チョコレートを受け付けなくなる

私は現在アラフィフなのだが、二十代の頃はチョコレートが大好きだった。特にナッツの入ったチョコレートね。アーモンドでも落花生でも、ポリポリ食べるのが大好きで。

ハワイ土産の定番でもある、マカダミアナッツの入ったチョコレートなども、大好物だった。どれくらい好きだったかというと、まず袋ごと食べちゃう。残さない。缶なら缶ごと。

ところが先週、某所でチョコレートのワークショップがあり、参加してみて驚いた。自分の味覚、嗜好が変化している。チョコレートを美味しく感じないのだ。

たしかにこの頃チョコレートを食べたい欲がなくなり、買う機会はめったになかったけれど。このワークショップでは選りすぐりのチョコレートを試食できるので楽しみにしていた。普段口にしない、厳選されたクラフトチョコレートの数々。

しかし、思いがけず、それらをおいしいと感じない自分にびっくりした。

味覚って、年をとると変わるのね(^^;

しかも、おいしいと感じないだけではなく、帰る頃には軽い頭痛が・・・。なんだコレ。

頭痛は帰宅するとますますひどくなり、夜には寝込んだ。一晩寝てようやく回復。

チョコレートだけが原因ではないと思うけど、でもチョコレートに当たった感覚があった。

もうチョコレートを食べるのはやめよう、そう思った。自分の体質が変わったのを感じる。

昔のように、ギラギラした油ものも受け付けなくなったし、食事も自然と、ベジタリアン的なものになっていく。

もちろん、食材を厳密にタブー化しているわけではなく。なんでも食べるけれど。

基本の食が変わっていく。

白米を炊飯器で炊いていたものが、今は土鍋で、半分は玄米を混ぜるようになった。もちろんそのまま炊くと固いので、玄米だけは先に煎って、茹でて下ごしらえ。

自家製のぬか漬け、味噌汁、豆乳ヨーグルト、納豆。豆乳ヨーグルトには、日本ミツバチのハチミツを使う。

土鍋の中、最後に少し残ったご飯は、お湯をさしておかゆをつくり、寝る前に麹を混ぜて、保温のためタオルと毛布にくるんで一晩。翌朝には、砂糖を一切使わないおいしい甘酒の出来上がり。

庭の渋柿を剥き、寒風にさらして干し柿をつくる。今の季節なら大根も、野菜も、なんでも網の干し機に入れ太陽に当てる。

家でみかんを育てているが、一切農薬も肥料も使わない。家で出た生ごみはすべてコンポスターで土に還しているので、そのコンポスターの土を、果樹に使う。

色づいたみかんを、食べる分だけもいで食べる。甘みと酸味のバランスがよく、なによりも、もぎたての新鮮さは買ってきたものでは味わえない。みかんは、熟成したものも甘みが濃厚でおいしいけど、採りたてのおいしさは格別、贅沢なものだ。

香料の入ったものは、一切買わなくなった。洗剤も使っていない。マグネシウムで洗濯している。すっきり洗いあがってタオルもふかふか。

香料といえば、トイレットペーパーを買うときに苦労する。私が欲しいのはパルプ100%で無香料のダブルなのだが、香りがついているものが、多いこと多いこと。

トイレットペーパーに、そんなに香りって必要かな?毎日こまめに掃除してたら、大丈夫だと思うけど。それに臭いは匂いで誤魔化すのではなく、もし臭うなら掃除して元をきれいにしないと駄目でしょ?トイレットペーパーには柄も、香料もいらないなあと思う。

家から化学香料が消えると、匂いには敏感になる。すれ違う人や、ついさっきまでそこに居た人の残り香の強さに、びっくりすることがある。今の柔軟剤などは、香水並みに香りが強烈。

香りが嗅ぎたいなら、5月のバラ園に行けばいいのになと思う。自然の、本当に濃厚な香りのシャワーに包まれる。私はもう、人工的な香りはかぎたくないな。

思い返してみると、そんな私も昔、このブログで買いたい香水の話を書いていたっけ。あれからずいぶん時間が経った。チョコレートも香りも、年を重ねると嗜好は変わっていくことを、しみじみと思う今日この頃である。

犬フンは拾えばいいってものじゃない

前回のブログに書いたように、犬フンについては悩みが尽きないわけですけれど。

私、思うんですよ。なんか勘違いしている犬の飼い主、多くないですか?

犬フンは拾えばいいってものじゃない!

拾えば文句ないでしょーってものじゃないと思うんです。そもそも、自分の土地以外で、犬にフンさせていい場所なんてあるんでしょうか?

道路ならいいの? 公園ならいいの? 他人の敷地でも端っこならOK? 草や土のあるところだったら自分の土地じゃなくてもいいの?

答えは全部NO!!!です。自分の家以外でフンさせるのを、毎日の日課にしないでください。

いや、これものすごく基本だと思うんですけど、どうして世の中の犬の飼い主さんは、「これくらいなら許される」と思ってる方が多いんでしょうか?

排泄は、自宅で済ませなきゃだめですよ。散歩=排泄、という考え方は間違ってます。

犬に、散歩中にどうしても排泄させたいとか、土や草の上で排泄させたいなら、自分の土地にどうぞ。

自分が用意した土地なら、誰も文句は言わないと思います。

電柱や、橋げたや、道路の角や、道路の境や、草むらや、土のある場所は全部、誰かが管理していて、誰かが掃除しているんですよ。草だって、放っておけばものすごく伸びます。人が入り込めないくらいの高さまで、夏などあっという間に伸びますよ。

うちの畑前も、結局道路の管理が追いつかず、舗装してない草地の部分が一時期、犬の公衆トイレになってました。マナーの悪い飼い主は、わざわざ毎日、そこに連れてきてさせるんです。複数の犬が毎日それを習慣にしたら、他の犬も黙って通り過ぎたりしませんよ。臭いが気になって、追いがけしていきます。トイレスポットになっちゃうんです。飼い主がフンを拾ってもすべてはとりきれないし、草にはりついた軟らかいフンやカケラは、臭いを発して次の犬フン被害を誘発します。犬は、他の犬の臭いがあると、そこに自分の排泄物を出したがるんです。

犬の公衆トイレになってしまえば、一定の確率で必ず、フンは放置されます。

私はそれが嫌で、3年かけて、丁寧にていねいに草を刈り続け、ゴミを拾い、きれいにしました。畑へ入るまでの通路だけを刈っておくと、その通路に、フンをされてしまうのです。気付かずに踏んだこともあります。一部だけ刈っても無駄なんです。

だから、一面全部刈りましたよ。それも、継続的に。夏の暑い中、熱中症になりそうでもがんばりました。汗と涙の結晶です。

ゴミがあれば拾うし、草が伸びれば刈るし。その一方で、ニオイゼラニウムの挿し木を続けました。環境が過酷だからなかなか根付かないけど、たとえ根付かなくても当面の間、犬よけになります。ニオイゼラニウムの香水のような香りは、たいていの犬が嫌いますから。

心あるまともな飼い主さんは、私が汗を流しながら草刈している姿を見て、うちの畑前でフン尿させるのをやめました。

でも、前回のブログに書いたAや一部の人達は、相変わらず、きれいに刈られた草地を、綺麗に刈られているからという理由で、自分の犬のトイレにするんですよ。わざわざ、うちの畑前を選ぶんです。他の場所は雑草が生えていたり、ゴミがあったりして汚いからと。

きれいにしてある場所をわざわざ選んで、犬のトイレにする神経・・・。

考えてほしい。誰だって、人の家の犬の排泄物なんて触りたくないし、踏みたくないです。

立てた犬のマナー看板を、引き倒したり、持ち去ったり、バラバラにして用水路に捨てたA・・・。

罰が当たってほしいなあ。今日も畑へ出かけて、畑前の道路との境で伸びた草を刈りました。でも、綺麗になった草地を見て、つくづく思いました。犬にとっては、ドッグランみたいで理想的なんでしょうね。雑草が生い茂った中だと、何があるかわからなくて飼い主も犬を入れたくないけど、こうして草をきれいに刈った場所では、飼い主がむしろ積極的に、犬を遊ばせたくなるのでしょう。そして、ついでにフンをさせるというわけです。

単純なことで、すべての犬飼い主が、排泄を自宅で済ませれば解決する話です。

世の中で、犬のフン尿・マーキングに悩んでる人達はたくさんいます。その人たちの悩みがいっぺんに解決しますよ。これが守られたなら。

犬を飼うのは資格制にしてほしい。排泄のマナーを守れる人だけが、犬を飼う権利を持つと思います。

よくテレビで、保護犬の活動を取り上げたりするけれど。その一方で、どうしてこの、犬のフン尿・マーキングマナーを、啓発する番組がないのでしょうか?「犬の排泄は自宅で済ませる」ということ。これが守られないせいで、困ってる人がたくさんいる。ちょっとネットで検索しただけでも、悩んでる人達がたくさんいて、私もその一人で。

昔より確実に、犬を飼う人は増えていると思います。それだけ生活が豊かになった。

けれど、犬の汚い排泄物を、自分の家では出さず、毎日散歩でよその土地へ連れて行って出させる、というのはとんでもない精神の貧しさです。恥を知れと言いたい。

そういえば去年、大久保佳代子さんが他人の敷地で犬におしっこさせ、注意されて逆切れした話をテレビでしていたとのことですが、こういうのが堂々とテレビで放送されてしまうことが、次の被害を生むんですよ。

それぐらいいいじゃん、はありえない。他人の犬のフン尿・マーキングにさんざん悩まされてきた人たちは、いつまで続くか果ても見えない被害に、もう我慢の限界なんです。他人に注意された時点で、マナー違反の飼い主はその重みに気付いてほしい。

1度きりで、2度と来ない相手なら、まだ我慢もできますが。マナー違反飼い主は、そこで排泄することを、毎日の習慣にしますからね。そして注意すると逆切れ。何度言われても、何度もやってくる。

私が前回のブログで書いたAには、3年悩まされました。そして今後も、またいつやってくるかと、それを思うと心穏やかではいられないです。

本当にいい加減にしてほしい。毎日毎日、わざわざ人の家の畑前で、犬を連れてきて排泄させるなんて悪質すぎます。どうして自分の家でさせないんだろうか。汚いから?そんな汚いものを、よそへきてさせるな!と言いたいです。

犬のフン放置犯人に、罵倒される

自宅や畑の周囲が、複数の散歩中の犬のトイレにされていることに気付いてから早3年になるでしょうか。困った私は、2020年からずっと、臭い消し(犬は臭いがあると追いがけする習性があるので)と草刈り、周辺環境の美化に取り組んできました。

※興味ある方は、カテゴリーの「犬のフン害との戦い」をご覧ください。50以上の記事があります。

そして、数ある非常識飼い主の中でも、私が今まで出会った中で最悪のマナーはこの人でした。

この男(以下Aと呼びます)は、その後もしょっちゅう畑の前をうろうろしては、犬にフン尿マーキングさせ放題の、非常識な人物でした。

畑に侵入されそうになったのを寸前で止めたのは、今でもちょっと後悔。いっそ侵入させて、警察沙汰にすればよかったと今は思っています。というのも、このAの行動がとまらないので。こいつを見かけるたびに、私はイライラ、ハラハラ。せっかく綺麗に草刈した場所を、犬のトイレにするからです。

うちの畑周囲の田んぼ道も、しょっちゅう犬のフン被害にあっていました。Aは、杖をついて柴犬を散歩させていましたが、その杖で、自分の犬のフンを田んぼに投げ込みます。私はそんな姿を、何度も見ています。よその家の田んぼのことまでは口が出せないですが、Aのその非常識行為を見れば、フン放置をあちこちで繰り返していることが、よくわかります。見られていなければ放置です。見られて注意されれば拾います。

けれど、犬のフンは完全に拾うことなんてできないんですよね。ペットシーツなどでダイレクトにキャッチしない限り、柔らかいものや、あるいは欠片などは必ずその場に残ります。その臭いはまた次に通りかかった犬を刺激して、その場所はあっという間に犬の公衆便所になります。

うちの畑の前の草地で、Aが犬をうろうろさせていることは本当にストレスでした。でも、駆け寄っていって見張るのも、近付くのも嫌で。畑の中からそっと見張るくらいしかできず。なんかもう、関わりたくないんですよ。1度注意して、嫌な目に遭っていますので。

4日前。Aに関して、本当に腹の立つ出来事がまた起こりました。

腹立たしすぎて、ブログにも書けなかったほどです。今は落ち着いて、なんとか文字にできています。

このAが、2023年10月17日(火)15時頃、畑にまたやってきたのです。そして私がちらちらと見張っていると、私がきれいに草刈りし、ゼラニウムの挿し木をした場所で、堂々と犬にフンをさせていました。犬をわざわざ草地に入れているのです。

さすがに目の前で堂々とやられては、私も黙っているわけにはいかず、Aに駆け寄って声をかけました。

「そこは、私が鎌で草を刈り、ハーブを植えている場所です。ここで犬にフンをさせないでください」

Aは、黙ってフンを拾いました。

「めったにここには来ないんだけどね」

まるっきり嘘です。何度も来ていて、そのたびに私は嫌な思いをしていました。じろじろ見るわけにもいかないので、フンの現場を押さえたのは2度目ですが・・・。おそらくこれまでも何度もフンをさせているでしょう。しょっちゅうAの姿は見てます。

犬は柴犬の老犬です。お腹がゆるいようで、やわらかい下痢気味のフン(汚い表現ですみません・・・)。Aは私に注意された手前拾ったものの、当然、すべてを拾いきれず、あちこちにフンが汚く残っています。

しかも、1度出した後、また座り込んで、犬はまたフンを大量に出したのです。老犬なので仕方ありません。問題は、老犬でなく飼い主。
飼い主がペットシーツを敷いて、周囲を汚さないようにしなければいけません。家で排泄をさせず、いつも散歩先の道や草むらでさせているなら、せめてそのくらいはしないといけないでしょう。

「めったにここには来ない」というのが嘘であるのはわかりきっていましたが、私がその時言ったのは、とにかくここで犬にフンをさせないでほしいということです。

いくらフンを拾っても今回のように柔らかかったりすると汚れは取りきれず、次に通りかかった犬がまた排泄したくなって、この場所が犬のトイレになってしまうこと。この場所は私が鎌で手刈りしているし、ここにゼラニウムも挿し木しているので、犬を入れないでほしいと。犬は挿し木したゼラニウムを蹴散らかし、Aはフンをとる際に私が挿し木したゼラニウムを引っこ抜いていました。

Aは、私が丁寧に植えたゼラニウムを、自分が引っこ抜いてしまったことに気付いて、軽く言いました。

「あ、そう。これあんたが植えたんだ?」

そして、去っていきました。私は悔しかったですが、言うべきことは言ったので、だまってAの犬のフンの片付けを始めました。Aが拾いきれなかったベタベタの柔らかいフンが、草地を汚しています。放っておけば、次の犬がさっそく、追いがけ(フン尿)しますので。臭いを消し、きれいにしなければいけません。

15分ほどしたら、なんとAが戻ってきました。私は戻ってくる行為自体が信じられなかった。なんの罪悪感もないのです。今後も、自分のやりたい放題やらせてもらう、ということでしょうか。何を注意されても、馬の耳に念仏状態。Aにしてみれば、散歩コースでUターンしただけ、なんでしょうけど。

けれど、私は覚悟して、もう1度Aに声をかけました。ずうずうしく戻ってきた以上、もう一度注意します。

これ以上、うちの畑の前をトイレにされてはたまりません。自分の家で犬にフンをさせるのが汚いからと、わざわざ散歩先で、それも「やめてくれ」と言われている人の敷地の前で、これからも当たり前のようにフンをされてはたまらないです。私だって、24時間見張っていられるわけじゃないですから。今日はたまたま現場を押さえたので直接注意できましたが、今後見ていないところでやりたい放題は困ります。

「今後、ここでフンをさせないでください」と私が言うと、Aは逆切れしました。Aの言い分はこうです。カッコ内は私の反論。

・犬が勝手にフンをするから仕方ない(犬は悪くない。わざわざ人がきれいに刈り取った草地に犬を入れて、排泄させているのは人間ですよ

・うちの犬は、訓練所で訓練させた高価な犬で、しつけもできている(じゃあここでフンさせないで

・俺も畑を持っているが、畑にフンをされても全然気にしない。気にするあんたがおかしい(あなたの畑はあなたの自由にしてください。私はうちの畑の前でフンをさせないでと言っている。なぜわざわざ嫌がる人のところへ来て、注意されているのにまたフンをさせるのか

・ここへはめったに来ない(この3年何度も見かけている。直接フンをさせている現場を注意したのは2度目。前回のときもやめてくれといったのに、なぜまた何度もやってくるのか

・私は80才の老人なのに、いじめるな(犬のフンに年齢は関係ありません

・この犬は老犬だから、死んだらもう飼わない(だから死ぬまではここでフンをさせろと?お断りします

・フンをそこまで気にするなんてあんたがおかしい(自分の家でさせてください。少なくともうちの畑の前は迷惑しているので、何度もフンを踏む被害が発生しているので、ここでフンをさせないで

・わしは老人で、あんたみたいに早く歩けない(犬のフンと何の関係があるか意味不明

・しつこい(なんでわざわざ戻ってくる?戻ってくれば注意されるのは当たり前

そして何より今回衝撃だったのは、7月20日に犬のマナー看板が3枚いちどに持ち去り、破壊行為を受けたことについて、このAに告げたときの反応です。Aはニヤっと笑いました。その瞬間、納得。

まあ、Aがやったんでしょうね。うすうすわかってたけど、この態度で確信しました。

このほかにもいろいろ罵倒はされましたが、全部言い返しました。変な人なので関わりはもちたくありませんが、きっぱりした態度は必要だと思います。黙って我慢すると、どんどんエスカレート。この3年間、Aは私を甘く見て、畑の周辺でフンを出したい放題。

少なくとも、フン害犯人に直接「迷惑しているからここでフンをさせるな」ということを、はっきり言えたのはよかったです。不満そうにしているAには、「納得いかなければぜひ、市役所や保健所で相談してください」と言っておきました。「行く」と言っていたけど、実際はいかないでしょうね。自分だって、悪いことは十分にわかっているのです。ただ、「それくらいいいじゃないか」と思っているだけで。

冗談じゃありません。こっちが3年間、どれだけの労力と時間とお金を費やし、犬のフン対策でずっと嫌な思いをしてきたことか。わざわざうちの畑の前の、きれいに草刈した場所を、犬のトイレにするな!! 本当は思いっきり怒鳴りたかったけど、それは我慢しました。とにかく、2度とAが来なければそれでいいのです。

もう2度と来ないことを願います。この頃の犬のフンのマナー、本当に悪いですね。犬の排泄は自宅で済ます、というのは当たり前のマナーです。道路も公園もよその家の敷地も、犬のトイレではありません。

土地契約の落とし穴

家を新築する計画をしている知人がいます。土地探しから始めているのですが、昨日ばったり会ったところ、土地の契約でトラブルがあったそうで、とても悩んでいる様子でした。

土地の売買契約書に、判はすでに押してしまっている。けれど、土地の整地に関して、約束した条件と違う話になって進められてしまっていると。

要するに、口頭で約束したことが、実際には守られなかった。売買契約書に整地の詳しい条項は載っていなかったため、「言った」「言わない」「・・・のつもり」「いやそんなつもりじゃなかった」と、仲介業者との間でもめているのです。

所有権移転登記はまだのようですが、こういうときどうすればいいか。手付金の放棄で解約できればいいのですが、違約金が必要な解約となりますと、金銭的負担が大きくなります。

道は2つ。

1.このまま売買契約を進めて土地を入手し、必要な整地は自費で行う。

2.たとえ高額な費用がかかっても、契約を解除する。

どちらを選ぶか、悩ましいですね。土地の売買、スムーズにいけばいいのですが、いったんこういうトラブルになると、悔しく悩ましく、楽しみにしていたはずの新築の計画が台無しになってしまいます。どうすることがよかったのか。

あまり具体的なことまでは聞いていないのですが、聞いた範囲内で私が感じたのは、大金が絡む契約は慎重の上にも慎重を期するという、それぐらいしかトラブル予防策はないかな~ということです。
そのためには、仲介業者とは別に、不動産に詳しい第三者に契約書をチェックしてもらい、自分達に不利な条項がないかどうか、逆に必要な条項がもれなく入っているかどうかを確認した上で、判を押す必要があるのかもしれません。

でも、それって本当は仲介業者の役割なんじゃ、とも思いますが・・・。

そうです。本当はプロなんだから、そのための仲介料を払うわけなのだから、不動産のプロである仲介業者がきちんと仕事をすればいいだけなんですが、それをやっていない。

でも、いざ第三者に契約書をチェックしてもらうといっても、適切な人が周りにいるとは限らない。そしてお金を払ったからといって、いい人を契約できるわけではない。

本当は不動産業界全体がもっと、質を向上しなきゃいけないんじゃないかな。悪徳な業者は、業者名を公表されるようなシステムができればいいのに。

契約さえ結べればいい。売り手と買い手のうち、どちらか気の弱い方、文句を言わなそうな方を丸め込んでしまえばいい、今回のケースには、そんな仲介業者の意志を感じました。

だって、土地の売買契約書に、整地についての詳しい条項をつけることなど簡単なのに、それをやっていない。そしてともかく、お互いが事前に納得していればもめないのですから、詳細を話し合って決めておけばいいだけなのに、それをしていなかった。
でも仲介業者がそれを怠ったのは。おそらくですが、売り手が適切に整地を行うと、お金がかかりすぎて、売り手側が契約を渋ったり機嫌を損ねる可能性があったんではないかと。

整地にこんなにお金がかかるなら売らないと言い始めたり。あるいは、仲介業者を変えると言い始めたり。そうした事態を恐れて、仲介業者は、売り手にはなるべくお金のかからない最低限の整地を提案したのではないかなあ。

その一方で。人の好さそうな、文句を言わなそうな買い手には、口頭ではきちんとした整地を約束し、でも契約書には書面としてその事実を残さなかった。書面にしておかなければ、うやむやになり水掛け論になって、なんとでも買い手を丸め込めると考えたんじゃないだろうか。今さら解約なら、解約金がかかりますよ、高いですよと言われれば、素人は怯む。

仲介業者にしてみれば、契約さえ完了すれば、仲介料がもらえる。売り手や買い手が嫌な思いをしても、そんなの関係ない、ということなのでしょう。

こんなの、プロじゃないなあと思います。整地をどこまでするか。はっきりさせておくのがプロ。売り手にも買い手にも納得してもらい、トラブルがないようスムーズな取引を進めるのが、不動産仲介業者のはずなのに。

お金をたくさんかけて、隅々まで整地すればその分、土地の売値は高くなるでしょう。
お金をかけずに、最低限の整地ならその分、土地の売値は安くなるでしょう。

どちらにしても、売り手と買い手が納得していれば、ちっとも揉めないわけで。整地の条件が違ってくれば、それはもう買い手としては納得いかないのも当たり前。

結局このケース。トラブルに悩む知人は、契約を続行するか、解除するか。どうするんだろうか。

私の周囲では、不動産業界と建築業界で、あまりいい話を聞かないです。プロならプロらしく、いい仕事をしてもらいたいし、そういう誠実な業者が、しっかり報われる業界であってほしい。

宝塚歌劇団96期のいじめ裁判

宝塚の現役の女優さんが自殺した。自殺の理由に、いじめ問題がささやかれている。

私はすぐ、96期の裁判を思い出した。あの有名な、96(クロ)期の事件。裁判の結果、正義は貫かれただろうか。いじめ被害者は報われただろうか。いじめ加害者は反省しただろうか。

その後の経過を見る限り、いじめ被害者は傷つき、ボロボロになり。

いじめ加害者は、何事もなかったかのようにタカラジェンヌになり。

これだけの裁判をやってなお、いじめ被害者が報われなかったという事実がある。この自殺した女優さんがもしいじめられていたとして。96期の裁判のことを知っていたとしたら。「どうせ救われない」と絶望しただろうなあということだけは、なんとなく想像がつく。

劇団が、被害者を守ったとはとても思えない対応だった。

今回の現役の女優さんが、実際何を理由に亡くなられたかはわからないけれど。同じ組の中では、真実を知っている人が大勢いると思う。いじめがあったのか、なかったのか。

宙組は8日まで公演中止とのこと。亡くなった彼女がいじめを受けていたのかどうなのか、中の人たちはわかっているだろうなと思う。もしいじめがあったとしたら、それを黙ってみていた人たちはショックだろう。黙っていたことも、加担したことにつながるから。

96期の裁判は無駄だったとは思わない。たとえ結果が、そのときの被害者を直接に救わなかったとしても。長い目で見たら、「宝塚に問題がある」ということを浮き彫りにしたから。

96期のいじめ被害者の方には、自分を大切にしてほしいなあと思うし、彼女が戦った裁判で、多くの人が宝塚の問題を知ることができたのだ。

なにもない状態でいきなり、今初めて、宝塚にいじめ問題が出てきたわけではない。96期のいじめ裁判のときなどは、はっきりした事実関係が、裁判という場で明らかになった。その過去があるからこそ、今の宝塚には不信感を抱く。

亡くなられた女優さんのご冥福をお祈りいたします。