『Ghost Stories』Retold by Rosemary Border 感想

『Ghost Stories』Retold by Rosemary Borderを読みました。以下、感想を書いていますが、ネタばれしていますので未読の方はご注意ください。

これも、本屋さんの洋書コーナーで気に入って買ってきた本。タイトルと装丁に惹かれて。

中身も大事だけど、やっぱり装丁も大事ですね。この装丁じゃなかったら、買ってなかったと思います。

雲間に覗く月。不穏な光。灯りのついた屋根裏。古い洋館。

そしてタイトルは、『Ghost Stories』

ほぼ一目惚れでした。洋館大好きだ~。ディズニーランドのホーンテッドマンションが好き。今はなき二子玉川のサントリーモルツクラブも好き。蔦が這えば、なおワクワクする。

中身はと言いますと、複数の作家が書いた短編小説を、簡単な英語で書き直したものになってます。英語学習者向けに、ステージ分けされたシリーズの一冊。これはステージ5となってます。

確かに、学習者向けに書き直されているだけあって読みやすいのですが、それだけにちょっと味気なさを感じてしまった。整理されてわかりやすくまとまってるんだけど、味がないのです。

日本語にしろ英語にしろ、文章には人それぞれの癖があって、読んでるとそれが伝わってくるんだけどこの本は。
いかにも教科書的というか。
学習用なんだから、目的通りだろうと言えばその通りなんですが。お行儀よすぎて、透明な水みたいで。物足りないと思ってしまいました。

書き直した方は同じなので、すべて同じテイストで仕上がってます。

あと、面白かったのは、本編じゃなくて、その後。

英語学習用の本ということで内容の理解度を確認するためなのか、けっこうな分量のページを割いて、簡単なテストみたいなものが載っているのです。でも、解答がない(^^;

えぇ~、まさかの解答なし?と思いました。
一度本編に軽く目を通した後でやってみたところ、けっこう難しくて、やっぱり解答は欲しかったです。穴埋め問題もあるのですが、わからないところが結構ありました。

それと、その問題編の最後にですね。
それぞれの短編に出てくる登場人物の、気持ちを想像した文章が6つ載ってまして。
どの文が、誰を指すのか、またそのときに何が起こってましたか、なんて聞いてるんですけど。

英語の範疇を超えて、国語の問題になっちゃってるような気がしました。
懐かしの、現代文、模試、みたいな。

果たしてこれ書いた著者でさえ、そんなこと思ってんのかな、という。
誰が何を考えていたのか、明文化されてなかったら、想像するしかないわけで。それに答えなんかあるのかいなっていう。

消去法で行けば、たしかに答えは書ける、と思う。
そもそも、選択肢の数は限定されてるから。その中で一番当てはまるっていうのを考えていけばいいんだもの。

だけど、ちょっと深読みすると、なにか違うような気がして。
書かれた問題文は、もちろん一般的なことが書いてあるんだけど。いったんあまのじゃくに考え出すと、本当はあの人そんなふうに思ってたんじゃないかもよ、もしかしたらこうかもよ、なんて反発したくなったり。

本編には、6つのお話が載っていますが、全体的にあんまり恐くなくて拍子抜けしました。

特に、『Fullcircle』by John Buchan に関しては、恐いどころかほのぼのしてしまった。誰も不幸になってないし、むしろ、幸せになってるんじゃないかと。
家が人を変える。あると思いますよ~。
毎日いる場所だもの、影響を受けないはずないって思う。家には、人の気持ちも宿るんじゃないですかね。

昔、言われたなあ。
繰り返すんだそうです。居住者が変わるとき。退去の理由って、たいてい前に住んでた人と同じだとか。

だから、なるべく幸せになって出てった人の後に住むといいそうです。

本編の中で、恐さに順番をつけるとしたら、1位は『The Stranger in the Mist』by A.N.L. Munby でした。

幽霊のおじいちゃんが山をさまよっていて、迷子になった人をみつけては地図を渡すのですが、その地図は古すぎて、その地図通りに行くと、崖下に真っ逆さまというお話。
主人公はすんでのところで助かりますが、実は以前に、同じような状況で崖から落ちて死んだ人がいて・・・という。

悪意のなさが逆に、恐ろしかったです。助けようと思ってるのに、その行為こそが人を死に至らしめるという。
しかも、永遠に同じこと繰り返すわけですから。誰かとめて~と思っちゃいました。このままほっといたら、同じことが起きてしまう。

それができるのは、九死に一生を得た主人公しかないわけですが、本人にその気はなさそうです。いいのか? それで。

Bram Stokerの『The Judge’s House』に関しては、6つのお話の中で一番悲惨なラストなんですが、あまり恐いと感じなかったのは理由があって。私がもし主人公だったら、絶対もっと、抵抗してたなあと思うから。やすやすと、幽霊の思い通りになんてさせない。物っ凄い憤慨して、全力で立ち向かってたと思う。

私、幽霊とかみたことないですが。
そういうのをあんまり怖いと思わないのは。もし私が逆恨みで幽霊から被害を受けそうになったら怒るし、なんだか勝てそうな気がするっていう根拠のない自信です。

幽霊より、生身の人間の方が怖いなあ。

もし対決するなら、生きてる凶悪犯を相手にするよりは、絶対、幽霊の方が勝てそう(^^; まあ、そういう存在がもしあると仮定したら、ですけど。

この本を読んで痛感したのは、文章って味なんだなあと。

好き嫌いは分かれると思いますが、文章には書き手の気持ちが、にじみでてくるんですよね。そして、こうした学習用に書き直された本のお行儀のよさは、面白くない。

好きも嫌いもなく、つまらない。退屈に感じてしまう。

同じストーリーで同じ結末でも、原作で読んだらもう少し違う感想をもったかもしれません。

もう、この先こうした、学習用に書き直された本を買うことは、ないと思います。それよりは、たとえ難しくても、原作を読んでみたいです。

『The MAGIC』Rhonda Byrne 著 感想

『The MAGIC』Rhonda Byrne 著を読みました。以下、感想を書いていますが、ネタばれも含んでおりますのでご注意ください。

この本を買ったのはまったくの偶然で、たまたま本屋さんの洋書コーナーを物色していたら、なんともシンプルなタイトルに心惹かれまして。

だって、Magicと言えば、魔法ですから。私は、そういうちょっとオカルトなもの好きなんですよね。夢がある。科学で解明できないような、不思議な世界。

それで、棚から抜きだしてみたところ、装丁がかなり素敵だったのです。表紙の上部に封蝋があるんですが、これ、印刷じゃなくて三次元加工。少しデコボコした感じが重々しく、ミステリアスな雰囲気を醸し出してます。

表紙に描かれたのは、光と、古そうな一冊の本を持つ謎の手。その人物の顔と姿は、光に包まれてぼやけています。どんなことが書かれた本なのか期待が高まり、その表紙に惚れて、レジへ直行です。

それで、読み始めてすぐにわかったんですが、これはロンダ・バーンの最新作でした。まだ日本語訳も出てない状態です。
ワクワクしながら読み進めました。

著者は、日本でも話題になった「ザ・シークレット」の人。

私は「ザ・シークレット」の映画や本を見たことはないんですが、これらの元になった「引き寄せの法則」については、知っています。それらに関連した本も、何冊か読んでます。

引き寄せの法則は、確かに、納得の法則なんですよ。
思うことが実現していくっていう。いいとか悪いとか関係なく。とにかく、自分がフォーカスしたものが、実現されていく、というのは、実感として経験があります。

それを一番感じたエピソード。
ある一時期。ひとつの台詞が、ぐるぐる頭の中にあって、なかなか離れない時期がありました。

誰に言われたわけでもないし、これから誰かに言われるわけでもないのに、なぜか、その言葉が頭の中でぐるぐるするんですよね。なにかの拍子に、ふっと、何度もリピートしてしまう。それが、3ヶ月くらいしたときに、ある人からさらっと、その通りの台詞を言われたのです。

驚愕でした。嘘~~??って思いました。

ただ、頭の中にあっただけの台詞だったのに、それが現実となって、面と向かって言われたのです。

ちょっと特殊な言葉だったので、偶然というにはあまりにも、でして。
どうして思っただけの言葉が、そのまま現実になったのかなあって。だから、引き寄せの法則は、たしかにあるような気がします。

なにが実現して、なにが実現しないのか。どんな条件が揃えば、現実化するのか。細かいことはあるにしても、原則として、人が考えたことが、そのまま現実になる、というのは、本当にあることじゃないかという気がします。

それに、引き寄せの法則を信じるなら、なるべくいいことを考えようという気分になりますから。真偽はどうあれ、精神衛生上、とてもいいことだと思うんです。
いつまでもくよくよ、悲しいことを考えたりするより。
できるだけ、楽しいこと、ワクワクすることを考えた方が、自分の気持ちも楽になれる。

『The MAGIC』は、28日間のレッスンで魔法を実現しちゃいましょうっていう自己啓発の本ですが、必ずしも28日間連続、マニュアル通りにやらなくてもいいとのことです。自分に必要な個所だけをとりあげて、3日やり続けたり、などのやり方もOKだとのこと。

こういう自由があるのは助かります。
いくらいいなあと思う本でも、すべて、100パーセント実行しようと思うと、息苦しくなってしまうから。

というわけで、私は1日1ステップ読み進めるのではなく、毎日好きなだけ読み進めて、興味の持てるところだけ実行する、という方法をとりました。

この本の中で、これは素敵なテクニックだなあと思ったところが2つあります。

それは、DAY10で語られた、MAGIC DUST EVERYONE。 この、魔法の粉イメージングは、かなり気に入りました。もう、夢が叶うとか抜きにしても、この魔法の粉イメージを心に持つと、気分がいいのです。ビジュアル化が非常にしやすい。

やってるうちに楽しくなってきて、いろんな人に対してこのイメージングをしました。

子供のころにやっていた、お絵かきみたいな感じでした。好きな色のクレヨンを使って、好きなだけ好きなものを書く、という。
楽しいので、とまらなくなります。

それで、この本の挿絵に影響されたのもあるかもしれませんが、心に想像する魔法の粉の情景が、あんまり綺麗なんで、癒されるのです。自分で想像しといて、自分で癒されるっていうのも変ですが。

想像の世界で、降り注ぐ金の粉をうっとり、眺めてました。まさに、おとぎ話の世界ですね。

まあこのへんは、引き寄せ云々関係なく、ただ単に、自分がいい気持ちになりました(^^)

あと DAY7で語られた、どんな負のシチュエーションの中にも、感謝すべき点は、必ずある、という考え方には、目からうろこが落ちたような気持ちになりました。

確かにそうなんです。
無理やりだろうがなんだろうが、感謝すべき点は、必ずあるんですよ。なにより、シチュエーションが負である、それを認識できるということは、その人が正のシチュエーションと、その温かさを知っているということなんですから。
比較がなければ、認識はないわけで。

落ちて初めて気付くこと。痛さの中で、日常のありがたさを再確認すること。そういうことって、ありますもん。

なるほど~。確かにその通りだ~と、夢中になって本を読みすすめました。

28日間のレッスンを、私はすべてやったわけではありません。自分が興味を持って、「あ、これならやってみたい」と思ったところだけ、実践してみました。その結果は、本を読み終えてすぐに現れました。

ずっと知りたかった人の消息を、知ることができたのです。
もう二度と、会うことはないだろうと思っていた人の。このタイミングは、偶然とは思えませんでした。
ずっと気にはかけていたけれど、行方を知るのには、もうひと押しなにかの要素が必要だったのかなあと思います。私にとっては、この本がそうだった。
自分の心のあり方について、深く考えさせられる良書です。

本もそうですが、人との出会いもまた、運命なのだなあと。
必要なときに、必要な人が現れ、そこから学びとるものがある。

私はその人の消息がわかるなんて、正直、99パーセントないと思ってました。でも、あっさり願いは叶った。

タイトル通り、魔法の本だと思いました(^^)

いえ、もしこの本がたとえ本物の魔法の本でなかったとしても、書いてあることは素敵な考え方ばかりです。誰でもすぐに実行できますし、心安らかに人生を暮らすための、アドバイス本でもあります。

おすすめの本です。洋書(英語)なので万人向けではありませんが、使われている英語はそんなに難しくないので、英語の勉強がてら読んでみるのもいいと思います。

『THE SNOW GOOSE』PAUL GALLICO 著 感想

『THE SNOW GOOSE』PAUL GALLICO 著を読みました。以下、感想を書いていますが、ネタばれしていますので未読の方はご注意ください。

(原書を読みました。そのため、日本語訳は私が勝手につけたので、間違っている可能性があります。もし変なところがあれば、すみません)

先日ブログで『七つの人形の恋物語』の話を書いてから、どうもポール・ギャリコが気になって仕方なかった。ということで、彼の代表作でもある『THE SNOW GOOSE』を読んでみました。

読後感・・・やっぱり、どんより・・・でした(^^;
何とも言えない重苦しさ。『七つの人形の恋物語』に似た、やりきれなさがあります。

ひっそりと人目を避けるように、寂れた灯台で暮らし始めた絵描きのラヤダー。決して人間嫌いではないのに、その外見は他の人にはなかなか受け入れられず。十分に傷付いて、ひとりきりの静かな生活を選んだ彼の元に、怪我したハクガン(白雁)を抱えて現れた少女、フリス。

人間が好きなのに、誰からも受け入れられなかったラヤダーが、初めて見出した希望の光。そりゃあ、期待しちゃうでしょう。すがっちゃうでしょう。だって、それしかないんだもの。
たった一人、たとえハクガンを通じてだけの交流であっても。フリスの存在はどんなにか、ラヤダーの慰めになったのだろうかと思います。

そして、彼は、期待してしまう。ああ、このへんの流れは、読んでいて胸が痛かったです。
無理もない。好きになっちゃうよね・・・。

でも、さよならの日は、予告もなくやってくるのです。

私は、この物語のクライマックスは、フリスがラヤダーの秘めた思いに初めて気付いた日、ではないかと思いました。

渡り鳥のハクガンが、渡り鳥でなくなった日。ラヤダーのいる灯台を、自分の住処と定めた日。

ラヤダーは、震える声で言うんですよ。「彼女はここにいる、もうどこにも行かない。迷子のお姫様はもう、迷わない。ここが彼女の家なんだ-それが、彼女の本当の気持ちだ」と。

“Free will” という単語を、私は「本当の気持ち」だと訳して読みましたが。Free という言葉からは、「誰かに強制されたわけでも、同情からでもない、素直な本音の部分で、どうか僕を愛してほしい」というせつない叫びが浮かびあがってきますね。

渡り鳥が灯台に滞在する期間だけ、ラヤダーの元を訪れていたフリス。ラヤダーのいう「彼女」が、鳥ではなく、実は「フリス」を指しているのは明らかです。

渡り鳥は、灯台を住処に定めた。ねえ、君はどうするの? ハクガンの居る場所が君のいる場所なら、もうどこへも行かないよね? ずっと一緒にいてくれるよね? と。

以下の文からは、緊張感が伝わってきます。

>The spell the bird had girt about her was broken, and Frith was suddenly conscious of the fact that she was frightened, and the things that frightened her were in Rhayader’s eyes – the longing and the loneliness and the deep, welling, unspoken things that lay in and behind them as he turned them upon her.

( 鳥のかけた魔法は解けた。フリスは不意に、気付いてしまう。自分は怯えているのだと・・・。それは、ラヤダーの瞳の中にある。憧れ、寂しさ、そして深く、湧き上がる、言葉にならない思い。その瞳の、奥にあるもの。フリスをみつめる、ラヤダーの瞳。)

最後の as he turned them の them は、Rhayader’s eyes を指すと考えていいのかなあ。ここはちょっと自信ないですが。

息詰まる瞬間をとらえた文章ですね。読んでいて、苦しくなってしまった。まるで自分が答えを迫られているようで。
自分がフリスだったら、たぶんこの緊張感には耐えられない。この段階でもう、何も言わずにすぐ、逃げだしているかもしれない(^^;

決断を迫るラヤダーに、フリスは逡巡し、二人の間には言葉にならない応酬があります。
言葉にならなくても、十分にわかりあえてしまう沈黙。だからこそ残酷で、ごまかしがきかない。

>I – I must go. Good-bye. I be glad the – the Princess will stay. You’ll not be so alone now.

(私・・・私行かなくちゃ。さよなら。鳥がどこにもいかなくて、よかったですね。もう、寂しくなんてないですね)

いやー、言っちゃいました。あっさりバッサリ、期待の余地なんて、寸分も残さずに、ぶったぎっちゃいましたよ、フリス。

鳥じゃないのにね。いや、鳥も好きだろうけどさ、本当に居てほしかったのはフリスだってこと、ラヤダーもフリスもわかりすぎるくらいわかってるのに。

まるで気付かない振りをして、フリスは別れを告げちゃうのです。もうこの瞬間、ラヤダーはがっくり膝をついてると思う、心の中で。見事に、見事に断られちゃったよって・・・。

そのまま駆けだすフリス。
そうだね。そのままそこに居れば、二人ともつらいだけだ。ラヤダーの反応や返事を待たなかったのは、せめてもの救いかもしれない。

そして三週間あまり後に、再び灯台を訪れたフリスが見たものは、捕われた兵士を助けるために、ボートで出発しようとするラヤダー。
激しい戦火の中へ飛び込むことは、すなわち死を意味するわけで。

そうなって初めて、「一緒に行くわ」とか言っちゃうフリス・・・。
嘘つき・・・って思ってしまったのは、私の心が汚れているせいなのか(^^;

フリスは、ラヤダーを愛していないと思いました。
年上の、仲のいいお友達としての気持ちはあっても。そこに、恋人としての愛情はない。
でも、ラヤダーが求めているものは、その、まさにない、幻のもの。

たぶんラヤダーも、三週間前のあの日までは、期待してた。もしかしたら、ほんのかけらほどの、可能性があるんじゃないかと。でもそれが完全にないとわかったとき、覚悟は決まったんじゃないでしょうか。

私にはラヤダーが、あの日から、死ぬ理由と死に場所を、探していたように思えました。

>For once – for once I can be a man and play my part

(唯一つ、たったひとつ、僕が人として役に立てることなんだ)

ラヤダーの悲しみ。もうこうするしか、なかったという静かな諦め。

「戻るまで、鳥の世話を頼むよ」とフリスには言ったけれど。戻れる可能性などないことを、ラヤダーは知っていたと思う。

「無事でいて」と、フリスに見送られて旅立てたことは、思いがけない幸せだったのかもしれない。もう二度と会うことはない、と考えていただろうから。

この小説の後半には、ラヤダーの死を告げるように戻ってきたハクガン(ラヤダーの分身でもあると思う)に、フリスが思わず心の中で、「愛してる」と叫んでしまうシーンもあるのですが。

私はこの言葉を、とても複雑な気持ちで噛み締めていました。

ひねくれた見方かもしれない。だけどフリスは、女性としての感傷で、そう言っているようにしか思えなかった。自覚はないかもしれないけど・・・フリスは自分でもそう思いこんでいるのかもしれないけど、でもそれって、ラヤダーの求めた「愛」じゃないような気がする。

異性としての愛を求めたラヤダーに対し、フリスは、人としての愛で、応えようとしているような。優しいけど、でも、それじゃないんだよなあ、きっと。ラヤダーの求めるものは。たぶん。

まあ、間違ってはいないかもしれないけど。愛してるって言葉には、いろんな意味があるわけで。

あのとき。渡り鳥のハクガンが、ラヤダーの元に住処を定めたとき。ハクガンを通して、精一杯の愛の告白をした彼の思いは、ついに届くことはなかったんだなあ、と、そう思ってしまいました。あのときのフリスの描写が示すものは、つまりそういうことだったのだと。

ラスト。灯台が破壊され、全てが海に還っていく寂寞感。その光景は、とても美しいと感じました。
ラヤダーの見えない手が、そっとフリスの背中を押しているようにも思えました。思い出に、いつまでも捕われる必要はないのだと。
生きているフリスには、生きている時間が流れていく。

不思議な余韻の残る、小説でした。

心が重くなる小説

『七つの人形の恋物語』ポール・ギャリコ 著が、音楽座ミュージカルで舞台化されていたことを知り、ちょっとびっくりしました。

おおー。あのお話を舞台化ですか・・・。

そして思い出したのです。あの本を読み終えた後の、なんともいえない胸苦しさを。心に重さが残る小説でした。でも奇妙に印象深くて。ずっと覚えてます。

といいつつ、結末は覚えてないんですけどね(^^;

覚えているのは、キャプテン・コックがムーシュに憎しみを募らせ、その無垢さに苛立ち、暴挙に出たショッキングな場面。

最低だ・・・と思ったし、読んでいてつらかった。でも驚くことに、このキャプテン・コック。反省しないのだ。暴挙は何日も、続くのだ。

もうその時点で、なんなんだこの人・・・ひどすぎる・・・と思ったし。逃げないムーシュにも、苛立ったりした。たしかにムーシュには他に行き先もなく、人形一座を出れば生きていけないのかもしれないけれど、それでもここに、この場に居続けるよりはましなのではないかと。

翌朝、とても優しい人形たち。

読んでいるうちに混乱した。この人形には、別に魂が宿っているわけではないのよね? それにムーシュは、幻覚を見ているわけでもないのよね? だったら何? これはキャプテン・コックの本心?

なんとなく。一度だけの過ちなら、わかるような気がしていた。
やりきれなくて。キャプテン・コックがムーシュに抱いた、挑戦のような気持ちが、わからなくもなかった。

こんなにも汚い自分を、受け入れられないだろう?って。
自分を卑下するキャプテン・コックは、傷付く前に防御の殻をかぶったのだと。
わざと嫌われるようなことをして。そして嫌われて。
そうしたら、もしかしたら愛されるかもしれないという最後の夢を、いつまでも未練がましく持ち続けなくて済むから。
それを持ち続けることは、いつ失うかという恐怖との、隣り合わせだから。

でも。
読んでいて本当にわからなかった。
それを続けることの意味が。

たった1度で十分じゃない? どれだけムーシュが傷付いたか、傍にいてそれがわからないのか? 2度3度と重ねるなら。そこに愛なんて、ないんじゃないかと。残酷な喜びだけ、のような気がした。

もし私がキャプテン・コックの立場なら。たった1度だけでもう、吐き気がするほど自分にうんざりして、居たたまれなくなったと思う。感情に流された1度目はあっても2度目はさすがに・・・。

人形たちが優しいから、ムーシュは出て行かなかったのだろうか。

読んでいて、胸が苦しくなる場面でした。でも、忘れられなくて、ずっと覚えている小説でした。

あのお話を舞台かあ。
どんな感じだったんだろう、と思います。

久しぶりに、小説をもう一度読んでみたいと思いました。時間がたてば、また感想も違ってくるのかもしれません。

『少女椿』『笑う吸血鬼』『ハライソ』丸尾末広 著 感想

『少女椿』『笑う吸血鬼』『ハライソ』など、丸尾末広作品について語っています。ネタばれも含んでいますので、未読の方はご注意ください。

丸尾末広さんの作品を初めて知ったのは、昔、偶然買った『少女椿』のCD-ROM。もう10年以上前のことになるのかな。ずいぶん昔の話です。

買ったときのこと、今でも印象深く覚えています。

レジの横に、目玉商品、という感じで並べてあったんです。私はそのレトロな装丁に心惹かれて、なにげなく手にとって、もともと買う予定だった本に追加して、レジ台に置いたのです。

そしたら、そのレジの人が、「マジですか?」という感じで、一瞬ぎょっとしたように、私を見たんですよね。
なんでそんな風に見られてたのかわからなくて、私は少しむっとして、変な人だなあって思ったんですけど。

家に帰って、そのCDを見て納得です。

たしか18禁という表示はなかったと思いますが、(今は手放してもう手元にないので、記憶による限り)内容は完璧に、18禁でした(^^;

強烈すぎて夢に出ます。子供は見ては駄目な世界です。
あれ、レジの人は内容を知ってたんだなあと、後から思いました。

装丁だと大正ロマン的な、ほのぼのした雰囲気なんですけど、中身はもう凄まじいエログロです。たぶん、江戸川乱歩を百倍くらい過激にした感じです。

大人ならいいけど、これを子供がみたら、しばらくうなされそうな強烈な作品なのです。

ラストも、一見きれいなんだけど全く救いがないし(^^;

ワンダー正光が怖い。目が笑ってない。

主人公はワンダー正光に救われるけれど、それは見方を変えれば、また別の人の囚われ人になるようなもので。自由なんてどこにもない。愛でられる間だけ、守られるだけ。選択の余地はないのです。また別の人に囲われるだけ。

言うことを聞いている間だけは優しいんですけど。だからこそ、逆らったらどうなるかわかってるんだろうな、的な怖さがあります。
主人公がワンダー正光から距離を置こうとしたときの、あの緊迫感。

同じ丸尾末広作品でも、『笑う吸血鬼』と『ハライソ 笑う吸血鬼2』はわりと、過激ではなく読みやすいと聞いていたので、一度読んでみたいなあと思っていました。

なんといっても、あの過激さはちょっとつらいけれど、絵は綺麗なのです。ぞっとする魅力があるというか。毒をもつ花、のような。
それを手にすれば傷付くのを承知で、ふらふらと近付き、手折りたい衝動に逆らえない、みたいな。
一般受けするような作品で、しかも吸血鬼もの(私はもともと吸血鬼というモチーフが好きです)というなら、ぜひ読んでみたいと思っていました。

そしてこの間、出先でヴィレッジヴァンガードをのぞいてみたところ、あったのです。あると思ってましたよ。普通の書店には置いてないだろうけど、ヴィレッジヴァンガードにある予感はしてました(笑)

読んでみた感想。

十分、エログロだと思います。これは結構きついです。感性が鋭い子供が読んだら、かなりの影響を受けそうな気がします・・・。18禁の表示はないけれど、いいのかなあ。完全に、大人向きの作品ですね。

少女椿よりも過激でない、ということはないかと。

読み終えた後の重苦しさは、少女椿と同じです。でも同じくらい、不思議な魅力のある絵でした。

私は、『笑う吸血鬼』だけで完結したほうが、よかったような気がしました。『ハライソ』は蛇足に感じてしまった。

主人公は紅顔の美少年、中学生の毛利耿之助(もうりこうのすけ)です。望んでもいないのに無理やり吸血鬼の仲間入りをさせられた彼が、死にかけた(死後間もない?)クラスメート、宮脇留奈に自らの血を分け与え、花火をバックに空中でキスするシーン。

すごく、胸を打たれる光景でした。

月があって。暗い夜空いっぱいに、花火がキラキラと光りを放って。

たぶん、辺りには花火の爆音が響いているんでしょうけど、読み手に伝わってくるのは静寂なんですよ。胸が痛くなるくらいの静けさ。

世界に二人きり、という孤独。

ああ、二人なら孤独じゃないのか。でもそれは寂しい世界で。

そして同時に、おそらく耿之助が望んだ世界。留奈が安心して生きられる世界。もう、留奈を脅かすものはどこにもない。

空中に浮かんだ二人を、見ている者は誰もいないのです。それは一瞬の、忘れられない情景。

>月は衛星ではない
>あれは空にあいた穴だ
>向こうの世界の光が穴からもれているから 光って見えるのだ

上記は、作中に出てくる言葉です。

向こうの世界はどんなに、光にあふれて明るいことでしょう。そしてこちらの世界の暗さは、吸血鬼である耿之助たちを、どれだけ優しく包みこむのでしょう。

少年少女のまま時をとめ、永遠に生きるというのは、夢のような理想の世界なのかもしれません。

少なくとも留奈は、この世界に絶望し、一度自分を殺さなければ自由にはなれないほど、追いつめられていたのではないでしょうか。狂わなければ正気を保てない。だけど狂いながら生きることに、意味を見いだせない。

まあ。続編の『ハライソ』で、永遠の若さなどというものがまやかしだと、明らかにされるんですけどね。人より急速に老いて、そのまま永遠に生きるという、吸血鬼の苦しみ。

『ハライソ』とは、ポルトガル語で、天国とか、楽園を表す言葉だそうです。

人が楽園を探す物語。
天国は、どこにあるのでしょう。
月の向こう側にある世界と言われれば、それが真実のような気も、してきました。