幸せを予感するような夢をみた

 三連休初日。私は幸福を予感させるような素敵な夢をみた。

 とても長い夢だったようだが、思い出したのはその一部。

 私は、長いテーブルの真ん中に座っている。白いテーブルクロスがかけてあって、両横にもずらりと、隙間なく人が並んで座っている。それは屋外で、青空がひろがっており。

 見上げた空の向こう、鳩の大群が舞っている。

 そしてその鳩の大群は、まっすぐに私の方に向かってくるではないか!

 え?え?と戸惑っていると、鳩は一斉にテーブルの上に舞い降り、私をじっと見つめた。

 恐い、恐いよ・・・と思いながら私も鳩を見つめた。鳩の大群は迫力がある。

 

 鳩の足、そしてくちばしが、思ったよりもずっと綺麗であることに、私は気付いた。足の色が美しかった。

 なんで私の前に鳩の大群が??と不思議だったが、舞い降りた鳩の群れは正確な二等辺三角形を描くように私の前にいて、偶然ではない意志を感じた。

 うわ・・やっぱ恐い。あらためて恐怖を感じた。

 鳩は鳴きもせず、ただみつめているだけなのに、先頭の一羽(二等辺三角形の頂点)が何を考えているかが伝わってきた。

 「どうして気付いてくれないの?どうしてわかってくれないの?」

 

 

 私の傍には、どこまでも天に向かって伸びるポールがあり、その先は空に吸い込まれて見えない。旗が揺らめいていた。どこかの国の国旗なのだろうか。見たこともないデザイン。

 夢占いだと、鳩の夢は吉夢らしい。嬉しくなってしまった。これからなにかいいことが起こりそうな予感。とりあえず、今月中に受ける某資格試験、合格ってことだろうか。

 ちなみに、同じ日にみた夢で覚えているのは、街の定食屋さんに入って、4人でごはんを食べたこと。これも、いい夢だったと思う。

 油でべとついたテーブルに座り、私はラーメンと半ライスを食べた。普段は、外食でラーメンを食べることなんてないんだけど、なぜかそのときの私はラーメンを選んだ。同行者(顔は不明。現実の友達ではない)が、「ほら、油っぽいけどさ、ここの店はうまいから」と力説していた。

 テーブルに置かれたナプキンに、コックさんの絵が印刷されていたのが、妙に印象的だった。

 夢の結果、本当に幸福な出来事が起きるのかどうか、楽しみである。

夢で見た星

 今住んでいるところに唯一つ不満があるとすれば、それはベランダから空が少ししか見えないことだ。しかも雑居ビルに囲まれるように建っている立地のため、ベランダで空を眺めていると、隣のアパートや向かいのビルから丸見え。

 なんとなく気になってしまい、あまり空を眺めることもなくなってしまった。

 ただ、最近すごく「一晩中ぼーっと星を見ていたいなあ」という気持ちが強くなって、そんなときにいい夢をみた。

 幼稚園の庭で、なにも遮るものがない視界の中、満点の星を見ていた。夏だというのにオリオン座が中心となり、それはそれは綺麗な星空だった。

 やがて、東の空が白くなり、明るくなってくる。

 私は幼馴染と家に帰ることになるのだが、「もう少しこの星を見ていかない?」と彼女を誘う。しかし彼女は子供がまだ小さいので、その世話をしなければならず早々に立ち去る。

 

 そのときの寂しい気持ちと、でも子供が待ってるならそっちが優先だよな、という納得の気持ちと、白んでいく空に煌く星の輝きが、とても印象的な夢だった。

 明るくなっていく空、とはいっても、明るさよりはまだ夜の闇の方が勝っていて、星を見るのには全く支障はない。

 ただ、真っ暗な夜の闇とは、違うのだ。東の空には確かに夜明けの兆し。その不思議な空の色合いを、感慨深く見ていた。

 いい夢だったなあ。なにかいいことありそうな予感がする。

 そしてまた、今日はこんな夢を見た。

 歩道橋の上に立っている。そして、「ああ、またこの夢か」と思う。

 いつも見る、「高いところから、恐怖に怯えながら下りる夢」なのだ。これは、私にとって定番の夢。現実にも高所恐怖症だが、高いところにいて恐い思いをするのは、定期的に見る夢なのだ。

 さすがに現実の世界では、歩道橋くらいなら平気なんだけど。観覧車やジェットコースターなどは、友達と一緒にその場の雰囲気でエイヤっと乗ってしまい、後から必ず悔やむことになる。

 

 夢の中の私は、歩道橋の階段を上りきったところに立っていて、道路の向こう側にある大きな神社に行こうとするが、下を見るのが恐くて渡れない。下は大きな道路で、たくさんの車が走っている。

 とてもじゃないけど、向こう側に渡れないなあ・・・。と絶望的な気分になる。それがまた、長いのだ。現実にはありえないけど、道路を渡る歩道橋の長さはなんと80メートルくらいあるように見えて。

 仕方ない。いったん歩道橋を下り、信号を探して向こう側に渡ろう、と思う。そうはいっても、見渡す限り信号機はなくて、かなりの遠回りになることが予想される。もう一度、このまま歩道橋を利用することを考えるが、どうしても高さが恐くてやっぱり無理だという結論に達する。

 そして、階段を下り始める。普通に下りることは、恐くてとても無理。だから座り込んで、一段一段、お尻を少しずつ下に移動するようにして、下りていく。そのうち、下から恐そうな人が上ってくるのに気付く。

 「ほらね、ほらやっぱり。あの人はきっと私に気付いてしまう。でも逃げる場所はない。逃げ切れない」

 夢の中の私は、そう覚悟するのだが近付いたその人は、まるで私など目に入っておらず、ふいっと消えてしまう。

 よかった。全部杞憂だった。恐怖感が大きすぎると、動けなくなってしまう。恐怖の幻想に囚われて、私は無駄な心配ばかりしていたのではないだろうか。この歩道橋だって、崩れることはないし、私が落ちてしまうこともない。ただ、「恐い」と思うから渡れないのだ。

 もう一度、戻って渡ろうか。

 そう思ったところで、目が覚めた。

 夢の中の神社の、緑が綺麗だった。大木から清浄な気が放たれているみたいだった。今日は近所の神社のお参りに行ってこようかな。

不思議なオフィスマナー講座

 先日、オフィスマナー講座を受けてきました。内容は、お客様のご案内の仕方や、お茶の出し方など、仕事でも役立ちそうなものばかりだったのですが、驚いたことが2つ。

 まず1つ目。会社に来たお客様を、ご案内するとき。階段では、お客様に先に上がっていただくのがマナーだそうです。

 これ、知らなかった。例えば、廊下などでは、お客様の斜め前辺りを先導する形で歩きますよね。だから、その流れで階段も、自分が手すりより少し離れた側で、斜め前を先導するように上がるのだと思ってました。ところが講師曰く、「お客様より上を歩いてはいけない。もしお客様がスカート姿で、階段を先に上がるのを嫌がるようなら、必ず自分が一言断ってから、先に上がるようにしてください」とのこと。

 なんだかこれって、不自然な感じがしませんか?

 もし自分が案内される側で、廊下は普通に先導されていたのに、階段になったら急に「お先にどうぞ」なんて先に上がらされたら、正直、戸惑うと思います。何で急に?って。

 知らない場所を案内してもらうわけだから、やっぱり先導された方が楽です。

 それで、講座終了後に講師の方に質問してみました。階段をご案内する場合、自分が先に行くときは、必ず声をかけないといけませんか? お客様の真上、お尻を向ける形で歩くのは確かに失礼かもしれませんが、そうではなく斜め前を先導する形なら、特に断りを入れなくてもそのまま先導してしまってもいいですか?と。

 そしたらその講師の方は、「だからテキストに書いてあるでしょう。お客様の上を歩くのは、絶対駄目なんです。お客様がスカートとかそういうときは別として、上を歩いてはいけません。お客様が階段で転びそうになったら、下から支えてあげるためにも、下を歩くんです。いいですか? マナーにはなんでも意味があるんですよ」

とかなり強い調子で、答えました。

 それ以上は突っ込みませんでしたが、これはかなりびっくりでした。そうなんですか。それがマナーだったんですね。実際、エレベーターでご案内することはあっても、階段で案内したという経験は今までなかったのですが、もし自分がそういう場面に遭遇したら・・・。

 どうでしょうねえ。やっぱり先に上がってしまうと思います。

 もちろん、自分は手すりから離れた位置で、お客様を手すり側にして、「お足元ご注意ください」と言いながら、少し先を行く形で案内してしまうと思いますね。それが自然な気がする。

 講師の方は、「これが絶対正解」と言っていましたが、お客様を先に上がらせて、自分がその後ろに続く形って、お客様にとってはなんとなく、嫌な感じがしませんかね? 私だったら自分の後ろを歩かれるのは、嫌な感じがします。別にスカートはいていなくても、嫌ですね。

 それに、お客様が足をすべらせたら下から支えるって、無理がないですか? 私はわりと体を鍛えている方なのでもしかしたら何とかなるかもしれませんが、女性って華奢な人が多い。その人たちが、足を滑らしたお客様を支えられるとは、思えないです・・・。むしろ、事故の被害が大きくなりそうな気がするのですが。

 講師の方は、授業中「マナーに絶対の正解はない」と言っていた割に、この件については断言していたので、内心???と思ってしまいました。

 それとびっくりしたことの2つ目。

 たとえば、営業の男性と2人で車に乗る場合。その営業さんが車を運転するとしたら、どこに乗るのがマナーだと思いますか?

 

 答えは、「助手席でなく後部座席」だそうです。

 

 これも衝撃でした。逆に、失礼な感じもするのですが。だって、タクシーじゃないんですから、当然自分が助手席に乗るのが当たり前だと思ってました。

 助手席って、ナビゲーターの役割もあるし、なにか用があるときに、さっと車を乗り降りしてこまめに動いたりする席だと思うんですよね。

 たとえば飲み物を買いにいったりとか、歩いてる人に道を聞くとか。

 講師の先生曰く、「たとえば知人に見られたときに、助手席に女性が乗っていると誤解を招く場合がある。運転している男性にそういう心配をかけないために、助手席に乗ってはいけない」だそうです。

 でも私、もし自分が男性で、仕事でアシスタントの女性を車に乗せるとして、その人がいきなり助手席でなく後ろに乗ったら、オイオイ・・・と思っちゃうでしょうね。

 

 講師の先生曰く、「運転の男性から、助手席に乗っていいよと言われたら、乗ってもいい」だそうです。だけど、このセリフ言えなくないですか? ちょっとセクハラみたいで(^^;

 もし相手の女性が最初から後ろの席に乗ったら、内心、「ああ、この人は助手席に乗りたくないんだな」と思うし、そういう女性を無理に、助手席に乗せるのは嫌ですもん。

 逆にね、助手席に乗った女性を、後ろの席に誘導することは簡単だと思うんですよ。「助手席でなくて、後ろでのんびり乗ってていいよ」って言いやすい。

 なんだか今回のマナー講座は、講師の先生がイマイチな感じでした。

 精神論にものすごく時間をとっていたし。それがもったいなかったです。今回の講座は自由参加で、だから参加者はみんな真面目な人が多かった。「お客様をおもてなしする心が一番大事」って、そんなこと皆、わかってますよ。わかってて、だから失礼のないマナーを教わりたいと思ってきたのに。おもてなしの心がない人なら、わざわざこんな講座をとりません・・・。

 マナーってひとつの形があって、その上で、ケースバイケースだと思います。上座・下座にしても、基本を教わっていれば応用がきく。その基本を教わりにきてるのに、精神論を長々と話されても、「わかってますから、具体的に話を進めてください」って思っちゃう。

 あと、気になったのが、受講生の失敗を皆の前であげつらったこと。

 お茶だしの練習をしているときに、一人の子が間違ったことをやったら、それを大声で指摘したあげく、「もう一度やってごらんなさい」と言って、全員が注目する中、何度もそれをやらせたんです。その子は恥ずかしかったのか、次には正しいやり方でやったんですが、「さっきは違うやり方したでしょ。さっきのやり方でやりなさい」と、何度も何度もやらせて。

 気の毒でした。その子は講座が終わった後、誰よりも先に帰ってしまったけど、その気持ちがわかるような気がしました。

 オフィスマナーを教える先生なのに、根本が間違ってるような・・・。それでも、マナーの講師として仕事しているのが、不思議な感じでした。こんな人でも、講師としてやっていけるんだなあと、妙に感心してしまいました。

カバンに揺れていた黒猫マスコット

 高校のときの話。仲のよかったMちゃんという子が、私の持っているジジのマスコットを欲しがった。ジジは、映画「魔女の宅急便」に出てくる猫だ。私はその映画が別に好きなわけではないし、テレビで放映されたときにチラっと見ただけだし、なぜジジのマスコットを持っていたのか、自分でもよくわからない。

 誰かにもらったのかな。覚えていない。自分で買ったものでないことだけは確かだ。

 カバンの持ち手のところに、マスコットのヒモを結びつけていたように思う。そもそも、なんでカバンにつけたのかも、よくわからない。私は当時、アクセサリーの類に、全く興味はなかったのだ。

 だけどともかく、そのジジを見つけたMちゃんが、「可愛い」と目をハートにして、マスコットを欲しがった。私はとても冷めた気持ちで、「ダメ」と言い放った。

 ジジに、執着があったわけではない。「欲しい」と言われると、急に価値が上がった気がして、惜しいような気持ちになったのだ。私自身は、そのマスコットに特別思い入れがあったわけではない。

 Mちゃんに欲しいと言われた後、一人になって、この黒い猫の、どこが可愛いんだろう・・・としみじみ眺めた。なんの変哲もない、ただの猫。派手でもなく、媚を売る姿でもなく。けばけばしいマスコットなら、たぶん私は引き出しにしまいこんで、2度と出さなかっただろう。

 人目をひかないような地味な雰囲気だったから、ほんのきまぐれで、カバンにつけた。

 そしてそれを、Mちゃんが目にした。

 それから何度も、Mちゃんは私に「その猫可愛いよね。頂戴♪」と頼んだ。

 どこまで本気かはわからないけど、私はそのたびに断った。

 Mちゃんとは、20才のときにお茶したのが最後。手紙のやりとりは、22歳まで続いた。

 この頃、Mちゃんのことを思い出す。

 私はジジに興味がなかった。戯れにカバンにつけていただけだ。Mちゃんがそんなに欲しいものだったら、あげればよかった。

 物は、それを心から欲する人のもとにあるのが幸せなのだと思う。

 実際、私はそのジジのマスコットを今、持っていない。私にとっては、どうでもいいものだったから。何かにまぎれて、引越しの折にでも、捨ててしまったのだろう。

 今になって、Mちゃんが本当にジジのマスコットを欲しがっていたんだなあということが、よくわかった。私があげれば、きっと大喜びしたんだろう。そして、ずっと大事にしてくれたと思う。引越しに紛れて、捨てられてしまうこともなかったはず。

 私が持っているよりも、Mちゃんが持っていたほうがよかったと、そう思った。

厳しかったピアノの先生

 私は4才から16才まで、音楽を習っていた。最初はヤマハ音楽教室。皆で合唱したり、合奏したりと遊びながら音楽と触れ合った。

 その後エレクトーンのコースをとって、そのコースが終了すると同時に、近所のピアノ教室に通い始める。

 エレクトーンの先生は、ものすごく優しい先生だった。私はその優しさに甘えて、どんどんわがままな子供になっていった。弾いている最中、何度も間違えると、自分で自分が許せなくなり「もうやめた」と演奏を中断。

 最後まで弾かなくては駄目よ、と優しく諭す先生に、「だって嫌なんだもん」と言い返す始末。可愛くない子供である。だがY先生は決して怒らず、困ったわねえと言うだけだった。当時の先生は、こんな言葉をノートに書いた。

「今月の目標:途中で投げ出さず、最後まで弾きましょう」

 とてつもなく低い目標である(^^;

 テクニックうんぬんの前に、まず最後まで弾けと。

 そして、そんな優しいエレクトーンの先生の後に習ったのは、スパルタなピアノの先生だった。2人の先生のギャップは、すごいものがあった。

 私は別にプロの音楽家を目指していたわけではないのだが、ピアノのT先生はとにかく厳しく、妥協を許さなかった。一度、「言われた通りのリズムがとれない」という、ただそれだけの理由で激しい叱責を受け、なんと途中で帰されたこともあるのだ。小学生相手に、それはどうよ?という気もする。

 「もうこれ以上やっても無理。帰りなさい」

鬼のような形相の先生を前に、私はすごすごと帰るしかなかった。

 あるときには、上手く弾けない私に苛立ったのか、私の手をペシリと叩いてみたり。とにかく怖かった。今でも思い出すと、笑顔の先生ではなく、怒ったような表情の先生が浮かんでくる。

 あまりにも怖かったので、私は前の生徒さんがピアノを弾いているとき、教室に入れなかったことがあった。本当は前の人が弾いているときに挨拶をして教室に入り、部屋に置いてある本を読みながら待つ、というのが決まりだったのだが。

 部屋に入れない私は、教室の周りをうろうろ歩いていた。花壇に植えられた花を触ったり眺めたりしていると、2階の窓が開き先生が怒鳴った。

「なにしてるの!早く上がってきなさい」

そして私はとぼとぼと、重い足取りで階段を上がるのだ。

 だが不思議なことが1つある。そんなにも怖い先生だったのに、私はそれが理由でやめようと思ったことは1度もない。これは自分でも、本当に不思議。そうまでして続けなくてはならない理由なんて、どこにもないのに。

 なぜだかわからないが、私は「ピアノは習って当たり前のもの」と思いこんでいた。だから、選択肢に「やめる」というオプションはなかったのだ。どんなに怖くても、「やめよう」だの「やめたい」だのという気持ちは、全く無かった。

 中学生になり、部活が忙しくなると、レッスンを遅い時間にずらしてもらった。相変わらず練習をさぼる不出来な生徒で、お世辞にもピアノが上手な生徒ではなかったが、先生も長く教えるうちに愛着がわいたのかもしれない。本当はやっていないような遅い時間、特別に私のために、レッスンの時間をとってくれた。

 ただし、怖さは変わらず。

 私が下手なせいもあるのだろうが、先生はいつもピリピリしていて、レッスン中には全くなごやかな空気はない。

 16才のとき、事情でピアノをやめることになった。レッスン最後の日。先生はしみじみと、こう言った。

「あなたがこんなに続くだなんて、全く思っていなかったのよ。すぐにやめると思っていた。だって、教室にすら入れなくて、外にいたこともあったでしょう?」

怖かったんです・・・・とは、先生には直接言えなかった。

「それと、1つ謝らないといけないことがあるの。あなたは1日のレッスンの最後になることが多かったから、私は前の生徒さんのときのイライラを、あなたに持ち越してしまうことがあったと思う・・・・」

そうですよね、と、その言葉に内心深くうなずく私なのであった。

 なんだかわからないけど、最初から怒りモードのときがあったもの。先生がピリピリしていて、ちょっとのことでもすごく怒られたり。自分でも???と思っていたのが、先生の言葉で氷解した。

「前の子が練習してこなかったりすると、どうしてもね・・・。それが2人も3人も重なった後にあなただと、つい当たってしまったことがあったから。ごめんなさいね」

 そして先生はお別れにと、いつもは弾かないピアノの曲を、数曲弾いてみせてくれたのだった。怖かった先生が、その日はとても優しかった。8年間の師弟関係。最後の日が一番、近づけた瞬間だったように思う。ただただ、怖いだけの存在だった先生が、その日は違っていた。

 今思うと、いい先生だったなあ。一度も「やめたい」と思わなかったのは、そんな先生だったからなのかもしれない。無意識に、それをわかっていたからなのかもしれない。

 その先生のおかげで、譜面さえあればとりあえず、知らない曲でも弾けるようになった。買ったままでしまいこんである『ダンス・オブ・ヴァンパイア』の譜面、今年中には弾けるようになりたいなあと思う。近所にピアノを貸してくれる音楽スタジオがあるので、一度出かけてみるつもりだ。