ドラマ『世紀末の詩』 最終話 感想

ドラマ『世紀末の詩』の感想を書きます。以下、ネタばれ含んでおりますので、ドラマを未見の方はご注意ください。

これ、放送されたのは1998年。まさに世紀末の年。

私はリアルタイムでは見ていなかった。野島伸司さんが脚本を書いているということで、もっと過激なお話なのかと思っていたから。

実際には予想を裏切られるほどメルヘンで、そして深いドラマでした。

おとぎ話なのです。一話完結。ですが、全体を通して見るもよし、一話ごとの独立のお話を楽しむもよし。十一話全部のお話に登場する名コンビ、百瀬と亘(わたる)、それぞれ山崎努さんと竹野内豊さんが演じています。二人が、愛について考察していくのです。

最終話では、二人はそれぞれに答えを出します。

愛は冒険(潜水艦)で、風船だと。

冒険っていうのは。危険を承知で、でも旅立たずにはいられない、そういう気持ちを愛に例えているのでしょうか。
愛は衝動的だからなあ。
理性では、説明できない感情の発露だったり。

冒険家っていうと。山登りとか?
どうして登るのかと問われて。そこに山があるからという答えは、有名な話ですね。

登った先に、なにか目に見える凄いものがあるわけではない。命に代えても惜しくないほどの宝が眠っているわけでもない。

なにかが保証されているわけでもないのに。すべてを投げ打ってでも、心の奥底から涌き出る衝動に導かれて、その先にある景色を見に旅立つこと。

劇中で亘は潜水艦で旅に出ました。それは、愛を象徴する冒険なのか。

見返りを求めない。ああ、求めないっていうのは嘘かな。求めるけど、たとえ何が返らなくても、そうせずにはいられない、なにも変わらない。一方的で激しい、感情のうねり。
だから冒険に出かける。とにかく、そうせずにはいられないから。

そう考えると、愛と冒険は共通点、あるかもしれない。

愛は風船っていう例えは。これは儚いという意味で、共通してるのかなあ。空に昇った色とりどりの風船も、いつかは空気が抜けて。落ちてしまうから。

私は、最終話の亘が好きです。
第二話では、他人(コオロギさん)を見下して大笑いするような卑小な側面を持っていた彼が。一話ごとに成長していった末、出した答え。

里見のことは好きで。
厳しい親に育てられて、人の物を盗るなんて一度もしたことがない彼が、結婚式の日にあなたを盗みに行きますなんて宣言しちゃって。まあ、それくらい好きだってことなんでしょうけど、でも結局行かなかったのは。それが彼の出した答え。亘の愛の形。
盗みたいと思っています。でもしませんよ。僕はあなたが、好きだから。亘の胸中を察するに、そういうことなのかな~。

>僕本当にあなたを、さらいに行きますからね。
>ええ、待ってます。

結婚式前夜。上記のセリフのときの二人は、まるでおとぎ話の主人公のようです。疑いを挟む余地など、どこにもないほどに。ただ、幸せなハッピーエンドを信じる童話の王子様、王女様みたいで。

>里見さん。愛の形が見たくありませんか?
>愛の形?
>ええ。明日見せてあげます。
>約束します。

里見を見上げる亘の表情は、とても大人びて見えました。今までとは違う自分になったから? 愛についてまたひとつ深く、悟ったから?
亘はこのとき、もう二度と里見に会うことはないと、決意していたのだと思います。里見にかける最後の言葉。永遠の別れ。

結婚式当日。

>(中略)生涯の愛を、ここに誓いますか?

そこで黙りこみますかっていう、ね(^^;
隣で新郎は、促すように優しく微笑みますけれども。私だったらもうこの瞬間、心の中で愛情がぷつんって、切れちゃってると思う。

要らないよ。誓いの言葉が言えない花嫁なんて。
他の人が好きなら、その人のところに行けばいいじゃないかーと。無理して、妥協で結婚とか、失礼だろうと。

長い長い沈黙の後。「誓います」と花嫁の微笑。

ひどいな。嘘をついても平気なのか。たった今、この瞬間まで。他の人との未来を夢見てたくせに。その人が来ないなら、次点の人でってことなのか。なんだその変わり身の速さは。

そういう愛って、欲しいですかね。それは、愛というより打算のように思える。
私がもし、花婿の立場なら。要らないですそんなもの。

知らなければ、うまくやっていけるんだろうかこのカップル。
なんだか、でも私が花婿だったら、本当に嫌だ。
ただ、そんな里見を選んだのもまた、本人の意志なんだよなあ…。

私はこのとき、教会に現れなかった亘の気持ちが、少しわかったような気がしました。亘は里見がそういう人だったから、教会に行かなかったのではないかと。

里見の中にある、傲慢な部分を。
恋人を傷付けても構わない。それも、最も劇的に、残酷な方法で。そして相手の痛みに酔い、自己の価値を確認する、エゴイスティックな心を。

そうか。里見は。亘を捨てた花嫁と、同じ存在なのですよね。

そうして、再び亘は彼女と向き合う。愛してると思った相手に。でもそこにあるのは、本当の愛じゃなかった。

彼女は亘を、愛していない。愛しているのは自分だけ。

略奪される花婿。略奪する恋人。亘の立場が変わっただけ。愛しい彼女はただ、状況を楽しんでる。悠然と微笑んでる。

そのとき、亘は気付いたのかもしれない、と思う。
なぜ自分があの結婚式で、惨めな敗者となったのか。それは、彼女の愛が本当ではなかったからです。

この世に、愛は存在します。ただ、真実の愛は、里見にも亘の元婚約者にもなかった。
教会でのドラマチックな奪還を許す花嫁に、愛などあるのでしょうか?花婿を傷付け、恋人に略奪者の咎を負わせ、それで幸せ? そんなはずないし。

最後の逢瀬で、さらいに行くという亘に、里見は嬉しそうに「待ってます」なんて言っちゃってましたが。その返事こそが。亘の行動を決定づけたんだろうなあ。もしも、それをとめる里見であったなら。

亘は教会に、現れたのかもしれない。

亘は、自分が略奪者の立場に立って初めて、略奪者もまた、愛されてはいなかったと知ったのではないでしょうか。

結婚式の前日。別れ際。階段を上がる里見を寂しそうに見上げたのは。自分が愛したのは幻だったと、亘が気付いたからかもしれません。目の前にいる人。姿形は、確かに自分の愛した人なのに。その心には、自分は存在していなかったと。深く悟った、その寂しさだったのかもしれません。

それじゃあまた明日、と言ったときにはもう、わかっていたんでしょうね。おやすみなさい、と言って車で走り去る亘を見送り、里見が不安そうな顔をしたのは。亘の心境の変化を、本能で察知したからだと思います。もう、亘は里見に恋していなかったから。
ただ、悲しい目で見てましたね。

最終話は、謎の少女ミアの演技も印象的でした。坂井真紀さんが演じています。このドラマを見るまで「絶対キレイになってやる」のCMの人、というイメージしかなかったのですが、ミアはハマリ役でした。

>お前は一体誰なんだ?
>死神…私いる…お前も…死ぬ…
>どうして、俺を連れていかない?
>あたし…お前…
>お前は死神なんかじゃない。天使だよ。
>ありがと。

亘を助けようとするミアと。ミアを気遣う亘と。二人の間に存在したのは、愛だったなあと。

私はこのとき、ミアに感情移入していたので、亘の言葉を聞いて胸がつまりました。

ミアは死神。だったら、こんなに好きな亘と、離れるのは必定。一緒にいれば死をもたらすから。なのに。
「天使だよ」なんて、力強い言葉。
いや、こんなこと言ってくれるような亘と別れなきゃいけないんだから、そりゃあ泣くでしょう。泣くしかない。たぶん、死神のミアにそんなこと言ってくれる人、亘しかいない。でも、だからこそ亘を解放しなきゃいけないという、この皮肉。

ミアは、自分の死神という役割に、今までなんの疑念も抱いていなかったんだと思います。ただ亘と出会って、この人を死なせたくないと思って。そのためなら自分が去るしかないと悟ってそれが悲しくて。
別れの時を知ったとき、ただ感情のままにわんわん、子供みたいに泣いた。その姿が、とても可愛かったなあ。

愛について考えながら、キャバレーのトイレでブラジャーを握りしめて独りで死んでいった百瀬。その最後は、百瀬らしかった。
百瀬の意志を継いで、潜水艦で新天地を目指した野亜亘。野亜が、新しい世界を創造するノアその人だとしたら、亘が行く潜水艦の先には、どんな景色が広がっているんだろう。

ノストラダムスが世界の終わりを予言した1999年が何事もなく過ぎ、今年はなんと2012年。『世紀末の詩』その続編があるとしたら、脚本家の野島伸司さんはどう描くんだろう? そんなことを考えていたらなんと、衝撃の事実が発覚。

野島さん、2011年に結婚されていたのですね。しかも23才年下の方と。そしてすでにお子さんがいらっしゃるとは。びっくりしました。自分を作品に投影しない作者はいない、と私は思っているので。亘は野島さん自身の投影だと思っていたから、その結婚はきっと、亘の見い出した新世界そのものなんだろうと想像しています。

ドラマの主題歌は、ジョン・レノンの『LOVE』。これを聴くと、愛って哀しいものなのかなあと、思ったりします。全面的な幸福を歌った曲には思えなくて。
ジョンとヨーコの愛も。この『LOVE』のように、喜びや優しさだけではなかったのかな、としんみりしたり。

愛ってなんだろう。あらためて考えてしまうドラマでした。

『One more time, One more chance』山崎まさよし 感想

山崎まさよしさんの『One more time, One more chance』を聴いています。以下、感想です。

駄目だ。この曲は泣ける。
そのうち泣けない日が来るのかと思いましたが、これは反則技とも言うべき、何度聴いても「泣ける曲」ですね。

私はこれ、山崎さんの歌でなくても、たとえば誰かがカラオケで歌っただけでも泣けてくるので、ひとりでいるとき以外は絶対に聴けないという禁忌の曲なんですけども。

曲中に、「桜木町」という駅名が出てきます。

この駅に、初めて降り立ったときの興奮を思い出します。おお~、ここがそうなのね~と。桜木町という言葉を聞くと条件反射のように、そのときのことを思い出すのです。

私は横浜が好きです。

懐かしすぎて、これまた胸がつまるんですけども。横浜という街の空気や建物が、大好きでした。

不機嫌なときも、憂鬱なときも、ともかく横浜をぶらぶらと散歩すればそれだけでご機嫌になれました。あの土地には強く惹かれるのです。いつか住みたいと思いつつ、その機会はないまま今に至ります。

みなとみらい地区も散歩スポットとしては素敵な場所ですが、山手の洋館巡りも最高です。港の見える丘公園なんて、もう、名前だけでノックアウトされるくらい大好き。何度も足を運びました。

この『One more time, One more chance』は、私の中の横浜のイメージそのもので。歌とともに、昔よく歩いていた景色が鮮やかに蘇ります。ほろ苦くて、少し痛いのです。

冒頭がいい。

別れを自分の罪と捉えたその、ズキズキするような痛みの感覚とか。
罰せられることで罪が贖えるなら、もう一度会えるのかって。冷静に考えればそんな訳ないんですけども。
せっぱつまれば、その矛盾にも気付かない。
どんな痛みを覚えても、だからってもう一度、関係が修復することなどないだろうって、客観的に考えればわかるのに。自分が当事者でどっぷり感情に流されていると、そんな単純なことにも気付かなかったり。
人ごとなら理性が働いても。当事者になれば見えなくなる・・・よくある話です。

つらい思いをしても。
それが贖いになるかといえば、そんなもの、相手には全く関わりのない話ではないでしょうかね。

もし自分なら、別れた相手に対して自分と別れた後、不幸になってほしいなんて思わないなあ。むしろ、自分と別れた後には、記憶をなくすくらい自分のことなんて綺麗さっぱり忘れて、別の人と幸せになってもらいたいです。
覚えていてほしくないし、思いだしてほしくもない。できれば、出会った頃からの記憶を全部、手動で消去したいくらいです。

そして、誰でもいいわけではないという気持ち。忘れられない人がいたら、いつもその人と比較してしまうと思う。
そしてその違いはどうしても乗り越えられないもので。
違う人といればいるほど、好きな人を思い出してしまうのかも。

降るような星空、あまりにも壮大で美しいものを見たら、とりつくろう気持ちなんてきっとどこかに吹っ飛んでしまう。
綺麗な景色に感動したときは、大好きな人とその感動をわかちあいたいその気持ち、すごくよくわかります。

迷いの果てに、行くとこまで行っちゃいましたって感じで、曲は続いていきます。
最初は、その人が住む街だとか、よく行く店で、無意識にその人の姿を探してしまうでしょうけど。そのうち、全く関係ない場所でも、心のどこかで影を追いかけているという、その感覚。

ないに等しい可能性にすら、すがりついてしまう弱さ、みたいなもの。

そして最後の方。ええ~~!! これだけ好きだったのに、ちゃんと言葉で伝えてなかったんかい!! そりゃ未練も残るわ~!!\(;゚∇゚)/

と。私はここでいつも、驚きを覚えてしまうわけですが。
言葉で好きって言わないのは、惰性だったのか、プライドなのか。

でも、大丈夫な気がする。
一応つきあってて、一緒の時間を過ごしたら。相手がどれくらい自分のこと好きか、それは彼女は察していたと思う。

この曲の中のカップルが別れた理由は、好きって言わなかったからじゃないと思うし。
まあ、それには関係なく、ストレートに気持ちを伝えられなかったことを、彼は悔んでいるのかもしれませんが。

どうなんだろう。
言葉って大事か? 言葉なら一度でもいいと思うけど。その一度すら、なかった関係なのかなあ、この曲。

今ならどんなことだって乗り越えられるのに。なにを失ったって構わないのにっていう。でもその肝心なときに、肝心な相手は目の前にいないっていう。

二人ともが、あなた以上に大切なものなど自分にはなにもない、と思うことが、幸福な恋愛の条件なのかもしれません。難しいけど。

でもそれぐらい好きでないと、いろいろ乗り越えられないかもしれないなあ、なんて思ってみたり。

「忘却は、神様のくれた最大の宝物」だとか。たしかそんな言葉を昔、どこかで耳にしたことがあります。あれは誰の言葉だったのだろう。言い得て妙。

失くしてみて初めてわかること。経験してみて、初めて気付くこと。記憶は次の機会に活かされるかもしれませんが、あまりに生生しくては先に進めない。記憶と折り合いをつけながら、ちょうどいい距離を探しながら、時間は過ぎていくんだなあと思いました。

『花言葉』Mr.Children 感想

今日、風に揺れるピンクのコスモスを見ました。コスモスを見ると、Mr.Childrenの歌う『花言葉』を思いだします。

桜井和寿さんは詩人だなあと。
最初の一行が、この曲の総てであり、同時に全ての始まりにも通じるという、物凄いことになってます(^^;
この一行は、小説の始まりにもぴったりじゃないかと思う。

う~ん。どんな物語が始まるんだろう、とワクワクしますね。映画の始まり、主人公のモノローグ、としてもぴったりのセリフのように思います。

カメラが、街角のコスモスを映すんですよ。どこにでもある、平凡などこかの街の夕暮れ。少しの風にも頼りなくゆらゆらと揺れている可愛らしい花に目をとめる、そしてそのままカメラの目線は、主人公の男性の目線と一致するんです。

重なるモノローグ。静かな声。

こういう映画あったら、絶対見ます(^^) 冒頭のシーンだけで、ぐっと惹きつけられてしまう。

以下、この曲を聴いての感想を書いていきます。

曲がなにを暗喩するか、ですけど。
まあたぶん、浮気なのかなあ(^^;

まだ若い男の子で。恋人は、それより年下の、まだ幼さの残る女の子で。彼はその女の子に、優越感を感じていたのでしょうか。
それは、「愛されてる」という気持ちだったのかもしれないし、年上としての「自分の方が大人」という、気持ちだったのかもしれない。

どちらにせよ、たぶん、この彼は、安心してたんだと思います。二人の関係は、自分の方が上だって。

そして、他の魅力的な女の子に、つい目がいっちゃったとか。その女の子との(浮気の)可能性に賭けた彼は、夏の終わりに彼女を裏切ったと。
浮気をした季節がそのまま、別れを暗示する夏の終わりだったところが、意味深ですね。

魔が差したと言いきってる以上、本当に浮気心だったんだろうなあ。
本命は、コスモス=乙女 の彼女。

コスモスの花言葉は色によっても違うし、諸説ありますけれども。
やっぱり「乙女の愛情」、というのが、この曲にぴったりですね。

咲かなかったのは。「乙女の真心」ではないと思う。真心はちゃんと、彼女は捧げてくれてたのではないでしょうか。
届かなかったのはむしろ、「乙女の愛情」。彼の心には届かなかったし、彼がそれに気付き後悔したときにはもう、遅かった、ということで。

浮かんでくる情景。

別れの日に、初めて彼女の大人びた顔を見たショックと、後悔、のようなもの。
たぶん彼女は、今まで年上の彼を、きらきらした憧れの目でずっと見てた。「すごいね~、すごいね~」って。まあ、恋愛は、尊敬の要素がすごく大きいですから。「すごいなあ、すごいなあ」が、「あの人、好き」に変わるまで、時間はそんなにかからない。

だから、彼は、彼女から哀れみなんて向けられたの、初めてだと思うのです。
そして、同時に、彼女が精一杯の背伸びをしていることにも、気付いてしまう。

背伸びをして。平気な振りをして、クールに消えようとしている彼女の心の痛みとか。大人の女性を演じているその踵が、苦しそうに持ち上がっていることに、見て見ぬふりをしたり。
それをさせているのは、自分なわけで。

彼の、子供っぽさが何とも言えません。表現で、とっさに私が思ったのは、「散らかした靴下や洋服の図」でした。
子供っぽさを示す一例として、この彼。外出から帰ってきたときに着てたものとか脱ぎ散らかしてそう(^^; 彼女が何度言っても、洗濯かごに入れたり、ハンガーにかけたりしない。
まあ、そうした行動に代表されるように、すべての行動が単純で、後先考えないその場限りのもので。

真剣さが可愛いらしくもあり、また、子供っぽくもあり。

歌詞からにじみ出てくる彼の苛立ちと、捨て台詞に見え隠れする逆ギレの理不尽さ。

去っていく年下の彼女にかけられた慰めの言葉は、かえって彼を傷付けてしまったんだなあと。まあ、実際に言われたのは、「すぐに私のことなんて忘れちゃうよ=時間が解決してくれる」みたいなこと、だったんだろうけれど。

悲しみに沈んでいても、歩いていさえすれば(生き続けることで)いつかは森にも入るだろうし、その中で、木漏れ日を受けることもあるだろう、ということなのでしょうか。確かに、木漏れ日は無条件に人を癒しそうです。

恋愛関係に限った話ではありませんが。

誰かと関わることで、初めて知った自分の側面、て。そういうの、あると思うんですよね。
一人だったら気付かなかったのに。誰かと関わることで、比較が生まれて、ああ、この人と自分は違うんだ。と。初めて気付けるもの。

そして、補い合える関係の、なんと心地よいことかと。
足りないものを、惜しみなく差し出してくれる相手の優しさに。甘えていた自分、とか。

その優しさに気付くのは。失ってからだったりするのですよね。
だから、君がくれたものを集めて並べて、眺めてみるんだろうなあ。ふっとした時間に。取り出してしまう。思い出してしまう。足りなかったものを、すべて与えてくれた人のことを。

君と出会わなければ。きっと、足りなかったものがあったことにすら、気付かなかったでしょう。

この曲の、淡々としたメロディが素敵です。失恋の歌だから寂しくはあるんだけど、でも、時間が流れていく感じがある。無情に、そして確実に。

歌の主人公の人生にも、時間は容赦なく流れて。彼がコスモスを見て思いだす人のことも、いつかは、記憶の奥底にしまいこまれて、薄れてしまうんだろうなあ。そんな感じの、曲なのです。

『守ってあげたい』松任谷由実 感想

松任谷由実の『守ってあげたい』が買い物に行ったお店で流れてて、思わず耳を澄ませた。

実際、人一人を本当に守りきれるかどうか、なんてことは抜きにして。
その真っ直ぐな気持ちが、響いてしみ入る曲なのである。

そして、こんなふうに思われる人は幸せだなあ、と、うっとりするのである。

ああ、いつの間に。純粋な気持ちを失ったのだろう、と感慨にふけったり。
大人になれば、自分を守る術を覚えて、いくつもの予防線を引いている。
世界は優しいと、信じて疑わなかった遠い日が、確かにあったのに。

今は、基本、身構えている。
何があってもいいように。いつも逃げの体勢だったりする。
それが賢いことなのか、どうなのか。

知っていても知らない振りをするし。
余計なことなんて、しゃべらないし。
いつ豹変されても構わないように、言質をとられないよう、必要以外の言葉なんて口にしないし。

息をころしてトンボを採った夏。

あの頃は、余計なことなんてなんにも考えてなかったなあ。
恐怖も不安も、なかったな。

今はもう、トンボを採る気持ち、そのものがなくなっていたり。
多分、今の私には邪念が多すぎて、トンボもおとなしく止まってなんかいてくれないな。

卵が先か、ニワトリが先か、じゃないけれど。

疑うから、疑うような結果が向こうから歩いてくるのか。
ただまっすぐに信じれば、そういう世界しか、現れないのか。

なんとなくだけど。このくらい真っ直ぐな、ピュアな気持ちでいられたら。それ以外の結果なんて、現実化しないんじゃないかと、そう思えたり。

この歌の主人公は。相手の反応なんて、視野にないもんな。
ただただ、愛してる、愛してるって気持ちがあふれるだけで。ひたすら、幸せを祈るだけ。それだけで。

過去の我が身を振り返るような、そんな曲です。

『渇いたkiss』 Mr.Children 感想

Mr.Children の『渇いたkiss』を聴いています。以下、その感想です。

この曲、気だるさが、夏の終わりという感じで、今の季節にはぴったりではないかと。夏の終わりと共に、急速に冷めていった感じがしますね。

言葉の使い方が好きです。とても。

私、この曲聴くたびに、登場する主人公の駄目っぷりに苦笑してしまうんですよ。未練がましくて、みっともなくて。でもそういう駄目っぷり、自分の中にも密かにあって、もしかしたら、そういう状況に置かれたら自分も、そうやってあがくのかなあと。

完璧な人間なんていないわけで。
弱いところも、情けないところも含めて。

フレーズから読みとれるのは、二人して別れの予感を感じながら、ずるずる現状維持してる、夏の終わりのイメージ。

私の勝手な解釈ですが。
これ、男性の側も、別にそれほど真剣な愛情なんてなさそうだなあって。うんざりしてる彼女に気付いてるこの人自身もまた、発展性のない関係に、どこかで飽き飽きしているような。

そして、読みとれるのは、嫉妬です。

多分、彼女には新しい彼ができたのでしょう。途端に、子供が古いおもちゃを握りしめて、絶対に他の友達になんて渡さないと、顔を真っ赤にしてふんばっているような、そんな彼の姿が目に浮かびました。

自分のものであって当たり前だったときには。なんの価値もないと思えたものが。
他の人のものになると思った瞬間に、宝物みたいに、とても価値あるものに思えてきたようで。

優しくすればいいのに。
離すまいと握りしめた力が強すぎて。執着されればされるほど、心が離れていく恋人の姿を想像しました。

嫉妬を源流とする怒りは、やがて頂点に達するわけですが、これはもう、ありえないだろうなあと思うだけに、主人公の一方通行の思いが哀しいです。賭けてもいいけど、たぶんこの女性は、別れた後、さっぱり忘れてしまうと思う・・・。
ケロイドどころか、擦り傷くらいかも。
少し痛いけど、すぐに直る。薬なんてつけなくても、自然に治ってしまうレベル。

だって、次の恋人がいるから(^^;

ケロイドになるくらいの葛藤があったら、きっと別れたりしないだろうなあ。敢えて別れを選び、新しい人との生活を選ぶなら。迷いなんて、元彼が思うほどには、ないんだと思う。

女性は、前の恋愛を引きずったまま次へって、あんまりないんじゃないんですかね。どこかで折り合いをつけて、ちゃんと気持ちの中で終わらせているからこそ、新しい関係を始められるような気がします。

恋人になってから別れたっていうのには、それなりの理由があるわけで。どこか、合わなかったわけですよね。
もちろん、合わせられる点は、合わせようとする。
でも、どうしても無理ところがあったからこそ、別れるわけで。

だから、別れることにそこまで未練は、引きずらないんじゃないかと。

むしろ、恋人になれなくて、途中で終わってしまった関係の方にこそ、夢をみるし、未練をもつ傾向、あるかなあ、なんて思います。
あのときもし、一緒になれてたら、とか。
あのときもし、告白できていたら、とか。

付き合わなければ、相手を深く知ることもなくて。
脳内補正で、思い出は美しいから。

心のある場所は、きっと心臓の近くなんだろうなと。感情は、脳で発生するのかもしれないけど、感情が揺れたときにはいつも、胸が震えるから。
そして、胸に手を当てると、少し、楽になれるような気がします。