お正月

 明けましておめでとうございます。

 今年の初夢。初夢は、元旦の夜にみる夢という説もあれば、2日の夜にみる夢という説もあるそうで、ひとまず、今日目覚めたときに覚えていた夢の話を書きます。

 私は銀器を磨いてた。場所はレストラン。ナイフについた曇りを、力をこめて磨き上げる。そして、きれいになったナイフをいろんな角度から眺めていた。

 大勢の人が歩く交差点。信号が青になって渡っていたとき、小走りの誰かがグレーの帽子を落として、気づかずにそのまま走り去ってしまう。

 私はちょっと迷って、だが人波を潜り抜けて帽子を拾い、その人を追った。

 走ることには自信があるのに、その人に追いつくことはできなかった。あっという間に見えなくなる。その人が消えた辺りをうろついて見つけたのは、急な坂道。小石の埋め込まれたデザインの舗装道路を踏みしめて、坂の向こうを見上げた。右手に大きな洋風の豪邸。

 坂の角度は60度以上あって、上ったら滑り落ちた・・・。

 なぜ、敢えてこんな急勾配の坂に家を建てたんだろう。家の内部はどんな間取りになっているのか?

 その家をもっとよく見たいと思いながらも、また後で来ればいいやと諦めて、また人探しに戻る。帽子を届けてあげたいから。せっかく拾ったのだし。なんとなく、その帽子はその人にとって大事なものだという気がした。

 左手に進路をとると、丘の上の公園。ベンチは人で埋まっている。一人ひとり、顔を確かめるけどその人はいなかった。

 その後、元自転車屋さんの店舗から、二階へ上がる。階段を上がるとその部屋に、貫禄のある女性がいた。

 覚えているだけでこんなところです。

 本当はもっと、たくさんいろんなことを夢にみているような気がするけど。

 穏やかなお正月を、まったりと過ごしております。

ジュモーとの再会

 三連休も今日で終わり。連休中には思いがけない再会がありました。

 ある人形作家さんの展示を見にいったところ、そこにジュモーの人形があったのです! 私はアンティークドールの中でも、ジュモーが一番好き。そのジュモーと、こんなに近い距離で再会するとは、嬉しいサプライズでした。

 3年ほど前、熱海にある美術館で、初めて本物のジュモーを見ました。ガラス越しに見たその人形は、目が大きくてとても可愛らしかった。美術館だから、飽きるほど眺めることが許される場所で。たくさんある作家さんのお人形の中でも、やっぱりジュモーは特別でした。

 いつか、ガラス越しでなくジュモーを見たいなあって。漠然とそう思っていたのですが、まさかこんなに早く会えるとは。それも、出会えた場所がまた、素敵なところでした。

 古い日本家屋です。直射日光の射さない薄暗い部屋。人工の灯りが照らす多くの人形たち。その中に、ぽつんとジュモーは座っていました。

 正確に言えば、あの熱海の美術館で見たジュモーとは別のものなのですが。あのときのお人形は、今も美術館に展示されているのでしょうし。

 ただ、作家が熱意をこめて作り出した人形はどれも、作家の分身だと思うんですよね。同じ魂がこめられている気がするのです。持ち主が可愛がって愛情を注げば、年月を経て次第に、その持ち主の人形、固有のものへと変化を遂げていくだろうけど。

 私が直接、至近距離で見ることができたアンティークドールは、少なくとも100年以上前に、フランスの工房で丹精こめて作られて。それが時をへて海を渡り、こうして日本の某所で静かに休んでいるのでした。

 私はその、建物の雰囲気も気に入りました。展示は、美術館のようにガラスケースに納められているのではなく、人形と人間を隔てるものは空気だけ。そして建物全体が、歴史を感じさせて、どこか懐かしくて。

 夜になって誰も居なくなったら、並べられた人形は動き出しそうです。そして、人形同士がおしゃべりを始めそうな雰囲気なのです。

 展示会場に流れるのは、異国の音楽。シャンソン?のような感じでした。その音楽のゆったりとした響きと、どこか憂いを含んだ女性の歌声が、またちょうどいい音量なのです。

 外界と隔絶された、特別の空間のように思いました。そこにいつまでも座りこんで、ゆったりと流れる空気に身をまかせ、ただぼーっとしていたなら。この空間の中だけ、時間が止まっているような錯覚にとらわれてしまうでしょう。

 ふと思い出したのは、いつか見たテレビの映像。

 人形をコレクションしている、年配の女性が映っていました。大きなお屋敷にひとりきり。たくさんの人形に囲まれて、その人は着物姿でカメラの前に立っていました。

 私はそれを見て、不思議な感慨を覚えました。

 家の様子から察するに、その女性は相当のお嬢様で。小さな頃には、お屋敷には大勢の家族や使用人が賑やかに暮らしていたはずで。彼女の願いはいつもたやすく叶えられていたのでしょう。「お父様、お人形が欲しいの」。小さな彼女は甘えた声で、いつも父親に人形をねだる。

 娘に弱い父親は、そのたび古今東西の人形を、求められるままに与え続けて。彼女の部屋はいつしか、人形のお城となったのです。

 いつか時が流れ、時代は変わり。隆盛を誇ったそのお屋敷も、時代に取り残されたまま風化して。父母も使用人も、誰もいなくなったそのお屋敷の中で、年をとったお嬢様は、それでもその場では、今でも少女なのです。大好きだったお人形に囲まれて。彼女の中では、時間がとまっているのだと思いました。

 ジュモーの人形を見て、そんなことをふと、思い出したりしました。

 それにしても、願いは思いがけない形で叶うものです。ガラス越しでないジュモーに会いたい、その願いが叶って、大満足の連休でした。

懐かしい景色

 しばらくぶりの更新です。

 いろんなことを考えてました。でも昨日で一区切りついたというか。

 昨日、懐かしい街へ出かけました。駅前のロータリーは変わっていなくて、ちょっと泣きそうになりました。空はよく晴れていて、時間だけが流れていた。

 時間の概念についてはいろいろな考え方があると思いますが、ある本を読んだらこんなことが書いてありました。過去も未来も、確定したものではないと。今この瞬間しか、確かなものはないと。

 えー?過去こそ、確定したものじゃないの?未来はこれから起こることだから改変可能だけど・・・なんてそのときは思いましたが。過去は、結局は記憶の中にあるものだから。それに、この世界のなにがいったい現実でなにが架空なのか、本当は確かめる術なんてどこにもない。

 自分がどこから来たのか、なにを信じればいいのか。

 確かだと思えるものは、自分の感情だけで。ただ、快は快。不快は不快。

 昨日、友人と話して「個」を痛感しました。それぞれ、欲しいものは違うんだなあって。

 私が全く欲しくないもの、むしろ、くれるといってもお断りしたいようなものを、彼女は欲しいという。そしてそれは、たいていの人が欲しいものだと、彼女は言う。

 逆に、私は彼女が要らないものに、とても魅力を感じました。むしろ、そこにしか興味はないというか。理解できないと言われましたけど(笑)

 私はやっぱり、変わってるんでしょう。もう言われ慣れました。

 昨日出かけた街は、一時期勤めていた会社のある街で。けっこう思い入れがあったんですよね。複雑な感情がまだ残っていて、だから用事がない限り、たぶん一生行かないだろうなあって思ってました。少なくとも、今はとてもじゃないけど、自分から出向くような気分になれない。

 すべての出来事に意味があるというのなら。出かけようと思って、自分の感情を冷静にみつめようと決めてました。電車に乗って、窓の外の景色をくいいるように見てた。

 一駅、一駅、近付くごとにやっぱり胸は痛くなったし。だんだん、懐かしい景色が見えてくるほどに、感慨深いものがあって。

 そこに自分がいたから、その後の自分が繋がったというか。

 点と点じゃないんです。ドミノ倒しみたいな。流れにはすべて、関連がある。

 きっとこの場所で働いていた記憶がなかったら、その後の自分は居なかっただろうなあって。この場所で、あの時代に出会った人たち一人ひとりの顔が蘇って。

 それは嬉しくもあり、懐かしくもあり、そして痛くもあり。

 時間があれば、その会社の前まで行くつもりでした。そこに立ったとき、自分はなにを感じるだろうかって、そう思った。

 まあ、結局よけいなところに行っている時間もなかったのですが。

 駅前のロータリーで、昔の私を思い出したのは確かです。電車に揺られて、通勤してたなあって。いつも駅前のコンビニで、お決まりのサンドイッチにヨーグルト。来る日も来る日も、飽きるまで同じメニューを繰り返し買っていたことだとか。

 当時の自分は、時々考えていましたね。未来の自分は、たとえば10年後の自分はいったいなにをやっているだろうって。そして20年後はさらに、どんな変化を遂げているだろうかと。

 今自分がいるこの瞬間を、どんなふうに思い返すだろうかって、そんなことをふと思った日もあったと思います。

 やっぱりその街の記憶は、すごく意味深いなあ。

 そこから始まって今がある。

 子供の時、近所にでっかい道路がありまして。まだ小学校に上がる前の私にとって、その道路は、世界の境界線だったわけです。一人では、どうしても超えられないボーダーラインだった。

 この道路の向こう側には行けない。誰に教えられたわけでもなく、そう思いこんでいた。どんなことがあっても、その向こうに自分の居場所はないんだって。

 いつか時間が流れて、私はいとも容易くその道路を渡り、その向こうの世界へ、東京へ私は来たわけです。成長したなあ。

 そのときそのとき、ボーダーラインはあるのかなと思います。子供のころの私にとって、その道路が越えられない境界線だったように。今の私には、今の私なりに、越えられない(という気がする)自分が引いた線がある。

 その線の内側に居る限り、新しいことはなにもない変わりに、自分を脅かす存在というものもないわけです。内側の心地よさは、お風呂の生ぬるさに似ているかも。思わず居眠りしてしまうほどの心地よさ、安心感。そこに居る限り、傷つくことはないから。

 今日もいい天気ですね。

 窓から、青空を眺めてます。また、一日が始まります。 

この感情はどこからやって来るんだろう

 散歩の途中初めて通った道で、素敵な建築物を見かけた。見た瞬間、はっと息をのんだ。それは大きなホールのようで、壁面は曲線を描き、並んだ窓からオレンジの光が漏れていた。

 特別、デザイン性が高いというわけでもないのだが、なぜか私の心に不思議な感情が湧き上がってきた。

 この建物、懐かしいのだ。私、この建物か、あるいは似たところを知ってるような気がする。

 そして一生懸命それを思い出そうとして、浮かんできた映像。同じフロアに、廊下に沿って同じ作りの小さな個室がずらりと並んでいる。一定の間隔で並ぶ扉。それを開くと、部屋の中には大きな机がある。私はそこに座って、訪ねてきた誰かと話をしている。

 入口そばにある来客用のソファは、落ち着いた赤系統の布張りで。ソファの前には、強化ガラスのテーブルがある。

 私がそこでなにをしていたのかは、はっきり思い出せないけど。とにかく一対一で、相手となにか話しこんでいたような気がする。夜だ。途中、廊下に出て別の部屋の誰かを呼びにいったような。廊下には絨毯が敷き詰められていて、足音は響かない。

 それ以上は、うまく思い出せなかった。たぶん、夢でみた景色なんだろうな。とても懐かしいというか、心に響く情景で。

 建物の周りは、人気がない。外灯がぽつん、ぽつんと見える。そして灯りに浮かび上がる建物の全体像は、私の心をざわざわと動かすものだった。たまにあるんだよね、この、独特の感傷。

 この建物も、辺りの景色も。それから空気の生暖かさも、空気の匂いも。なんだろう。どうしてこんなに、惹かれるんだろう。

 すっかりその建物が気に入った私は、この道をお気に入りの散歩コースの一つに加えたのでした。そして、川沿いの道へ。

 川面に街灯が反射するのが綺麗だった。それを見ながら、歩いていった。基本、水音はしないのだが、途中で一箇所だけ音のする場所があり。そこではしばらく立ち止まって、流水音に耳を澄ませた。

 川を見るたびに、思い出す詩がある。橋の上から、川面に跳ねる銀色の魚を眺めていた、という詩。静まり返った真夜中の情景。

 私は、実際には見たことがないんだけどね。銀色の魚の鱗。だけどきっと、作者が見たその夜の景色は、どんなにか美しかったんだろうと思う。他には誰もいなくて。ただ月が静かに、川面を照らしていた夜。まるで世界に独り、みたいな安らぎがあったんだろうなあ。

 そのとき作者が感じたであろう、穏やかな気持ち。過去も未来もなく、ただそこには、今しかなくて。その瞬間、そこに存在して、ただ目の前にあるものを眺めてる、受けとめてるって感覚。

 感情って不思議だなあと思う。なんだろう。認知するということ。反応するということ。人間は意識の底に、どれだけの感情を抱え込んでいるんだろう。行動はコントロール可能だけど、感情は制御不能。

 だって、それを見た瞬間に、思ってしまうんだから。思ってしまうことは、とめられないわけで。

 自分の感情に真っ直ぐに向き合うことで、新しい世界が見えてくるかもしれない。本当に望むもの、拒絶しているもの。答えは全部、自分の中にあるのかもしれない。

 そんなことを考えながら、家へ帰ってきたのでした。明日も歩こう。

目黒雅叙園の百段階段

 目黒の雅叙園で、国の登録有形文化財指定の「百段階段」を会場に、人形師、辻村寿三郎さんの作品が展示されることになったので、さっそく行ってきました。8日(日)は展示会の最終日なのです。16時過ぎに行けば、終わりがけで空いているかなと思ったのですが、予想していたよりもずいぶん多くの人で賑わっていました。

 私はそもそも、この百段階段が好きなのです。

 雅叙園創始者の、細川力蔵さんとは、どんな人物だったのか・・・と思います。この百段階段と、そして各部屋の装飾の凄さ。

 私がこの、百段階段を訪れるのは3度目です。去年の夏に、テレビドラマ「大奥」の衣装や小道具が展示されたときが、初めてでした。そして今年に入ってから、レストランでの食事と、百段階段の案内がセットになったコースを、体験しました。

 なぜそのときにブログに書かなかったかと言えば、あまりに感動したので、言葉がみつからなかったのです。この気持ちを、うまく言葉にできる自信がなかった。それくらいなら、いっそ書かない方がいいだろうと。

 そして3度目の今日。やはり、百段階段は素晴らしかった。

 なにが凄いって、99段続く階段も圧巻ですが、各部屋の贅を尽くした造りは、この世というよりはまさに桃源郷、そして竜宮城そのものなのです。

 もちろん、年月を経て色彩は褪せていますし、建具も傷んでいる部分はありますけれども。部屋の中に立ち、豪華な浮き彫り彫刻、組子障子、床柱、日本画、螺鈿、等々、それらに囲まれているとタイムスリップできます。

 どれほど多くの作り手の思いが、宿った部屋でしょう。

 職人の誇りを感じます。出来上がったばかりの部屋は、どんなにか光り輝いていたでしょう。

 この世に竜宮城を作ろうとした細川さんに、興味を持ってしまいました。今生きていたら、いろいろ質問してみたいです。きっと細川さんの頭の中には、色とりどりの楽園が広がっていたのだと思います。

 私は「千と千尋の神隠し」という映画を見たとき、、湯屋の描写に憧れを抱きました。八百万の神々が集う大宴会場。絢爛豪華な部屋から漏れる笑い声、忙しく立ち働く人たち、贅を尽くした料理の数々、歩いても歩いても、部屋は限りなく続く。

 あの湯屋は、この目黒の雅叙園がモデルだったんですね。もちろん、他にも着想の原点になったものはあるとは思いますが。それでも、在りし日の雅叙園は、まさに千と千尋の世界そのものだったのでしょう。

 お膳を運ぶ人たちが、ひっきりなしに行きかう階段。部屋ごとに繰り広げられた宴の数々。笑いあり、涙あり。どれほどの人生が、この雅叙園の百段階段を通り過ぎたのかと思います。宴会場としては使われなくなり、展示としてのみ、時折公開される静かな日々。

 けれど、部屋の中に立ってみれば、その日のざわめきを感じ取れるような気がするのです。時間を巻き戻せば、この場所にはたしかに、人の息づかいがある。

 特に好きなのは、漁礁の間。浮き彫り彫刻と、その彩色が見事です。部屋に足を踏み入れた瞬間、心を奪われてしまいます。

 それは、極彩色の世界です。ここまでゴージャスだと趣味が悪い、という人もいるかもしれません。金に糸目をつけず、最高のものを、派手に作ったのだということがうかがえます。侘、寂の世界とは、真逆ともいえる華美な色の洪水。

 だけど、悪趣味、その一歩手前のバランスが素敵なのです。これ以上、一歩でも踏み出せば悪趣味になってしまう、そのギリギリで踏みとどまった微妙な加減。

 細川さんは、誰もがお金さえ出せば、一晩だけのお大尽になれる空間を作ろうとしたそうですね。その夢が現実の形となって、ここにある。その発想には、細川さんの強い意志を感じます。

 昔は今以上に、庶民と上流階級に身分差があったと思うんですよ。時代の流れの中で、にわか成金になっても、上流階級が昔から贔屓にしているような遊び場では、お金など役には立たない。

 一見さんお断り、あるいは会員制のような、紹介がなければ出入りが許されないような場が多かったのではないでしょうか。

 そこでは先祖だとか、その階級同士の横のつながりが大事にされただろうし。

 だから、細川さんは考えたんだろうな。お金でお大尽になれる空間。身分とか、過去とか、全く関係なく。ある意味、平等な世界。

 当時その雅叙園の噂を聞いて、一度でいいから行ってみたいと訪れた人もいるかもしれない。そしてその一晩の夢を、大事に抱きながら、その思い出を宝物のようにして死んでいった人もいるかもしれない。

 たくさんの人の夢がつまった空間。いろんな思いが入り混じった部屋の中。時代は流れても、作品と人の思いは残り、語り継がれていくでしょう。

 事業で成功した細川さんが、それぞれの部屋に膨大な時間と経費をかけ、職人達に思う存分腕をふるわせた、その姿勢を尊敬します。こういう場がなければ、埋もれてしまった職人技って、あったと思うんですよ。

 芸術家に輝けるステージを用意した。それは、個人的な思いだけではなかったと思います。その作品は、時を重ねてずっと受け継がれていくものだから。細川さんの名の元に、多くの天才が集い、その天才同士がいい刺激を受けあって、また新たな才能の発掘へとつながる。

 美しいものを見たときに、人の心は震えます。

 その人が受けた感動は、他の人の目に見えるものではないけれど。たしかに、美しいものには人の心を動かす力があるのです。

 この百段階段と各々の間が人々に与えた感動は、今も昔も大きいものです。

 私は静水(せいすい)の間と、星光(せいこう)の間をつなぐ階段と廊下の、左手にある立ち入り禁止の扉が気になってしまいました。

 おそらく、今は物入れとして使われているのでしょうが。構造上、その先に新たな部屋などないとわかっていても。扉をあければ、ひょっとしたら笑い声の絶えない全盛期の百段階段、その宴会場へトリップできるのではないかという気さえ、してしまうのです。

 清方(きよかた)の間の廻り廊下から、見下ろす景色も好きです。今のガラスと違って、斜めから見ると、少しだけ景色が歪んで見えて。それがまた風情があるのです。

 木の枠と硝子。その組み合わせだけでも、懐かしい感じがします。下方の軒樋を埋める落ち葉を眺めていると、時間を忘れてしまいます。

 この百段階段の世界に、寿三郎さんの作った源氏物語の人形はよく合っていました。企画した人のセンスがいいですね。源氏物語の人形の他にも、戦国時代の実在の人物を模した人形もありました。顔の表情もよくできていますが、衣装が精巧に作られているので、そこもまた見応えのある展示でした。

 源氏物語の展示を見て、あらためて思ったことがあります。

 帝はなぜ、桐壺を守り通せなかったんだろうと。そもそも、帝が桐壺をちゃんと守ってあげられたら、彼女は精神的に追いつめられて死ぬこともなかったし、光源氏の運命は、全く違ったものになっていたのでは?

 その立場上、最後まで守ってあげられないなら、情熱は胸に秘めておくべきでした。他の女性からの嫉妬なんて、たやすく予想できたはずなのに、理性を感情が上回ったということでしょうか。

 それは、愛というより、エゴなのでは・・・。

 百段階段は、名前は百段ですが、実際には99段しかありません。そんなところも気に入ってます。一歩手前。わざとそうしたところが、粋ですね。本当に素晴らしい、一日中そこにいても飽きない建物です。