『ラヴィアンローズ』村山由佳 著 を読みました。以下、感想を書いていますが、ネタバレ含んでおりますので未読の方はご注意ください。
村山由佳さんの本を読んだのは初めてです。天使の卵シリーズというのが気になってはいたものの、今だ読んだことがなく。初村山さんがこの、『ラヴィアンローズ』になりました。
単行本の拍子のピンクのバラが美しい。そして、花束を結ぶ細いリボンのような書体の、La Vie en Rose も素敵。表紙を見ただけで、わくわくします。
全体的に読みやすかったし、続きが気になってどんどんページをめくりました。そして、率直な感想は。登場人物がみんな、あまりいい人ではなかった(^^;
主人公の藍田咲季子の性格には、読んでいて苛立ちを感じました。モラハラ夫に翻弄される描写が長くあって、もしかしたら作者的には咲季子=可哀想な被害者 みたいな位置づけがあったのかなと思うのですが、咲季子は決して、弱者ではないんですよね。経済的にも恵まれていて、もし離婚しても生活に困ることはない。考慮すべき子供もいない。独りで暮らすだけの知性も、胆力も十分に持っている女性なのに。
仮にモラハラに気付かず、苦しんでいるならまだ理解できる部分もあるんですけど、咲季子ははっきり気付いてますからね。自分が夫に不満を抱えていると。なのに、そうでないふりをしている。
嫌なら別れるべきだと思いました。耐えることで咲季子=被害者、みたいな構図が成り立ってしまうのが、ある意味卑怯ではないかなあと。夫婦って、鏡みたいなものだと思います。咲季子が不幸なとき、夫の道彦もやはり不幸なのです。夫だって、コンプレックスを払拭できず、迷路にはまりこむばかり。一緒にいても、お互いを傷つけあっている。
むしろ、別れた方が幸せな二人。咲季子も、道彦も。なのに、なんとなくずるずると生活を続けている。けれど、その生活がいつまでも(お互いに老衰で亡くなるまで)続くとは思えなくて。いつか、破綻がくるのは目に見えている。どちらが我慢できなくなるか、たぶんそれは、咲季子だろうなあと。
結局、その予想通りになるわけですが。咲季子はデザイナーの堂本裕美と出会い、不倫関係になる。
読みながら、そりゃそうだろうなあと思いました。不満があって、心の底では白馬の王子さまを探しているときに現れた相手。ルックスが好みで、自分と美的センスが合う相手。芸術肌の咲季子にとって、こういう感覚的なものは外せない条件でしょうから。
でも、その相手との出会いにも、なんとなく咲季子は自分の立場を利用しているように感じてしまいました。可哀想なモラハラの被害者、としての自分を。
本当に弱い人なら、モラハラから抜け出せないのも気の毒だと思いますが。咲季子は力を持ちながら、敢えてその立ち位置にとどまっているように思えてならないのです。可哀想な被害者、としての心地よさ。そこでは自分が被害者だから。救われるべきお姫様だから。
デザイナー堂本と、咲季子は、薄っぺらさも似ているなあと思いました。心よりも体で結ばれている相手のような。結局、大事なのは自分なのです。相手への思いやりは二の次。
堂本は最初こそかっこよく描かれていましたが、すぐにボロボロと仮面がはがれます。危険性も考えず、自分がもらうプレゼントのために、ルールを守らず電話したりとか。私だったら、その時点で堂本にげんなりするけどなあ。だって、相手を大事に思えば、慎重になって当然の関係性なのだし。もしかしたら咲季子が逆上した夫から暴力受けたりって、簡単に想像できてしまうではないか。なのに、その危険性より、自分がもらうプレゼントの方を優先するって、その時点で咲季子はちっとも大事にされてない。ATMって、このことなのかと思う。
危険を承知で、それでも送られてきたメッセージの内容が、「プレゼント1つじゃなくて、複数でもいいかな?」とか、私ならその瞬間に冷めるなあ。ああ、この人の愛情って、こんなものだったのかと。
まあ、そもそも不倫関係の始まりからして、咲季子の緩さがありましたが。どうしようもない感情の昂りでそうなったのなら仕方ないかなとも思いますが、車で自宅に戻ると言われた時点で、じゃあ降ろしてくれときっぱり言えばよかった。降ろしてくれないなら、信号でとまったときに降りればよかったし。そもそも車から降ろしてくれない相手なら、その後は2度と二人きりにならなければそれだけで、以後は危険性を回避できる。
ずるずると、そういう沼地の関係に陥ったのには、咲季子にも罪がある。堂本にも罪がある。
結局、夫の道彦もモラハラ最低夫ではありますが、咲季子も似たようなものだし、堂本も同じレベル。堂本を紹介した川島も、似たり寄ったり。咲季子を良く知っている川島には、咲季子と堂本を仕事で結び付けたら、結果どうなるかわかってたはずだしなあ。
ドロドロな不倫関係の末に起こった悲劇。その醜悪さと、咲季子の作った庭の美しさの対比がドラマチックです。薔薇が美しく咲けば咲くほど、その影で複雑に絡まる人間模様。人工的な薔薇には、素朴な美しさはない。プライドで塗り固めた、表向きの清潔さ。
咲季子も人工的だなと思いました。庭に道彦を埋めて、平気でいられることがまず、理解できない。まるでロボットみたいに感情がない。本当に庭を愛していたら、そこに人間を埋められるはずがない。見るたびに思い出してしまうでしょう。手塩にかけた大切な庭に、最大の罪の片棒を担がせるだろうかっていう。
夫婦関係も友人関係も仕事関係も。出会う相手、縁のある相手はみんな、同じレベルなんだなあということを思いました。とんでもない相手とは、そもそも出逢わない。そのことを考えさせられた本でした。