『ガラスの仮面』世界における速水さんとマヤを語る その3

前回の続きです。『ガラスの仮面』を読んで思うところを書いていますが、ネタバレを含んでおりますので、未読の方はご注意ください。

速水さんが、マヤをデートに連れ出す回、というのがありましたね。

カフェでケーキ食べて、プラネタリウム見て、夜店へ、という流れ。

中でもプラネタリウムは、速水さんにとってすごくいい思い出になったんだろうなあと思いました。

この先、マヤと離れた場所で生きていく中で、何度も思い出すであろう大切な、宝物のような記憶。

自分が本当に大切だと思っているものを共有したいと思う相手は、特別なものだと思いました。

他の人が無理に立ち入ろうと思ったら、速水さん、断固拒絶しただろうし。

だけどマヤにだけはどうぞって。

扉を開けて、手を引いて誘った。

好きになれば、その人に知ってもらいたいと思うものなのかもしれません。

自分が見てきたもの、感じてきたものを。

そんな、普通の恋人同士みたいなデートがあった後で。

2人の心が近付いたかな? と思えばやっぱり、さまざまな障害が立ちはだかるわけです。

私が好きな速水さんのセリフで、こんなのがあります。

>プラネタリウムで星をみるのは きみと一緒にいったあれが最後だ

>おれはもういくことはないだろう

>おそらく永久に

これ、精一杯の告白にも思えますね。

好きだとか、愛してるなんて言えないけど。

こんなに気持ちがあふれだしてるセリフは、そうそうないと思うのです。

どうかわかってほしいっていう、悲痛な願い。

この先誰と結婚しても、なにがあっても。

このプラネタリウムの思い出は、決して枯れることがない。

思い出せば、いつでもその日の2人がいて、その思い出が上書きされることはなくて。

それは、一緒にいた相手がマヤだったから。

その思い出のほんの欠片でも、壊してしまいたくはないという強い願い。

たとえば握手会などで、握手した後に手を洗わないっていうのも、同じ心理でしょう(^^;

その人の手の感覚が、手を加えれば消えてしまいそうで。

だから、ずっとそのままとっておきたいと思うわけで。

しかも、この言葉をかけたシチュエーションがいいんですよ。

マヤは、速水さんと紫織さんが一緒にいるのを目の前に見て、苦しさに耐えられず急いで立ち去ろうとしたんです。そのとき、マヤに速水さんがかけた言葉が、これなのです。

きっとこのとき、速水さんはマヤが自分に惹かれていることを、無意識に察知していて。

意識レベルでは、「あの子はオレを憎んでいる」と思っていても。

その瞬間、お似合いの二人の姿を見て、傷ついて去ろうとするマヤの心の痛みに、速水さんは反応してしまった。

彼女の心の痛みを癒したいと思った。

そして、自分の誠意をわかってほしいと思ってしまった。

戯れでも気まぐれでもない。

あのとき一緒に過ごした時間はかけがえのないもの。自分はそれを一生大切に守っていくと。

たとえ届かなくても。わかってはもらえなくても。それでもその誓いの言葉を、言わずにはいられなかったのではないでしょうか。

たとえ憎まれても。

それがマヤのためになるのなら。どれほど憎まれても構わない。

その思いが一番読者に伝わったのは、やはり狼少女の宣伝エピソード。

とある舞台の初日、招待客で賑うロビーで、速水さんはマヤを挑発します。演劇関係者が集まっているのは承知の上。マスコミのネタになるのは計算済。マヤが主役を演じる舞台「忘れられた荒野」を宣伝するためです。

目的は、とにかく関係者の注目を集めること。

派手なパフォーマンスでした。マヤの目の前で、チキン?を放り投げます。

>さあ ひろってこい狼少女 エサはあっちだよ

マヤは、固唾を呑んで見守る大勢の客の前で、成り行き上、仕方なく狼少女を演じますが。自分になぜこんな恥をかかせるのかと、速水さんに怒りをぶつけます。

>これで気がすんだでしょ速水さん!

>あなたなんて最低だわ!

>大っきらい!

>あなたなんて死んじゃえ!

宣伝の方法なら、他にいくらでもあったのかもしれません。

芸能プロの有能社長なら、マヤに憎まれずにそっと手配することなど、いくらでも可能だったはずですが。

あえてこの場で、これだけのことをやってのけるというのは。

こうすることが一番有効だと、そういう判断だったのでしょうか。

でも、自分の好きな相手に誤解を受けたまま、その誤解が解かれる日が来ないことを知ったまま憎まれ役を買って出るというのは、なかなかできないことだと思います。

誰だって、好きな人には好かれたいから。嫌われたいだの、憎まれたいだの、思う人なんていないと思う。

速水さんの目論見は成功します。

多くの人たちが「忘れられた荒野」に興味を示し、そして、速水さんはマヤに一層ひどく、憎まれました。

このときの成功が、速水さんに妙な自信をもたせたんですかね。

憎まれてもいい。おれを憎めば憎むほど、それはマヤにとって生きる力になる、と。

月影先生の手術中、落ちこんでいたマヤに対しての言葉も、いいんですよね。

>悲しみよりは 怒りの方がまだましだ

深いです。きっと速水さんも、過去には深く深く、絶望したことがあったんでしょう。その絶望感の中では、手にも足にも力が入らない。呼吸することすら、苦痛を伴う。すべてのエネルギーが枯渇したような、深い闇の底。 だからこそ、怒りがエネルギーになることを知っている。

速水さんも、「紅天女の上演権を手に入れ、義父が築き上げたものをすべて奪い取ってみせる」という執念で立ち直ってきた人だから。

ガラスの仮面というタイトル。

主人公はマヤですが、このタイトルは速水さんのことも表しているのだと思いました。

速水さんがかぶるガラスの仮面が剥がれるまで。

今後の展開が楽しみです。

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