2019年を振り返る

今年最後の一日となりました。2019年を振り返ってみたいと思います。

私にとってこの1年は、前半が選挙、後半が資格試験の勉強、という年でした。

選挙については、本当に楽しかった(^^) 最後、応援した候補者が当選したからよけいに、いい思い出となりました。ウグイス嬢をやるなんて、考えたこともなかったけど。やってみて、いい経験になったなあと感謝しています。その後、当選した候補者は一年生議員として市議会でしっかり活躍していて、その姿を見るのもまた嬉しいです。初めての議会での質問のときには、選挙を戦った仲間たちと見に行きました。彼は初々しくも立派な議員さんになっていて、見ている私たちはまるで、父兄参観のようでした。

そして今年の後半。ちょっととりたい資格があって、夏にその一次試験があったのです。9月以降は、2次試験に備えての英語の勉強が忙しかった。毎日、CNNとBBC放送を見ていました。それからアニマルプラネットと、ナショナルジオグラフィックも、面白い番組をよく扱っていたので、お世話になった放送局です。

二次試験は英語の口述だったので、とにかく英語の量をインプットしたいなあと思って。インプットしないと、アウトプットは無理。ないところからはなにも生まれない、ということを痛感しました。いざ話そうと思っても、日本語ならいくらでも出てくるのに、英語は自分のボキャブラリーの貧困さに悶絶。

CNNで思い出深いのが、quid pro quo です。トランプ大統領を責める上で、やたら出てきたフレーズ。ラテン語で、見返りとか対価という意味。今年、初めて覚えました。こんな言葉知らなかったなあ。

CNNはトランプ大統領が嫌いなんですね(^^; 一時期ずーっと弾劾裁判の話ばかりで、ちょっと飽きました・・・。deep state や Qに関する話を読んだ後だと、CNNの反トランプ姿勢も、さもありなんといった感じで冷静に受け止めることができます。

そうそう、Qの存在。もちろん、盲信するわけではなく、明らかにされた事実が100パーセントではないのを承知の上で、私は信じます。というか、いろいろ読んでみて、歴史のこれまでが、なるほどーと理解できた。いろんなことが符合した。ジェフリー・エプスタインの不審死が何を示すのか。

知ると知らないの境界。知ってしまったら、もう元の世界には戻れない。世界は少しずつ、いい方向に向かっていると、私は楽観視してます(^^) よく終末論を唱える人がいるけど、感覚として、私は昨日より今日、今日より明日がいい日だと、そう思えるのです。

情報伝達という点で、もういろんなことが隠せない時代になりました。そして、一度騙されていたことに気付いた人は、もう同じことで騙されはしない。これからどんどん、世界も日本も、良い方に変わっていくだろうなあと思っています。

さて、それではここで、年始に立てた自分の目標を振り返ってみましょう。

1. 電子ピアノを買って「幻想即興曲」の暗譜

これは全然だめでした。電子ピアノを買わなかった(^^; そもそも部屋の模様替えをしてからピアノを設置するスペースを作ろうと計画してたのに、模様替えが完成してないという・・・。これは来年に持ち越しの抱負ですね。

2. 乗馬(競技ではなく、趣味として乗れるようになりたい)

これは一部達成したかなあ。一部というのもおこがましいか。夏に北海道で乗馬しました。いや、乗馬というより乗馬体験。でもとても楽しかった。2020年も行く予定です。場所はうらかわ優駿ビレッジAERU。隣地がJRA の育成牧場で、そこの見学ツアーにも参加して馬が大好きになりました。来年は地元でも、乗馬をやってみたいと思っています。

3. 高野山へ行く

行きませんでした。高野山だけでなく、熊野古道も行ってみたかったけど、結局いかないまま2019年が終わってしまう。来年こそ。

4. 英語が日本語と同じくらい流暢にしゃべれるようになる

これは1割程度達成か。まだまだ全然しゃべれないけど、少なくとも1年前よりは上達していると思う。来年も引き続きがんばりたい。

5. ブログをもう1つ始める

半分達成。始めたのはいいけど、ログインが面倒で結局、2か月しか続かなかったという・・・。でも、新しく自分の趣味の分野で、高萩カロンではない名前で始めようというブログの構想が、だいぶ固まってきた。来年こそは新規開設します。こことリンクを張ったり紹介はしませんが(^^;

6. 前から行きたくて、どうしても行けなかったレストランへ行く

あー。これも実現しなかったなあ。さんざん迷ったんだけど。8月に一次試験で東京へ出かけて、その帰りによほど立ち寄ろうかと思ったんだけども、全部受かってからにしようと思って、結局行きませんでした。来年こそ合格→晴れて訪問、となればいいな。

7. 綺麗になる

これは自分比で、達成できたかなと。髪と肌の調子が去年よりいい。それはたぶん、湯シャンと、ノーメークのおかげ。仕事以外では、全然化粧をしなかった一年。

シャンプー使ってた頃は、朝シャンした日の夕方以降にどうも髪がべとつく感じがして、それが嫌だったんだけれど、湯シャンを始めたら皮脂の分泌が適正化された感じ。そしてメークに関しては、今年は日焼け止めすら、やめました。ファンデーションの成分に、けっこう日焼け止めって入ってるから、それで十分。仕事の時だけはさすがに、ファンデーションと口紅を使いましたが、それ以外は何もせず。

元々眉は太いので、整えればアイブローいらない。血色もいいほうなので、チークも使わず。肌の調子がいいと、休日はファンデーションの必要を感じなくなりました。以前はすっぴんのときは、眼鏡とかマスクを使うこともありましたが、今はそれもなし。来年も、湯シャンと休日ノーメークは続けていこうと思っています。

今年もブログを読んでくださって、ありがとうございました。皆様、よいお年をお迎えください(^^)

選挙戦で桜咲く

地元の市議会議員選挙があり、私もウグイス嬢として連日、目の回る忙しさでした。まさか選挙カーに乗ることになるとは、貴重な経験でした。

7日の深夜、祈るような思いでみんなで選挙事務所に集まり、当選がわかったのが日付変わって間もなくのこと。テレビで見たことのあるあの光景、だるまに目を入れたり、花束贈呈があったり、万歳三唱があったり。

受かった候補者はもちろん大喜びですが、落ちた人のことも考えると、その人の分までがんばってほしいなあと思います。一票の重み、気をひきしめていかないと、です。

選挙に参加してみて、気が付いたことなど、書いてみたいと思います。一番びっくりしたのが、「人にはそれぞれ、固有の思いがある」ということでした。自分にとっては当たり前でも、他人にとっては違うこともあるのです。自分には嬉しいことでも、他人には迷惑だったり。

たとえば、私の個人的な認識だと、選挙カーの広報って迷惑だったのです。大声で候補者の名前を呼び続けるだけとか、意味がないと思っていたし。だけど、地元を選挙カーで回る中で、「うちの方はまわってこないけどなんで来てくれないの?」とか、「こっちにも来てほしかったのに」というお声が多々、事務所に寄せられ。

なんと、選挙カーを楽しみに、心待ちにしてらっしゃる方も、少なからずいらっしゃったのです。そういう方には、行かないと、逆にお叱りを受けるのです。「応援しようとして待っていたのに、なぜこっちの地域は回ってこないのか」と。また、広場で集会をしていた一団をお見かけしたときには、イベントをやっていらっしゃるということで、邪魔になってはいけないと選挙カーは別の道を通り、私たちウグイス嬢も一時、広報を中断したのですが、その後複数の方からお叱りを受けました。「なんで目の前通ってくれなかったの?応援したかったのに」と。

難しい~(^^; だって、うるさいというお叱りも、1回はありましたからね。とある住宅街を通ったとき、クレームがありました。気持ちはよくわかります。でもその一方で、やらなきゃやらないで、クレームがあるんです。応援したくて、待ってる方もいるのです。

これは、電話での活動も同じことでした。私は個人的には、後援会から電話があっても「別に電話いらないのになあ。面倒だなあ」と正直、思ってしまうのですが、その電話を待っている方もいらっしゃいまして。

うるさいと迷惑に感じる方がいる一方で、心待ちにしている方もいる。うーん、これが政治なのですね。10人いれば、10人の考え方があるということを、痛感した選挙戦でした。

実際にウグイス嬢をやってみて、もう一つ痛感したのが、手を振って応援してくださる方のありがたさ(^^) ウグイス嬢は、目に見える範囲のすべての人に手を振ります。人がいなくても、住宅に向かって手を振ります。そうすると、通行人の方が軽く会釈してくれたり、手を振り返してくれることがあって、これが本当に嬉しい! もちろん、候補者を支持しているというわけではなくて、たまたま選挙カーから手を振られたから、反応した、という方も多いと思うんですよ。でも、支持するしないに関わらず、手を振り返してくれたりするとそれだけで疲れがふっとぶくらい嬉しいものなのです。

私は今まで、選挙カーに手を振り返したことなど恥ずかしくてほとんどなかったのですが、これからはどんな選挙カーでも、出会ったら手を振ろうと思いました(^^) 実際に応援する、しないにかかわらずです。それくらい、手を振り返してくれるのはウグイス嬢にとってありがたく、力をもらえるプレゼントでした。

また、意外な事実も発見。声が枯れるかと思いましたが、それは全然大丈夫でした。喉も痛くなりません。交代しながら広報するので、しゃべりっぱなしということがなく、最後まで声は大丈夫でした。特に飴をたくさんなめたり、水をたくさん飲んだり、ということもないですね。マイクがあるから、特別大声を出すこともないですし。

初日は原稿を見ながらの広報。日を重ねるにつれ、暗記して、状況に応じてのパフォーマンスが可能となりました。子育て世代が多いような新興住宅地では、若い世代に向けた政策をアピール。高齢者が多い地区では、福祉政策をアナウンス。短い時間の中で、いかに名前を覚えてもらえるか、また、政策に共感してもらえるか、工夫しながら精進しました。

一緒に過ごした他のウグイス嬢さんたちも、それぞれ個性があって面白かったです。原稿はあらかじめ用意されていますが、多少アレンジすることもOKなので、日が経つにつれて個性が際立ってきます。ひとり、とても面白いウグイス嬢さんがいて、選挙戦の終盤に漫才のような広報をしたりして、車内にいる皆が、候補者含め、爆笑してしまいました。

きっと、聞いていた人も目が点になってしまったかも。いつもというわけではありませんが、まれに、そういう面白い広報があっても、それはそれで目新しく、みんなの関心を引き付けることになるのではないかと、そんなことを思いました。

ウグイス嬢も、どれが正解とかどれが上手いとかはなくて、いろんな個性が集まることで、結果として総合的な力が高まったように感じます。かなりの気迫をこめた広報があった後で、ふっと肩の力を抜いたゆるやかな広報に代わったり。いろんな受けとめ方をする有権者がいるのだから、発信する立場のウグイス嬢もまた、いろんな形のアピールがあっていいんだなあということを学びました。

貴重な体験でした。いろんな方とお知り合いになれたし、地元の話で盛り上がったりして、楽しかった~(^^)

しかも最後に、当選という最高のプレゼントをもらいました。これがなにより、嬉しかったです。

家と家との距離は絶対にあけた方がいい その2

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今、うちの近所では次々と家が建っています。ここ数年、ちょっとした新築ラッシュ。

そこで、家の建築に関して「家を建てるときのヒント」というカテゴリーで、気が付いたことを書いてみることにしました。身近に建設を見ていると、見えてくるものがあります。

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以前に書いた「家と家との距離は絶対あけた方がいい」の記事、結構読んで下さる方が多いみたいです。それだけ、お隣との関係に悩まれる方が多いのかなあと想像してます。きっと、これから家を建てますという方ではなく、実際に家を建ててみて、いろんなトラブルが出てきて困ってネット検索している方がメインでしょうね。

ということで、前回の記事を「その1」として、今回、「その2」を書いてみることにしました。もう建ててしまっている方には参考にならないかもしれませんが、これから新築を考えている方にはぜひ、知っていただきたいポイントです。

その1に当たる記事を書いて以降、うちの周囲はますます建築ラッシュで、田んぼがどんどん減少してしまいました。のどかな田舎の風景がなくなるのは、本当に寂しいものです。稲穂の揺れる光景は、日本人の心の故郷ですからね。それがなくなるというのは、食料自給の意味も含めて、あまり歓迎できることではないと思います。

ただ、高齢で耕す人がいなくなった田んぼを、そのままにしておけば草が生え放題で、近隣に迷惑をかけてしまいますし。埋め立てて住宅地にする、というのも仕方のない時の流れなのかもしれません。

ということで、うちの近所の分譲された土地に、新たに2軒の家が建つのを興味深く見守っていたのですが、この2軒のお宅は案の定、お互いにぎりぎり寄せて建ててしまったのですよ…。これ、初めて家を建てるときには、お施主さんが気が付かない盲点なんでしょうね。もっと住宅メーカーが、きちんとアドバイスしてあげるべきだと思う。

一度建ってしまったら、何十年そのままです。内装は変えることができても、建物の位置までは動かせない。断言しますけど、土地の狭い都市部や商業地はまた別として、田舎では特に、「隣地境界線からきちんと距離をとって家を建てる」ないと後々、お互いに嫌な思いをしますよ。

最低でも、自分の敷地内に足場を組めるスペースを考えなくてはいけません。いくら現状で境界にしっかりしたフェンスがないからといって、相手の土地を利用した足場でないと利用できない建物の位置だとしたら、確実にトラブルになります。そしてその足場も、ぎりぎりではなく、プラスアルファ、余裕をもって組めるぐらいのスペースを考えた方が賢明です。

私が見た2軒の家は、ぎりぎり足場は敷地内に組めているようにみえましたが、互いに軒を長めに出しているため、屋根と屋根とが異常なほどくっついています。壁には窓がいくつかついていますが、開けたら目の前がお隣さんで、圧迫感はかなりのものでしょう。窓が、本来の意味を失くしてしまってます。壁同士の距離で見てもあまりスペースがあいていないので、生活音などもある程度聞こえてしまうのでは?という感じです。

それと、その狭いスペースにエアコン室外機を置いたら、これはモメそうですね…。風の吹き出しとか、音の問題とか。もし電気温水器を置いたら、境界との間で人が通れそうもない。

結局、気を付けるといっても、単純な話なんですけどね。自分の家の周りは、大人一人がゆったり通れるだけの空間をつくって、ということです。民法では50センチですけど、1メートルはとった方がいいと思います。家は必ずメンテナンスが必要ですが、壁の塗装や屋根の修理、どんなときにも、お隣とある程度の距離があれば迷惑は最小限に抑えられます。

また、もし隣が非常識な人で、境界ギリギリに家を建てたり、車庫を作ったりしても、自分が境界からスペースを保っていれば、なんとか我慢することができるでしょう。でもお互いに、どちらもギリギリの距離で建ててしまったら…かなりつらい生活になりそうです。

身を寄せ合うようにして、くっついて建てられた2軒の家。他人事ながら、もう少し余裕をもてばよかったのに、と思って見ています。たぶんお施主さんも同じ思いなのではないでしょうか。相手の家がどの程度の距離に建つか、自分の家が境界からどのくらい離れるか、そういうことって、意外に盲点です。でも、とてもとても、重要な要素ですね。今後の生活の質に、ずっと関わってくる。

うちは田舎なので、一軒家はだいたい、70坪前後のお宅が多いです。だから、家の周囲にしっかりスペースをとること、そんなに難しくないと思います。だけど、南側にめいっぱいお庭のスペースをとりたい、だとか、北側は無駄なスペースをなくしてギリギリまで境界線に寄せたい、とか、そういう「欲」が、結果的に大損を招くのではないでしょうか。

大きな視野でみると、隣地とはほどよい距離を保ったほうが、絶対に上手くいきます。工事のときも、迷惑は最小限にすみますし、気を遣わなくても自分の敷地内ですべて終わらせることができるわけで。

でも、相手の敷地、相手の好意ありきの、相手の敷地を利用しなければ建てられない、メンテナンスできない、というのは、避けるべきですね。

また近所で、こんなケースがありました。目一杯、境界によせて車庫を建てたお宅がありまして。もちろん敷地内になにを建てようと、基本的にそれは自由なのでしょうが、問題は、ギリギリすぎて、隣地を踏まないと工事ができない仕様だということなのです。

壁から境界線まで15センチないのです。当然、大人一人立つこともできないくらいのスペース。車庫といっても窓もあるし、施工は外側から行うため、どうしても隣地を踏まなければ建築は不可能な状態です。お隣にお願いして、工事を行ったらしいのですが、正直、施主の気持ちが理解できません(^^; できるだけ自分の土地を有効利用すべく、ぎりぎりの位置に建てたいのはわかりますよ。でも、隣地を踏まなければ建てられない、メンテンスできない、というのは、あまりにも自分の欲にとらわれすぎた建て方だと思います。

建てて終わり、ではないですからね。今後、修理のたびに、「すみません、入らせてください」と頼むのかな? 今は良くても、土地の持ち主が変わったらどうだろうか。もし相手が変な人で、対抗するように同じような車庫を建てられたら、メンテナンスも無理だし、窓も意味がなくなるけど、そこまで考えているのかな?

家は建てて終わりではなく、そこからご近所さんとの長いご縁が始まります。トラブルの種は、少しでも減らしておいた方がいいですよね。そのためにも大切なのは、家の周囲をぐるっと、大人一人が余裕で歩けるくらいのスペースをキープすること。そのスペースは決して無駄ではありません。必要なものです。お互いにそうした、相手に配慮した者同士が隣り合ったら、もめることなんて何もないでしょう。

家と家との距離は、絶対にあけた方がいい。本当にそう思います。建ててしまってから後悔しても遅いです。トラブルがあって嬉しい人なんて誰もいません。新築のとき案外気が付かない、でも大切なポイントだと思います。

映画「闇の歯車」 感想

映画「闇の歯車」を見ました。以下、感想を書いていますが、ネタバレ含んでおりますので、未見の方はご注意下さい。

いや~この映画、瑛太に始まり、瑛太に終わった作品でした。今まで瑛太をイケメンと思ったことは一度もないのですが、佐之助を演じた瑛太の暗い色気が半端ないです。これ、瑛太が佐之助を演ってなかったら、もっと凡庸な作品になっていたんではないでしょうか。

この作品に出ている瑛太は間違いなく、「色男」でした。現代劇より、時代劇の方が合ってるんじゃないかなあ。今まで瑛太がどんなドラマに出ていても、ふ~ん、と流していた私の目が、予告の時点で釘づけになりましたもん。誰、この人?って。

それも、正統派の正義の味方、じゃないところが合っているんですよね。背負う闇が、透けて見えて。やさぐれた影の部分に、思わず目を奪われるのです。

伊兵衛を演じた橋爪功さんも、裏で糸引く感じがなんともいえないドス黒さで、最初の柔和な商人顔からどんどん変わっていく姿に引き込まれました。佐之助とはいいコンビ。

伊兵衛は人の弱さにつけこむんだけど、決してごり押しをしないのね。時間をかけて、相手が自分から「やる」と決意するのを待つ。見事に絡み取られた佐之助。押し込みという悪事を働くのに、どうして素人複数を巻きこむのか。それは、迷った人を流れに乗せるっていうシステムでもあるんじゃないでしょうか。

自分だけじゃない。他にも仲間がいるっていう。そうでないと、少なくとも若旦那の仙太郎さんがなぜ一味に加わってるのか、その意味がわからないもの。腕っぷし弱そうだし、弥十の開錠技術みたいな特技もないし。

弥十を演じた大地康雄さんも凄みがありました。うらぶれてるんだけど、なにか裏がありそうな佇まいだったり。ただの酔っ払いが管を巻いてるのとは、ちょっと違う感じ。

伊黒清十郎を演じた緒方直人さんは、実直な感じが役にぴったりでした。最後、あれはわざと討たせたんですね。それもあっさりではあまりにも相手に無礼だから、それなりに討ちあった後で、というところに繊細な心遣いを感じます。まじめに優しく生きてきただろうに、どうして?という人生になってしまいましたが、あれはやはり、女性に弱かったということなんだろうなあ。すがりつく人を拒めなかった。

映画の中で、私が最後になってやっと気付いた点があるんですが、押し込み後、なぜかきえさんをそっとつけまわす佐之助の真意は、きえさんを守ることにあったんですね。なんだ~勘違いしてた。てっきり未練で追いかけ回してるのかと思っていたよ。おくみさんに逃げられたもんだから、再会したきえさんに執着してるのかと。この佐之助という人も、女性には弱いのですなあ。

それと、伊兵衛が捕まったとき、佐之助を知らないと言い放った場面。私は「あれ、伊兵衛は意外にいい人なんだなあ。佐之助がきえさんを守ろうとする気持ちに感動して、佐之助を助けてあげたのかしら」なんて思ったのですが。

牢屋での賄賂シーンを見てわかりました。いや、これ伊兵衛は生き残る気まんまんなのですね。これで最後なんて思ってない。誰かの気持ちにほだされるほど、やわな神経はしていない。佐之助を知らないと言いきったのは、保身以外のなにものでもない。あそこで佐之助もろとも破滅するのではなく、生き残る可能性に賭けた、ということなのだと。

登場人物のほとんどが破滅する中、真のボスは居酒屋のおっちゃんというところも、意外な感じがしてよかったです。案外、ああいう凡庸な日常の中にとんでもない真実が隠されていたりするんだなあ。

だけどツッコミどころがひとつ。佐之助は元々殺しにだけは手を染めてなくて、それが最後の自分の中での矜持みたいになっていたけど(押し込みも殺しはなしで、という前提だったし)、あれだけためらいもなく人を刺せる人が、殺しにだけは過剰反応するっていうのが解せませんでした。いやいや、人を刺してる時点で殺人と変わらないでしょう。たまたま助かってるだけで、亡くなってもおかしくない。

それと、あれだけの大金、預かってたお金を奪われた商家のその後は、たとえ命を奪われなくても死んだも同然で。自死に追い込まれることがわかりきっていながら、「押し込みでも殺さないからOK」みたいなところが、偽善に思えてなりませんでした。直接手を汚さないから何なの?っていう。結局、やってることは殺人だと思うのです。

映画全体、決して明るくはなくて、みんな幸せにはなれないし、でも引き込まれる作品でした。役柄によって、ものすごく輝く役者さんがいる、ということも知りました。時代劇の瑛太は、一味違います。