『ダンス・オブ・ヴァンパイア』本当の願い

 舞台『ダンス・オブ・ヴァンパイア』の中で歌われる「抑えがたい欲望」という曲について。昨日書いたものの続きです。

 曲に対して思っていたことをあれこれ書き出してみて、自分の中の曖昧な感情が具体的な言葉になって、それなりに納得していたのですが。

 その数時間後にふと、気付きました。

 ん? もしかして、だけど。この「抑えがたい欲望」って、吸血鬼になってからの「抑えがたいほどの吸血願望」を指してるのか? と。

 あれ、もしかしてこれ、気付いてないの私だけだったのかな。そう考えてみるとそうのような気がしてきた・・・。みんなこれ、最初からわかってて、だからタイトルに違和感とか持たなかったのかな。

 あの墓場で。吸血鬼になった我が身の運命を呪う伯爵。あのときみせた悲しみは、「血を求めずにはいられない因果」への苛立ちでもあったのか? そう考えると、あのタイトルはかなりぴったりというか、まさにそのものではないか??

 でも。
 その後しばらく、あーでもないこーでもないと考えを巡らせたあげく、最終的に、伯爵の胸の内にあるのは、激しい欲望というより悲しみである、という結論に達したのでした。私の中で。あの場面を端的に表すのに「抑えがたい欲望」というタイトルは、やっぱりしっくりこないです。

 なぜかというと、もしもそのような激しい欲望。抑えきれない、身を焼くような衝動があるならば、それが満たされたときの幸福感は相当なもので。それは、あの墓場に佇む孤独な伯爵から、感じられなかったからです。

 吸血鬼である伯爵の中にある「血が欲しい」衝動がそれほど大きければ、願いが叶ったときの反動もまた、凄いものがあると思うんですよね。
 うわ~幸せだ~。もう言葉じゃないや。これこれ、この血だよ~、みたいな。

 時間がたてば、そこに元人間としての理性が蘇り、自分の浅ましい行動を嫌悪する、なんてこともあるとは思うんですが。それ以上に、吸血行為の快楽は大きいんじゃないかなあと。それだけ「血が欲しい」衝動が抑えられない欲望で、あるとするならば。

 だけど、私はあの墓場でぽつーんと立ってる伯爵を見たときに、伯爵の抱えてる悲しみが、妙にリアルに伝わってきたような気がして。その悲しみの波動みたいなものに共感したんですよね。
 それは、抑えがたい欲望、というのではなくて。
 悲しいんです。
 なにかをしたい、とかじゃないんです。
 とにかく悲しくて、苦しくて。運命に答えを求めていたような。

 この悲しみはどこから来るのか。
 なぜ自分はこんな気持ちでいるのか。

 もうどこにも、胸を震わせるような幸福感はない。
 あの1617年の娘を失ったその日から。喪失感は消えない。同じ立場であるはずの、城の住人たちはそれを疑問にも思わず、吸血の快楽を享受し続ける。

 異端である彼らの中で、そんな彼らにも理解されない悲しみを抱くのは、たぶん伯爵が異端の異端だからで。

 いつかまた、あの1617年の娘と同じ存在に巡り会えるのか。
 それとも、この静かな悲しみを抱えたまま、永遠に苦しみ続けるのか。
 わかりあえる人もいない。慰め合える人もいない。共感できる人もいない。

 それなら、自分という存在は一体、何なのだろう、と伯爵は思ったのではないでしょうか。
 与えられたものを理不尽に奪われ、苦しみ続けるだけの永劫の生、そこに意味はあるのか? という話です。

 伯爵の胸の奥底にある、心からの願いが「血を吸うこと」であるならば、吸血行為で満たされ、疑問の生じる余地はないんですよね。願いがあり、それが叶えられる、それ以上のことなんて、必要ないから。

 伯爵が相変わらず不幸なのは、伯爵にとって、血を吸うことが本当の願いじゃないから。だから、叶えられたって満たされない。胸の飢餓感は消えない。

 これって、暗示でもある、と思いました。
 願いが叶ったはずなのに、何故か心が晴れない、気持ちが沈む。何かが足りない気がする、というのは。
 それは「本当の願いではない」のが理由だという、そういうことが世の中には多いのかもしれないですね。

 自分が本当に望むことは何なのか。
 自覚することは難しくて。
 それがわかればもう、幸福へのチケットは手に入れたも同然なのかも。

 伯爵の本当の望みは。
 欲望と呼ぶにはあまりにもささやかな。1617年。初夏の眩しい光の中で過ごした、娘とのひととき。

 これは前にも書いたことがありますが、私はこのとき、夜じゃなくて真昼間を想像してるんですよね。目の前に好きな子がいて。空は青くて、太陽が暖かくて。緑がどこまでも柔らかく広がっていて。手を伸ばせば、その子の存在に、触れることができた。

 その瞬間の、圧倒的な幸福感を。
 あの1617年。暖かなあの光景を。

 静まり返った夜の墓場。
 月の光も届かない暗闇の中。伯爵の胸にある感情を、「抑えがたい欲望」とするのには、やはり、抵抗を感じてしまいますね。
 うまく言えないけど、あのときの伯爵は本当に、悲しかった、です。

「抑えがたい欲望」そのタイトルは何を表すのか

 今日は、舞台『ダンス・オブ・ヴァンパイア』の中で歌われる「抑えがたい欲望」という曲について語りたいと思います。

 私は舞台を初めて観て、パンフレットを読み曲のタイトルを知ったときからこの、「抑えがたい欲望」という言葉がどうにもこうにも、気に入りませんでした。曲も訳詞も大好きなんですが、タイトルだけが思いっきり的外れのような気がして・・・。

 違和感の一番の原因は、「欲望」という言葉の語感だったりします。

 欲望って言葉を聞いて私が想像するのは、油ぎとぎとの、なにか悪臭を放つとてつもなく汚くてエグいもの、ですね。

 それも、普通の油じゃなくて、相当年数たって、黒く変質しちゃってるの。一度手に触れたらもう、否応もなくあちこちに広がっていって、それを拭おうと綺麗なハンカチなんかでこすっても、駄目で。ハンカチが汚れるだけじゃない。拭けば拭くほど、むしろその黒いシミは大きく広がるばかり。

 そんな、やっかいでけがらわしいもの。というイメージが、「欲望」という言葉にはあります。

 「願い」とか、「祈り」とかなら、とたんにそれは清々しく芳香さえ漂う、光をまとったなにか、に、なるんですけども。なんだろうなあ、「欲望」って言葉を聞くと、私はすごく、おどろおどろしい、触れてはいけないもの、を想像してしまうんですよね。

 ちょっとイメージしてみます。「欲望」・・・・うーん、やっぱり、あんまりよろしくないイメージしか浮かばない(^^;

 そんな、私にとっては禁忌のような言葉、「欲望」を。果たしてあの、墓場に立ち尽くすクロロック伯爵が抱いているのかといえば。

 なにか、もうそういうところは通り越しちゃってる感じがするのです。「欲望」を抱いていた人間時代の伯爵はもういなくて。あそこにいるのは吸血鬼になって久しいクロロック伯爵で。

 あのとき、墓場に独りきり立ち尽くして、胸の内を素直に吐き出す伯爵の姿を見ていますと。そこに見える一番大きな感情は、悲しみ、のような気がします。悲しくて、悲しくて。そして苦しい。もがいてる。

 曲のタイトルには、その「悲しみ」をイメージするような言葉が合うのになあ、と、私はぼんやりそう思うのです。でも具体的になにか例をあげようとすると、イメージは霧のまま、つかもうとしても手にはなにも残らない。言葉って難しいですね。きっと、ぴったりの言葉を聞けば「それだよ!! まさにそれ!!」って、言えると思うんですが。今自分で考えても、さっぱり浮かんできません。無理やり候補を挙げるならば。

☆闇夜の誓い→ラノベのタイトルぽい。
☆時間の囚人→洋書の翻訳ものでありそう。
☆伯爵の独白→ベタでなんの捻りもないけど、だからこそシンプルでいいかも?
☆解けない命題→吸血鬼である我が身の運命、伯爵はその謎を解きたいと考えているだろうから。
☆追憶の中で→ハーレクインのタイトルでありそう。
☆最後の支配者→SF物などの、洋書翻訳でありそう。
☆神への挑戦→ノンフィクションで、DNA解析にまつわる研究者の奮闘などを描いた作品ぽい。
☆月と吸血鬼→あの曲を歌うのは闇夜の設定だけど、舞台を見ていると月光の幻がみえる気がする。
☆祈りの果てに→伯爵は、もはや祈ってはいないか・・・。
☆世界が終わる日→永遠の命を与えられた伯爵に、その日がくる保証はない。

 ということで、結局コレだ!と納得するタイトルは考え付きませんでした。

 うーん。でもでも。あの墓場で、孤高の伯爵の立ち姿、そして歌声を耳にしてしまった者としては、「抑えがたい欲望」というタイトルは、やっぱりピンとこないのです。あの姿にこのタイトルかあ・・・と。

 と。ここまで書いて、ふと考え付いたのですが。
 もしかして、「抑えがたい欲望」とは、あの1617年。金の髪の娘(私のイメージの中では、太陽をそのままとじこめたみたいな、金髪なんです)の喉元に思わず喰らいついてしまった、その欲望のことを指しているのでしょうか?

 あのとき、愛しい娘を抱きしめたとき、自分の中に抑えきれないほどの黒い衝動が湧き出でた。その衝動が今の自分、醜い吸血鬼、残酷な永遠の命をもたらしたのだと、伯爵はそう言いたいのでしょうか。

 そして自分の体験を語り、もしかして、全人類に向けて宣言しちゃってるのでしょうか。

 お前たちだって、私と同じ立場になれば、「抑えがたい欲望」の前にひれ伏すことしかできないのだと。
 あの、凄まじいまでの「欲望」には、抗えないのだから、と。

 人は、欲望からは自由になれない。誰しもがそれぞれ、自分の中に「抑えがたい欲望」を抱いている。だからこそ、欲望が最後の支配者になるのだ、と。

 なるほどー。そう考えてみると、この「抑えがたい欲望」ってタイトルはぴったり当てはまりますね。
 私は現在の、苦悩する伯爵の姿と「抑えがたい欲望」が相容れないと思っていたのですが。もし「抑えがたい欲望」の囚人となった伯爵の苦悩、を考えるなら、タイトルとしては秀逸ですね。

 初演を観てから5年経つのに、曲のタイトルひとつでこれだけいろいろ語りたくなる作品。深いです。

『ダンス・オブ・ヴァンパイア』観劇記

 8月1日(土)ソワレ。帝国劇場で上演中の、ミュージカル『ダンス・オブ・ヴァンパイア』を見ました。以下、感想を書いていますが、ネタバレしていますので未見の方はご注意ください。

 2006年に私が大いにはまった、大好きなミュージカルの再演です。初演があまりに素晴らしかったので、再演への評価はどうしても辛口になってしまうのですが。でもやっぱり面白い。音楽は名曲ばかりで心を打つし、伯爵の言葉には考えさせられるし、ダンスシーンには目を奪われます。

 再演で一番驚きだったのは、なんといってもサラ役の知念里奈さんが予想以上の歌声を響かせてくれたということ。私は前回の剱持たまきさんがお気に入りだったんですが、たまきさん以上に声量があります。オーケストラに負けてない。迫力があります。

 それだけに、伯爵との対決は見応えがありました。伯爵も安心して向かい合っていた感じ。透き通った、風鈴のような声です。凛としてよく響きます。

 知念さん、最初はサラ役とはイメージ違うかなあと思っていたのですが、そんなことなかったです。

 実際に舞台を見た上での印象は、こんな感じですね。

 2006年 剱持たまきさん・・・浮世離れした妖精さん。よくも悪くも、透明。足元がふわふわ、地上から2センチは浮いている。

 2006年 大塚ちひろさん・・・自分の意志をしっかりもった現代っ子。感情におぼれず、冷めた一面を持つ。

 2009年 知念里奈さん・・・大人びた少女。たまきさんのサラに、人間的な色をつけた感じ。声がどこまでも届く。

 上記3人の中では、私は知念さんのサラが一番よかったです。歌詞が音楽にのまれてしまうところがなくて、全部声が通ってる感じで、すごいなあと思いました。こんなに歌のうまい方だったとは・・。

 伯爵だったらどのサラを選ぶか。

 やっぱり知念さんかなあ。人間ぽさというのが、重要かもしれません。

 若くて、無邪気な人間の娘。

 舞踏会の後、伯爵がふいっと興味をなくしてしまうことを考えると、サラはあくまでごく平凡な人間の娘、というのがいいかもしれません。そして歌がいい。やっぱり伯爵とのデュエットは、歌がうまいサラだと迫力があって一層盛り上がります。

 新しいキャストが何人かいらっしゃったので、それぞれ感想を。

 あくまで個人的な感想です。

 まず、アブロンシウス教授役。市村正親さんから石川禅さんに代わりました。

 これは、代わってみて、あらためて市村さんのすごさを思い知らされたような感じです。あの、飄々としたおかしさや、妙に世俗的な権力欲を、嫌味なく演じていたのは、市村さん独特の味だったのだと思い知らされました。2006年はそれが当たり前のような気持ちになってしまっていました。図書館で本の山に浮かれ、早口言葉のように歌うシーンなど、ときにはセリフを忘れてしまったのか口の中でモゴモゴ言った回もありましたが、それさえも教授の魅力に変えてしまった。芸だと思います。

 禅さんはその後を引き継いだので、大変ですよね。絶賛された役を引き継ぐのは、プレッシャーもあり。また、前任者がすでに高い位置に持ってきた芝居の、それ以上を当たり前のように求められてしまうことにもなります。

 第一印象は、若い教授だなあと思いました。声が若いんです。だからアルフに対して、余裕がないような感じがしました。アルフを手のひらで転がすような絶対的な自信が出てきたら、もっと面白い教授になるのではと。

 それは、伯爵に対しての態度にも感じました。お城で伯爵に対する場面。恐怖が強調されていたように思いますが、その一方で、切り替えの早いお茶目な面も、もっと強く打ち出せばいいのになあと。著書を褒められ、とたんに、「でしょでしょー」っと、あっさりデレデレになってしまってもいいのでは?

 全体的に、萎縮しているというか恐怖感というか、余裕のない感じになってしまっているのがもったいないような気がしました。歌はさすがの迫力なので、この先きっとどんどん変化して、最高の教授になってくれるのではないかと期待しています。

 次にシャガール役の安崎求さん。禅さんと同じで、声が若くてびっくりー!です。お父さんというより、お兄さんという感じ?

 私はもともと、教授はおじいちゃんで、シャガールはおじちゃんというイメージを持っていたんですが、再演バージョンはこの2人が若いのです。若すぎるくらい。

 レベッカが年下の男性と再婚して、サラにとっては継父なのでは?と思ってしまうぐらいに。

 そういえば、サラに対するラブっぷりは、盲目的というよりはいくらか冷めたものに思えました。サラへの思いよりも、マグダに対する執着の方が強いような。マイホームパパというよりは、わが道を行くタイプのように感じます。

 マグダ役のシルビアさんは、歌が素晴らしいです。色気はもう少しあってもいいかなーと思うけれど、歌の迫力は文句なし、です。色気って、難しいですよね。変に出せば下品になるし・・・それを思うとこのままでいいかなあ・・・でももう少し、愛人ぽい感じが出るといいのになあと、どうしても思ってしまうのです。

 アルフレート役は泉見洋平さんでしたが、さすが、安定してました。もう、アルフレートそのものです。

 怖がりだし、単純だし、頼りないんだけどサラを思う気持ちは一途で。好青年で好感がもてるんですよね。「サラへ」を熱唱するシーンは感動でした。

 ヘルベルト役の吉野圭吾さんは、Tバックがすごい! もうヘルベルト役を他の人がやることが想像できないです。

 他の人がやるのを想像できないといえば、クコール役の駒田一さんも。クコールの愛すべきキャラクターを確立しましたよね。

 影伯爵を踊る森山開次さん。墓場のシーンでは、苦悩を全身で表現されていました。新上裕也さんを見たときよりも、苦悩の量は多かったようなイメージです。激しい「動」で内面を表現する感じでしょうか。新上さんはそれに比べるともう少し、「静」だったかな。

 同じ苦悩を表現するのにも、違いがあるのですね。墓場では伯爵に注目しようと思っていたのですが、ダンスには思わず引き付けられました。それと、墓場以外のダンスシーンで、去り際にクルクルと激しく回転するところがあって、(あれ、たぶん森山さんだと思うのですが・・・確信はもてないので、違う方だったらすみません)それがすごく印象深かったです。圧倒されました。

 では、最後に山口祐一郎さん演じる、クロロック伯爵について語りたいと思います。

 サラを誘惑する場面、歌い方を初演と変えているように思いました。気のせいかな? 初演をそのままなぞるんじゃなくて、一旦壊してまた新たに作り上げてるんだなあと感じて、プロだ~と思ったのですが。でも私は初演の歌い方の方が好きです(^^;

 一幕最後のロングトーンは、初演と同じド迫力でした。ただし、その後は演出の変更で、笑い声が入ってる・・・。初演のときは、伯爵が振り返って見得を切るのがかっこよかったんですよ~。なぜそのシンプルな形を崩してしまったのか、残念でした。

 笑い声を入れれば単純に不気味さは増すし、見得を切るところを間近で見られない後ろの席や2階のお客さんにとっては、その方がお城の雰囲気をつかむのにいいのかなあとは思いますが・・でも。

 やっぱり静かにマントの後姿で存在感を示し、やおら振り返って、カッと見開いた目で威嚇する・・・というのが、私は好きでしたねえ。笑い声は、邪道のような。

 変えて欲しくなかった点はもう一つあって、それは墓場シーンの終わり。

 これは私の記憶違いかもしれませんが、初演は、すーっと流れるように去っていった記憶があるんですが、今回は墓場を通り抜けるのに、一直線ではなくカクカクと曲がったような? なにか不自然さを感じたんですよね。

 伯爵は、足音すら感じさせず、空中に浮いているように移動してほしいのです。去り際、墓石が邪魔で一直線に歩けないなら、墓石をどかしてもいいのになーと思いました。配置をもう少しずらすとか、できないんだろうか。

 今回、『抑えがたい欲望』を歌う伯爵も素晴らしかったですが、それ以上に胸を打たれたシーンがあります。それは、舞踏会での演説です。「さあ諸君よい知らせだ・・・」から始まるその歌! ものすごくパワーを感じました。なんだか伯爵がやけになっているというか、もう捨て身のような、覚悟が伝わってきたのです。

 墓場のシーン。影伯爵の断末魔ダンスを見ただけに、余裕たっぷりの伯爵の歌に、せつなさを感じてしまった。余裕を装ってはいてもね。愛する人を次々に失った、その苦悶の果ての、舞踏会だから。

 死にたくなるほどの永遠。退屈な毎日。それをただ一時、慰めるためだけの舞踏会。そこに意味を問われれば・・・返す言葉はないでしょう。一時の快楽、それが終わればまた、気だるい繰り返しの日常がやってくる。だけど伯爵は、嬉しそうに笑って、吸血鬼たちを煽ってる。その言葉が本心から出たものか、虚しさに気付いていないわけはないのに、伯爵の声は強くて。印象的でした。胸にせまるものがありました。

 欲望こそが、この世界で最後の神になる。伯爵はそう宣言しました。たとえ刹那の快楽でも、それを満たすことの繰り返しでしか、存在価値を見出せないというか、他に手段はないんだなあと、しんみりしてしまいました。

 カーテンコールは観客も全員立ち上がり、お祭り騒ぎで手拍子したり踊ったり。この作品は、いろいろあっても、最後はハッピーな気分になれるところがいいですね。吸血鬼たちはみんな、幸せそうなのです。存在意義に、疑問を感じたりしないのです。たぶん、伯爵だけが異分子。その伯爵も、カーテンコールでは煩悶の欠片も見せない。

 アルフレートも、愛するサラと仲間になれて嬉しそうだしね。教授は現状をわからないまま、自分の夢の世界に羽ばたいちゃっているし。「これにて、一件落着」的な空気の中、舞台だけじゃなく、客席も総立ちで、なんだかわからないけど踊ってるという(笑)いいのかそれで。

 そうやって踊りまくってぱっと終わった後、東京駅まで涼しい夜風に吹かれ、歩く道筋で人生の意味などを考えてみるのも、『ダンス・オブ・ヴァンパイア』の醍醐味かと。

 こんなミュージカル、珍しいのではないでしょうか。

 再演で、お城のバスルームがゴージャスになりました。でも私は、なんだか初演のバスルームが愛おしいのです。ゴージャスなバスルームを見てあらためて、あの小さなバスルームが恋しくなってしまった。

 あのとき、年末に『MA』が控えていたから。『V』は、制作にあまり力を注いでもらっていなかったような気がするんですよね・・。セットも、気のせいか(^^;『MA』と比べると少し・・・。

 でもその分。スタッフやキャストの意気込みはすごかったんではないでしょうか。あの小さなバスルームを、おかしいなんてちっとも思わなかった。セットにも魅せられた。

 そしてなにより、出演者全員の意気込みが、舞台に魔法をかけたような気がします。期待されてないんなら、やってやろーじゃん。見せてやろーじゃん的なもの。プレッシャーがない分、大胆に仕掛けることができたのかなあ。演出の山田和也さんも、出演者たちをガチガチの枠組みにはめこむタイプの方ではなかったような。ある程度、自由を持たせてあげたのではないでしょうか。

 初演はもう、すごい勢いで変化していきましたもん。舞台はどんどん、熱くなっていった。クコール劇場だって、あれ、熱意の賜物ですよね。誰かに強制されたんではなく、情熱から自然に生まれ出たもの。それを見たほかの出演者だって、絶対影響受けますよ。

 ということで、初演はある意味、本当に特別なものだったなあと思いました。予感はしていましたが、やはり初演と再演は別物です。再演も素晴らしい作品ですが、でも、私は初演を見られたことを誇りに思ってしまうのです。ちょっと自慢なのです。うれしいのです。

伯爵さまのロングトーン

 舞台『ダンス・オブ・ヴァンパイア』の開幕まであと少し。以下、この舞台の初演(2006年)を見たときを思い出して、感想などを書いておりますが、ネタバレも含みますのでご注意ください。

 2006年に夢中になった私には、もうあのときほどの熱狂はないのだけれど、それでも再演を1度は見ようと思っている。

 初演時。あれほど夢中になった理由の一つには。私自身が「人生ってなんだろう」って考えている時期だったから。それはまあ、今でも考えているけれど(^^;

 あの時期。答えを探して手をのばした先に、目を向けた先に彼らがいた。

 

 伯爵をはじめ、かつては人間だったはずの吸血鬼の面々。彼らが奏でる音楽は、物悲しく切なく、そして力に満ちていた。初演だからこその、手探りな感じ?というのだろうか。日々、変わっていくお芝居を見ているのは本当に楽しかった。見るたびに、違う「彼ら」がいたように思う。

 今回、公式ブログをときどきはのぞいているけれど、HPを開いたときの雷鳴はやめてほしい。あの音が嫌で、HPを開くのをためらってしまう。特に夜中などは、うっかり開いた瞬間に後悔する。強制的に聞かされる音としては、最悪の部類だ。

 あれって、前のときもそうだったかなあ? 覚えてないや。でも、あの音はやめたほうがいいと思う。ただ耳に不快なだけだもの。本物の雷鳴のような風情があるわけでなし。

 むしろ、ベートーベンの『月光』のような、静かで美しい曲を入れたほうがよかったのではないだろうか。心にしみるピアノの曲や、弦楽器などが似合いそう。

 伯爵さまの写真は渋くてステキだ。あの写真を使ったのはよかった。初演時に、柱に貼ってあったものだと思うけど、この表情はいい。そこにあるのは、貴族の誇り、失われた人生への怒り、そして永遠の命がもたらす苦悩、のような。

 演出家の山田和也さんのブログを読んだ。

 稽古で、山口祐一郎さん(伯爵役)が、ロングトーンを披露したという。それを読んで、「はりきってるんだなあ。お稽古のときから全力投球なのかな?」と最初は思ったのだけれど。

 妙にそのことが心に残って、いろいろ思いをめぐらすうちに、ふと気付いた。

 ああ、それって、必要なことだったんだなあって。

 だって、これは金の髪の娘を失った伯爵の物語だと思うから。伯爵が共演者の前で歌声を披露する。それは、稽古という枠を超えて、山口さんは物語の真ん中に、「私はこうなんです」っていう色を明らかにしたんだと思う。

 舞台の中心になるのは、伯爵の存在だ。

 それをとりまく大勢の人たちが、混沌とした世界をつくる。その最初の一歩。だから、ロングトーンは必要だったのかもしれない。

 きっとそれにこめた思いは、伯爵そのものだったはず。

 それを聞いてしまったら、ぐるぐると流れ始めるものがあるよね。

 舞台のカンパニー。

 きっと、まだどっぷりと役には浸ってないはずの彼らが。声によって触発され、動き始めるってこと、あると思うのだ。

 理屈じゃなく、声を聞いて、その歌声を体中で受けとめて。「ああ、これが伯爵なのか」っていうね。そういう感動があったんじゃないかと想像する。もう無意識に、それぞれの中で、動き始める感情があると思うのだ。一度流れ始めたものは、もうとまらずに、刻々と変化していくような。

 そうして、伯爵の城に集う、個々の吸血鬼たちの物語も作られていくのだと思う。彼らにはそれぞれの過去があったはず。なぜ彼らは伯爵のもとに集まったのか。その声に導かれるようにして、身を寄せ合うのか。

 伯爵に寄せる思いは、決して好意的なものばかりではないと思うのね。内心、伯爵に対して複雑な思いを抱く吸血鬼だっているはずで。だけどそういう彼らの心中も、ぐるぐる回り始めると思う。伯爵のあの、ロングトーンを聴いちゃうとね。

 そうして、舞台が色づいていく気がする。

 決してバラバラではない、一つの方向性に。もちろん、そのための指揮者の存在が演出家だと思うけど、それ以前の段階で皆の心に訴えかけるものは。やはり伯爵の、魂の叫びともいうべき、あのロングトーン。(きっと一幕最後のあの場面だと想像する・・・)

 だからお稽古の早い段階で、山口さんは本気で歌ったんじゃないかなあ。それまでに、十分自分なりに練り上げた伯爵像を。

 一幕ラスト。私の泣きポイントでもありました。本当はもっともっと、あのロングトーンの余韻にひたっていたいのに、すぐに場内が明るくなって人の移動が始まるから、それが残念だったなあ。

 「つかめ自由を。その手で」

 いい言葉です。どこまでも伸びていく伯爵の歌に、自分の心も遥か高みへ、舞い上がるような錯覚を覚えたあの日。もう、3年も前の話になるんだ。

 サラに対する愛情とはまた別の意味で。伯爵がアルフレートに伝えようとする人生の真実。

 私には、伯爵がアルフレートを謀るために、誘惑するために適当なことを言っているとは思えなくて。あの言葉、あの状況でのあの語りには、アルフレートに対する優しさを感じるのだ。

 伯爵は、もしやアルフレートに自分の若い頃の面影を見ているのではないかと。

 初めて人を好きになり、夢中になっているけれど当の相手は、自分が思っているような実像ではなく。傍からみればそれは明らかなのに、焦がれて焦がれて、滑稽に見えるほどに追い求めて。

 世間の評価、自分の未来、師と仰ぐ人への憧憬、広がる好奇心と同じスピードで、ふくらんでいく曖昧な不安感。

 自信のなさと、根拠のない希望とが、まるでシーソーのようにぐらぐらと揺れて。

 そんな不安定なアルフレートの心を、きっと伯爵さまはお見通しなんだなあと。

 そして、圧倒的な力をみせつける。まだ若い、羽の生え揃ったばかりのヒナ鳥のようなアルフレートに、行き先を指差す。飛んでいくべきは、果てのない大空だと教えた。彼を縛る固定観念は幻にすぎず、彼自身が望めば、今すぐにでも無限の空へ羽ばたけるということ。

 自分の身代わりに。

 吸血鬼と化した自分にはない未来を、アルフレートが築くことを望んでいたのかもしれない、とさえ思うのです。アルフレートからなにかを、対価としてとろうなんて、きっと思っていなかったような気がする。伯爵はアルフレートに、自分にはできなかった生き方をさせようとしていたような。そうすることで、過去の自分自身を救いたいと願っていたような、そんな気がするのです。

 あのときのあの歌。伯爵が指さす方向にあるものは、吸血鬼としての、永遠という牢獄ではなかったはずです。

 まあ結局、その後の伯爵は、自分の懇切丁寧な指導にも関わらず、いつまでも弱虫くんなアルフに見切りをつけたのか、あっさり方向転換しますけどね(というように、私には思えました)。

 伯爵の期待と失望は、いつもワンセット。

 いつも夢みてる。この人こそ、自分の呪われた運命を変えてくれるのではないかと。なんども夢をみて、そのたびに小さな希望は崩れ落ちる。

 墓場にあるのは、そうした夢の残骸で。さらさらと崩れおちる幻たちに囲まれ、物言わぬ、その小さな砂粒たちの静寂の中でだけ、伯爵は素直な心情を吐露しているような。

 絶望はやがて、怒りへと変わり。そしてそれが、神への挑戦へとつながっていくのではないかと想像しております。

 たぶん、怒ってる伯爵だからこそ、まだ、観客の私達は安心して見ていられる。絶望は、有る意味、無なわけで。そこからはなにも生まれないから。きっと絶望の中にいたら、伯爵は動かないだろうな。一歩も。そしたら物語はなりたたないし、それを見る観客はいたたまれないわけで。

 怒ってる方がまだ、マシなのです。

 全部放棄しちゃったら、本当に無、しかない。怒りはまだ、健全な反応のような。言い方変ですけど。

 なんだかんだ言って、私はこの作品が大好きなのだなあと、しみじみ思いました。書き始めたら長くなってしまった。好きじゃなければ、語ることなんてきっと3行で終わっちゃう。

 本当に、いい作品なのです。

吸血鬼再演にこっそりつぶやいてみる

 『ダンス・オブ・ヴァンパイア』、ついに再演決定です。

 ああ、でも、もう2006年版とは全く違いますね。なんといっても、サラが違う。

 以下、あくまで超個人的な感想です。ネタバレ等も含みますので、舞台を未見の方はご注意ください。

 フワフワ夢見る、足元が大地から浮いちゃってるんじゃないかというような、浮世離れした少女、サラ役を好演していた剱持たまきさんが降板しました。

 今度のサラ役は、初演から続投の大塚ちひろさんと、今回あらたにキャスティングされた知念里奈さんです。

 うーん。これは私が描いていたサラ像とは、全然イメージが違うなあ。

 まず大塚ちひろさん。舞台『レベッカ』で「わたし」役を演じていた大塚さんはぴったりだったけど、この「サラ」役はどうかなあ。大塚さんは、夢見るというよりも、現実的なイメージがあるのです。

 しっかりしているというか、大人びているというか。

 伯爵の誘惑を、フンっと軽くかわしそうな余裕を感じるのです。

 そう。言うなれば、もう大人になってしまった、的な。

 だから、きっと伯爵なんかには誘惑されないし、街に行きたければ、迷うことなく出て行きそうなのです。そこには、アルフの助けすら、必要ない。

 声も雰囲気も完成されていて、揺らぎがないところがサラとは違うような気がするのです。

 そして知念里奈さん。知念さんも、サラのもつフワっとしたイメージはないなあ。知念さんは歌唱力がありますが、その歌声には強さと悲壮感があり。そしてその強さは他者に攻撃的というよりも、自分を叱咤激励しながら動かしていくような、激しさというよりも、優しさに裏打ちされた力のような気がします。

 私の考える理想のサラは。

 浮世離れしているというのが大前提にあって。夢ばかりみていて、誰かがふっとその背中を押せば、意志とは違う方向へも危うい足取りで進み始めるような、そんな人です。

 赤いドレスじゃなくて、白いドレスが似合う。それもフリル付き。

 サラが笑うと、まるで陽がさしたようにぱっと、その場が明るくなって。その幼さに、その無邪気さに、思わずこっちまで微笑んでしまうような。

 ふらつく360度の可動性みたいなものが、サラの魅力なのだと思います。今泣いてたかと思えば、もう次の瞬間笑ってる、みたいな。

 サラのその危うさが、クロロック伯爵の目にとまったのではないでしょうか。

 伯爵は白いドレスの似合うサラに、赤いブーツを贈り、舞踏会へと誘う。最初はブーツ、それからショール。舞踏会用の、綺麗なドレス。

 馴染まなかったその赤が、次第にサラの魅力を引き立てていく。

 この舞台で、サラの果たす役割は大きいと思います。だからこそ、サラ役には、いっそオーデションで新人の女優さんを抜擢してほしかったなあ。東宝ミュージカルアカデミーがせっかくできたのだから、そこの学生さんや卒業生で、有望な人はいなかったのでしょうか。

 アブロンシウス教授役には、市村正親さんに代わって、石川禅さん。

 ということは、コメディ路線というより、少しシリアス路線の場面展開になるのかもしれない。どんな教授を見せてくれるのか楽しみです。

 ヘルベルトとクコール役は、初演と変わらず吉野圭吾さんと駒田一さん。

 これはねー。もう不動のキャスティングでしょう。キャラぴったりです。

 そして、サラに次いで大事だと思うアルフレート役を、泉見洋平さんが初演に引き続き演じることになりました。泉見さんが演じる熱血青年像は、舞台の魅力を何倍にもしてくれるので、続投は嬉しいです。

 泉見さんは、舞台の上でどんどん変わっていきましたね。回を重ねるごとに、アルフレートになりきっていったと思います。アルフレートがサラに熱をあげればあげるほど、2人の温度差が面白くて、どんどん舞台に引き込まれました。

 アルフはWキャストで、浦井健治さんも同じく続投です。

 浦井さんのアルフは、泉見さんとは対照的な、ナルシストな青年の印象があります。

 そして、マグダ役にシルビアさん、これは驚きでした。

 『レベッカ』のダンヴァース役が強烈すぎて、そのイメージがまだ頭の中でぐるぐると回ってます。

 でもそれを抜きにしても、マグダというキャラには合わないような気もするんですよね。マグダは小悪魔的な色気が必要なキャラで。色っぽさと、蓮っ葉な部分がないと、面白くなくなってしまうから。

 シルビアさんはどちらかというと、さっぱりした体育会系のイメージです。

 公式ホームページのセンス、いいですね。雷鳴、赤い靴、月明り、夜の雲。メインの画像は、初演時に帝劇の柱に貼られていた、あのカッコイイ伯爵様だし。

 ただ、月明りに浮かび上がるお城の画像は少し安っぽくて、むしろないほうが、想像がふくらんでよかったのになあ(^^; それとあのキャッチコピーは・・・・他に候補はなかったのかなと・・・・。

 宣伝担当のリー君。また楽しいブログをやってくださいね。

 あの2006年の、夢のようなキャスティング。回を重ねるごとに、変化していった舞台。同じものを望んではいけないとわかっていても、つい比較してしまいました。