『花言葉』Mr.Children 感想

今日、風に揺れるピンクのコスモスを見ました。コスモスを見ると、Mr.Childrenの歌う『花言葉』を思いだします。

桜井和寿さんは詩人だなあと。
最初の一行が、この曲の総てであり、同時に全ての始まりにも通じるという、物凄いことになってます(^^;
この一行は、小説の始まりにもぴったりじゃないかと思う。

う~ん。どんな物語が始まるんだろう、とワクワクしますね。映画の始まり、主人公のモノローグ、としてもぴったりのセリフのように思います。

カメラが、街角のコスモスを映すんですよ。どこにでもある、平凡などこかの街の夕暮れ。少しの風にも頼りなくゆらゆらと揺れている可愛らしい花に目をとめる、そしてそのままカメラの目線は、主人公の男性の目線と一致するんです。

重なるモノローグ。静かな声。

こういう映画あったら、絶対見ます(^^) 冒頭のシーンだけで、ぐっと惹きつけられてしまう。

以下、この曲を聴いての感想を書いていきます。

曲がなにを暗喩するか、ですけど。
まあたぶん、浮気なのかなあ(^^;

まだ若い男の子で。恋人は、それより年下の、まだ幼さの残る女の子で。彼はその女の子に、優越感を感じていたのでしょうか。
それは、「愛されてる」という気持ちだったのかもしれないし、年上としての「自分の方が大人」という、気持ちだったのかもしれない。

どちらにせよ、たぶん、この彼は、安心してたんだと思います。二人の関係は、自分の方が上だって。

そして、他の魅力的な女の子に、つい目がいっちゃったとか。その女の子との(浮気の)可能性に賭けた彼は、夏の終わりに彼女を裏切ったと。
浮気をした季節がそのまま、別れを暗示する夏の終わりだったところが、意味深ですね。

魔が差したと言いきってる以上、本当に浮気心だったんだろうなあ。
本命は、コスモス=乙女 の彼女。

コスモスの花言葉は色によっても違うし、諸説ありますけれども。
やっぱり「乙女の愛情」、というのが、この曲にぴったりですね。

咲かなかったのは。「乙女の真心」ではないと思う。真心はちゃんと、彼女は捧げてくれてたのではないでしょうか。
届かなかったのはむしろ、「乙女の愛情」。彼の心には届かなかったし、彼がそれに気付き後悔したときにはもう、遅かった、ということで。

浮かんでくる情景。

別れの日に、初めて彼女の大人びた顔を見たショックと、後悔、のようなもの。
たぶん彼女は、今まで年上の彼を、きらきらした憧れの目でずっと見てた。「すごいね~、すごいね~」って。まあ、恋愛は、尊敬の要素がすごく大きいですから。「すごいなあ、すごいなあ」が、「あの人、好き」に変わるまで、時間はそんなにかからない。

だから、彼は、彼女から哀れみなんて向けられたの、初めてだと思うのです。
そして、同時に、彼女が精一杯の背伸びをしていることにも、気付いてしまう。

背伸びをして。平気な振りをして、クールに消えようとしている彼女の心の痛みとか。大人の女性を演じているその踵が、苦しそうに持ち上がっていることに、見て見ぬふりをしたり。
それをさせているのは、自分なわけで。

彼の、子供っぽさが何とも言えません。表現で、とっさに私が思ったのは、「散らかした靴下や洋服の図」でした。
子供っぽさを示す一例として、この彼。外出から帰ってきたときに着てたものとか脱ぎ散らかしてそう(^^; 彼女が何度言っても、洗濯かごに入れたり、ハンガーにかけたりしない。
まあ、そうした行動に代表されるように、すべての行動が単純で、後先考えないその場限りのもので。

真剣さが可愛いらしくもあり、また、子供っぽくもあり。

歌詞からにじみ出てくる彼の苛立ちと、捨て台詞に見え隠れする逆ギレの理不尽さ。

去っていく年下の彼女にかけられた慰めの言葉は、かえって彼を傷付けてしまったんだなあと。まあ、実際に言われたのは、「すぐに私のことなんて忘れちゃうよ=時間が解決してくれる」みたいなこと、だったんだろうけれど。

悲しみに沈んでいても、歩いていさえすれば(生き続けることで)いつかは森にも入るだろうし、その中で、木漏れ日を受けることもあるだろう、ということなのでしょうか。確かに、木漏れ日は無条件に人を癒しそうです。

恋愛関係に限った話ではありませんが。

誰かと関わることで、初めて知った自分の側面、て。そういうの、あると思うんですよね。
一人だったら気付かなかったのに。誰かと関わることで、比較が生まれて、ああ、この人と自分は違うんだ。と。初めて気付けるもの。

そして、補い合える関係の、なんと心地よいことかと。
足りないものを、惜しみなく差し出してくれる相手の優しさに。甘えていた自分、とか。

その優しさに気付くのは。失ってからだったりするのですよね。
だから、君がくれたものを集めて並べて、眺めてみるんだろうなあ。ふっとした時間に。取り出してしまう。思い出してしまう。足りなかったものを、すべて与えてくれた人のことを。

君と出会わなければ。きっと、足りなかったものがあったことにすら、気付かなかったでしょう。

この曲の、淡々としたメロディが素敵です。失恋の歌だから寂しくはあるんだけど、でも、時間が流れていく感じがある。無情に、そして確実に。

歌の主人公の人生にも、時間は容赦なく流れて。彼がコスモスを見て思いだす人のことも、いつかは、記憶の奥底にしまいこまれて、薄れてしまうんだろうなあ。そんな感じの、曲なのです。

『守ってあげたい』松任谷由実 感想

松任谷由実の『守ってあげたい』が買い物に行ったお店で流れてて、思わず耳を澄ませた。

実際、人一人を本当に守りきれるかどうか、なんてことは抜きにして。
その真っ直ぐな気持ちが、響いてしみ入る曲なのである。

そして、こんなふうに思われる人は幸せだなあ、と、うっとりするのである。

ああ、いつの間に。純粋な気持ちを失ったのだろう、と感慨にふけったり。
大人になれば、自分を守る術を覚えて、いくつもの予防線を引いている。
世界は優しいと、信じて疑わなかった遠い日が、確かにあったのに。

今は、基本、身構えている。
何があってもいいように。いつも逃げの体勢だったりする。
それが賢いことなのか、どうなのか。

知っていても知らない振りをするし。
余計なことなんて、しゃべらないし。
いつ豹変されても構わないように、言質をとられないよう、必要以外の言葉なんて口にしないし。

息をころしてトンボを採った夏。

あの頃は、余計なことなんてなんにも考えてなかったなあ。
恐怖も不安も、なかったな。

今はもう、トンボを採る気持ち、そのものがなくなっていたり。
多分、今の私には邪念が多すぎて、トンボもおとなしく止まってなんかいてくれないな。

卵が先か、ニワトリが先か、じゃないけれど。

疑うから、疑うような結果が向こうから歩いてくるのか。
ただまっすぐに信じれば、そういう世界しか、現れないのか。

なんとなくだけど。このくらい真っ直ぐな、ピュアな気持ちでいられたら。それ以外の結果なんて、現実化しないんじゃないかと、そう思えたり。

この歌の主人公は。相手の反応なんて、視野にないもんな。
ただただ、愛してる、愛してるって気持ちがあふれるだけで。ひたすら、幸せを祈るだけ。それだけで。

過去の我が身を振り返るような、そんな曲です。

『渇いたkiss』 Mr.Children 感想

Mr.Children の『渇いたkiss』を聴いています。以下、その感想です。

この曲、気だるさが、夏の終わりという感じで、今の季節にはぴったりではないかと。夏の終わりと共に、急速に冷めていった感じがしますね。

言葉の使い方が好きです。とても。

私、この曲聴くたびに、登場する主人公の駄目っぷりに苦笑してしまうんですよ。未練がましくて、みっともなくて。でもそういう駄目っぷり、自分の中にも密かにあって、もしかしたら、そういう状況に置かれたら自分も、そうやってあがくのかなあと。

完璧な人間なんていないわけで。
弱いところも、情けないところも含めて。

フレーズから読みとれるのは、二人して別れの予感を感じながら、ずるずる現状維持してる、夏の終わりのイメージ。

私の勝手な解釈ですが。
これ、男性の側も、別にそれほど真剣な愛情なんてなさそうだなあって。うんざりしてる彼女に気付いてるこの人自身もまた、発展性のない関係に、どこかで飽き飽きしているような。

そして、読みとれるのは、嫉妬です。

多分、彼女には新しい彼ができたのでしょう。途端に、子供が古いおもちゃを握りしめて、絶対に他の友達になんて渡さないと、顔を真っ赤にしてふんばっているような、そんな彼の姿が目に浮かびました。

自分のものであって当たり前だったときには。なんの価値もないと思えたものが。
他の人のものになると思った瞬間に、宝物みたいに、とても価値あるものに思えてきたようで。

優しくすればいいのに。
離すまいと握りしめた力が強すぎて。執着されればされるほど、心が離れていく恋人の姿を想像しました。

嫉妬を源流とする怒りは、やがて頂点に達するわけですが、これはもう、ありえないだろうなあと思うだけに、主人公の一方通行の思いが哀しいです。賭けてもいいけど、たぶんこの女性は、別れた後、さっぱり忘れてしまうと思う・・・。
ケロイドどころか、擦り傷くらいかも。
少し痛いけど、すぐに直る。薬なんてつけなくても、自然に治ってしまうレベル。

だって、次の恋人がいるから(^^;

ケロイドになるくらいの葛藤があったら、きっと別れたりしないだろうなあ。敢えて別れを選び、新しい人との生活を選ぶなら。迷いなんて、元彼が思うほどには、ないんだと思う。

女性は、前の恋愛を引きずったまま次へって、あんまりないんじゃないんですかね。どこかで折り合いをつけて、ちゃんと気持ちの中で終わらせているからこそ、新しい関係を始められるような気がします。

恋人になってから別れたっていうのには、それなりの理由があるわけで。どこか、合わなかったわけですよね。
もちろん、合わせられる点は、合わせようとする。
でも、どうしても無理ところがあったからこそ、別れるわけで。

だから、別れることにそこまで未練は、引きずらないんじゃないかと。

むしろ、恋人になれなくて、途中で終わってしまった関係の方にこそ、夢をみるし、未練をもつ傾向、あるかなあ、なんて思います。
あのときもし、一緒になれてたら、とか。
あのときもし、告白できていたら、とか。

付き合わなければ、相手を深く知ることもなくて。
脳内補正で、思い出は美しいから。

心のある場所は、きっと心臓の近くなんだろうなと。感情は、脳で発生するのかもしれないけど、感情が揺れたときにはいつも、胸が震えるから。
そして、胸に手を当てると、少し、楽になれるような気がします。

『Hello, Again ~昔からある場所~』MY LITTLE LOVER 感想

『Hello, Again ~昔からある場所~』MY LITTLE LOVER について、感想を書きたいと思います。

この曲が発売されて、もう17年経つわけですが、今聴いても決して色褪せないんだよな~。
後にJUJUさんがカバーされてまして、それはそれで魅力的ですが、私はなんといってもオリジナルのakkoさんの声が好きです。

感傷的じゃないから。
淡々と歌い上げてて、無表情なのが伝わってくるけど、それだけにその向こう側にある、深い何かを想像してしまって、じ~んとくるのです。

印象的なフレーズ。

せつないメロディと相まって、泣きたくなるようなイメージを喚起する言葉が続きます。

なんというか、曲を聴いていて、未完の美学、みたいなものを感じるのです。終わらなかったから、途中だったからこその美しさ、みたいなものです。

記憶の中。セピア色の幸福な時代。そこには時間は流れず、穏やかな笑顔だけが永遠に存在し続けているわけです。

何かが加わることもない。何かがなくなることもない。いつも同じ。だからこそ、泣きたくなるような儚い時間。

記憶の中なら、二人を引き裂くものは何もない。どこまでも平和で。満ち足りていて。二人を苦しめるものは何もない。

私は、だからこそ曲のタイトルにもなっている、Hello, Again というフレーズは好きではありません。

もう一度。また会えたね、みたいなのは逆に嫌だな~と。
二度と会えないからこそ、その閉じこめられた時は、美しく存在するのではないかと。

イメージですけどね。もう会えない方が幸せってこともあるんだと思います。また会ってどうするのっていう(^^;
また会えるくらいの関係なら、記憶にすることなんてないわけで。

絶対的な別離だからこそ、生きていけるんだと思ってます。もう別次元だと思うんです。

だから、そんな場所は必要ないし、存在しないような気がします。

『つよがり』Mr.Children 感想

Mr.Childrenの『つよがり』を聴いています。

この曲で一番好きなのは、サビです。

言葉が、胸に直球で突き刺さります。

もう、ドラマみたいに状況が浮かんできてしまいました。あくまで、私が勝手に想像した画なんですが。以下、私が想像したシチュエーションが延々続きますので、読みたい方だけどうぞ~(^^;

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古傷のある女性を、好きになった男性がいて。
古傷といっても、まだ乾いてない。生乾きなのです。だから痛くて、とても笑い話になんてできないことを、その男性は会話の端々から知るわけです。

好きな人のことは、なんでも知りたい。
でも、当然、つっこんでは聞けない。そこまで仲良くもなっていないし、それはやはり、生傷だから。

だから、精一杯の慰めを、一生懸命考えてみたり。

それは、つらそうな彼女の心を、少しでも他のことに逸らすような冗談だったり。
あえてなにも聞かずに、ただ傍に寄り添っていることだったり。

そっと傷をかばおうとする、隠れた配慮に。女性は気付きます。
なぜなら、一番触れられたくない部分だから。たぶんそこは敏感になっていると思う。
少しでも方向がそこにむけば、彼女の心は今よりもっと、かたくなに閉じられて。決して笑みが返ってくることはない。
構えた彼女のかたくなな警戒心は。やがて解けていく。
わかるから。言葉にしなくても。彼は決して、そこには触れない。触れないことを、高言はしないけど。

それで、ほっとしたように少し気持ちを緩めて。
感謝を目に浮かべた彼女が言うのだ。

「優しいね」って。

それで、たぶん目が潤んでるんだよね。泣きだしそうなのを堪えて。唇を少し震わせながら。
無理に笑おうとするから、よけい不自然になる言葉。

彼女は本気で、「優しい」と思っていて。それがよくわかるだけに、彼の胸にこみ上げるのはたぶん。怒りに似た、苛立ち。

彼女の勘違いが、痛いほどわかるから。

優しさじゃないんだよね。好きになっちゃう気持ちなんて一方的なものでさ。相手がどう思ってようと。勝手に増幅して盛り上がって、最後には自分でも持て余して、爆発しそうなの、なんとかなだめすかしてるっていうのに。

優しくしてるのは、博愛精神なんかじゃありません。
あなたがただの友人なら、ここまで深くは考えません。
僕はあなたが好きだから。あなたが苦しむ姿を見たくないから。その傷に触れないだけ。

自分勝手なものですよ。自分の醜さも、汚さも、よくわかってます。
優しいなんて、今の自分から一番遠く離れた言葉なのに。そうやってなんにも知らない顔でつよがるなら。

そんなふうに今も抱えてる傷が痛いなら。
いっそもっと深い傷を、僕がつけましょうか。その傷を、跡形もないくらいにするほど。壊れてしまえば、もう苦しまなくてすみますよ。

って、あー。もう。
そこまで妄想して、この彼はハっと我に返るのです。

本当は、そんなこと考えるくらい残酷なのに。
優しいと誤解したままで、無理に笑ってる彼女と。
嫌われたくなくて、彼女の誤解を解かない、妄想の中でだけ、自由に振る舞っている自分と。

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私が思うに、この彼、彼女を怒ることなんてできないくらいに、愛情深いのではないかな~と。

だから。
このとき一瞬湧き上がった凶暴な気持ちは。

彼女に向かうものというより、自分自身への苛立ちではないかと。

何やってんだ~自分、という。
もう出口、見えないし。

いっそ彼女に対して怒ることができたなら。もっと楽になれるのに。好きすぎて、そんなことできるはずもなくて。
どんな彼女も、愛しくて、愛しくて。

曲を聴いていたら、この苛立ってる男性の気持ちに、入りこんでしまいました。

わかるような気がする~(^^;
もう、この瞬間にも、もっとひどい傷、つけることできるのに~っていう残酷な感情。その気になりさえすれば、簡単に相手を壊してしまえる。絶対できないけど。相手は無邪気に信じてるけど。
でも、そういうの考えるくらい、自分は聖人じゃないのにっていう自嘲。

とても素敵な曲なので。何度も聴いてます。