『アンインストール』石川智晶

以前、共感覚についてのテレビ番組を見た。

それ以来、なんとなく色に興味をもつようになり、これは何色だろう?これだったらどんなイメージだろう?と考えるようになった。

たとえば「希望」はレモン色。「怒り」は赤。「憂鬱」はブルー。「期待」はピンク。「ワクワク」はオレンジ。「安心」は緑。

『アンインストール』を聴いていると、限りなく黒に近い紺色が、広がっているような錯覚を覚える。一見、黒にしか見えないけど、でも黒じゃないのだ。それは黒に果てしなく近付きながらも、もがいてもがいて、のたうちまわるような濃い紺色。

曲を聴いて思った。その暗い紺色の海の向こうにあるのは、怒りにも似た激しい感情。波のうねり。赤く燃え上がる炎。黒になりきれない紺色の理由が、そこにはあるんではないだろうか。

本当に純粋な黒なら、たぶんそこからは何もうまれない。存在することすら、かなわないほどの静寂。無の世界。何も変化しない。純粋な黒は、すべてを呑みこんでしまう。意識の揺れもない。

暗い紺色の向こうに広がるエネルギーのようなものを感じた。

歌っているのは石川智晶さんだが、抑揚をつけずに淡々と声を出しているのが、この曲に合っている。

色のつかない声。透明な音が、混沌の夜明け前の海をかきまわすような。

その声は、だけどその海の激しさを歌う。

その海から、あふれる思いを。

曲の中では、言葉が、まるで呪文のように繰り返される。それは、問いかけであり、苛立ちであり、主張であって。

いいなあと思った。

最初は、曲の美しさに惹かれたのだけれど。何度も聴くうちに、言葉も耳に残るようになる。なんだかこの曲って、空に向かって歌ってるみたいだなあと。

空に手を伸ばして、誰かが歌ってるみたいだ。

答えてくれなくても。声の限りに、力尽きるまで、歌うことをやめない。

今日、昼休みに近所の公園を散歩していたとき。

いい天気で、陽射しが暖かくて、私は公園の泉にある女神像を見上げた。背中に太陽の光が当たっているのがよくわかった。背中全体が熱をもって、コートを置いてきて正解だと思った。コートを着ていたら、汗ばんでいただろう。

その女神像が持つ瓶からは、際限なく水が流れ落ちていた。尽きることのない水の流れを見ていたら、頭の中でこの曲が流れ出した。

白い像。曲線の美しさ。風雨の痕を残す影。

女神像の向こうには、高層マンションが、そしてそのさらに遠く、どこまでも続く青空の向こう。

過去に生きた人たちが夢に描いた世界が、次々と実現して、今の世があるんだなあと唐突に実感した。こうなりたい、ああだったらいいのにという思いが人間を動かして、この世を作り出したのだから。そんな話を以前に誰かが書いていて、そのときはふ~ん、と軽く読み飛ばしたのだけれど。

ああ、本当にそうだったんだなあと。

妙に、その瞬間、しみじみしてしまった。

尊敬と憧憬をこめた女神像。自分たちの意識の源への、飽きることのない探求。届きそうで届かない、創造主への距離。

空まで届く勢いの高層建築。飢えることのない、豊かな生活。科学の発展。あらゆる方向に、人の手は伸びていく。

そしてすべてを包む空の、単純明快な青。その向こう、さらに向こう。どこまでも広がる空間。微笑んでいるような優しい空は、だけど秘密をたやすく明かしてはくれない。

『アンインストール』という言葉を、作詞した石川さんは、どんな意味で使ったのだろうか。普通に考えれば、インストールしたプログラムの削除、ということになるのだけれど。

ある種のプログラムからの、解放を意味しているのかなあと、そんなことをぼんやりと思った。

素敵な曲です。

『LOVE BRACE』華原朋美

小室哲哉さんの逮捕。

真っ先に思ったのは、あの豪華披露宴だったな。あの頃すでに、もう全盛期の勢いはなくて。しかも離婚して一年も経ってなくて、前妻との間にお子さんも生まれたばかりだったのに。

あんな豪華な結婚式をする必要、あったんだろうか?と純粋な疑問。

幸せなときって、そんなに人に見てもらいたいかな?

マスコミは芸能人の結婚式を撮りたがるだろうけど、(そういう申し入れも当然あった上でのテレビ中継だったと思うけど)本当に幸せで、相手が離婚したばかりだろうがなんだろうが好きで好きで、一緒になりたいと思った相手なら。

見世物のように、テレビで結婚式を中継するんじゃなくて、とにかく二人きりになれる場所を選んだりするものじゃないだろうか。たとえば海外。島を借りきって、二人きりというのもいいし。当時の小室夫妻なら、それもできただろうに。

「私たち、結婚しました!」というのも、お互い初婚同士なら微笑ましく見られるけど、やっぱり離婚したばかりの前妻は泣いてたと思うしなあ。それなのにテレビ中継してまで、あれほど大々的にやる意味が、私にはよくわからない。

小室さんが、虚ろな目でスピリチュアル系の番組に出たのを、見たことがある。目が暗かった。幸せです、みたいなことを言うんだけど。言えば言うほど、本当に?と思ってしまって。

穏やかというより、寂しそうだった。

いろんなエネルギーを、なくしたみたいに見えた。

小室さんもKCOさんも、今回逮捕されるまではずっと幸せだったのかな。

小室さんの曲の中では、『LOVE BRACE』が好きだ。

穏やかなメロディには、愛があふれてる気がする。どこもかしこも。全部が愛で満ちている。このとき、寝顔を見ているその人は、その姿を誰かに見せつけたい、なんて思うだろうか? いや、思わないだろうなあ。

たとえ相手が眠っていても。その人が自分を好きでいてくれることを知っている。自分もその人を理解して通じ合ってると、心からそう思えて。だから、ゆったりと幸福感に酔いしれている。

そしたら、それを誰かに見せたいなんて思わないものね。

むしろ、世界中に、今二人きりという錯覚にとらわれるんではなかろうか。他人に認識してもらわなければ不安になるような、脆い絆ではないという確信。

そしてその人は、眠っている人を起こしてまで何かを試そうだなんて、思わないだろうなあ。無理を言って困らせなくても、愛されてることを知ってるから。わかるから。

『LOVE BRACE』はいい曲です。

『亡國覚醒カタルシス』ALI PROJECT

ALI PROJECTの『亡國覚醒カタルシス』を聴いてます。

Sound Horizonと似たところがあるかも。全てではありませんが。ALI PROJECTの方がもっと生生しい映像を歌っているような感じですかね。Sound Horizonの世界は、ガラス一枚隔てた世界のように、美しい幻想でできていて。ALI PROJECTはもっと、内面に迫るものがあるというか。

ALI PROJECTでは『亡國覚醒カタルシス』と『聖少女領域』が好きです。この2曲には魅入られました。

傷の位置がぴたりと合ったときの、痛みが軽減される感覚。言葉じゃなくて、痛みを共有するその瞬間。

凛としたプライド。姿勢をぴんと伸ばして空を見てる。倒れたりしない。そんな気迫を感じる歌です。たとえなにがあっても、見上げてる。真っ直ぐに見てる。目を逸らしたりしない勇気。

錆びた螺旋階段を下りていくイメージが、浮かびました。頼りない鉄の手すりに手をかけて、高い塔の中、暗闇の中へ足を踏み入れていく。

塔の窓から射す、外界の弱い光。その光は、塔の内部、地下の奥底まではとても届かない。渦巻く埃を、穏やかに映し出すだけ。

それでもその場所に、行くしかない、という決意が、伝わってくる歌でした。

『エルの絵本 【魔女とラフレンツェ】』Sound Horizon その2

昨日の感想の続きです。

彼は、少年の日に見た理想の少女、「エリス」を甦らせることに失敗し、ラフレンツェは哀しみと愛しさと、そして恨みをこめて残酷な呪いを歌った。

最初からないものよりも、「あったものを失うこと」の方がつらいです。だから、ラフレンツェはまず「エル」を与え、そして奪うという行動に出たのかなあ。

ラフレンツェの呪いは彼の死後にも及び、彼は自分が死んでも「エル」と再会はできず、永遠に彼女を探し続ける亡者となり果てた。彼の愛する「エル」もまた、本当の楽園に上がることはできなかった。たしかに、こんなに残酷な話はありません。ラフレンツェの復讐は成就したといえます。

同時に、ラフレンツェもまた、地獄におちたわけで。

愛した人も、授かった子も、2人ともが苦しんでいるのを知って、ラフレンツェが幸せなはずがありません。

『Elysion~楽園幻想物語組曲~』というタイトルの重さを感じます。

スクリーミング・マッド・ジョージさんが演出したライブの中では、この曲を、作詞作曲したRevoさんが、竪琴の青年=ラフレンツェを裏切る彼、を演じています。顔があまり見えないところがいいです。一心に竪琴を弾いているところが、私の思う「彼のイメージ」にぴったりで。

たぶん彼は、そんなに罪悪感なかったと思うんですよね。ラフレンツェの怒りとか、哀しみとか。結局、呪いの歌を歌われた後も、気付かなかったんじゃないかなあ。ひょっとしたら、「エリスは生き返らなかったけど、エリスの分身ともいうべきエルを授かって、大ラッキー」くらいに、考えていたのかもしれない。

あんまり細かいことなど考えてなくて、単純な面があるような。ごちゃごちゃ人の感情について思いをめぐらすよりも、そのときの自分の感情に素直に従って、あんまり後先深く考えることはなかったような気がします。

逆にラフレンツェは、感情に溺れるというか、深読みしすぎる傾向があるというか。最初に出会った男性が、「彼」であったことが不幸の始まりでした。

あとは坂道を転げるように・・・相手をどんどん好きになっていく感覚。でも現実世界で、相手の意志に反してこれをやればストーカーです(^^;

あまりにも激しすぎる感情は、相手を焼き尽くしてしまうのですね。もっと、もっと、と、満足することを知らず。両思いで、2人で燃え上がってる分にはなんの問題もありませんが、温度差があれば悲劇となります。相手がすべて灰になって、もう燃える要素なんてかけらも残っていない時点で、初めて虚しさに気付くのではないでしょうか。そしてやっと、胸の飢餓感から解放される。

楽園はあくまで幻想であり、どうあがいても手の届かないところにあるのかもしれません。だからこそ、楽園であり続けることができるのでしょう。

『エルの絵本 【魔女とラフレンツェ】』Sound Horizon その1

Sound Horizonの『エルの絵本 【魔女とラフレンツェ】』という曲についての感想です。

ライブ映像だと、表現が直接的すぎてあまり好きな曲ではなかったのですが、映像なしで何度も聴くうちに、ぐいぐい引き込まれていきました。大人な曲なので、18禁だと思いますが(^^;

曼珠沙華の学名がリコリスだと、初めて知りました。この音の響きがなんとも・・・。不思議な響きですね。別世界を感じさせます。

曼珠沙華という言葉で、目の前には群生する禍々しい花のイメージが広がりました。曼珠沙華(彼岸花)が恐いと感じるのは、その派手な色や美しい形にも関わらず、花束に使われることもなく、「異質なもの。通常の花とは別枠」という暗黙の了解があるから?ですかね。

なによりドキリとするのは、葉がないこと。お彼岸の頃、突然赤い花が咲き乱れ、あっという間に散ってしまうイメージがあります。人目を引かずにはいられないほどの赤、それなのに、あるべきはずの葉がどこにもない。

まるで造花をいきなり地面に突き刺したかのように見えるその姿が、心に不安をかきたてるのです。この花はいったい?と。

私が子供の頃、彼岸花はお寺のそばに群生していたので、よけいに、「死」や、「墓」というイメージと繋がるのかもしれません。

毒を持つ植物ではあるけれど、長時間水にさらすことによって毒抜きが可能で、球根は戦時中に食用とされたこともあったとか。

「生」と「死」。二面性を持つ美しい花。その花が咲き乱れて、そして楽園がある。

曼珠沙華は、どちらの世界に咲くのだろう、と思います。

ラフレンツェのいるこちらか。死者の佇むあちら側か。

どちらの川岸にも、同じ曼珠沙華が咲き乱れているのでしょうか。

鮮やかな赤色に、密かに毒を隠して。ラフレンツェの純潔の結界が破られたから、冥府にしか咲かないはずの花が、狂い咲いたとも考えられます。

『Elysion~楽園幻想物語組曲~』というアルバムの中で語られる、楽園への尽きない憧れ。この世界観が大好きです。楽園は救いで、その楽園に手を伸ばして伸ばして、でも届かない。そのもどかしさは、大なり小なり、誰もが経験するところではないでしょうか。

今頃になってわかったのですが、「エル」は、ラフレンツェの子供だったんですね、きっと。そんな気がします。だから『エルの楽園 「→ side:E →」』という曲の中に、男のつぶやきが入っているのかと。

「エル」を溺愛する男が、なぜその母である女性を愛さないと言いきっているのか不思議でした。でもこの「魔女とラフレンツェ」を何度も聴いているうちに、だんだん謎が解けてきたような気がします。

ラフレンツェが、巫女のような女性だったから。

そもそも、彼は最初、ラフレンツェに子供を産ませようとしたのではなく、ラフレンツェの力を利用して、自分が少年の日に恋に落ちた、あの「エリス」を生き返らせようとしたのかなあと。

その辺りはギリシア神話のオルフェウスとエウリディケをモチーフにしているみたいですが、日本のイザナギ・イザナミ神話も彷彿とさせるものがありますね。

ちょっと長くなりましたので、続きは夜12時過ぎにUPします。