家と家との距離は絶対にあけた方がいい その2

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今、うちの近所では次々と家が建っています。ここ数年、ちょっとした新築ラッシュ。

そこで、家の建築に関して「家を建てるときのヒント」というカテゴリーで、気が付いたことを書いてみることにしました。身近に建設を見ていると、見えてくるものがあります。

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以前に書いた「家と家との距離は絶対あけた方がいい」の記事、結構読んで下さる方が多いみたいです。それだけ、お隣との関係に悩まれる方が多いのかなあと想像してます。きっと、これから家を建てますという方ではなく、実際に家を建ててみて、いろんなトラブルが出てきて困ってネット検索している方がメインでしょうね。

ということで、前回の記事を「その1」として、今回、「その2」を書いてみることにしました。もう建ててしまっている方には参考にならないかもしれませんが、これから新築を考えている方にはぜひ、知っていただきたいポイントです。

その1に当たる記事を書いて以降、うちの周囲はますます建築ラッシュで、田んぼがどんどん減少してしまいました。のどかな田舎の風景がなくなるのは、本当に寂しいものです。稲穂の揺れる光景は、日本人の心の故郷ですからね。それがなくなるというのは、食料自給の意味も含めて、あまり歓迎できることではないと思います。

ただ、高齢で耕す人がいなくなった田んぼを、そのままにしておけば草が生え放題で、近隣に迷惑をかけてしまいますし。埋め立てて住宅地にする、というのも仕方のない時の流れなのかもしれません。

ということで、うちの近所の分譲された土地に、新たに2軒の家が建つのを興味深く見守っていたのですが、この2軒のお宅は案の定、お互いにぎりぎり寄せて建ててしまったのですよ…。これ、初めて家を建てるときには、お施主さんが気が付かない盲点なんでしょうね。もっと住宅メーカーが、きちんとアドバイスしてあげるべきだと思う。

一度建ってしまったら、何十年そのままです。内装は変えることができても、建物の位置までは動かせない。断言しますけど、土地の狭い都市部や商業地はまた別として、田舎では特に、「隣地境界線からきちんと距離をとって家を建てる」ないと後々、お互いに嫌な思いをしますよ。

最低でも、自分の敷地内に足場を組めるスペースを考えなくてはいけません。いくら現状で境界にしっかりしたフェンスがないからといって、相手の土地を利用した足場でないと利用できない建物の位置だとしたら、確実にトラブルになります。そしてその足場も、ぎりぎりではなく、プラスアルファ、余裕をもって組めるぐらいのスペースを考えた方が賢明です。

私が見た2軒の家は、ぎりぎり足場は敷地内に組めているようにみえましたが、互いに軒を長めに出しているため、屋根と屋根とが異常なほどくっついています。壁には窓がいくつかついていますが、開けたら目の前がお隣さんで、圧迫感はかなりのものでしょう。窓が、本来の意味を失くしてしまってます。壁同士の距離で見てもあまりスペースがあいていないので、生活音などもある程度聞こえてしまうのでは?という感じです。

それと、その狭いスペースにエアコン室外機を置いたら、これはモメそうですね…。風の吹き出しとか、音の問題とか。もし電気温水器を置いたら、境界との間で人が通れそうもない。

結局、気を付けるといっても、単純な話なんですけどね。自分の家の周りは、大人一人がゆったり通れるだけの空間をつくって、ということです。民法では50センチですけど、1メートルはとった方がいいと思います。家は必ずメンテナンスが必要ですが、壁の塗装や屋根の修理、どんなときにも、お隣とある程度の距離があれば迷惑は最小限に抑えられます。

また、もし隣が非常識な人で、境界ギリギリに家を建てたり、車庫を作ったりしても、自分が境界からスペースを保っていれば、なんとか我慢することができるでしょう。でもお互いに、どちらもギリギリの距離で建ててしまったら…かなりつらい生活になりそうです。

身を寄せ合うようにして、くっついて建てられた2軒の家。他人事ながら、もう少し余裕をもてばよかったのに、と思って見ています。たぶんお施主さんも同じ思いなのではないでしょうか。相手の家がどの程度の距離に建つか、自分の家が境界からどのくらい離れるか、そういうことって、意外に盲点です。でも、とてもとても、重要な要素ですね。今後の生活の質に、ずっと関わってくる。

うちは田舎なので、一軒家はだいたい、70坪前後のお宅が多いです。だから、家の周囲にしっかりスペースをとること、そんなに難しくないと思います。だけど、南側にめいっぱいお庭のスペースをとりたい、だとか、北側は無駄なスペースをなくしてギリギリまで境界線に寄せたい、とか、そういう「欲」が、結果的に大損を招くのではないでしょうか。

大きな視野でみると、隣地とはほどよい距離を保ったほうが、絶対に上手くいきます。工事のときも、迷惑は最小限にすみますし、気を遣わなくても自分の敷地内ですべて終わらせることができるわけで。

でも、相手の敷地、相手の好意ありきの、相手の敷地を利用しなければ建てられない、メンテナンスできない、というのは、避けるべきですね。

また近所で、こんなケースがありました。目一杯、境界によせて車庫を建てたお宅がありまして。もちろん敷地内になにを建てようと、基本的にそれは自由なのでしょうが、問題は、ギリギリすぎて、隣地を踏まないと工事ができない仕様だということなのです。

壁から境界線まで15センチないのです。当然、大人一人立つこともできないくらいのスペース。車庫といっても窓もあるし、施工は外側から行うため、どうしても隣地を踏まなければ建築は不可能な状態です。お隣にお願いして、工事を行ったらしいのですが、正直、施主の気持ちが理解できません(^^; できるだけ自分の土地を有効利用すべく、ぎりぎりの位置に建てたいのはわかりますよ。でも、隣地を踏まなければ建てられない、メンテンスできない、というのは、あまりにも自分の欲にとらわれすぎた建て方だと思います。

建てて終わり、ではないですからね。今後、修理のたびに、「すみません、入らせてください」と頼むのかな? 今は良くても、土地の持ち主が変わったらどうだろうか。もし相手が変な人で、対抗するように同じような車庫を建てられたら、メンテナンスも無理だし、窓も意味がなくなるけど、そこまで考えているのかな?

家は建てて終わりではなく、そこからご近所さんとの長いご縁が始まります。トラブルの種は、少しでも減らしておいた方がいいですよね。そのためにも大切なのは、家の周囲をぐるっと、大人一人が余裕で歩けるくらいのスペースをキープすること。そのスペースは決して無駄ではありません。必要なものです。お互いにそうした、相手に配慮した者同士が隣り合ったら、もめることなんて何もないでしょう。

家と家との距離は、絶対にあけた方がいい。本当にそう思います。建ててしまってから後悔しても遅いです。トラブルがあって嬉しい人なんて誰もいません。新築のとき案外気が付かない、でも大切なポイントだと思います。

映画「闇の歯車」 感想

映画「闇の歯車」を見ました。以下、感想を書いていますが、ネタバレ含んでおりますので、未見の方はご注意下さい。

いや~この映画、瑛太に始まり、瑛太に終わった作品でした。今まで瑛太をイケメンと思ったことは一度もないのですが、佐之助を演じた瑛太の暗い色気が半端ないです。これ、瑛太が佐之助を演ってなかったら、もっと凡庸な作品になっていたんではないでしょうか。

この作品に出ている瑛太は間違いなく、「色男」でした。現代劇より、時代劇の方が合ってるんじゃないかなあ。今まで瑛太がどんなドラマに出ていても、ふ~ん、と流していた私の目が、予告の時点で釘づけになりましたもん。誰、この人?って。

それも、正統派の正義の味方、じゃないところが合っているんですよね。背負う闇が、透けて見えて。やさぐれた影の部分に、思わず目を奪われるのです。

伊兵衛を演じた橋爪功さんも、裏で糸引く感じがなんともいえないドス黒さで、最初の柔和な商人顔からどんどん変わっていく姿に引き込まれました。佐之助とはいいコンビ。

伊兵衛は人の弱さにつけこむんだけど、決してごり押しをしないのね。時間をかけて、相手が自分から「やる」と決意するのを待つ。見事に絡み取られた佐之助。押し込みという悪事を働くのに、どうして素人複数を巻きこむのか。それは、迷った人を流れに乗せるっていうシステムでもあるんじゃないでしょうか。

自分だけじゃない。他にも仲間がいるっていう。そうでないと、少なくとも若旦那の仙太郎さんがなぜ一味に加わってるのか、その意味がわからないもの。腕っぷし弱そうだし、弥十の開錠技術みたいな特技もないし。

弥十を演じた大地康雄さんも凄みがありました。うらぶれてるんだけど、なにか裏がありそうな佇まいだったり。ただの酔っ払いが管を巻いてるのとは、ちょっと違う感じ。

伊黒清十郎を演じた緒方直人さんは、実直な感じが役にぴったりでした。最後、あれはわざと討たせたんですね。それもあっさりではあまりにも相手に無礼だから、それなりに討ちあった後で、というところに繊細な心遣いを感じます。まじめに優しく生きてきただろうに、どうして?という人生になってしまいましたが、あれはやはり、女性に弱かったということなんだろうなあ。すがりつく人を拒めなかった。

映画の中で、私が最後になってやっと気付いた点があるんですが、押し込み後、なぜかきえさんをそっとつけまわす佐之助の真意は、きえさんを守ることにあったんですね。なんだ~勘違いしてた。てっきり未練で追いかけ回してるのかと思っていたよ。おくみさんに逃げられたもんだから、再会したきえさんに執着してるのかと。この佐之助という人も、女性には弱いのですなあ。

それと、伊兵衛が捕まったとき、佐之助を知らないと言い放った場面。私は「あれ、伊兵衛は意外にいい人なんだなあ。佐之助がきえさんを守ろうとする気持ちに感動して、佐之助を助けてあげたのかしら」なんて思ったのですが。

牢屋での賄賂シーンを見てわかりました。いや、これ伊兵衛は生き残る気まんまんなのですね。これで最後なんて思ってない。誰かの気持ちにほだされるほど、やわな神経はしていない。佐之助を知らないと言いきったのは、保身以外のなにものでもない。あそこで佐之助もろとも破滅するのではなく、生き残る可能性に賭けた、ということなのだと。

登場人物のほとんどが破滅する中、真のボスは居酒屋のおっちゃんというところも、意外な感じがしてよかったです。案外、ああいう凡庸な日常の中にとんでもない真実が隠されていたりするんだなあ。

だけどツッコミどころがひとつ。佐之助は元々殺しにだけは手を染めてなくて、それが最後の自分の中での矜持みたいになっていたけど(押し込みも殺しはなしで、という前提だったし)、あれだけためらいもなく人を刺せる人が、殺しにだけは過剰反応するっていうのが解せませんでした。いやいや、人を刺してる時点で殺人と変わらないでしょう。たまたま助かってるだけで、亡くなってもおかしくない。

それと、あれだけの大金、預かってたお金を奪われた商家のその後は、たとえ命を奪われなくても死んだも同然で。自死に追い込まれることがわかりきっていながら、「押し込みでも殺さないからOK」みたいなところが、偽善に思えてなりませんでした。直接手を汚さないから何なの?っていう。結局、やってることは殺人だと思うのです。

映画全体、決して明るくはなくて、みんな幸せにはなれないし、でも引き込まれる作品でした。役柄によって、ものすごく輝く役者さんがいる、ということも知りました。時代劇の瑛太は、一味違います。

今年の抱負

2019年の抱負を語ります。

でもまずその前に、2018年の抱負、英語の勉強がどうなったかの発表です。

結果、駄目でしたね~。日本語と同じくらいペラペラに喋ることが目標だったし、TOEICも受験しようと思っていたのですが、どちらも叶わず。

まあ、TOEICに関しては、今受けてもダメだなというのが自分でわかっていたので、もう少し後で、もうちょい後で、と考えているうちに一年が終わってしまいました…。

英語のスピーキングに関しては、そのための対策としてとにかく英語に触れることを心がけていました。できるだけ英語のテレビ番組を見るようにしたのです。

BSで面白そうな番組を捜し、時間の許す限り見ました。でも結局のところ、真剣さが足りなかったかなと思います。それと、圧倒的に量が不足していた感じです。

英語の学習に、一番適しているかなと思ったのは、BBCニュース。基本的にアナウンサーがずーっと喋ってるし、早口だし、CMもほとんど英語なので無駄がないのがいいところ。ただし、内容は政治経済スポーツが多く、自分に興味がない話題だと、視聴意欲は削がれます。

私はアフリカのマーケットをぶらぶら歩いて、珍しい食品などをリポートするような番組が好きなのですが、BBCではあまりやっていません。見る時間帯にもよるのかな。たまにそういう内容を見かけると、集中して見ることができるし、内容も自然と頭に入ってくる感じ。異国の文化、景色に触れられるようなプログラムがたくさんあるといいんだけど。

アフリカや、砂漠の国に興味があります。日本と全く違う色彩や音楽、建築などなど。そういう番組をやっていると、引き込まれて見入ってしまいます。

あと2018年前半によく見ていたのが、アニマルプラネットの「猫ヘルパー」でもこれも、だんだん飽きてしまって、後半は見なくなってしまった。いつも似たようなパターンが多く。

自分勝手な飼い主と猫の組み合わせが、ほとんどでした。対策としては、まず飼い主の意識改革。結局、飼い主次第で動物の問題行動は直るんだなあという印象です。

敏腕猫ヘルパーのジャクソン・ギャラクシー。とてもいい人なんだけど、刺青がえらいことになってます。ある回で、問題が解決したお祝いに依頼人をタトゥーショップに連れて行ってあげて、二人で記念タトゥーをいれるという衝撃の展開もあったりして。少しずつジャクソンに親近感を持ち始めていた私はドン引きしました。なんというか、やっぱり遠い人なんだなあ。そういう世界もあるのね。

「猫ヘルパー」を見なくなった分、視聴機会が増えたのが「デンバー動物クリニック」でした。犬や猫だけじゃなくて、いろんな動物が見られて、しかも可愛い。見てるだけでほっこりです。でも、英語を聞く量としては、ニュース番組に比べて全然少なくなってしまうのが残念。獣医さんの右腕に、「外科侍」という刺青が入っているのが気になりました。日本人が見ると、違和感満載の造語です。

ドラマでは、「クリミナル・マインド」を時々見てましたが、毎回殺人、それも凄惨なシーンが多くて、だんだん気持ちが沈んできてしまい。結局、あまり見なくなってしまいました。

2019年は、やはりBBCを中心に見ようかなと思っています。発音も綺麗だし、一番効率的に英語のインプットができるのかなと。そして年末には、今度こそTOEICを受けて、客観的に自分のレベルを見つめ直し、今後の励みにしたいと思っています。

2019年にやろうと思っていること。

1. 電子ピアノを買って「幻想即興曲」の暗譜

2. 乗馬(競技ではなく、趣味として乗れるようになりたい)

3. 高野山へ行く

4. 英語が日本語と同じくらい流暢にしゃべれるようになる

5. ブログをもう1つ始める

6. 前から行きたくて、どうしても行けなかったレストランへ行く

7. 綺麗になる

7の、綺麗になるっていうのは唐突で抽象的ですけども。今は本当に、そうなりたいと思うんですよね。じゃあ今まではそう思わなかったのかというと、うん、思わなかった(^^; それより、強い人になりたかった。筋肉をつけたかった。

私、洋服のセンスがかなり悪いので、そういう美的感覚を磨いていきたいです。お化粧はあまり興味ないけど、素肌は綺麗になりたい。

5の、ブログをもう一つ始める件に関しては、備忘録を兼ねて毎日の出来事を細かく記録していくブログを始めようかなと思っています。「冥王星からこんにちは」とは全く別の場所で、名前も高萩カロンではなく、別人として、です。

「冥王星からこんにちは」は、私のリアル知人が見ても身バレがないように、内容を制限して書いているので、こっちに日常を書くわけにはいかない。いっそ二つのブログに分ければ、思う存分書けるかな~と。

以上、2019年の抱負でした。年末には、全部達成した~と言えるようにがんばりたいと思います。

霧の三峯神社、そして海の写真

2018年三峯神社を再訪したとき、初日は霧で、二日目は更に深い霧で、神秘的な光景を見ることができました。そのときの写真がこれ。

初日

これはたしかお仮屋への道を撮ったんだと思う。

二日目

もはや目の前が何も見えないほどの濃い霧。駐車場を撮ったような記憶がある。

こんなに深い霧、普通の場所なら怖いですが、そこは霊験あらたかな三峯神社。安心感がありました。目に見えないなにかに守られているという絶対的な信頼感。

一度は霧の三峯神社を経験してみたいと思っていましたが、興雲閣に一泊したおかげで、貴重な体験をさせてもらいました。

そして2019年のお正月、海へ行ったときの写真です。太平洋岸の、穏やかな波と空。ぼーっと座っているだけで癒されます。

だんだん日が暮れてくると、光の色がもの寂しい。

やがて日が沈むとき、オレンジの光が海面に反射して、桃源郷へ続くようなかりそめの道が浮かび上がります。太陽の形がシャープじゃなく、手作りめいた、いびつな形になるのがいい。

いったん日が暮れるとすぐ真っ暗なので、急いで海岸を離れました。神社と違って、海の傍は少し怖いです(^^; 夜の海というのも見てみたい気はするし、きっと綺麗なんだろうけど。

海風に吹かれていたら、雑念がきれいさっぱり。体が軽くなりました。

2019年明けましておめでとうございます

明けましておめでとうございます。平成最後のお正月を、のんびり過ごしております。年末には1年を振り返る投稿をしようと思っていたのですが、気が付いたらもう年が明けていました(^^; 

今年の初夢は、やっぱり学校でした。私はこの、「学校」の夢をよくみます。いつも同じ建物ではなく、学んでいることも毎回違うのですが、今年はホテルのような豪華な施設を歩き回っていたのが印象的でした。エレベーターが二基、近い位置にあり。扉が開いたので乗ろうと思ったら、係員が待機していて、私は一瞬気圧されて、乗るのをやめてしまった。

学食がとても充実していて、たくさんのおいしそうなお店が入って、フードコートの様相。中でも、フリーで提供されているソフトクリームのコーナーが気になって行ってみると、機械が壊れて、いろんな味がごちゃまぜになっているという。味の混ざったソフトクリームの生地を、機械が混ぜているのを眺めていました。おいしそう〜と思いながら。

勉強に関しては、夢の中で学んでいたのは、「紙」についてでした。現代は紙を使いすぎている、また、リサイクルが足りない、という話を聞きながら、古紙を仕分ける作業をしていました。

そんな初夢でした。「学校」の夢はよくみるけど、いつも建物が素敵で、広い施設の中をあちこち歩き回るのは中々楽しいものです。夢でも、わくわくするのはいいものですね。

去年、1年を振り返るブログを書かなかったので、今日は2018年のことを思い返して書いてみようと思います。

2018年、私にとっては「旅」の一年でした。近場の旅を除いて、長期の旅行だけでも5回は行ったかな。

4月に九州縦断。別府から桜島まで。6月は東北。太平洋岸を北上して、その後花巻へ入る。8月は北海道を反時計回りに一周。10月は箱根。11月は湯谷温泉と三谷温泉。

あと、恒例となっている伊勢のお参りも。これは、今後も毎年続けるつもりです。2018年は2度、お参りすることができました。

2018年で満足して、もう行かないだろうなと思ったのは、三峯神社です。神社の宿泊施設、興雲閣に泊まって、早朝のご祈祷も経験して、とても貴重な体験をさせてもらってすごくよかったのですが、残念だったのがひとつ。

拝殿の前、略式参拝の場に、前の方のお参りがすむまでここでお待ちください、的な案内が書いてあったんですよね~。これはちょっと、私にはう~ん、という感じで。

近年、神社のお参りで2列になるところが、結構目立つのですが。私はあれ、よくないと思っているのです。だって、神様が一度に2人のお願いしか聞けないなんて、そんなわけないじゃ~ん、て。昔は、誰でもあいたところからどんどん詰めて、お参りしてましたよね。どうしても賽銭箱の前、真ん中で拝まないと気が済まないっていう人は、その場所が空くまで待つのかもしれませんが。大多数の人は、とにかく空いたところに、どんどん詰めてお参りをすませていたと思うんですよ。だから混雑といっても、そんなにたいしたこともなく。

でも今は、一度に二人ずつ、みたいに並んでしまうところもけっこうあって。そうなると、横からお参りしづらくなってしまう。「今私の順番で、私が神様に祈ってるんですけど」みたいな無言の圧力を感じてしまって、横に並びづらかったり。

変ですよね~。あれなんとかならないかなあ。丁寧なようでいて、全く意味のない習慣だと思います。うちの近所の神社でも、昔はそんなことなかったのに、今は初詣に2列の長い行列ができるようになってしまって、私はもう空いているときにしかいかなくなりました。2列の行列がバカバカしく。

でも、三峯神社は、それを推奨してるんだなあと思って。拝殿の前では並んで、前の人が終わるのを後ろでお待ちくださいってことなんだなあと思ったら、「もう来るのは今回が最後でいいかな」という気持ちになりました。

ちなみに、伊勢神宮、内宮だと、ちゃんと係の方が、「並ばないでください」って声かけしてくれるんですよね。だからいつも、私は端の方の空いてるところにいって、お参りするようにしてます。真正面が好きな人は真正面でお祈りすればいいし、私は端っこで十分です。神様は、場所あんまり関係ないと思っているので。

昇殿参拝して、一組ずつ名前を読み上げてもらうようなご祈祷のときはもちろん、別の話ですよ。玉串奉奠などもありますし、一組ずつのお参りになるのも当然だと思います。でも略式参拝で賽銭箱の前で、前の人のお参りが終わるのを待つ、というのは、なにか違う気がしてしまうのです。

正式参拝でなく略式参拝の場でも、整列して前の人のお参りが終わるのを石段の上で待たなくてはいけない、というのがどうにも心にひっかかりました。ですので、もう私が三峯神社に行くことはないかなと思います。

ちなみに三峯神社は、2017年に初めて行って、そのときに感激してまた来たい、今度は泊まりたいと思って、2018年の秋に再訪しました。年々人出が多くなって、なんと毎月一日の白い氣守は、車の渋滞があまりにひどくて中止になったんですね~。確かに、2017年よりもさらに、2018年に行ったときの方が参拝の方は多かったような気がします。

私は前日に西武秩父駅前にあるビジネスホテルに泊まり、次の日チェックアウト後にバスで三峯神社へ行ったのですが、平日にも関わらずバスはほぼ満席でした。立っている人はいなかったのですが、あれほど山の中の、あまり交通の便のよくない神社に関わらず、バスが満席ってすごいことだと思います。それだけ人を呼ぶ、というのは、やはりご利益があるということなのでしょう。

私の場合は、特に願掛けをしたわけではなくて、単に、三峯神社の雰囲気が好きで、再訪しました。2017年のときは晴れて、霧が出なかったものですから、今度は霧の中がいいなあと思っていたらまさにドンピシャ。興雲閣にチェックインしたときから小雨が降っていて、翌朝は深い霧。荘厳な空気を全身で体感することができました。

お風呂もよかったです。2017年には、日帰りだったので帰りのバスの時間があって入れなかったのですが、2018年には泊まっていくのでゆっくり、入ることができました。エネルギーチャージできる、元気が出るお湯です。※HPによると、当面の間、お風呂の故障で日帰り入浴は中止とのこと。(2019年1月3日現在)※

チェックアウトした後、駐車場にあるバス停までの道が、ものすごい霧だったことを覚えています。すぐ目の前も見えないくらいの、深い霧。まさに、思い描いていたような霧の中、最後にもう一度お参りして、三峯神社を後にしました。

三峯神社では、小教院のコーヒーゼリーがおいしくてお勧めです。建物も歴史を感じるし、彫刻など内装も素敵で、ゆったりした気持ちになれます。おいしいお水を使っているから、ゼリーもおいしいのかな。お仮屋にお参りしたあと、立ち寄るのがいいかなあと思います。ほっとできる空間。

三峯神社は、山を登っていく過程も大好きです。バスの運転手さんが本当に運転上手。狭い道ですれ違いなどもありますが、さすが、という感じでいつも感心させられます。安心して乗っていられるし、山の景色がいいんですよね~。

そうそう、三峯神社に近い観光スポット、ちちぶ銘仙館もかなりおすすめです。参拝の帰り、電車に乗る前に立ち寄ると満喫できます。繭から製糸、織、染、銘仙への工程が一度に学べて面白い。デザインや色も華やかで心躍ります。売店で絹製品も買えるので、ぜひ。私は絹の手ぬぐいというか、マフラーを買いましたが、外出時に首巻にして重宝してます。なんの香りなのか、糊なのかな? 微かに香りがついていて肌触りがよく、風の強い日でも首元が温かくて愛用してます。

私は三峯神社参拝の前日、御花畑駅で降りてホテルに向かったのですが、夕暮れの光、そしてライトに照らされた秩父市役所、秩父歴史文化伝承館、秩父宮記念市民会館が、荘厳で胸が苦しくなるほど美しかったです。なんの建物かわからなくて、後で調べました。一度通り過ぎた後、あまりに綺麗でもう一度戻って眺めたほどです。

佇まいがなんとも、雅で味があるんですよね。刻々と夜の帳が下りる中、浮かび上がる建物の姿が不思議と、胸を打つ光景でした。どんな物語があの建物の中で繰り広げられているんだろうと、まるで異次元の世界の風景をみるようで。

昼間見ると、別に普通なんですが(^^;

でも、あのとき。薄暗くなる中、どんどん暗くなる中で、浮かび上がったあの建物群に感じた気持ち。印象深く、胸に残っています。

三峯神社、お正月は人出が凄かったでしょうね。私が行った、秋の、なんでもないような平日でもバスは満席だったのですから。それでも行きたい、と思わせるだけの魅力がある、神社なのだと思いました。