歌作りと人生経験

私は村下孝蔵さんの曲が好きだ。

最初はあの有名な『初恋』で村下さんのことを知り、その後、カラオケで先輩が『踊り子』を歌っていたのを聴いて、素敵な曲だなあと思って注目するようになったのだ。

『初恋』や『踊り子』以外にも、いい曲がたくさんある。『かざぐるま』や、『春雨』、『ゆうこ』などなど。

46歳という若さで亡くなってしまった村下さん。私が生前の村下さんに対して持っていた印象は、穏やかそうな普通のおじさん、というもの。バリバリの二枚目というわけではないし、芸術家特有の気難しさみたいなものもなく、いつもにこにこしていて温厚そうな人だなあと。あくまで、私が抱いた個人的な印象だが、激しい恋愛をするようにも、上昇志向があるようにも見えなかった。

去年、村下さんの前妻のゆうこさんと、長女の露菜さんが共同で運営しているブログの存在を知った。ゆうこさんが綴る、村下さんとの出会いから結婚までの経緯は、まるで小説のようにドラマチックで運命的で、そのお話を読んでからあらためて曲を聴くと、しみじみと感慨深い。

結ばれるべくして結ばれたお二人、だったのだと思う。離婚してしまったのは悲しいことだけれど、その結婚があったからこそ、村下孝蔵さんが数々の名曲を作り出したのは確かなことで。前妻のゆうこさんが綴る、「太郎と花子の日本昔話」を、私は夢中になって読んでいた。

ところが、連載は途中で急にとまってしまった。露菜さんが今年に入って書いたブログによると、おばさん(村下さんのお姉さん?)が、ゆうこさんの書く物語を売名行為だとして怒っているらしい。書き続けるなら、自分が持っている露菜さんの幼い頃の写真一式を渡さないということを言ってきたようで、ゆうこさんはそれを気に病んで筆をとめてしまったとのこと。

露菜さんは、写真アルバムを諦める、という方向で考えているようだが、私はアルバムはきっちり返してもらうべきだと思った。

売名うんぬんは、人によって考え方は違うだろうけど、私は、子供が親の名前を使うのはとても自然なことだと思う。使うも使わないのも、その人の自由だ。

その人の子供である、というのは嘘でもなんでもない、単なる事実だから。それを表明したところで、結局は自分の実力が勝負となる。先入観を持たれたくないという理由で、有名人の子供であることを隠す人もいるだろうけど、逆にその名前を、人に知ってもらうきっかけにしたって、誰かに非難される筋合いではない。

そんなことより、新生児の頃の写真が全くないというのは、あまりに気の毒な話。写真を撮ったのは実の両親なのだし、いくら親戚とはいえ、当事者以外が持っていて本人に渡さないというのはどうかと思う。

妥協点としては、写真をブログに載せないということで、なんとか返してもらえないかなあと、そんなことを思った。写真はブログに載せない。その代り全部、娘さんが受け取る。(だって自分の赤ちゃんの頃の写真だからね)

ただ、「太郎と花子の日本昔話」は、ぜひ続けてほしい。誰かを悪く言うお話ではないし、「書くな」と言われる筋合いはないと思う。村下さんのイメージを傷つける、という人もいるみたいだが、私はむしろ、村下さんの過去を知ったことでもっともっと曲が、好きになった。

ありえないような奇跡の連続の末、結ばれたお二人なのだと思うと、その歌にもまた深みが増すような気がする。ゆうこさんとの出逢いがなければ、生まれなかった曲の数々。

若くて、野心があって、葛藤があって、優しさがあって、もがいてもがいて、その上につかんだ名声。シンガーソングライター村下孝蔵ではなく、夢を追う若者の姿。初めての結婚。村下さんがゆうこさんに語る言葉のひとつひとつが、とても心に残った。その姿と曲が、重なりあう。

「太郎と花子の日本昔話」、もっと続きを読みたいなあ。

『かざぐるま』という曲に関する話も、興味深かった。昔、村下さんが奥さんに語ったという、かざぐるまのイメージ。そうか、そういう印象を抱く言葉を、曲にしたのかと。

歌作りの影に、人生経験あり、ということをつくづく思う。激しく感情を動かされたからこそ、できあがった曲の数々。それらはみんな、村下さんの人生そのもの。だからこそ、人の心に響くんだろう。きっとこれからもたくさんの人が、それぞれの場所で、村下さんの曲を聴き続けるのだろう。

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