土地を所有することの責任~ゴミ屋敷とか廃墟とか~

 ときどき、テレビでゴミ屋敷の特集をやっている。日本全国津々浦々。どこにでもゴミ屋敷はあり、大きな問題になっている。

 資本主義の国だから、個人の所有する財産に関しては、かなり厳重に守られていて。それゆえに、何か問題があっても、なかなか手を出せない状態が続いているようだ。その土地の所有者であれば、たとえゴミを集めて近所迷惑になっても、そこは個人の自由としてみなされてしまう。

 でも、前から思ってたけど、これおかしいよね(^^;
 明らかな異常行動で、周囲に大迷惑をかけている時点で、土地を持つ権利が制限されても、それは仕方ないことだと思う。

 土地には、権利に付随して義務もくっついてくる。その土地を適正に保てないなら、その土地を所有する権利を失うのではないかと。

 土地には公的な側面があると思う。私有財産、ということだけにとどまらない。社会の中で適切に活用されるべき、大切な宝物なのだ。自分が所有者だからといって、勝手は許されない。

 ゴミ屋敷の問題を解決するには、まず法律。一定限度をこえた迷惑行為に関しては、土地の所有権を市区町村に移せる法律を作ったらいいのに。それも、条例レベルでなく、国の法律として。

 ゴミ屋敷にもいろいろ段階があると思うが、ひどいものになるとゴミ屋敷でなく単なるゴミ捨て場と廃墟になっていたり。放っておけば、まじめに生活している近隣の人が、普通の生活をできなくなってしまう。そして、こうした最悪のゴミ屋敷住人は、精神に病を抱えている人がほとんどでないかと思う。目を覆うような惨状のゴミの山を前に平気でいられるのはもはや、病気としか思えない。

 病気の人が、病気ゆえに判断力を失っている状態を、「個人の財産保護」名目で放っておくのは無責任すぎる。

 誰でも、どこでも起こりうる問題。今はよくても、明日、明後日、一年後。今まで普通だったお隣さんがもし精神を病んで、家や土地をめちゃめちゃな状態にしたら。泣き寝入りするしかないとしたら、それはあまりにも悲しすぎる。

 私が思うのは、市役所などで対策チームを作って、なんなら市役所外の人間も複数入れて、大勢で判断するシステムにすること。そのチームが「適切な管理がされていない」と判断すれば、家屋や土地の権利がその土地の自治体に移るようにすればいいと思う。

 1人や2人で判断するとなると、万が一にも利権が絡んだり私的な思惑で動いたりすると困るので、判断するチームの人員は必ず一定以上の数にすることと、審査の過程や結果が、市民にきちんと公表されることが必須だろう。そうすることで執行の透明性も高まり、みんなが安心して暮らせる社会が実現するのでは、と思う。

 うちの近所にも、ゴミ屋敷、ではないけれど廃墟がある。

 中でも一番ひどい状態の廃墟は、人が住まなくなって10年くらい。庭は、人の背の高さを越える草木でぎっしり覆われている。数年前までは、それでもときどき、業者が入って草を刈っていることがあった。最後に業者が入ったのは3年くらい前。でもそのときも、庭のすべての草をとる、というところまではいかなかった。大体半分くらい草木を撤去したところで、業者は来なくなってしまった。

 なにがあったのかはわからない。最初から半分だけ草刈という約束だったとは思わないけれど。当初予想を上回る、あまりの草の量に追加料金を請求し、断られたのか?と想像してみたり。

 そこの土地は、たぶん相続でもめている。だから不動産情報をチェックしても、売却物件としては出てこない。

 誰か一人のものではなく、複数の法定相続人がいるのだと思う。そしてその人たちの代でもめれば、決着のつかないまま高齢で亡くなる人も出てきて、今度はその子供たちが相続権を引き継ぎ、時間がたてばたつほど、膨大な数の相続人が事態をますます複雑にする。

 もう何年も前に、50歳くらいの女性が、廃墟に接した道路の草むしりをしていたのを見たことがある。業者には見えなかったので、興味をもって声をかけてみたところ、その女性は以前そこに住んでいたおばあさんの姪だと名乗った。

 庭からはみでた雑草が道路まで伸び、歩行者の通行の邪魔となっていたのを見かねて、草取りをしているのだという。確かに、心ある人なら、自分にゆかりある親戚の家がこの状態で、見過ごすことはできないだろう。住まいは遠方だということだった。それで、しょっちゅうは来られないものの気にかけてはいたらしい。
 額に大粒の汗。黙々と草をとる姿には頭が下がった。姪というだけで近所迷惑を考慮して草取りしてくれるなんて、いい人だなあと感心した。その時点では、おばあさんも生きていたと思われる。

 たぶん、あのときの姪が、おばあさんからあの土地を譲り受けていたなら、今、この廃墟を放ってはおかないと思う。おばあさんは、きちんとした相続の手続きをしないまま亡くなったのだと思われる。その場合、複数の法定相続人が各々勝手な権利を主張すれば、売却もできず、ただ、荒れるにまかせるしかなくなってしまう。いくら姪がなんとかしたくても、他の人に所有権を共有していたら、自分の一存では処分できない。

 こういうパターン、よくあるのではないかなあ。

 そこの廃墟に住んでいたおばあさんは、私は直接知らないのだが、近所の人に聞いたところ、晩年、独り暮らししていて認知症を発症、お金にとても執着したという。誰かにお金をとられるのではないか、という被害妄想的なものがあったとか。その状態では、いくら姪がいい人でも、円満に姪に譲ることは、できなかっただろう。

 廃墟は、台風が来るたびに少しずつ壊れていく。雨どいが外れ、瓦が一枚、そして一枚と飛び、悪くなることはあっても、修復されることはない。自然に倒壊するのを待つしかないのか。

 家の中には、家財道具がたくさん詰め込まれている、という噂だ。おばあさんが施設に入るとき、片付けて出て行かなかったため、死後もそのままになっているという。

 思うに、家の中の残置物も、時間がたてばたつほど、処分が大変になってくると思う。想像するだけで怖い。仕事とはいえ、片付けるのは人間だ。片付ける人が気の毒すぎる。放置されて3か月のゴミを片付けるのと、10年もののゴミを片付けるのとでは、処理の難易度が違ってくる。

 結局、個人の財産権は、公共の福祉のために一定の制限を受けてもいいのではないだろうか。管理できないなら、それを所有する権利などないように思う。もし私がその廃墟の相続人の一人であり、所有権の一部を持っていたら、土地が自治体のものになるのは大賛成だ。廃墟のまま哀れな姿をさらすより、よほどいい。私が亡くなったおばあさんであっても、自治体が土地を管理してくれたらほっとする。

 地方自治体に所有権が移ったら、自治体はそれを売ればいい。自治体の収入になれば、予算に余裕ができて、地域の人がみんな潤う。特定の個人や業者が設けるわけではない。社会に還元されるのだ。それが、みんなが幸せになれる道ではないだろうか。

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