『グイン・サーガ』栗本薫著

 久しぶりにグインサーガを読んだ。90巻から100巻あたりを。

 高校生のときに、20巻くらいまで読んだ記憶があるのだが、その後はずっと興味を失くしていた。

 あの登場人物たちがどうなっているだろうという興味で、ささっと読んでみたのだが、あの頃よりずっとおもしろく感じられて一気に読破。以下ネタバレも含みますので、未読の方はご注意ください。

 まずイシュトバーン。もうちょっと陽気なキャラだったように思うけど、いきなり病気です。精神の病。自分で自分を縛りつけ、信頼すべき人を疑い、どうにもこうにも不幸スパイラルという感じ。そばにいるだけで、災いが降りかかるキャラへと変貌していました。

 被害妄想の傾向あり。周囲が全部敵、という感じで、本人もつらいんだろうなあ。でも仕方ない。もはや誰の言うことも信じられないんだもの。グインでさえ。カメロンでさえ。お気の毒だけど、もっとかわいそうなのは周囲にいる部下かな。イシュトが上司では、命がいくつあっても足りない。

 イシュトの将来に暗雲がたちこめてるのを確認しました。

 そしてグイン。昔読んだときにはかなり地味なイメージだったのですが、今回読んでみて彼が主人公であるというのを、初めて納得した。すべてがグイン中心に動き始めたという感じ。壮大な物語の渦に、ぐいぐい引き込まれました。グインの故郷でなにがあったのか、いつかそれが語られる日がくるのかなあ。

 シルヴィアに惹かれるのは、わかる気がする。だって世の常だもの。「なぜあの人があんな人と・・・・」ということだわね。

 グインにしてみたら、シルヴィアの弱さがツボだったんだろうなあ。庇護すべきもの、ほってはおけないものとして潜在意識が認識したように思われる。加えて、グインとは正反対の我儘さが、自分にはないものとして新鮮に映ったのか。

 だけど不幸は目にみえている。かわいそうなグイン。シルヴィアは自業自得として、振り回されるグインの方が気の毒だ。シルヴィアは直らない。ずっとあのままだから。

 ナリスが亡くなった・・・というのはどこかで聞いていたので別に驚かなかったけれど、本編に登場しないのはやはり寂しい。

 私が高校生のとき、アルド・ナリスはアイドルだった。憧れて、崇めていた。思春期は理想主義に走る傾向があると思うが、ナリスの潔癖さが、とても美しく感じられたのだ。

 ナリスに憧れた日々のことを、懐かしく思い出してしまった。

 最後に、闇の司祭グラチウス。ときどき、漫才師ですか?と聞きたくなるようなおもしろいやりとりがあったりして、威厳台無し。すごく邪悪な人を想像していたのだが、今回読んだイメージだと、吉本のベテラン芸人さんぽい。グインに置いていかれるところなんて、子供みたいだし。

 グインサーガを久々に読んだせいか、今朝みた夢は、鮮やかだった。私はとある、山奥の秘湯に来ていた。口コミで評判になったようなところで、小さな温泉ながら遠征客で賑わっている。

 青い法被の係員が、入り口で温泉の湯をひしゃくで汲んでは、客に勧めている。湯は山のふもとと、山を少し上がったところの二箇所にあった。私は夢の中でその場所には何度も来ているらしく、どこで料金を払いどこで着替えるか全部知っていた。その温泉の脇には占い師がいて、順番を待つ人たちがパイプ椅子に座っている。

 「よく当たる」と評判の占い師。それを目当てに、休日には朝から客が駆けつけるという。私は思いたって、占ってもらおうとする。法被姿の係員に「占ってもらいたいのですが」と話しかけると、「では私が、まだ予約できるか聞いてみます」と言ってその場を去ろうとするのだが、次の瞬間私の方を向いて、「あなたは恨まれてますね」と一言。

 なぜ恨まれているのか、そもそもお前が占い師かよ?というつっこみはこの際おいておき、私が詳しいことを聞くと、その人は答えた。

「昔一緒に旅をした人です。とても不安がっている。それが恨みとなっているのです」

それは誰? と思ったところでいきなり目が覚めた。

『愛と資本主義』中村うさぎ著

中村うさぎ『愛と資本主義』を読む。

一応小説という形をとってはいるけれど、これは自伝?だよねという感じ。病んでいて苦しいんだろうなあと思った。

多重人格の子が、ホストに救いを求めるという話なんだけど、手に入れたところで絶対満足感なんてないのに。きれいである、ということに執着する点は、そのまんま主人公のコンプレックスで、それを解消したくてホストに貢ぐんだろう。

こんなにきれいなあの人が、私を認めてくれたんだから、私にはその価値がある。そう思いたいんだろうけど・・・・どうかなあ。

きれいなことには価値がある。たしかにそう。外見の美しさだって大切だ。私はつい最近になってそのことに気付いたし、「中身さえよければいいの」という考えが狭小だとやっと理解したばかりだが。

だからといって、「とにかくきれいであればいい」とは全然思わない。

どんなに輝くばかりの美しさを持っていたって、中身がクズだったら軽蔑するよ。たぶん5分話したら飽きるし。きれいであろうと努力することは大事だけど、それを絶対的価値観とするのには無理がある。

小説の中のホストはとても美しい容姿と描写されていたけれど、全く惹かれなかったのはそこに中身がなかったからだ。浅いなあと思った。

さっきテレビで再放送していた「電車男」を見ていたときにも思った。そりゃたしかにエルメスはきれいだ。きらきら輝いている。だけど、電車男がそこまで自分を卑下することもないんじゃない? オタクだからなに? 人それぞれ、趣味があって当たり前だし、誰かに迷惑をかけるようなことでなければ自由だと思う。もっと堂々としていていいんじゃないかというのが、正直な感想。

自信と謙虚さのバランスって大事。同時に、美しさに憧れるのとそこに執着するのと、どこにラインを引くかっていうのも大事だと思う。

美に執着する姿は、見苦しい。化粧に命をかける人。同僚Aは、いつでもどこでもバッチリ化粧を決めている。どんなに忙しいときも、仕事の手は抜いても化粧に手抜きはない。

後輩をネチネチいびった後に、トイレで念入りにマスカラを塗る姿を見たときはぞっとした。妖気さえ、漂っている気がしたよ。

人間、少し話せばだいたいのことがわかる。気遣いができるか。空気が読めるか。政治経済芸能。どの程度の基礎知識をもっているか。

少し仲良くなりかけたけど、やっぱりダメだなあ。この子とは浅い付き合いだなあと思った友達がいる。

あまりにも、あまりにも政治経済に疎い。これは致命的だった。

大人なら、ある程度の知識があって当たり前だと思うけど、知っていて当然の基礎知識がない。興味もない。今日のことしか考えない。明日は必ずやってきて、それが幸福で、未来永劫続くと信じて疑わない。

今の日本は幸せな国だと思う。だけど、それは過去に努力した人たちがいたからだ。その人たちの思いが今の国をつくったと思うし、次世代に伝えるのは今の私たちの役目だと思う。

あんまり小難しく考えることもないとは思うけど、でも「自分さえ楽しければいい」という人を見ると、浅いなあと感じるのよね。やっぱり自分は社会の一員である、という自覚がないと。個人の生活の土台には、社会があり、国があると思うのだ。話していて、いい大人が自分のことしか考えていないのがわかると、かなりガックリくる。

宮部みゆき著 『ICO~霧の城~』

宮部さんは好きな作家。今回の作品の元ネタになったゲームの雰囲気も大好き。ということで、かなり期待しつつ読みました。以下、ネタバレしてますので、未読の方はご注意ください。

私、ICOは、ゲームは最後までやらなかったのです。単調な感じで飽きてしまって・・・。影から彼女を守りつつ、淡々と逃げていくだけというのがどうしても性に合わなかったというか。

ただ、あの雰囲気は大好きでした。あの独特の空気。もう、謎だらけだったですからね。ICOはなぜ角が生えているのか、ヨルダは何者なのか、霧の城は誰のものなのか等々。

彼女の消え入りそうな儚い姿。そして、テレビのCMでも流れたキャッチコピー。「この人の手を離さない。僕の魂ごと離してしまう気がするから」に、心を惹かれました。

魂のつながりを感じるくらい、わかりあえる関係って存在すると思うんですよ。この話をすると「十代の少女じゃあるまいし」と友達に笑われるのですが、いいとか悪いとかではなく、心が合う合わないっていうのはあると思うし、人間はみんなそういう相手を探して生きているんじゃないかと。

本当にめったに出会えない。だからこそ、会えたら貴重なんです。他の誰にも代えられない。同じ空を見て、同じことを感じる瞬間がある人物。

別に、なにもかもが同じということではなく、根っこの部分で、共通なものを持っている人です。めったにいないけど、そういう人は確実にいるし、いたら、とても大切にしたいと思う。

ICOとヨルダもきっとそういう、特別な関係なのかなあと。あの霧に包まれたお城の中で、手をつないで逃げていく。その先になにがあるかもわからず、後ろを振り返ることもなく、言葉は通じず、だけど確かにお互いの心は触れ合っている。

一人じゃない。魂の半身はここにいる。だから、恐くなんてない。

そういう雰囲気がとても好きでした。ノベライズということで謎が解けるのを期待して読んだのですが・・・・うーん。正直、謎が解けたとも思わなかったし、納得もしなかったなあ。あのゲームにインスパイアされた人はそれぞれに独自の世界観を持っていて、小説版ICOは、宮部さんの心の中のICOなんだなあという気がします。あのゲームを、宮部さんはこう捉えていたんだなと。

前半部分がよかったです。ICOの親友トトが、石化した街へ迷い込み、空に浮かんだ女の顔のようなものに襲われるシーン。迫力がありました。生活感はそのままに、すべてが一瞬で石化し、静寂に包まれてしまった街。目の前に、その光景が広がってくるような迫力でした。

小説の中で、一番好きなシーンです。

逆に後半部分は、疑問に感じてしまう部分が多くて、ちょっと残念でした。ヨルダの父親の描き方や、ヨルダ自身の物語。あの、ゲーム画面でみた真っ白な、何ものにも染まらない少女の姿と、小説のヨルダがつながらなかったです。

100人の人が書けば、きっと100通りの物語が生まれる。それがICOの世界だと思いました。

中村うさぎ著 『イノセンス』

中村うさぎさんのエッセイはよく読む。完璧な買い物依存症で、金銭感覚が壊れてしまっている女性だ。そんなうさぎさんが一体どんな小説を書くのか? 興味本位で『イノセンス』という単行本を手にした。

表紙の絵が、印象的だった。どこをみているのかはっきりしない、まさに『イノセンス』な少女。ふわふわした巻き毛。

読みやすい本だったので、一気に最後まで読んだ。以下、ネタバレしてますので未読の方はご注意ください。

一人の少女について、いろんな人がインタビュー形式で語るという小説だった。同一人物でも、人によって見方はずいぶん違うんだなと思った。他人から見た像と、少女自身が日記で語る自画像のギャップが大きい。

最後、キリスト教の贖罪の話になったときにはびっくり。こういう深い話になるとは思わなかったのだ。ただ、今回の小説の中で一番の罪人ははっきりしている。それは、主人公の義父だ。

要するに、この人が発端になった悲劇の話ではないか。この人が、罪を償うべき相手を間違えたからいけないのだ。里子をもらい、育てられなかった実子の代わりに愛情を注いだというが、自分の子供をこそ、幸せにすべきだったと思う。教え子に対しても、ひどすぎる対応。

うさぎさんの心にも、「イノセンス」に憧れる気持ちがあるのかなあと思った。それが、買い物に走らせたり、美容整形に走らせたり、ホストに走らせたりしているんだろうか。

読み終えた後、荒井由実の「翳りゆく部屋」を繰り返し聞いたら、気分が沈んだ。これは名曲だけど、後味が悪すぎる。どんどん、果てしなく落ち込む感じ。メロディそのものは、そんなに悲しいものじゃないのに、圧倒的な絶望感。好きなんだけど、聞いていると悲しい気分になるので、気分転換に散歩に出かけた。

『孤島の鬼』江戸川 乱歩 著

土曜日は疲れきって一日中眠り、日曜日は読書と散歩、というのがデフォルトになりつつある私の週末。土曜日も精力的に活動したいけど、どうしても体が動かない。

江戸川乱歩の『孤島の鬼』を読了。まさに乱歩ワールド。夢中になって一気に読んだ。おどろおどろしくて、怖くて、でもその怖さの向こうに人の心を惹きつけてやまないなにかがある。江戸川乱歩というのは、本当に特別な作家だなあと思う。

語り口調が易しくて、読みやすいのがうれしい。子供でも読めそう。しかし内容は、まったく子供向けではない。

そのほか、同じく乱歩の『魔法人形』『恐怖王』などを立て続けに読んだ。これは、小学校のときに学校の図書館で借りて読んだ記憶がある。小学生の私を夢中にさせた本だったが、大人になって読んでもやっぱりおもしろい。

数年前に、ドラマ化された「明智小五郎対怪人二十面相」を思い出した。あのときは、明智小五郎が田村正和、怪人二十面相がビートたけしだったっけ。

でもあれは、キャスティングがダメすぎだった。田村正和は古畑任三郎にしか見えず、たけしは、たけちゃんマンそのもの。特にマントを翻して走るシーンなど、いつあみだババアが出てくるのかと・・・・。イメージが強烈についてしまっている役者を使うのは、よくよく考えた方がいいと思った。どうしても、そのイメージをひきずってしまうから。

言わせてもらえば、小林少年も、全然イメージ違ったよ。賢そうな、黒目がちの紅顔の美少年を想像していたので。無口で、ひたすら明智を慕っていて、明智が一言いっただけで、十を察して動ける少年・・・であってほしかったな。

有名な人でないと、視聴率を稼げないと思ったのかもしれないけど、江戸川乱歩の名前だけで一定の人数はついてくるんじゃないのかなあ。思いきって、オーデションで全くの新人を使ってみたらいいのに。その方が、視聴者も新鮮な気持ちで見られたと思う。

ちなみに、文代さん役の宮沢りえちゃんはよかった。黙ってそこに立ってるだけで、陰があるから。なんにも説明がなくても、「いろいろ背負ってそうな人だなあ」と感じさせる。きれいなんだけど、暗くて、乱歩ワールドには合ってると思った。