には、なにかとても、淋しいものがあったのかなあ、と思ったりしました。
植物園の帰りに、『別冊花とゆめ』を購入すべく書店へ。このところ時間がなくて、なかなか本屋さんに行けなかったので、在庫があるかどうか心配だったんですが。
どこを探しても、いつもの場所にない。
別冊じゃないほうの花とゆめ、ならあったのですが、別冊は見当たりません。
発売日をだいぶ過ぎてしまったから、もう取り寄せてもらうしかないのかな。いくら探してもないので、半分諦めかけたそのとき。一番上に置かれた雑誌と、その下に重ねられた雑誌、表紙の絵柄が少し、違うことに気付きました。
これは、もしや違う雑誌なのでは? そう思い、一番上にあった雑誌、『LaLa』をどけてみると、現れたのはお目当てのものでした。
誰なんだ、別花の上にLaLaを重ねたのは、と苦笑いしたものの、とにかくみつけられて良かったです。取り寄せは、時間と共にテンションが下がりそう。読みたい、と思ったときに読める幸せを噛みしめました。
次回は、雑誌を読んでの感想を書きます。
こんばんは(^^)
久しぶりに遊びに来ました('◇')ゞ
わたしも一度、紫のバラを見たことがあるのですが、目立たない淋しい地味なバラでした。何故、速水さんはまだ当時十代だったマヤちゃんに、紫のバラを送り続けたのか、とても不思議な気持ちになりました。好きな女の子に送るにしては、あまりにも地味すぎる…。
速水さんが例えば、「赤のバラのひと」でも、良かったのでは?「赤のバラのひと」では、平凡だと思われたのかな…。
あえて、「紫のバラのひと」にされたのには、何か理由があるのでしょうね。婚約者まで、紫がつくぐらいですから(笑)
そらさん、こんばんはヽ(´▽`)/ お久しぶりです。
速水さんが「赤いバラのひと」だったら、たしかにずいぶんイメージ違ってきますね。とっさに紫を選んだ速水さんの深層心理には、なにかとても寂しいものがあったような気がします。
紫織さんが名前に「紫」の名前を持つことは、なにかの伏線になっているのかなあ、と思ってみたり。
シオリ☆今ここで、約束なさって。紫のバラは、今後はわたくしのためだけに贈ると。
マスミ☆紫織さん・・・
シオリ☆でなければ、紫織は、紫織は・・・・。脅しではありませんわ。あなたがわたくし以外の誰かに紫のバラを贈るのなら、わたくしは、そのときこそわたくしは・・・。
マスミ☆(白目
みたいな展開を、想像してしまいました。あり得そう・・・。
未刊の部分でもありましたね!速水さんの別荘で、紫織さんが紫のバラをあの子に送らないでほしいの。でなければ、紫織は…。と言って、崖から飛び降りようとする場面が。
紫織: 真澄さま・・おねがいです もうあの子には近づかないで・・もう紫のバラは贈らないでほしいの・・・あの子だってきっといつかは忘れますわ・・・
真澄: 紫織さん・・・
紫織: でなければ紫織は・・・・
真澄: あぶない・・・! 紫織さんなにを・・・・
紫織さんはテラスのてすりに手をかけ、取り乱して言います
てすりの下は断崖と海です
紫織: 約束して・・・! 真澄さま・・・! もうあの子に紫のバラは贈らないって
でなければ紫織はここから飛びおります・・・!
顔面蒼白の真澄さん
真澄: 紫織さん・・・!
紫織: あなたにふりむいてもらえないくらいなら 死んだ方がましだわ・・・・!
真澄: 紫織さん・・・・!
ザザーン、ザ・・・・・ン・・・ (波の音)
未刊の部分では、崖から飛び降りますと言ってたけど、また今回も飛び降りるっていうのかなぁ。紫織さんは、速水さんの迷惑になるようなことしかしないですね(^^;)
そらさん、こんばんは(o^-^o)
未刊行のそのシーン、いいですよね。紫織さんのお嬢様らしいわがままさと、大都の肩書きの前にがんじがらめになる速水さんの追いつめられっぷりが、なんともいえません。
そして、そこに添えられる紫のバラという存在。
私は、以前はマヤちゃんから見た紫のバラ、を考えていましたけれども。最近では、速水さんにとっての、象徴としての紫のバラ、を思います。
速水さんが紫のバラに託した思い。そのせつなさ、苦しさ。渇望。憧れ。
速水さんが欲しくて、ずっと得られなかったもの。「愛」ですよね。英介からの愛。母からの愛。(真意はどうであれ、紅天女の衣装を救うために火中に飛び込んだその行為は、幼い子供にとって「母さんはぼくよりも紅天女=それを愛する英介、を選んだ」と絶望しても仕方のないものだったと思います・・・)
これを書き始めると長くなっちゃうので、コメント欄ではなく、またブログの本文でいつか語ろうと思いますが、速水さんの初恋って、マヤちゃんなのかなあと(^^;
そしたら、あれだけ不器用になるのもわかる。失うのが怖くて、動けない臆病さも、そりゃそうだろうと。
求めて得られなかったもの。ずっと欲しかったものが目の前にあって、手が届きそうで。でも素直に手を伸ばしたら、とたんに消えてしまうかもしれない。ただ眺めているだけだったら、失わなくてすむ。
それなら、苦しくても眺めていよう。失ってしまうよりましだから。手を触れたら、きっと今までと同じように。大切なものは、消えてしまうから。
大事なものが目の前で消えていった経験を持つ人は、同じ痛みを味わうことを、恐れて動けなくなるのかもしれません。