なぜそこで速水さんを連想するの?という話

 登録講習の翌日、名古屋駅近くの、ノリタケの森へ行ってきました。そこに、森村・大倉記念館CANVAS(キャンバス)という施設があります。
 私は、一枚の写真と出会いました。

 森村組大幹部、と銘打たれた写真。
 6人の男性が写っている。前列に3人、後列に3人。
 前列の真ん中は、森村組を作ったまさにその人、森村市左衛門さん。白い髭に貫禄を感じます。威風堂々たる佇まいです。
 その他の人たちも、さすがこれだけの大グループの祖となるだけあって、威厳ある雰囲気。

 そしてその中にあって一人だけ。目をひくのは若者。
 細面の顔に眼鏡。髭はきれいに剃られており、全体の線は細く、優男です。いかにも大企業の大物、といった風の5人に比べ、彼はあまりにも若く、華奢で繊細に見えます。

 彼は誰なのだろう?
 私は写真のキャプションを読みました。

 大倉 和親(おおくら かずちか)とあります。森村市左衛門の義弟で、森村組(現在の森村商事)に参加した大倉孫兵衛の長男だそうです。

 なんか、『ガラスの仮面』の速水さんぽいな~と、ミーハーなことを思ってしまいました。
 もし速水さんが実際にいるとしたら、こんな感じなんだろうなと。

 がっちりした体格というより、細身で。企業を率いるにはあまりにも若くて。
 けれど、その瞳はまっすぐで、悪い意味でなく虚勢を張っているように見えました。
 この若さで経営に携わるということ。海千山千の男たちを相手に、見くびられぬようかつ傲慢にならぬよう、最善のバランスを保つことの難しさは、容易に想像がつきます。

 端正な顔立ち。腕っぷしは強くなさそうですが、その分優美で、上品で。
 彼にとっては、自分の若さもその容姿も、マイナス要素だったろうなと想像しました。むしろ、もっと年をとっていた方が威厳はあっただろうし、もっとごつい印象であったなら、無用な嫉妬も受けなかっただろうし。

 大倉和親さんは、日本陶器合名会社(現・ノリタケカンパニーリミテド)初代社長になったそうです。当時若干29歳。慶応義塾を卒業後、米国に留学、森村組ニューヨーク支店勤務というスーパーエリートお坊ちゃま。父は森村組幹部で陶磁器部門の責任者、大倉孫兵衛さんであります。

 恵まれた環境と言えば、その通りでしょうが。
 その肩に負った重圧も、なかなかのものだったでしょう。周囲の目は、冷ややかなものになったかもしれません。
 二代目の宿命ですね。父を知る人たちからの、「しょせんはお坊ちゃん。さて、どこまでできますかね?」という無言のプレッシャーを、どうはねのけ、我が道を切り開いていったのだろう、と想像しました。

 きっと速水さんも、同じだったのかなと思います。
 悠然と微笑みながら、決して仮面を外さずに、大都芸能を率いていったのだと思うから。
 最近『ガラスの仮面』に嵌るあまり、何を見てもつい、『ガラスの仮面』と結びつけてしまう癖があります。
 

 森村組大幹部の写真は、とても感慨深かったです。
 そこに、速水さんを見たような気がしたので。

 
 大倉さんのように、あるいは速水さんのように。会社を率いる立場になれば、年齢の若さは逆に、弱点にもなりえたのかなあと思いました。不安感や自信のなさなど、絶対に人には見せられませんね。きっと仮面をかぶって、10も20も年上の顔をして仕事してたのかなあと、そんなことを思いました。

『ガラスの仮面』世界における速水さんとマヤの出会いを語る

『ガラスの仮面』美内すずえ著 の、速水さんとマヤの出会いについて語ってみたいと思います。ネタバレしていますので、未読の方はご注意ください。

二人が運命の二人だというなら、魂のかたわれだというなら、出会ってすぐにピンときたのだろうか? とあらためて読み返してみました。

一番最初の出会いは、「椿姫」を見に行った劇場ですね。

マヤは薄暗い劇場内で席を探していて、速水さんにぶつかってしまいます。速水さんはマヤが席を探していると知ると、係員を呼び、案内させます。

あら。親切(^^;

大都芸能の鬼社長だの、冷血漢だのと、漫画の中ではさんざんそういう言葉が出てくるものですからすっかりそういうイメージのある速水さんですが、見知らぬ少女に対してずいぶん親切ではありませんか。仕事の取引相手でもない相手に、なんのメリットもないのに席を探してあげるなんて。

経営者として、お客様は神様ですということなのかな?

それにしても、これはやはり天性のものかと。

ふとしたときに垣間見える本当の性格、やっぱり優しい人なんですね。

速水さんをみつけた、他の客の声はこうです。

>その鬼の息子か・・・・・・ ハンサムだけど冷たそうな感じね

そんな客の声を聞いた、マヤの感想はこうです。

>冷たそうな・・・?

>けっこう親切みたいだったけど・・・

この心の声を読む限りでは、マヤは一目惚れしてませんね。

親切な人、と言い切らなかったのは、やはり速水さんからクールなオーラが出ていたのかと推測します。

普通、ぶつかった相手が席の案内まで気遣いをしてくれたなら、「なんて親切な人!」と無条件に思っても当然のような気がしますが。

そこはやはり、速水さんには人に触れられることを拒むような、ひんやりした空気が漂っていたのかなあと。

このときのマヤを感想を読むと、速水さんにはほとんど関心を持っていないことがうかがわれます。そして速水さんも、マヤへの関心はゼロです。おそらくこの時点では、ほとんど記憶に残っていないのだと思われます。

その後、二度目の出会いは、月影先生の家にて。

三度目。それはドラマチックなものでした。

劇団オンディーヌの授業を見たくて、マヤが窓にしがみついていたとき。意地悪な練習生が、二匹の犬を放ったのです。マヤが襲われたところを、通りかかった速水さんと桜小路君が協力して救います。

犬を蹴り倒して撃退してるんですが、これ、かなり危険。

犬といっても、チワワじゃないのです。ドーベルマンぽいです。ピンと立った耳、強靭な足腰、真っ直ぐにマヤに襲いかかっているところからも、かなり好戦的な犬であることがわかります。

このとき、とっさにマヤを助けようとする勇気には感動しました。

速水さんも桜小路君もすごいなあ。知っている人というわけでもないのに、人を襲っている犬に立ち向かっていくのはすごいですよ。

特に速水さんは・・・。やっぱりいい人だ(^^)

冷血社長だなんて、それこそガラスの仮面ですね。

我が身を大切に思うなら、ひるんだと思う。こういうときは警察に通報? なのかな。ともかく、速水さん自身が動く必要のない、そんな義理もない場面で、とっさにマヤをかばって戦った。そこには、速水さんの本当は優しい心が透けてみえるような気がします。

でもこのときのこと、けっこう面白いんですよ。

というのも速水さんはその後、マヤをお姫様抱っこして医務室まで運び、その後劇団の教師に頼んで授業を見学できるようにとりはからってやるんですけど、そこまでしてあげてるのに、マヤには恋の兆しが見えない。

少女漫画的には、これって十分、好きになっちゃうシチュエーションだと思うんですが。

マヤの場合、かけらもそれが見えない。

>ありがとう! どうもありがとう!

マヤが感謝の言葉を口にし、感動にうち震えているのは、お稽古が見学できるという喜びですね。

凶暴な犬に大けがをさせられるところを、すんでのところで救ってもらったということよりも、頭の中には「あのオンディーヌの授業が見られる」という喜びしかなかったと思われます。

さすがマヤ。

このへんはちょっと、普通の女の子っぽくないところがマヤらしいです。

なんといっても、演劇にとりつかれてしまったその、狂気に近いほどの情熱を感じさせます。

もう、犬に襲われたとか、全然関係ないのです。

次の瞬間には、マヤの頭の中からそんな記憶、消え去っている。

ただただ、「見られる、劇団のお稽古が見られる」っていう歓喜が、体中を満たしている。

この時点でもマヤは、速水さんに対してなんの関心も、特別な感情も抱いていないように思われます。

ただ、速水さんは少し、心が動いたかなあという描写が。

車中で、マヤの血がついた自分のシャツの、胸部分に手を当てて意味深な微笑。

その血を通して、少しはなにか、感じるものがあったのかもしれません。

とはいっても、一番大きいのは二度目に会ったときの月影先生の言葉が影響しているのだと思いました。

月影先生の元でマヤを見かけたとき、先生はこう言ったから。

>わたし 気長に育てていくつもりでしてよ

月影先生が「なにか」を見出した少女。

紅天女を演じる女優を、月影先生は育てていこうとしているわけで。

気長に育てるという発言が、イコール紅天女候補と直結するとは限りませんけど、その可能性は大きいですもんね。

自分が認める紅天女候補の女優が見こみ違いであれば、そのときは大都芸能での紅天女上演もアリ、と月影先生が宣言した以上、速水さんが紅天女候補に関心を抱くのは、自然の流れです。

たとえマヤでなくても。

他の少女であっても、きっと速水さんは「月影先生が認めた少女」の行く末を、注意深く見守っていっただろうと思うのです。

ということで、やはり出会ってからしばらく、速水さんとマヤはお互いに、あんまりピンとくるものを感じていないのですね・・・。

どうなんでしょうね。運命の二人。

いわゆるソウルメイト? 元は一つの体、引き裂かれた半身なら。

出会ったときになにか、感じるものがあると思うのは、私のロマンチックすぎる考えでしょうか。

私は速水さんが、マヤの血を汚れとも思わず、そっと手で触れて感覚を確かめたシーンが、運命っぽいと感じたのですけども。マヤは全然、なにも感じていない一方で。速水さんはわずかに、なにかに覚醒した、ような。

月影先生の言葉だけではない、なにか。

たとえ月影先生の言葉がなくても、ん? と思えるような、微妙な何かを。

微笑とも、他のなにかとも、いろんな解釈のできるそのときの表情が、速水さんの内面の小さな変化を、見事に表していると思いました。

現在。別冊花とゆめ3月号の時点で、私は愛情の深さ、速水さんの方がマヤより大きいと思ってるんですよね。その推測が、上記の「何も考えず演劇のことで夢中になっているマヤ」と「わずかに何かを感じているような速水さん」によって、裏付けられたような気がしました。

いつも、速水さんの愛情が一歩、リードしているのです。マヤよりも(^^)

この二人が本当に運命の二人なら、この先マヤはもっともっと、速水さんを好きになっていくのかなあと。

そんな風に思います。

まだ足りない。まだ、速水さんほどの狂おしい愛情は、マヤにはないような。

ところで、初期には月影先生、「黒夫人」と呼ばれていたんですね。黒の衣装がぴったりお似合いですが、これは喪服を表しているのかなあ。

逝ってしまった一蓮を思って、生涯をこの色で過ごすと決めているのなら、その覚悟の程が伝わってきます。

黒ってスタンダードな色のようでいて、実は着こなすのが大変難しい色、と聞きますが。

月影先生には、本当によく似合ってます。

この先の展開が楽しみです。

月影先生の片思い

『ガラスの仮面』美内すずえ著 の月影先生について、思ったことを書いてみたいと思います。ネタバレ含んでおりますので、未読の方はご注意ください。

久しぶりに1巻から読み返してみて気付いたことがあります。

それは、あれほど「魂のかたわれ」を連呼していた月影先生、実は片思いだったんじゃ? という疑問です。

驚きでした。

梅の谷でのお稽古とか、そういったところで何度も語られた尾崎一蓮と月影千草の絆。

でも、冷静に事実だけを見ていくと、これ意外に月影先生の片思いだったような気がする(^^;

尾崎一蓮は元々、資産家の息子。月光座で台本や演出を手掛けているお坊ちゃん。

7歳の千津(月影先生)を、スリの親方のもとから助け出し、育てていきます。

月影先生はその劇団で女優となり、一蓮のことを好きになるのですが。

どうなんでしょうねえ。漫画の中では、一蓮が月影先生を好きだっていう感情が、伝わってこないんですよ。

一蓮が月影先生に抱いたのは、あくまで「女優に対しての愛情」だったような。

思いを募らせていくのは月影先生だけで、一蓮は案外、マイホームパパだったんじゃないかなあ。

漫画の中では、一蓮が月影先生に抱く思いは、常に月影先生目線で語られているような。

月影先生が必死になって、「あの人はねえ、私のことが好きだったのよ。私の才能を見出し、育てたのは一蓮。私たちは二人で一つ。二人だったからこそ最高傑作の紅天女を生み出すことができた。私たちは運命のカップル」と、一人で力説しているようなイメージがあります。

当の一蓮は、どうだったんでしょう?

私が感じたのは、一蓮は月影先生に引きずられたんじゃないかなーと。

最初に千津(月影先生)を拾ったのは、単なる同情で。優しい人だったんだと思う。目の前の女の子を見捨てることができなかった。お坊ちゃん育ちでおっとりした、いい人だったんだろうなあと想像します。

その子が思いがけず女優の才能を発揮し、美しく成長し、自分に抱いた恋心を隠そうともせずに一途な瞳で迫ってきたら?

月影先生がいたからこそ、紅天女の構想が生まれたのは確かだと思うし、月影先生がいたからこそ、紅天女の舞台が成功し話題をよんだ、そこに異論はありません。

だけど本当に二人が思いを同じくしたなら、一蓮はもっと早い段階で家族を捨ててでも月影先生と生きたのではないか、と私は思うのです。あの名作、紅天女を作りあげてしまったなら、ね。

それに、やっと巡り会えた魂の半身だと言うのなら、初めて結ばれた翌朝に自殺することは、ありえないと思うのです。自殺の事実だけでも、私は二人が本当には相思相愛ではなかったと、確信してしまう。

一人とり残された月影先生の悲しみは、そのまま紅天女への執着へつながるのでしょうが。

妄執のように、「一蓮に愛された私。二人で創った共同作品」にこだわり続けるのは、どこかで自信がないからでは? と想像してしまいます。

以下、一蓮の言葉です。

>紅天女が演れるのはきみだけだ 千草・・・

>忘れないでおくれ千草 きみが演じるとき ぼくの魂は生かされる

>きみはぼくの 魂の表現者だ

うーん。これ、月影先生に囁いた愛の言葉というよりも。

演劇の世界にどっぷりつかった芸術家が、自らの理想とする作品、女優を得て、至福の境地でつぶやいた本音、という気がするのです。そこに、月影先生個人への愛は感じない。

そこにあるのはあくまでも、紅天女を演じる女優への賛美、感嘆であり。

個人的な恋愛感情など感じないのです。

両者のすれ違う心。そんな、いわく付きの作品だからこそ、速水さんの義父、英介も魅入られたのかもしれません。

月影千草の演じる紅天女に恋し、そのためだけに大都芸能を立ち上げた人。

彼が本当に追い求めたものは、舞台の上の幻の女性。

英介は紅天女の上演権を手に入れ、大都芸能で思い通りに上演することを夢見ていますが、これはむなしい願いですね。上演権を手に入れることは不可能ではないけれど、月影先生はもう、昔の月影千草ではない。

マヤ、もしくは亜弓さんがどんなに素晴らしい紅天女の世界を創り上げても、それは英介が夢見たあの日の舞台とは、全然違うものでしかないわけですよね・・・。

いつか、長年の思いが叶う日が来て。劇場の一番いい席に座って、最高のスタッフで、役者で、紅天女の再演を見たとしても。それはもはや、別の次元での紅天女。

英介の心の中にしまわれた幻の作品を、再現することは不可能だと思います。

やればやるほど、あの日見たものとの違いが、不快な棘のように胸を刺すのではないでしょうか。

そのときこそ、彼は探し求めたものが霞であったと気付き、茫然と立ち尽くすのでしょうか。それまでの遥かな道のりが、すべて無駄な努力であったとわかった日の絶望は、どれほど深いものか想像もつきません。

真澄と英介は、親子二代で紅天女にとりつかれてしまうわけですが。

今後マヤと真澄がどうなるか、それによって英介も救われるんじゃないかなあと、そう考えています。

紅天女の上演権で救われるのではなくて。

真澄はもう一人の英介。英介にとって真澄は、時を遡り、もう一度紅天女に出会った、若き日の自分そのものだから。

『ガラスの仮面』の世界から、目が離せません。

『ガラスの仮面』世界における速水さんとマヤを語る その3

前回の続きです。『ガラスの仮面』を読んで思うところを書いていますが、ネタバレを含んでおりますので、未読の方はご注意ください。

速水さんが、マヤをデートに連れ出す回、というのがありましたね。

カフェでケーキ食べて、プラネタリウム見て、夜店へ、という流れ。

中でもプラネタリウムは、速水さんにとってすごくいい思い出になったんだろうなあと思いました。

この先、マヤと離れた場所で生きていく中で、何度も思い出すであろう大切な、宝物のような記憶。

自分が本当に大切だと思っているものを共有したいと思う相手は、特別なものだと思いました。

他の人が無理に立ち入ろうと思ったら、速水さん、断固拒絶しただろうし。

だけどマヤにだけはどうぞって。

扉を開けて、手を引いて誘った。

好きになれば、その人に知ってもらいたいと思うものなのかもしれません。

自分が見てきたもの、感じてきたものを。

そんな、普通の恋人同士みたいなデートがあった後で。

2人の心が近付いたかな? と思えばやっぱり、さまざまな障害が立ちはだかるわけです。

私が好きな速水さんのセリフで、こんなのがあります。

>プラネタリウムで星をみるのは きみと一緒にいったあれが最後だ

>おれはもういくことはないだろう

>おそらく永久に

これ、精一杯の告白にも思えますね。

好きだとか、愛してるなんて言えないけど。

こんなに気持ちがあふれだしてるセリフは、そうそうないと思うのです。

どうかわかってほしいっていう、悲痛な願い。

この先誰と結婚しても、なにがあっても。

このプラネタリウムの思い出は、決して枯れることがない。

思い出せば、いつでもその日の2人がいて、その思い出が上書きされることはなくて。

それは、一緒にいた相手がマヤだったから。

その思い出のほんの欠片でも、壊してしまいたくはないという強い願い。

たとえば握手会などで、握手した後に手を洗わないっていうのも、同じ心理でしょう(^^;

その人の手の感覚が、手を加えれば消えてしまいそうで。

だから、ずっとそのままとっておきたいと思うわけで。

しかも、この言葉をかけたシチュエーションがいいんですよ。

マヤは、速水さんと紫織さんが一緒にいるのを目の前に見て、苦しさに耐えられず急いで立ち去ろうとしたんです。そのとき、マヤに速水さんがかけた言葉が、これなのです。

きっとこのとき、速水さんはマヤが自分に惹かれていることを、無意識に察知していて。

意識レベルでは、「あの子はオレを憎んでいる」と思っていても。

その瞬間、お似合いの二人の姿を見て、傷ついて去ろうとするマヤの心の痛みに、速水さんは反応してしまった。

彼女の心の痛みを癒したいと思った。

そして、自分の誠意をわかってほしいと思ってしまった。

戯れでも気まぐれでもない。

あのとき一緒に過ごした時間はかけがえのないもの。自分はそれを一生大切に守っていくと。

たとえ届かなくても。わかってはもらえなくても。それでもその誓いの言葉を、言わずにはいられなかったのではないでしょうか。

たとえ憎まれても。

それがマヤのためになるのなら。どれほど憎まれても構わない。

その思いが一番読者に伝わったのは、やはり狼少女の宣伝エピソード。

とある舞台の初日、招待客で賑うロビーで、速水さんはマヤを挑発します。演劇関係者が集まっているのは承知の上。マスコミのネタになるのは計算済。マヤが主役を演じる舞台「忘れられた荒野」を宣伝するためです。

目的は、とにかく関係者の注目を集めること。

派手なパフォーマンスでした。マヤの目の前で、チキン?を放り投げます。

>さあ ひろってこい狼少女 エサはあっちだよ

マヤは、固唾を呑んで見守る大勢の客の前で、成り行き上、仕方なく狼少女を演じますが。自分になぜこんな恥をかかせるのかと、速水さんに怒りをぶつけます。

>これで気がすんだでしょ速水さん!

>あなたなんて最低だわ!

>大っきらい!

>あなたなんて死んじゃえ!

宣伝の方法なら、他にいくらでもあったのかもしれません。

芸能プロの有能社長なら、マヤに憎まれずにそっと手配することなど、いくらでも可能だったはずですが。

あえてこの場で、これだけのことをやってのけるというのは。

こうすることが一番有効だと、そういう判断だったのでしょうか。

でも、自分の好きな相手に誤解を受けたまま、その誤解が解かれる日が来ないことを知ったまま憎まれ役を買って出るというのは、なかなかできないことだと思います。

誰だって、好きな人には好かれたいから。嫌われたいだの、憎まれたいだの、思う人なんていないと思う。

速水さんの目論見は成功します。

多くの人たちが「忘れられた荒野」に興味を示し、そして、速水さんはマヤに一層ひどく、憎まれました。

このときの成功が、速水さんに妙な自信をもたせたんですかね。

憎まれてもいい。おれを憎めば憎むほど、それはマヤにとって生きる力になる、と。

月影先生の手術中、落ちこんでいたマヤに対しての言葉も、いいんですよね。

>悲しみよりは 怒りの方がまだましだ

深いです。きっと速水さんも、過去には深く深く、絶望したことがあったんでしょう。その絶望感の中では、手にも足にも力が入らない。呼吸することすら、苦痛を伴う。すべてのエネルギーが枯渇したような、深い闇の底。 だからこそ、怒りがエネルギーになることを知っている。

速水さんも、「紅天女の上演権を手に入れ、義父が築き上げたものをすべて奪い取ってみせる」という執念で立ち直ってきた人だから。

ガラスの仮面というタイトル。

主人公はマヤですが、このタイトルは速水さんのことも表しているのだと思いました。

速水さんがかぶるガラスの仮面が剥がれるまで。

今後の展開が楽しみです。

『ガラスの仮面』世界における速水さんとマヤを語る その2

前回の続きです。

ガラスの仮面について、思うところを語っております。ネタバレも含んでおりますので、未読の方はご注意ください。

速水さんについては、「もっとマヤに対して積極的に出てもいいのに」なんて思った時期もありましたが、あらためてガラスの仮面を全体的に読み返してみると、いろいろためらうのも無理はないか~、なんて納得しております。

紫のバラの人が自分だという告白を、決意しているような場面もありました。

ただタイミングが悪くて、それも流れてしまう。運命って、こんなものかもしれません。

なぜそのタイミングでそれが起こる・・・的な何か。決意も、大きな流れの中にはあっさり呑みこまれてしまう。その大きな波を、乗り越えるほどの燃え上がる何か、強い力があればまた、事態は変わっていくのですね。

いつか、感情がもっともっと揺れて大きく燃え上がったら、そのときには。

たとえなにがあろうとも、自分の気持ちを告げずにはおられない日が来るのかもしれないと、そう思います。

そしてそのときには、たとえ周りがとめたとしても、きっと速水さんはマヤに告げずにはおられないはずです。

真っ直ぐに、マヤの目を見て。

義父の英介に見合いを強要されたとき。

思わず、マヤのアパートへ行ってしまった速水さんがせつなかったです。

行ったからって、マヤに会うわけでもなく、ただ窓から漏れる灯りを見上げてた。

なんなんだその行動(^^;

そういうのって気持ち悪い、と一刀両断される方もいるのでしょうが、でもこの場合、わかるなあ・・・。

仕事に没頭して、紅天女の上演権を自分の人生の最大目標にした。

それって別に、速水さんが生きがいを感じてそうしたわけじゃないんですよね。

逃れたかった。いろんな苦しみから。紅天女さえ手にしたら、自分の心が救われるんじゃないかと、そう考えたから必死になって仕事にのめりこんだんですよね。

紫織さんとの結婚は、大都芸能と鷹通グループとの確固たるパイプを意味するわけで、速水さんがそれを厭わしく思うことも、拒む理由も何ひとつない。

もしマヤと出会っていなければ、彼は喜んでこの結婚に乗ったと思います。

むしろ速水さんの方から、一刻でも早い結婚を進めていったのではないかと。

紫織さんを手玉にとることくらい、簡単だったと思うし。

でも、マヤに出会ってしまったから。

マヤと一緒にいるときの幸福感を知ってしまった今、紫織さんとの結婚はもう、魂レベルで拒否反応をおこしても無理はないかも・・・。

英介の言葉に、理性では納得しても心がついていかなかった。

だからフラフラとマヤの元へ向かったんだろうなあ。だからって、本人と会うとかそんなのじゃなくて、少しでもそばにいたかったというか。近くにいることで癒されるから。

なにやってるんだろう、オレ・・・という心の呟きが、聞こえてきそうな一コマでした。

窓から見える人影を見上げながら、ただ立ち尽くすだけ。他になにもできない。

そりゃまあ、そうですね。

マヤを訪ねていったとして、何も言えるわけないですし。

(以下妄想)

トントン。

マヤ「は、速水さん? 何なんですか。どうしてここに?」

速水「チビちゃんの顔が見たくなった。義父から見合いの話があってね。それで、チビちゃんに会いたくなった」

マヤ「全然わからないんですけど。速水さんのお見合いと私となんの関係が?」

速水「きみに会いたいと思った。声を聞きたいと思った。おれはどうかしているな」

マヤ「?????」

(妄想終わり)

ばか正直にマヤを訪ねていって、会ったとしたら。

上記の妄想のような会話が繰り広げられたのでしょうか。でも速水さん、救われませんね、全然(^^;

マヤは戸惑うばかりだろうし、速水さんだって、自分がどれだけおかしな言動をしてるか、頭の隅では理解しているだろうし。

理性でマヤを諦める速水さんだからこそ、紫織さんには罪な言葉を囁けるんですね。

>真澄さま まわりの方達が

>音楽だけをきいていなさい

>でもみんながみていますわ

>ではぼくだけをみていなさい

あらためて漫画を読み返すと、速水さん、けっこう罪深いこと言ってます。

速水さんにとってはなんでもない言葉かもしれないけど、こういうこと言われたら紫織さんはぽーっとなってしまうだろうし。

マヤを諦めると決意した上での、紫織さんへの甘い囁きだったんでしょうが。

結局、心は勝手に暴走していくので、マヤへの思いは速水さん自身にも制御不可能なことでありまして。

無意識レベルでの合う、合わないという感覚は、バカにできません。

いい悪いではなく、心に不協和音が生じたら、それはもう「間違ってる」という合図なんだと思います。無理して押し進めても、きっとどこかで破綻する。

ここまできたんだから、なんて時間の長さを言い訳にするのは、愚かなことかもしれません。

その心の違和感をずっと抱えたまま、このまま生きていくのですか? ということで。

速水さんが紫織さんと一緒にいるとき。

きっとザワザワ、心にうごめくものを感じているんですよね。それは、瞬間的に放り出してしまうほど強烈な刺激ではないけれど、常に絶えることのない不快感で。

>平気ですわ 雨の中でも 真澄さまとご一緒なら歩いていきます

たとえば、こんな場面。その後の絵が、速水さんの心中を端的に表していました。

速水さんの頬を伝う一筋の汗と、速水さんの腕にそっと絡みつく紫織さんの両腕。

見た瞬間、ぞわぞわきました。

あー、この感覚わかるなあって。

神経がざわざわと波打つ感じ。不協和音。

なんともいえない不快感と強烈な違和感。違う違う違うって、心の中で誰かが全力で叫ぶ感覚。

紫織さんが悪いというのではなく。これはもう本当に、相性というものなのだと思います。

違和感を感じたら、近付いたらダメだと思う。

いい人悪い人、そういうもの関係なく。

近付いた瞬間、触れられた瞬間にわかるものってあるんですよね。

たとえば好きな人の手が、そっと肩に触れたら。

ものすごい幸福感で、自動的に満たされる。もう理屈でも努力でもない、圧倒的な陶酔が全身を駆け巡る。

それは、とめようと思ってもとめられるものではなく。

もう無条件に、幸せになってしまう。

反対に、どうしても合わないと思う人の手が、肩に触れたら。

そこだけに神経が集中して、全身が緊張して、嫌悪感がひたひたと体中に浸みていって、どうしようもなくイヤーな気分になる。

速水さん、やっぱり紫織さんとの未来は無理ですね。

紫織さんがそっと手を触れただけで、無意識に拒絶しちゃってますから。じゃなきゃ、冷汗なんて出ない。

これは努力でなんとかするような類のものじゃないので。合わない人と、無理に一緒にいるのはお互いに不幸だと思いました。

不快な思いを我慢しつつ数年間は過ごせても、一生は無理です。

少し長くなりましたので、続きはまた後日。