ジンジャーリリーの贅沢

少し冷たい夜風に吹かれながら、ジンジャーリリーの香りに包まれる贅沢を堪能しています。この季節のお楽しみです。

秋の月は蒼く寂しく、風の中にはたくさんの植物の香気が混じり。玄関をあけて庭に出ると、もの悲しいような、ノスタルジイを感じながら、過去を思い返しています。香りと雰囲気が、一気に記憶を過去へと押し戻すのです。

一方、隣のおうちの、窓をあけた風呂場から漂う化学香料の匂いは、強烈です。シャンプーやボディソープに、なぜそこまでの強い匂いを持たせるのか。メーカーの考えることは、全然わかりません。このところ、香害の話をよく聞くようになりましたが、まさに香害です。強烈な香料を毎日使っていると、自然と鼻が麻痺してしまうのでしょう。これだけの強い香りを日常的にまとうのは、体によくないと本能でわかります。

知らず、息をとめて早足で裏庭へ。そこは楽園です。そこかしこに、ジンジャーリリーが咲き誇っています。葉っぱはまさに、しょうがそのもの。けれど我が家の庭は、季節がくれば確実に、白い清らかな花が開き、辺り一面が芳香に包まれる。

月明かりに、落ちて転がったフェイジョアの実を拾いながら、しばし庭を散策します。うっかり踏めばつぶれて、食べられなくなるのがもったいない。フェイジョアの酸味と甘みの入り混じったおいしさは、この季節だけの特別なもの。

風も吹かないのに、深まる秋の空気の中で、フェイジョアはひとつ、またひとつと重たい実を落とし。地面に転がったフェイジョアの実が、やるせなげに煌々と冴えわたる月を見上げているのです。

夜目にも白い、ジンジャーリリーの花。花嫁のブーケによく似あう、やわらかで清純な白です。咲き始めの、まだつぼみがいくつかついたジンジャーリリーを切り、玄関に飾れば、家中が香気に満たされます。大きな葉を落とし、いつも茎を短くして飾ります。葉は葉で、大きな花瓶にはよく似合うのですが。

昔は、きんもくせいの香りが好きでした。秋の定番。けれど今は、きんもくせいの香りのなかに、くどい甘さを感じてしまう。いい香りだとは思うけど、昔よりは、好き度が下がってしまったかな。きんもくせいの香りを厭う人の気持ちが、すこしわかる。強引すぎて、甘すぎて、辟易してしまうんだろう。

現在私の好きな香りを3つあげますと。

・ジンジャーリリー

・みかんの花

・ビワの花

これらが三本の指に入りますね。花瓶に飾って楽しむのには、ジンジャーリリーが一番合っているのかも。まるで蘭の花のように気品があります。

香りの女王、バラが入っていないのは、きんもくせいと同じく、そこに濃厚な甘さと強引さを感じてしまうから。香りは好きだけど、胸いっぱい吸いこむけれど、いつまでもいつまでもその場にいると、少し酔ってしまう。

ジンジャーリリーが終われば、やがてひそかにビワの花が咲く。小さな目立たない花だから、香って初めて、「ああそうか、ビワの花の季節なんだな」と思う。

自然の香りに勝る、人工の香りはありません。香水なんて不要だよなあ、と思うこの頃。今や、洗剤メーカーも、シャンプーも、ボディシャンプーも、競って強い香りをセールスポイントにしているけれど、人工的な香りの押しつけは、もはや暴力なのです。

こうして秋の夜更け、ジンジャーリリーの前に立ち、深く息を吸い込むとき、私はそんなことを思うのです。

犬の排泄マナーに関する根本的な勘違い

今日も畑の見回りで、道路に置かれた大量のフンに嫌な思いをする。見たところ6回分くらいたまってるのかな。雨に濡れて溶けてなお、大量に放置されている。ハエもたかっている。

先月8日から始まったこのフン騒動。10月8日に初めてのフンを発見してから、同じ個所に繰り返しされてしまい、大変嫌な思いをしているわけですが、打つ手がなくて、しばらく放置状態です。

最初はイエローチョーク作戦(私は白いチョークで、日時を書いてます)を実行したり、トウガラシの粉をまいたり、100円ショップで買った犬の忌避剤を撒いたりしたのですが、効果がなくて今に至ります。あ、といっても、トウガラシだけは、数日間は被害が再発せず大丈夫でしたけど。でもトウガラシの粉はけっこう高価で、しかもかなりの量をまかないと効かないので、継続しての対策は断念しました。

ハイターをまくことにしても、道路上は駄目なんですよね。私有地じゃないし。といってもハエが飛び回っているので、1度だけ、かなり薄めて少量まいてみましたが、薄すぎて効きませんでした。相変わらず、同じ場所にフンをされまくっています。毎日ではなく不定期なのですが、この頃は回数が増えてきたような感じがあります。

そして、アスファルト部分だけでなく、私がきれいに草刈している道路と畑の境の土の部分にも、2か所、フンが放置されているのを確認しました。1つは、犬のマナー看板の真下にやられてしまいました。こちらは、やむなく高価な忌避剤「逃げまんねん」をまきました。土というか、草の部分に放置された2か所に関しては、フンは小型犬のもので小さいです。アスファルトの上の方は、少なくとも柴犬以上の大きさかなという感じで大量に繰り返しされていますが、土の上にされた2か所に関しては、「逃げまんねん」が効いたのか、同じ場所に2度目にされることは、いまだにありません。

けれど、なかなか頭が痛いです。どうしたら、犬のフンを撲滅できるのでしょうか。。。。

日曜日に、友人のHさんが訪ねてきたのでさっそくこの犬フン問題のことを話しました。Hさんも小型犬を飼っています。

でも、Hさんと話していて、犬を飼う人の根本的な、排泄マナーの勘違いというのをつくづく実感したんですよね。

犬を飼っている人って、その多くが

犬のフンは拾えばOK。おしっこは、蒸発するからOK。アスファルトは駄目だけど草地ならOK。

そんな風に思ってません???

Hさんは思ってました。(苦笑) そしてこれはHさんの話だけではありません。世の中のほとんどの犬の飼い主さんが、そういう風に思ってませんか???

私が犬のフンの話をすると、ほとんどの人が「マナー悪いね。ちゃんとフンを拾わないなんて」と言ってくれるんですが、それはちょっと話が違う。

そもそも、自分の所有地以外で、犬にフン尿マーキングさせちゃダメなんですよ!

すみません。大文字で強調しちゃいましたが、本当にコレ、犬を飼う皆さん全員にわかってほしい。守ってもらいたい基本のルールなんです。

拾えばいい、じゃないですよ。そもそも、自分の所有地でもないところで、排泄させちゃ駄目です!!

だって、ニオイがついちゃうから。いくら拾っても、細かい欠片だったり、あるいは緩いフンは拾いきれないですよ。尿だってそう。蒸発したってニオイは残る。マーキングだって、少量だからとニオイが消えるわけじゃない。他の犬に対して、ものすごいアピールになり、通りがかりの犬はみんな、尿の追いがけしたくなっちゃうんですよ。

犬の飼い主さん、根本的に排泄マナーを勘違いしている人が多いのです

そして皮肉なことに、今私が悩んでる畑前の、同じ場所の大量のフンが、こうした多くの飼い主さんをうちの畑から遠ざける、良い効果ももたらしているんです・・・。

大量のフンがアスファルトの道路上に放置されていることで、犬の散歩コースを変える人が増えました。みんな、自分の犬に、他の犬のフンを近づけたくないんです。そして、自分も、汚い大量のフンを、見たくないんでしょうね。

だから、今までうちの畑前を通っていた人も、みなさん、川向こうの道を通っていく、という状態が続いています。それは、はっきりいって、嬉しい。

だって、悪気なくフンしていく人も多いんですよ。自分は拾うんだからいいんだって、変な自信をもっている人たち。でもそういう人たちこそ、残ったニオイで他の犬の排泄を誘発し、間接的に加害者になっているんです。

他の犬の排泄を促すのもそうですけど、たとえ他の犬が尿やフンの追いがけをしなくても、フンや尿をした後の草むらを、手作業で刈り取って綺麗にしているのは私です。

皆さん、犬のフンのかけらが残り、あるいは尿の残った草むらに、足を踏み入れたいですか?はいつくばって、草刈できますか?自分だったら絶対嫌でしょう?

フンは拾っているからいいだろう、と勘違いしている大勢の人たち。その人たちは今、うちの畑前の大量のフンを見たくなくて、違う道を通っています。少しでも、フンの嫌さを、感じて今後に活かしてくれればいいのですが。自宅以外で、排泄させちゃだめなんですよ。

そして、多くの飼い主さんが避けていく、気持ち悪い大量のフンが残った道。そこで、毎日観察を続けている私がいる・・・。新しいフンが増えるのを確認し、せめてもの対策で、100円ショップの忌避剤をまく私がいる。ここ1ヵ月、フンの情景が頭にこびりついてはなれず、大変不快な思いをしています。

仕方ないですね。自分の家の畑に入るのに、そこの道を通らざるをえないので。観察して、少しずつでも対策をとっていかないと、どんどんひどくなるんです。

このフン尿・マーキング問題が気になり始めて4年ほどになりますが、日本の犬の排泄マナーは、どんどん悪化していると感じます。

愛犬家や飼い犬が増える一方で、この排泄に対するマナーは一向に向上しない。むしろ飼い犬の数の増加に伴い、悪化していく。捨て犬の保護をする活動はさかんでも、この排泄マナーについて、テレビや有名人がとりあげることは全くといっていいほど、ない。

犬は、所有地以外で排泄させてはいけません。道路も公園も、他人の敷地も、あなたの家のトイレではないんです。

とても簡単なことだし、誰もが理解できる話だと思うのに、なぜ犬の飼い主さん達は動かないのでしょうか?犬が大事なら、家族だというなら、なぜ家で排泄させないのでしょう?

草むらだからいい、土があるからいい、という安易な考えはやめてほしい。そこを清潔に、きれいに保っている誰かがいるんですよ。草も、刈っている人がいるから、繁茂していないんです。

あなたの家の犬が排泄した場所に、手を突っ込んで草刈している人のこと、考えていますか?

本当に大きな問題だと思いますし、早く日本中で、「散歩は排泄のためではない。排泄は自宅でしましょう」が徹底されますように。

神社の境内に犬を入れる人

犬のフン尿・マーキング被害が、また増え始めて頭を痛めています。腹を立てても仕方ない、淡々と処置しようと思っても、日を追うごとに新たに増えるフンの山を見ていますと、ため息がでてきます。

10月8日から、うちの畑前を犬のトイレにしている人がいるんですよ。毎日ではないけど、数日に1度の割合で、フンを置き去りにしていく。

雨が降れば流れて消えるものもありますが、中型犬以上の大きさで結構な量があり、どんどん積み重なって大変不潔なことになっているのであります。実は今日も、また新たなものが増えてました。でも今日は小型犬の大きさでした。別の犬が、他の犬のフンに誘発されてしたくなっちゃったのか?でも、白いチョークで「イエローチョーク作戦」をやって、大きな丸が書かれている場所ですよ?よくそんなところに、またフンを追加するなあと(苦笑)

とある人から、「チョークで〇を書いたりするから、よけい相手を刺激して、相手が面白がって犬にさせてるんじゃない?」と言われて、チョーク作戦をやめた方がいいのでは?と言われたのですが。

うーん。確かに一理はあるけど、でもチョークで目立つようにしておくことで、ごく一部の不届きもの以外には、いい警告になっているんじゃないかと。

そりゃ、そこでフンを置き去りにしていく非常識人間には、効果がないのかもしれない。というか、効果ないと思う。どんどんフンは増えていくんだから。(ちなみに、フンのマナー看板は目の前に立ってます)

でも、その、ごく一部の非常識人間以外には、いいクスリになってるんじゃないか、という気もするのです。というのは、あんまり深く考えずに、悪気なく、草地でフン尿・マーキングをやっていたようなタイプの飼い主は、フンの山にドン引きして散歩コースを変えたりしてます(^^;うちの畑前、この頃通る人が少し減ったかも?という感じです。

そりゃそうですよね。洋服着せたりして、部屋の中で大事に飼っている家族の犬ですよ。他人の犬のフンの山に近づけるのも嫌だし、自分がそういうフンの山を見るのも、普通は嫌ですよね。

だから、そういう人たちには、いい機会になってるのかもなあと。こういうフンについて、思いをめぐらす機会が、少しでも増えたら?フンの被害にあっている人の気持ち、少しはわかるかなあ。それに、畑前を犬があんまり通りかからなくなるのは、もうそれだけで私は嬉しいのです。たとえフンを置き去りにしなくても、マーキングぐらいいいだろうとか、フンは持ち帰れば、ここでさせるのは自由だよね?なんて、畑前をトイレ替わりにする人も多いので。そういう人が、フンの山にドン引きして、散歩コースを変えるのは、大歓迎なんです。もう来ないでくれって思う。

犬を連れてる人のマナー、本当に悪いです。フン尿・マーキングを完全にさせない人なんて、ほぼいないのでは?と思う。でも、自分の敷地以外で、犬に排泄させていい場所なんてないんですよ。道路だろうが公園だろうが、道端の草だろうが、そこは自分の土地ではない。犬は、自宅で排泄させるべきなんです。遊ばせたい、マーキングさせたいのなら、自分が土地を用意すればいいし、自分の家の庭で好きなだけさせればいい。

畑前の連続フン問題。悩ましいです。フンの連続置き去りが10月から始まったので、あまり長引かせずに解決させなければ。

フンをチョークで囲って目立たせることについては、歩く人の注意喚起にもなっていいなーと思うのですよ。実際、自転車で踏んじゃった跡や、靴跡?もときどきあったので、それじゃあまりにも気の毒すぎる。目立てば、避けられますからね。

さて、前置きが長くなりましたが、今日は神社に参拝に行ってきました。フン問題を含め、いろいろ神様にお願いしたいことが多くて(^^; いや、違うな。お願いしちゃだめなんですよね。自分で努力してがんばるから、見守ってくださいって、祈願しないと。自分の努力を、見守っていただくスタンスの人にこそ、神様も力を貸して下さるのだろう。他力本願じゃいけません。

氏神様は参拝客も多く、いつもきれいに整備されています。そんなに大きな神社ではありませんが、歴史ある素敵な場所です。なにかあるたび、私は折に触れ、ここで祈るのです。

一通り参拝を済ませてから、ベンチでぼーっと空を眺めていました。犬のフンのことを思いながら・・・。駄目だ、頭から離れないや(^^;

そういえば、と思い出しました。以前、この神社の境内でも、プードルを散歩させてた夫婦がいたなあと。なんの悪気もなく、自然豊かな神社の中を、あちこち犬を連れ回していましたね。

でも、ふと目をやれば、あちこちにしめ縄が張ってあるんですよ。そりゃそうだ、ここは神社ですから。結界なんですよねえ、聖と俗との。

神社に犬を連れてくる気持ちが、私には全然わかりません。あまりにも恐れ多く、罰当たりな行為だと感じます。神社を散歩コースにする人って、なんなんですかね?子供ならまだわかるけど、いい年の大人が、疑問を感じないんだろうか。神社は犬の遊び場ではありません。聖域です。

そんなことをつらつら考えながら家に帰ってきましたら、家の前で犬に臭いを嗅がせてる夫婦を発見、慌てて走っていくと、夫婦は立ち去りました。私はすぐに小屋から忌避剤「逃げまんねん」を薄めたものを持ってきて、家の前全体にまきました。

夫婦は立ちどまって、ちらっとこちらを見ていましたが。私からすると、こっちの迷惑を察してくれという感じです。家の前でマーキングされれば、また被害が増大します。もう本当に嫌になってしまう。ちなみに、我が家の斜め前の角地は、犬の公衆トイレ化しちゃってます。そこはアスファルトと擁壁の間に草が生えてしまって、よけい犬が好むトイレになっちゃってますね。たぶん家の人は気付いていない。でも通りかかる犬は、必ず臭いを嗅いでマーキングしていくし、飼い主もそこで遊ばせる人が多い。

神様のいらっしゃる場所、神社でさえ平気で犬を連れ込む人がいるのだから、普通の住宅街のフン尿・マーキング被害は当たり前の時代になったのでしょうか。神様を恐れない人からしたら、他人の家の前の道路など、なんの罪悪感ももたずに汚せるのでしょうね。

でも、絶対罰が当たるはず! そう強く思っています。

イエローチョーク作戦が効かない

実は最近、畑前の道路で立て続けに犬のフン被害があり、困っています。量がすごいのです。

10月8日 10月11日 10月12日 10月26日 10月31日 そして本日11月1日にも、同じ場所にフンをされていました。大きさ的に、柴犬以上の大きさの犬です。

イエローチョーク作戦を行ったのですが、(といっても、私は黄色ではなく白いチョークでやっています)、今回の敵は、白く印をつけた同じ場所で、ひたすらフンを続けるのです。ちょっと考えられない状況です。

犬は同じ場所でフンをしたいのかもしれないですが、飼い主がよくさせるなあと呆れています。必ず毎日、というわけではないのですが、回数が多く、不定期にやられています。だから、その場所からフンが消えることはありません。雨で流されても、少なくなった古いフンの横にまた、たっぷりされているのです。こんな状況、よくあるのかなあと思ってネットで検索してみましたが、こんなに何度も同じ場所にされるというケースは、みつけることができませんでした。

一番最初に発見した日(10月8日)は、トウガラシの粉をまいてみました。すると、2日間は大丈夫でしたが、その後10月11日にはまたされてしまいました。トウガラシの粉は、人間用の調味料を使って高価なものなので、これ以上使いたくありません。そこで、100円ショップで犬の忌避剤(粉状)のものを、フンの上や周囲に振りかけてみました。

これは全然聞かなかったです_| ̄|○ 不思議。木酢液のけっこう強烈な臭いがする製品だったんですけどね。

ちなみに、私が愛用している忌避剤の「逃げまんねん」でしたら確実に効いたかもしれませんが、場所がアスファルト道路であることから、今回は液体の「逃げまんねん」が使えません。その手前の草地部分ならいいかもしれませんが、道路には使えません。アスファルトを汚してしまいますし、変質しても困ります。

10月は雨も多く、「フン放置」→「雨が降りだいぶ流される」→「またフン放置」の繰り返しでした。そんな中、何度も100円ショップの忌避剤を使って、フンの上から粉をまぶし、周囲にもまいてみたんですが、本当に効かない_| ̄|○ 何度も試して確信をもちました。本当に効かないです。

老犬で、鼻が悪くなっているのかもしれませんね。どんな犬なのかわかりませんが、これだけ忌避剤をまいても平気で同じ場所にフンをしていくのは、相当鼻がダメになっている証拠です。

アスファルトのすぐ横には草地があり、犬のフン持ち帰りを促す看板も立っているのですが、全く効かないです。非常識な飼い主の場合、看板は効果ありません。

今までこんなに連続でフンをされることはなかったので、新しく越してきた人なのかなとも思いますが、まだ現場を目撃したことがなく、犬も人もどんな風体なのかは不明です。

腹は立ちますが、誰も片付けてはくれないです。自分でなんとかするしかない。

通る人が知らずに踏んでも可哀想です。田舎の道ですが、お年寄りや小さなお子さんもたくさん通る道なんです。私がチョークで印をつけるのは、イエローチョーク作戦でフンを防止するという目的と共に、目立つことで通行人が気付いて踏まないように、との思いもあります。

明日は大雨の予報なので、雨でフンがすっかり流れたら、ハイターを薄めて撒いておこうかなと考えています。もし雨で全部のフンが流れなくても、薄めたハイターをまいて、新たな被害がでないかどうか確認します。もうこうなったら、ハイターしかない。

私がこの犬のフンに悩まされるようになって、もう何年になるかなあ。本当に今の世の中、おかしくない? 全国に犬のフン被害者がたくさんいますよね。

これだけ犬が大切にされて、家族と呼ばれて、どうして排泄は外で、始末せずに放置なんでしょうか?

甚振る

9月はなかなか、いろいろあった1ヵ月でした。打ち合わせで東京へ2度ほど出かけました。2度目が9月30日(月)だったのですが、この9月30日の打ち合わせがひどかった。悪い意味で(^^;

詳細は書けないのですが、権力者に甚振られる(いたぶられる)というストレスフルな経験をしました。(苦笑)

「いたぶる」って、「甚振る」って書くんだなあ。勉強になった。どんなことにも、ポジティブな一面を見つけて、前向きに考えて行こうと思う。

1時間強の話し合いでしたが、終わった後ヨレヨレになりました。その1時間で私がされたことって、どういう表現が近いのかなあとずっと考えていたのですが、そうだ、「甚振られた」だと気付いて、気に入ってこの言葉を使っています。

というのは、その話し合いには、絶対的な権力者Aさんがいるのですね。本来は自由なはずの結論を出すのに、私はめちゃめちゃAさんの意向に沿うように強要されたのです。終始一貫して。

9月30日の話し合いが、そういうものになるであろうということは、予想していました。でも、私が私なりの考えを述べることは自由ですし、そういう場であったはずなのですが、権力者Aさんの圧がすごかった(^^;

なかなか、あそこまで独善的にはなれないかなーと思いました。

9月30日の打ち合わせの目的は、そもそも私の意志表明(方向性の表示)だったんですよ。私が結論を出す日だったんですね。私とAさん以外に、3人参加して、計5人での話し合いです。

A「で、どうするんですか?」

私「いろいろ考えましたけど、〇〇に決めました。理由は〇〇と○○です。詳しくは~」

で、いろいろ説明したんですけどね。私としては、別に感情的に衝動的に出した結論ではなく、いろんな条件を理解し、検討した上でのことです。それを説明するために、理由も詳しくお話ししました。なぜ私がその結論に至ったのか、納得してもらえると思って。

そもそも、本来は説明をしなくても別にいいし、結論だけで押し通してもいいことだったんです。私が「ともかくこれに決めました」と、押し通してもよかった場でした。けれど、理由や経緯をお話しした方が、Aさんも納得しやすいかなと思って、きちんと説明はしました。

その後が、すごかったのです(^^;

考えをあらためるよう、同じ話で繰り返し説得されました。

A「でも~だから~でも~だから~それに~だし~」

B「全部承知しています。その上で、よく考えて自分で決めました」

おかしいのは、上記会話を5回以上繰り返したんです。5回は異常でしょう?

実はこのケース、最終的な判断を出すのは、Aさんなんですね。だから別に、私の意志がどうであろうと、AさんはAさんで判断すればいいだけの話だったんですけど。このAさん、どうしても私から、自分の思い通りの言葉を引き出したくて、ずっと同じ会話を繰り返すんですよ。

途中でさすがに、その異常性に気付いた私です。

だって、大の大人が、同じ内容を5回繰り返すって、どうかしてますからね。私もさすがに、

「だから何回も同じこと言ってるじゃないですか!」と言ってやりたくなりましたが、なにぶんAさんは権力者なので、私は立場上絶対に逆らえないポジションでして。だから、馬鹿みたいだなと思いながら、ほぼほぼ同じ会話を繰り返しましたね。

たださすがに、5度目には、私も静かに(できるだけ感情を抑えて)言いましたよ。

私「さっきから、同じ会話をずっと繰り返しています」

A「あなたのためを思って、これが最後の忠告なんです」

あなたのためを思って、というのは嘘です(^^; Aさんは自分の言う通りの結論を、私の口から言わせたいだけ。けれど、ここは私が自由意志を表明する場所ですから、屈するわけにはいきません。

結論から言うと、私は最後まで、妥協しなかったです。脅すようなことを言われても、最後まで自分の自由意志を表明しました。それでよかったです。というか、それが目的の場だったはずなんですけど。私の出した結論を、確認する場だったのでね。

権力者のAさんには、権力者のAさんの考え方がありました。それはいいんです。でも、それを私に押し付けて、私の意志としてその言葉をいわせようとする、それは違います。

権力者のAさんは、自分の出したプランαを飲め、と言うのです。私は、「あなたはどう思いますか」と問われて、「私はこのプランαは受け入れられないです」と言いました。普通はそこで終わりです。プランαをどう思うか、私の意志を確認する場が、9月30日だったから。

プランαを飲みこませようとするAさんの態度があまりにあからさますぎて、私はAさんにこう尋ねました。

私「私はこのプランαを受け入れられないんですが、受け入れることは強制ですか?」

A「いえ、強制ではありません。受けるも受けないも、あなたの自由です」

私「では、私は受け入れられないです」

それで終わると思いません? しかしAさんは違う。Aさんはひたすら繰り返すわけです。

A「プランαは~だし~だし~だし、だから受け入れてはどうですか?」

私「おっしゃったデメリットは全部承知していますし、よく考えた上で、私はαの受け入れはしたくないです」

本当に不毛で、苦痛な1時間強の打ち合わせでした。

私に、なんとしてでも「αを受け入れます」と言わせたいAさんの思惑がみえみえで、本当に不愉快でした。でも最後まで、私は自分の意志に反した嘘はつきませんでした。

思ってもないことを言わせる、というのは、嘘をつかせるということですよ。人の思いはそれぞれ自由なのではないでしょうか?「どう思いますか?」と聞くのですから、正直な思いを話してOKだと思いますし、Aさんの思い通りの答えを言わせようとするのは、あまりにも傲慢です。

もしAさんが権力者でなかったら、私も不毛な会話はもっと早く、切り上げていました。時間の無駄ですから。同じ会話を、100回、200回繰り返したら、私の考えが変わる? それは強制や嫌がらせでしかありません。

Aさんは、これまでもこういう行為を繰り返してきたのかな?と思いました。普通の人なら、屈していると思います。あなたのために、とAさんは言うけれど、それはつまり。

「あなたが自分でする判断より、私のアドバイスの方が正しい。だから私の言う通りに言え。あなたの判断は間違いだ」と言っているのと同じこと。

相手が自分に逆らえない、自分の方が立場が上、それを踏まえて相手に言葉を強要するのは、本当にゲスな行為だし、やってはいけないこと。

私の意志を確認するための打ち合わせだったのに、なぜか、Aさんに、Aさんのアドバイスに同意するよう、強制されるという1時間。よく耐えたよ、自分。

自宅に帰ってきたその晩は、悔しさでなかなか眠れなかったし、いったん寝た後も3時頃に目が覚めてしまい、それからまた眠れなくて、外に出て庭で空を見ながら深呼吸をしたり、体操したり。

ずっと頭から消えることはありませんでしたね。Aさんは本来、私がプランαを受け入れるか受け入れられないかを確認するだけだったのに、なぜここまでの強引な行為に出たのか。

感情を沈め、冷静な判断をしなければなりません。まだ終わりではなく、この件は解決までもう少し時間がかかりそうです。