厳しかったピアノの先生

 私は4才から16才まで、音楽を習っていた。最初はヤマハ音楽教室。皆で合唱したり、合奏したりと遊びながら音楽と触れ合った。

 その後エレクトーンのコースをとって、そのコースが終了すると同時に、近所のピアノ教室に通い始める。

 エレクトーンの先生は、ものすごく優しい先生だった。私はその優しさに甘えて、どんどんわがままな子供になっていった。弾いている最中、何度も間違えると、自分で自分が許せなくなり「もうやめた」と演奏を中断。

 最後まで弾かなくては駄目よ、と優しく諭す先生に、「だって嫌なんだもん」と言い返す始末。可愛くない子供である。だがY先生は決して怒らず、困ったわねえと言うだけだった。当時の先生は、こんな言葉をノートに書いた。

「今月の目標:途中で投げ出さず、最後まで弾きましょう」

 とてつもなく低い目標である(^^;

 テクニックうんぬんの前に、まず最後まで弾けと。

 そして、そんな優しいエレクトーンの先生の後に習ったのは、スパルタなピアノの先生だった。2人の先生のギャップは、すごいものがあった。

 私は別にプロの音楽家を目指していたわけではないのだが、ピアノのT先生はとにかく厳しく、妥協を許さなかった。一度、「言われた通りのリズムがとれない」という、ただそれだけの理由で激しい叱責を受け、なんと途中で帰されたこともあるのだ。小学生相手に、それはどうよ?という気もする。

 「もうこれ以上やっても無理。帰りなさい」

鬼のような形相の先生を前に、私はすごすごと帰るしかなかった。

 あるときには、上手く弾けない私に苛立ったのか、私の手をペシリと叩いてみたり。とにかく怖かった。今でも思い出すと、笑顔の先生ではなく、怒ったような表情の先生が浮かんでくる。

 あまりにも怖かったので、私は前の生徒さんがピアノを弾いているとき、教室に入れなかったことがあった。本当は前の人が弾いているときに挨拶をして教室に入り、部屋に置いてある本を読みながら待つ、というのが決まりだったのだが。

 部屋に入れない私は、教室の周りをうろうろ歩いていた。花壇に植えられた花を触ったり眺めたりしていると、2階の窓が開き先生が怒鳴った。

「なにしてるの!早く上がってきなさい」

そして私はとぼとぼと、重い足取りで階段を上がるのだ。

 だが不思議なことが1つある。そんなにも怖い先生だったのに、私はそれが理由でやめようと思ったことは1度もない。これは自分でも、本当に不思議。そうまでして続けなくてはならない理由なんて、どこにもないのに。

 なぜだかわからないが、私は「ピアノは習って当たり前のもの」と思いこんでいた。だから、選択肢に「やめる」というオプションはなかったのだ。どんなに怖くても、「やめよう」だの「やめたい」だのという気持ちは、全く無かった。

 中学生になり、部活が忙しくなると、レッスンを遅い時間にずらしてもらった。相変わらず練習をさぼる不出来な生徒で、お世辞にもピアノが上手な生徒ではなかったが、先生も長く教えるうちに愛着がわいたのかもしれない。本当はやっていないような遅い時間、特別に私のために、レッスンの時間をとってくれた。

 ただし、怖さは変わらず。

 私が下手なせいもあるのだろうが、先生はいつもピリピリしていて、レッスン中には全くなごやかな空気はない。

 16才のとき、事情でピアノをやめることになった。レッスン最後の日。先生はしみじみと、こう言った。

「あなたがこんなに続くだなんて、全く思っていなかったのよ。すぐにやめると思っていた。だって、教室にすら入れなくて、外にいたこともあったでしょう?」

怖かったんです・・・・とは、先生には直接言えなかった。

「それと、1つ謝らないといけないことがあるの。あなたは1日のレッスンの最後になることが多かったから、私は前の生徒さんのときのイライラを、あなたに持ち越してしまうことがあったと思う・・・・」

そうですよね、と、その言葉に内心深くうなずく私なのであった。

 なんだかわからないけど、最初から怒りモードのときがあったもの。先生がピリピリしていて、ちょっとのことでもすごく怒られたり。自分でも???と思っていたのが、先生の言葉で氷解した。

「前の子が練習してこなかったりすると、どうしてもね・・・。それが2人も3人も重なった後にあなただと、つい当たってしまったことがあったから。ごめんなさいね」

 そして先生はお別れにと、いつもは弾かないピアノの曲を、数曲弾いてみせてくれたのだった。怖かった先生が、その日はとても優しかった。8年間の師弟関係。最後の日が一番、近づけた瞬間だったように思う。ただただ、怖いだけの存在だった先生が、その日は違っていた。

 今思うと、いい先生だったなあ。一度も「やめたい」と思わなかったのは、そんな先生だったからなのかもしれない。無意識に、それをわかっていたからなのかもしれない。

 その先生のおかげで、譜面さえあればとりあえず、知らない曲でも弾けるようになった。買ったままでしまいこんである『ダンス・オブ・ヴァンパイア』の譜面、今年中には弾けるようになりたいなあと思う。近所にピアノを貸してくれる音楽スタジオがあるので、一度出かけてみるつもりだ。

キャセイパシフィック航空のCM

 いいなあと思うCMがある。キャセイパシフィック航空のCM。CNNを見ていると、よく流れる広告だ。歌声が耳に残る。こんな歌詞。

Everyday I wait for you

Have you gone away?

Will I see you again?

>毎日あなたを待っている

>遠くにいるの?

>また会えるかな

>部分は、私が日本語に訳したものだ。

歌は英語のみ。

淡々と歌われている。

オルゴールの素朴な音色をバックに、見知らぬ異国の風景。そして、forget something? (なにか忘れてませんか?)の文字。

 別に再会を待ち望む相手がいるわけではないのだが。

 なんとなく、遠いどこかに会いたい相手がいるような気分にさせられる。CMマジックである。

 いつか行ってみたい外国はエジプト。実際にピラミッドを見てみたいのだ。砂漠の中に立って、満天の星空を見てみたいというのもあるし、バザールのざわめきを体感してみたいというのもある。

 昔、久保田早紀が「異邦人」という歌を歌っていて、私はその異国情緒に憧れた。バザールを表現したこんな歌詞。

>祈りの声 ひづめの音 歌うようなざわめき

 これを聞いたとき、ブワァーっとイメージが広がった。実際にはそんな場所に行ったことなどないのだが、そういう場所に立っている自分を想像してうっとりした。周りの雑音が心地よいというか。

 私はもともと、大勢の中に紛れる自分、というシチュエーションが好き。その場所にいて、違和感のない自分を、心地よく感じる。大きなパズルの中、その中の一片である自分が好き、というか。

 砂漠の星空って、さぞかしすごいんだろうなあと思う。遮るもののない、360度の視界に、キラキラ輝く光点の美しさ。見上げてみたい。

 実は今年に入ってから、エジプト旅行を真剣に考えた時期があった。パスポートを更新したり、いろいろ具体的に動いたのだが、結局実現しなかった。だけど不思議なもので、エジプトで観光している自分自身を、心の中でたやすく思い描くことができる。

 キャセイパシフィック航空のCMを見ながら、「海外に行くなら、エジプトだな」と思う今日この頃なのだった。 

美しい人

 美しい人を見ました。ちょっと(かなり)遅い話題ですが、マックスファクターのCMに出てた綾瀬はるかさん。綺麗だな~。

 動画を見て、あまりに美しいのでうっとりでした。恋人?と思われる男の人は、肩の一部だけがぼやけて映っていて、その人とほぼ同じ目線で彼女を見るアングルです。

 私は女性ですが、もし男性だったら。そしてこの、綾瀬さんに向かい合っている男性だったら、やっぱり見惚れてしまうでしょうね。

 私は派手な化粧や洋服は嫌いなんですが、このCMの綾瀬さんはお嬢さんぽくて素敵。清楚だし、素直そうでまっすぐで、こんな女の子に優しく微笑まれたら・・・。間違いなく、惚れますね。(きっぱり)

 「私じゃ、駄目かな」なんて台詞もありましたけど。駄目なわけないじゃ~ん、と思わず言いたくなってしまった。

 「何か言ってください」という言葉の後、不安な目をするところがキュートです。相手の顔に答えを見出そうとして、瞳が揺れるんですよね。ぐぉ、可愛い。可愛すぎる。その揺れの中に、「やっぱり駄目かも・・・」とか、「もう会えない?」とか、悪い予感が胸をよぎってるんだろうなあと思わせるものがあって、ほんの短い時間のことなんですが、その表情にたくさんの思いがつまっている。

 好きな相手にこんな顔(しかもかなりの至近距離)されたら、もう、言葉を失ってしまうでしょうね。CMの中の男性は、やっとのことで一言。「綺麗だよ・・・」わかります。わかりますよ~。長い言葉なんて言えない。だって、本当に綺麗なんだもの。ただ、吸い込まれるようにみつめてしまいますよね。

 素直な一言。本当に率直な感想。それを受けた綾瀬さんのはにかみ方がまた、素晴らしい。

 その照れ方が初々しくて、好感持てました。綺麗だよと言われて、傲慢な態度がつい出てしまう人もいるだろうし、優越感にひたる人もいるかもしれない。

 だけどこのCMの中の綾瀬さんは、好きな人、それもたった今まで、「きっと自分を好きになってはくれないだろう」と思っていた相手からの賛辞が本当に嬉しくて、偽りでない素直な感嘆が胸に響いたのでしょう。恥ずかしくて目を見られなくなってしまう心の流れが、とても自然に伝わってきました。

 この2人は、どういう設定なんだろうと考えました。

 男性の方は、30位? 綾瀬さんとは知り合ったばかり。なにか助けてもらうようなことがあって、お礼の意味で食事に招待したとか。

 綾瀬さんに対しては、好感はもっているけど、それはまだ知人レベル。

 食事といっても、別に下心があるわけでなく軽い気持ちで。2人きりでの食事は、ちょっと意味ありげかな~と、自分でも多少、気にするところもあり。

 いつも明るくてカジュアルな服装が多い彼女が、今日はレストランの雰囲気に合った大人びた装いで。灯りの下で見る彼女の肌が、まるで陶器のように輝いていて。自分をじっと見つめる瞳が、せつない感情に揺れているのを見たらなんだか、不思議な気持ちがこみあげてきた・・・と。

 綾瀬さんの立場からしたら。

 たぶん、綾瀬さんはもう、最初から恋におちてたんでしょうね。だけど言えない。自分じゃ駄目なのは、わかっている。ずっと一緒にいたい。でも言えない。

 そんなときに、お礼といって、食事に誘われて。

 もしかしたら、会えるのはこれが最後かなーなんて思っていたのかもしれない。だから、一番きれいな自分になって、会いにいった。後悔のないように。

 彼の目に映る私が、せめて、綺麗でありますようにと願いながら。

 彼の口から、否定的な言葉が出てくるのが怖かったんでしょう。理性ではわかっていても、悲しい言葉は聞きたくない。だから、黙りこんでいつもと様子の違う彼を前にして、不安になる。

 そして、怖いと思いながらも、本音が聞きたいと願ってしまう。

 短いシーンではありましたが、想像がふくらみました。

 綾瀬さん、とても綺麗です。

 このCMを作った人のセンスは素敵ですね。演出が素晴らしいと思いました。

石原真理子さんの暴露本に思う

 石原真理子さんが暴露本を出したとのこと。私はまだ読んでいないが、内容はかなりきわどいものらしい。特に、昔不倫をしていた安全地帯の玉置さんのこと。彼に骨を折るほどの怪我をさせられたとか。ショックだった。

 暴露という形に、「今さら」という批判もあるようだが、私は気の毒だなあと思った。石原さんに同情してしまった。たぶん彼女の心の傷は今も癒えず、あれからずっと、痛み続けていると思うから。

 それは、石原さんにとっても、玉置さんにとっても、不幸な恋愛だったはず。だけどそれに気付かず、今でも恋愛感情を残しているようにみえる石原さんは、深く病んでいるように思う。

 健康な女性は、暴力をふるう男を好きになったりはしない。暴力をふるわれたら、怒り、悲しみ、すぐに自分を守ろうとするだろう。百年の恋だっていっぺんに冷める。そんな相手と、一秒だって一緒にはいられないはず。

 ひどい暴力をふるわれて、それでも離れられないのは、女性の側になにか深いトラウマがあるのだと思う。それが正常な判断力を狂わせ、幻影をみせる。

 不倫が騒がれた当時、年下の彼女が会見をして、そのときに見せた涙。対して、玉置さんは全く表に出てこなかった。今考えると、おかしいよなあと思う。猛烈なバッシングを受けたのは彼女だけで、なぜか玉置さんはあまり批判されていなかったような。

 あまりにも強烈な体験をしてしまうと、そこから抜け出すのはなかなか難しい。周囲のサポート、そして本人の変わろうとする強力な意志がなければ、自分を変えることはできないのだ。

 

 石原さんは、今、幸せではないと思う。苦しんでいると思う。もう終わったこととして涼やかな顔をしているのは表だけで、実際は今なお、消えない記憶にあがいているのではないだろうか。

デヴォン青木

 お久しぶりの更新です。いろいろあったんですが、ありすぎて書くのをためらっているうちに日が過ぎてしまった。

 最近の変化といえば・・・・・。デヴォン青木が好きになりました。デヴォン青木はトップモデルで、女優さんとして映画にも出てます。初めて見たのは、リーバイスの店先のビデオ。

 たまたま通りかかったお店で、彼女のインタビュー映像が流れてまして。一目見て、惹かれました。全然知らない女の子ですが、魅力的だなあと。ジーンズにシンプルなシャツ。それなのに、ハっとするほど綺麗でした。

 本当の美しさって、シンプルなものなのだと思いました。肌の滑らかさだったり、余計な肉のつかないひきしまった体だったり。

 なにげなくしているポーズでも、それなりに筋肉がないとこなせないものだと思います。カメラの向こうに、なにを訴えかけるのか。

 なにも考えていない目ではありませんでした。「私はここにいる」「私は私」と主張している、その目に魅了されてしまいました。

 もともと私はクリスティーナ・リッチとドリュー・バリモアが好きでしたが、デヴォン青木も、この2人と同じ雰囲気を持っていると感じました。

 そういえば、クリスティーナ・リッチの『スリーピー・ホロウ』素敵だったなあ。ああいうクラシックな衣装が似合う。ジョニー・デップと視線を交わすダンスシーンが印象深いです。私がジョニーの立場だったら、やっぱり恋におちてたでしょうね。

 そんなわけで、店先でずいぶん長いこと、デヴォン青木出演の映像を見てました。それで、家に帰ってきてからネットで彼女のことを調べ、あのベニハナで有名なロッキー青木のお嬢さんだということを知ったのです。

 大事に育てられてきた娘さん、という感じですね。ひねたところがなくて。

 西洋と東洋の入り混じった不思議な顔立ち。見る角度によって、表情が全然違う。童顔といえば童顔ですが、ときに大人びた表情も見せる。すっと背筋が伸びて姿勢がよくて、体中から自信がみなぎっている。

 傲慢になっては見苦しいですが、自信というのは人を美しくみせるものだと思いました。

 自信とか勇気は、私に一番足りないものです。だから、それを持ってるデヴォン青木に惹かれるのかなあと思いました。「今までやったことないことで、あなたが本当にやりたいと思うことをやってみて」というメッセージが、心に残りました。

 

 思えば、夏に見たダンス・オブ・ヴァンパイアも「欲望に従え」だの「モラルを捨てよ」というメッセージが満載だったっけ。最近、不思議なことに周囲の人たちから、「勇気をもて」というメッセージを受けることが多いのです。

 この曲いいよ~、と職場の同僚に紹介されたのが、玉置浩二さんの『しあわせのランプ』。しあわせになるために生まれてきたんだから・・・という歌詞がいいですね。

 これまで、私は暗い顔をして、ずっと下を向いていることが多かったのですが、最近やっと自分が変わり始めたのを感じます。いろんなことがあって、自分の考えも変わってきたのです。こだわりを一つ一つ捨てて、閉ざしていた心を開くようになって。そうすることで、また周囲の流れが変わり、それがまた自分に影響し・・・。以前に経験したショックな出来事を、まだ克服したわけではないのですが、それを乗り越える決意ができたというか、少しずつ歩き始めたという自覚があります。

 

 「明るくなったね」「変わったね」と言われるようになりました。

 自分でも、考え方が変わったと思います。少しずつですが。そして、周囲も変わった。今の職場は本当に人間関係が良好で、穏やかな人ばかりに囲まれてます。自分の心が、癒されるのを日々感じてます。

 自分に自信を持つこと。勇気を持つこと。いつも笑顔でいること。臆病にならず、飛び込んでいくこと。今年もあとわずかですが、私は変わりたいと思ってます。今年の年末には、「これが私です」と、胸を張って言えたらいいなあと思うのです。